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*73* ロリバニー

 それからだいぶ経った。

 女性陣がわらわらと部屋を出て行って、出口を守るガーディアンとなってしまった無表情なメイドさんもろとも待つこと十分ほど。


「……来ないね」


 時間が止まったんじゃないかっていうほど変化のない部屋の中で、窓から外の様子をずっと見ていたムツキがついに口を開く。

 あれから何も始まらない。

 ずっと機械的な視線を送って来るだけのメイドさんの存在もあって、これ以上の沈黙はただの苦痛でしかない。


「……来ないな」


 扉に向けるように心細く言ってみるものの、そこに立っている存在(メイド)は口を閉ざしてじーっとこっちを見つめるだけ。


「……ムツキ、俺思うんだけどさ」

「ん、何?」


 PDAの画面で時間を確認しながら、窓の前にいるムツキに言った。


「キスするだけ、だよな?」


 これから自分たちが何をするのか分かっているわけだ。

 契約するだけ、つまり、ヒロインとキスするだけで終わる話ということ。

 ところが一体なにしてんだか分からんけど一向に来ない。

 というかそもそも準備ってなんだ。キスのついでに何か特別な儀式でもしないといけないのか?


「そ、そうだね、キスするだけ……っていってたよね」


 するとムツキがこっちに背を向けたまま、ちょっと不安そうな……もしくは恥ずかしそうな声を返してきた。

 どう聞いてもドキドキしてる感じだ。そりゃそうだ、女の子とキスするわけだし。

 でも俺だってそうだ、緊張というか不安も異物混入してごった煮状態になってるというか。


「……じゃあなんでこんなに待たされてんだ?」

「……ほら、えっと……あれじゃないかな? 何か儀式もしないといけないとか」

「何か黒魔術的な儀式でも必要なんかじゃないかっていうのは俺も考えたさ。でもキスするだけってリーゼル様がいってただろ? おかしくね? つーかなんで俺だけ三人分しなきゃならない流れになってんのこれ?」

「確かに……しかも十分ぐらい経ってるよね、もう」

「正確には十二分三十秒経ってるぞ」

「うん、おかしいですね」


 ……絶対に何かあるぞ、これは。

 俺たちの間になんだかこう、うまく言えないけども直感的なものによって『嫌な予感』の影が見えてきている。


「…………なあ、ムツキ」

「なんだいイチさん」

「笑わないで聞いてくれないか」

「……笑わないように頑張るよ」

「…………俺、女性とキスしたことないんだ。頬にされたことならあるんだけど」

「……僕だってないですよ」


 正直に告白すると、ムツキが「仲間だね」とばかりに照れながら振り向いてきた。

 もしここにいるメイドかゴーレムじゃなくて生首の取れる方だったら、げらげら笑って馬鹿にされてたと思う。


「……そっか」

「緊張して死にそうだよ」

「こっちは色々不安で死にそうだ。キス以外も含めて」


 ただちょっとキスだけして終わるだろとか思うかもしれないけども、情けないことに俺にはその勇気が微妙に足りてない。

 というかそもそもそんなことが堂々と出来たなら、とっくの昔にモンスターガールズオンラインなんてやらずにリア充としてうまくやってたと思う。


「……ここに来てから驚いてばかりでそろそろ辛くなってきた」

「……それってカルチャーショック的な何かかな?」

「そうともいう。まだあっちの世界の方が落ち着けるって思い始めてるレベルだ」

「あっちの世界って文明が崩壊した世界、なんだよね? 映画みたいな……」

「まあ、そうだな。モヒカンがヒャッハーしてるような教科書通りの世界ともいえる。盗賊(レイダー)が人を襲うことなんて当たり前だし、突然変異した化け物もうじゃうじゃいる」

