*8* 生き延びたければ外に出ろ
*二日目*
走る。ひたすら走る。
ブーツを履いた足はごつごつごつごつと足裏に当たる石や瓦礫を踏みまくったせいで理不尽なほど痛い。
一体自分は何処にいるのか、何処へ向かって走っているのか、そんなことを知る余裕なんて無かった。何故なら。
「ヒャッハァー!! 見つけたぜぇ、新鮮な人間だぁぁぁッ!」
「待ちやがれェ! 頭引きちぎって性処理道具にしてやるぜぇ!!」
後ろから数人、最悪な盗賊どもが俺を追いかけているのだから。
どうしてこうなったのかは良く覚えている。
シェルターを出て寂れたゴミのような町の奥を探索していたら、たまたま徘徊していた盗賊どもが俺を見つけて……そして終わりの見えない追いかけっこが始まった。
ふざけんな畜生。
殺害予告どころかどころか向けどころの間違っている欲望すら向けられている。
なんで俺がお前らなんかに殺されて○○○○○として使われなきゃいけないんだ?
走れば走るほど何処を進んでいるのかわからなくなる。
足がガチガチに強張ってきて肺が破裂しそうなほど苦しい。
すぐ後ろから聞こえてくる「はははは」「ひゃははは」なくそったれの笑い声がいよいよ死刑の宣告になってきている。
住む人間も管理する人間もいなくなった住宅地の道路を走って、そこらの家の庭へ突入して、倒れた柵を飛び越えて、町からどんどん離れて郊外に来てしまっている。
駄目だもう息が持ちそうにない。
「町から逃げるつもりだ! 逃がすんじゃねェ!!」
「ひゃっはぁぁぁぁ! 俺達からは逃げられないぜぇ!」
「おい撃っちまえ! 殺すんじゃねえぞ! 足を狙って撃て!」
銃声が二発。ばん、とも、だん、とも聞こえる大きな音が後ろから響く。
足元を掠めた。振り上げた足に何かが通り過ぎていく。掠ってすらいないのに足から血が抜けていくようで、背筋に痛みに似た震えが走った。
間違いなくあいつらは俺をいたぶるつもりだ。
発した言葉の通り俺の頭をねじ切って、首なしになった俺の身体で遊ぶに違いない!
「ひぃっ!?」
「下手糞がッ! ちゃんと狙え!」
折角集めた食べ物や使えそうな道具を両手一杯に抱えていたのに、あの狂人どものせいで全部何処かに落としてしまった。
手元には身を守る武器もない。あるのは幾ら捨てようとしても絶対に消えないPDAのみ。
くそっ、せっかくこそこそとシェルターの近くを探し回って集めたのに!
今頃落としたものは全部あの盗賊どもにもってかれてるに違いない。
そして俺を嬲り殺しにしたあと、その死体をメインディッシュにしておしまいだ。
もしも俺が操作するキャラクターだったらこんな奴等、武器が無くても殺せたのに。
近くから木材やら鉄パイプやら拾って狭い家の中に誘い込んで一人ずつじっくり撲殺して武器を奪って――。
*ダンッ!*
冷たい風の中に突っ込むように町の外へひたすら走っていた……はずなのに。
銃声が聞こえた。当たるわけないと思っていたのに、急に胸の辺りに痛みが走った。
痛いようで痒いような、むしろ熱くて痛くて、呼吸が苦しくなる。
「かひゅっ……!」
声が出なくなった。遅れて足がもつれて転んだ。
ごつっと顔面に地面が当たって、潰れた鼻から太い針を刺されたような痛みが脳まで走る。
前のめりに倒れてしまって、立とうとしても身体が動かない。
酸素が欲しくてたまらなくて開けっ放しの口から乾いた土のざらざらした味がした。
別の味もしてきた。鉄臭くてしょっぱさのある調味料だ。
鈍い胸の痛みが段々、つんとした鋭さに変わってきて。
視界がかすんで黒さを帯びてきて。
「あーあ……殺しちまったのかよ」
「勿体ねぇことしやがるぜ。あ、でも綺麗にあたってんな。心臓のど真ん中だ」
「お前すげーなぁ、走ってる奴のど真ん中狙うなんて」