「……怖い世界だね」

「ああ、でも毎日が絶望ってわけじゃないさ。たまに良いことがあるんだからなんやかんやでバランスは良かったよ。でも俺を踊り食いしたあのハゲ、てめーは絶対許さん」

「あー……それって、イチさんの胸の傷をつけた人のこと、なのかな?」

「ああ、その通り。でもパイプ爆弾でトドメ刺したから二度と会うことはないだろうな」

「と、トドメって……?」

「トドメはトドメだ、取り巻きごと全員ぶちのめしてやった。おまけに最後は自爆しようとしたのに失敗してやんの。はっ、ざまーみろハゲ」


 ムツキにあっちの世界のことを話していると、つい熱がこもってしまった。

 友人は若干引いているし、どう見てもリアクションに困ってる。


 ――俺もだいぶあっち側の空気に染まってるな。


 はっと我に返ったころには既に遅く、饒舌(じょうぜつ)にボルダーの街での出来事を語っていた自分がいた。

 このままだと「あっちじゃ死んでも何度も蘇って来るボルダーの怪とか言われてたんだぜ」とかさらに余計なことを言うところだった。

 それから言葉が詰まって、視線を俺の発言に困っているムツキからフルーツ皿へと向けた。


「……冗談だよ、気にするな」

「……うん」


 今更そんなことを言っても手遅れだろうけど、大して面白くもない話のオチを付け足した。

 茹で卵は決して生卵には戻らないというけど、それと同じなんだろう。

 熱湯につけられた卵をいまさら氷水の中に戻しても生卵に戻ることは物理的に不可能ってことだ。


「……悪い、ムツキ。こんな時になんか変なこと話しちゃって」


 フルーツ皿に乗ってた小さなリンゴを手に取って、こっちを見てるムツキへ言った。


「いや、大丈夫だよ。こっちもだいぶ変なこと言っちゃうけど、やり返すっていうのはイチさんらしくていいと思うよ」


 握りこぶしよりも更に小さいリンゴをかじろうとしていると、ムツキがこっちに近づいてきた。

 ここで『俺らしい』なんて言われるとは思わなかったけど、すぐ納得した。


「……俺らしいってなんだよ?」

「そうだよ。覚えてる? 僕たちが四人で下水道のボス攻略にいったときのこと」


 それはなんだか懐かしい話だった。


「ああ、あのすごい勢いで逃げながら範囲攻撃魔法乱射してくる蜘蛛だろ? 回復魔法と回復アイテム使おうとしたやつを中心にぶっ放しまくる……」

「そうそう。あの時装備も新調したばっかりでもう勝てないものはない!って言ってたけど……全滅したんだよね、僕たち」

「したなあ。ミコが後ろで爆死してムツキが攻撃に耐え切れなくて決壊(けっかい)して、次にムネが取り巻きにやられてたよな」

「うん、それで最後はイチさんだけ生き残ったけどミコさんと同じ運命をたどってたよね」

「ははは……主人とヒロイン仲良く爆死してたよな。そうだ、それで俺が「ぜってー殺してやる!」っていって三日間も挑み続けたんだよな」

「ミコさんも「やろーぶっ殺してやります!」とかいってノリノリだったよね」

「そうだったそうだった。それでしつこく四人で挑み続けて、日曜日の真昼間にやっと倒したんだよな」

「それで四人で倒せたぞーって喜んでたら……」

「ああ、ドロップがたったの1000メルタだけ! おまけにこっちは10万メルタ分消耗したわけだよ!」

「1000メルタってひどいよね! 装備品修理だけでも数万は吹っ飛んでたのに……」



 この世界に来てしまう前のことだ。

 ゲーム越しでの出来事の話で、思い出してしまった途端につい笑ってしまった。

 ムツキも笑ってた。そりゃそうだ、苦労してリベンジし続けてドロップがゴミアイテムより酷い始末だったわけだし。


「それでミコに怒られたんだよな、俺。あいつが『この戦いに意味などあったのですか!?』って責任を問われてさ」

「うん、そしたら……」


 それから俺とムツキは、顔を合わせて少し間をおいて。


「このリベンジこそが俺たちの報酬だ」

「このリベンジこそが俺たちの報酬だ」


 一緒に、同じタイミングでそう言った。

 自分たちでも信じられないぐらいぴったりで、扉の前にいるメイドさんのことなんか忘れて……俺とムツキはぶふっと噴き出してしまう。


「最後にそうやってゴリ押しでまとめて現地解散しちゃったんだよね。イチさんが全力で逃げ始めてミコさんすっごい怒ってたし」

「最初に言い出したのは俺だったしな。そしたらミコがこのバニーフェチ!変態!ろりぷにパラダイス!とか言って箒に乗って逃げてったよな」

「死闘がやっと終わったのにその後ミコさんを死ぬほど追いかけまくってたよね」

「そしたらあいつ、操作ミスって塔に突き刺さっててさ……」


 ……話を締めくくるように俺は小さなリンゴにかじりついた。

 小ぶりなそれは噛むとしゃくっとしていて、適度に水分があって酸味がちょっと強かった。


「……そうだな、お前の言う通りだ。俺らしいかもしれないな」

「でしょう?」


 ムツキがフルーツ皿から赤いブドウをつまんで隣に座ってきて。


「僕の中ではやられたらやり返す、っていうのがイチさんだしね。だから僕はそこまで気にしてないよ」


 最後にそういって、柔らかく笑いながら一粒口の中に放り込んだ。

 ……顔が苦そうに歪んだ。渋そうだ。


「……正直、自分はこの世界にとっては異物みたいなもんだと思ってた」

「確かにこの世界にとってはイチさんは例外的な存在かもしれないけど……僕たちにとってはイチさんはイチさんだよ。だからあんまり背負っちゃ駄目だ」


 確かにそうか。

 友人の言う通り『自分はイレギュラーだから』なんてこれから先考え続けてたら……そのうち圧し潰されてしまうんだと思う。

 決して自分のことを忘れるわけじゃない、でも……前向きに進み続けることなら許されてるはずだ。


「肝に銘じておく。ありがとな」

「どういたしまして! それにしてもみんな遅いね、ほんとに何してるんだろう」

「まったくだ。やっぱりキスするだけっていうのは嘘なんじゃないか? 絶対何かあるぞこれ……」

「なんか、僕もこれから何かとんでもないことが待ってそうな気がしてきたよ」

「お前もか。もうあいつらが全員バニー姿で俺を待ってようが驚かないぞ」

「あはは、流石にそんなことはないと思うよ」


 とにかく今は……契約だ。

 が、小さくて酸っぱいけどおいしいリンゴを食べていると……ついにドアが開く。


「お待たせッスよー♥ さあさあそこの草食系な殿方ども、こっちに来るといいッス。アヒヒヒ……♥」


 状況的に恐らく不吉な象徴になっているデュラハンのメイドが、とてつもなく愉快そうに現れた。

 もうここまできたらいちいちその態度に構ってる暇はない。


「……行くぞ」

「……行こうか」


 俺と友人は立ち上がった。

 これから何があろうと前向きに進んでやる。

 みんなと自分のために。俺はもう一人じゃないのだから。


「ではでは~、ムツキさまはそっちの客室へどうぞッス~♪」


 廊下に出ると不健康なメイドは階段側にある、すぐ近くの客室へとムツキを案内した。


「じゃあ行って来る」

「ああ。また会おう」


 友人はかなり緊張している様子だったけども、最後まで爽やかな笑顔は消さなかった。

 高身長なイケメンはちょっとぎこちない動きで、ムネが待っているであろう部屋へと向かった。

 幸運を。おもむく友に敬礼を。

 あとで「ムネとキスしてどうだった? ねえどうだった!?」ってからかってやろう。


「イチさまはこっちッスよぉ……アヒヒヒ……♥」

「できれば教えて欲しいんだけどほんとに一体何させるつもりなんだアンタら。絶対これキスだけじゃないだろ? なんか別のことやらせるつもりだろ? なんか雰囲気的に絶対これとんでもないの待ってそうだもの」