「へへへ、褒めるなよぉ。まぐれだってまぐれ」
「見ろよこいつ! 泣きながら死んでるぜ! 残念だったなぁ、俺たちに会った運の悪さを呪ってくれや」
ああクソ。
こいつ等、俺を射撃の的かなんかと勘違いしてやがる。
まだ辛うじて残っている力を振り絞って、地面に口から血を吐き捨ててやった。
□
……寒い。
目が覚めた。何の役にも立たない薄い白い布が乗っかっているだけのベッドで寝てたようだ。
まだ少し胸の辺りが痛い。
ジャンプスーツの胸元をあけて恐る恐る手で自分の胸板を触れてみると、丁度ど真ん中で何か違和感があった。
起き上がる。散々走った不快感と、土と血の混ざった味がまだ残っている。
バスルームへいって洗面台の前に立った。
割れてしまってクモの巣のような模様を描く鏡の表面に、やつれた顔の誰かがいた。
そいつは俺だ。
茶髪の髪に死人かと思うぐらい顔色の悪い、目つきだけは鋭い役立たずだ。
大きくあいたジャンプスーツの胸元には黄色味を帯びた素肌が見えている。
ジャンプスーツの中にはシャツはおろかパンツすらはいてない、お陰さまでクソ寒い。
「……はぁ。」
そいつに聞かせるようにため息が漏れる。
無理も無かった。胸元には傷が残ってたからだ。
下手糞な花の絵でも描いたような痛々しい痕が残ってて、ひどくムカムカした。
口の中をすっきりさせようと錆だらけの水栓を捻った。
綺麗な水が出ると思っていたら……なんだこれは、見事に茶褐色の液体が勢い良く出てきた。
お茶が出る蛇口じゃあないのは確かだ。
手ですくって匂いを嗅いでみたら錆と土の混ざった悪臭がするし、舌先で味を確かめると予想通りの味がした。
仕方がないのでベッドのある部屋に戻って、床に置いたコーラを1本開けて飲んだ。
炭酸とカフェインの味はよほどの安物じゃない限りはいつでも何処でもおいしく感じるものだ。
あっという間に飲み干してしまった。口の中はすっきりしたけど頭の中はまだごちゃごちゃだ。
PDAを開いてメールを見る。
あれから何も送られてこないし、俺のメッセージもきっと届いていない。
ついでに資源も見てみた。
分解もせずに気ままに探索してたせいで、増えても減ってもいない。
このまま一生このシェルターに引き篭もっていたいと思った。
外に出てもろくなことがないからだ。
文明が破壊されてろくなものも残さず廃れていった世界に、殺して奪うが日常の狂人ども。
右も左も分からずうろうろとしているだけであいつらは目ざとく見つけて殺しにくる。
そんなやつに俺は二度とも殺されたんだ。
あまりに呆気ない自分の最期に、最初は漠然と受け入れた。
でも今は違う、小動物狩りのように追い回された挙句背中から撃たれて、品の無い別れの言葉を浴びせられまくって惨めに死んだ。
それに比べれば冷凍されかねない寒さなんてまだ我慢できる。だがしかし――そうもいかないみたいだ。
PDAの画面にステータスを表示されると、嫌なものが表示されていた。
遠慮なく減ってしまった空腹と水分のゲージだ。
最後に何かを食べたと聞かれればこう答える、最高にまずいミートソースパスタと調味料をぐちゃぐちゃに混ぜたもの。
別にステータス画面に表示されているからというわけじゃないが、今確かに腹が減っている。
コーラを1本飲んだけどもっともっと水分が欲しい気分だ。
ゲームだからじゃない、自然と身体が食べ物と水を欲しがっているだけである。
本当にゲームの中なら別に飲まず食わずでも大丈夫だろう。
餓死しても生き返るなら何にも問題ない――いいやそんな訳があるか。
このゲームじゃ飢えと乾きは敵だ。
主人公は空腹度が0になると死ぬ、水分が0になってからからになっても死ぬ、疲労がたまりすぎても死ぬ。そうだ死ぬのだ。
じゃあもし今の状態で死んだら?
P DAの情報、そして今の自分の身体の状態を知る限りは――たとえ飢えて死んで生き返っても飢えたまま、喉がからからに乾いたまま、死ぬほど疲れたまま、最悪の状態を引き継いだままここに戻るかもしれない。
もっと酷い考えだと動くことすらできなくなって、硬いベッドの上でひたすら死んで生き返るといった生きる屍のような運命すら迎えるかもしれないのだ。
これは仮定だ。絶対にそうはなりたくない仮定だ。
死にたくないという気持ちはある。
腹が減っているのを延々我慢できるわけもないし、喉が乾いたら喉を潤したい、疲れたらたっぷり眠りたい。
俺はゲームのキャラじゃない、まだ人間だ。
だからこそ食べて飲んで眠って生きていたい。
そのためには外に出て、自分の飢えを満たす為に何かを探さないといけない。
そして何より――本当にゲームの中に入ってしまったというならば、俺にメールを送ってくれた『本物の』ミセリコルデに会いたい。
俺はPDAのシステムメニューを開いてメールを見た。
相変らず何もきちゃいない。向こうで何が起きているのかは知らないし、送られてきたメッセージの内容もまだ信じがたい。
だけど俺は実際にゲームの中に確かにいる。
もう夢だ夢だとこの現実から逃げるつもりは何処にもない。
画面に浮かんだキーボードを叩いた。
>>『ミコ、俺は今の状況が信じられないし、それに説明し辛いぐらい酷い目にあってる。でも心配するな、必ずお前のところにいく』
文章を送ろう。
エラーの画面が出たっていい。
送られなくなっていい、俺の覚悟を今ここで決めるためにただ思った事を書ければそれでいいんだ。
もう非常識な事にむやみやたらに考えるのはやめだ。
この状況を喰らい尽くして、向こうの世界を救ってやろうじゃないか。
>>『心配してくれてすごく嬉しかったよ。そういえばミコは出会ってからずっと、俺のために色々してくれたな。最初はうざいとか思ったけどお前に会えてよかった。良いヒロインと出会えたんだなって痛感してる』
ふと思い出すとモンスターガールズオンラインの中の俺は波乱万丈の毎日を過ごしていた。
ミセリコルデという相棒との出会い、最初はやたらと喋るし人のキャラの見た目に指摘しまくるしうざくてうざくてたまらなかった。
当然怒った。怒るに怒ってやかましいヒロインを削除申請しようとして結局しなくて、やっと彼女と向き合った。
俺のために装備を集めてくれたりわざわざ生産スキルを覚えてくれたりもした。
>>『だから必ずお前のところにいく。感謝の気持ちはここじゃ言わない、お前に直接この口で伝えるまでのお預けだ。元気でいろよ』
ある日、あいつはムツキという俺と同じ歳のプレイヤーを突然連れてきた。
結果的にそいつは唯一無二の友達となった。
それからミコが騒いでムツキが困って、俺が怒ってムネマチがそれをなだめるという三文劇が恒例の日常だった。
俺の相棒はゲームの中の実在しない架空のヒロインだ。
その相棒はどんな時でも俺を信じてくれたし、俺もまた相棒を信じていた。
俺はまだ、今までの感謝をあいつに伝えた事はない。
そのお礼を言いにいくために、そして向こうの世界の危機とやらを食い止めてやるために、この世界から抜け出してやる。
>>『あとムツキたちを頼んだ。寂しかったらごめんな』
文章を送信した。
*ERROR422*
エラー文字が点滅した。知っているとも。
PDAの画面を収納して、俺は丸い扉のロックを外してハンドルをぐるぐる回して開けた。
生き延びてやる。
誰かから何かを奪ってでも、血を啜ってでも、地べたをはいつくばってまで生存してやる。
外に出た。砂嵐が起きて砂と乾いた風に包まれていた。
まずは生きる為に必要なものをかき集めよう。
盗賊たちから身を守る手段も、生きる為のノウハウも、全て自分が作らなくては。
決心の着いた俺は立ち上がって、再び外へ出て行った。
……それからシェルターを出て間もなく、道路に仕掛けてあった対人地雷を踏んで死んだ。
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