「えー……秘密ッスよー? ウチはちょっとうらやましいッスけど……アヒヒヒ」

「頼むから答えてくれ……」


 ああ、こっちの番がきたか。

 もう完全に何か裏がありそうなねっとりした声を上げるリーケが、反対側の廊下の奥へと進んでいく。

 大人しくそれについていくと、何の変哲もないただの扉の前で止まって。


「このお部屋ッスよぉ、じっくりお楽しみくださいッス……♥ じゃあウチはリーゼル様のとこへ戻るんでー……フヒッ♪」


 これほど怪しいものはないと思うぐらいの不気味な笑顔でそう告げて、デュラハンメイドはゆらゆらと そこから去ってしまった。


 ――大丈夫だ、なんだかんだで今までうまくやってこれたんだ。


 そうだともキスするだけだ、キスするだけなんだからどうってことはない。

 ヒャッハーな人間と戦うのと比べれば楽勝な話だ。

 ただキスすればいい、相手の見た目が子供だろうがセクシーな姉ちゃんだろうがそれだけだ。

 よし……大丈夫だ、行くぞ!


「おい、入るぞ」


 扉をそっと開けた。

 今までこの屋敷で見てきたものよりはだいぶ狭い部屋で、なんだかちょっとだけ薄暗い。

 でも部屋の中には真っ白なダブルベッドがどんと置いてあって、その上にこれから契約をしなきゃいけない三人がいて。


 ――え?


 部屋に踏み込もうとした瞬間だった。

 俺の視界の中に、ありえないものが映っていた。

 本来ならば、こんな状況では絶対に、常識的に、ありえないものが。


「ご主人さまー、おいでおいでー♥」


 ベッドの上に誰かが腰かけていて、そいつは甘ったるい声を上げながら両手を広げて俺を誘ってた。

 まあ、そいつはミコだったわけだけど。


「……まて、なんだそれ」


 身体にぴったり密着するような黒い衣装を着ているせいで、白くて肉付きの良い身体が良く見える。

 衣装といっても控えめな胸元や腹を隠す程度のそれはとにかく露出が激しかった。

 小柄な割にはむちっとした身体つきが微妙な曲線を作っていて、腰のラインや鼠蹊部(そけいぶ)は隠されるどころかむしろ目立ってしまってる。


「バニーさんですよー? にゅふふ……♥」


 そして……遠めに見ても分かるぐらいもちもちしている太ももは、少し食い込んでしまうサイズの真っ白なサイハイソックスのせいで衣装との間に絶妙な領域を作っている、というか。

 当の本人は前髪ぱっつんな桃色の髪のてっぺんからウサギみたいな耳をぴょこっと生やしたまま、もっちり柔らかそうな笑顔を浮かべて出迎えてくれていて、


「…………えっ?」


 自分のヒロインがバニー姿で待ち構えていた。

 もうなんかその姿どおりに「いつでもどうぞ」とばかりにおいでおいでしてる。

 それだけならまだしも。


「……これ、きつい……♥」


 その隣で凄腕の狙撃手も同じような格好で座ってるんだから余計にえらいことになってしまってる。

 胸の部分が恐ろしいことになっていて、何がとは言わないけどもぱつぱつに押し上げて辛うじて隠れている状態だ。

 下半身に至ってはミコよりも更にきわどいことになってて、褐色の肌がバニー衣装のあちこちから溢れてしまってる。


「……どう?」

「……はちきれそうですね」


 バニースーツが可愛そうな目にあってるけども、サンディはちょっとだけ頬を赤らめながらうっとりとこっちを見ていた。

 まるで何か、誘っているみたいに。


『バニーさんです! 似合いますか?』


 まあ、それだけなら辛うじて分かる。そうだ、分かったとも。


「……なんでお前も着てるんだ?」


 トドメとばかりにすぐ目の前でオレンジ色のウィンドウを持ち上げてワクワクしている妖精がいる。

 一体どこで手に入れたのか、レフレクは妖精にピッタリなサイズのバニー衣装を着てた。

 ベッドの上で出待ちしてた二人に比べればまだ致命的な威力はない。


『似合いませんか?』

「いや、そういうわけじゃなくて……」


 でも完全にその衣装とは無縁な身体にバニー衣装なんて着せたら色々とまずい。

 妖精とはいえちっちゃい子にバニー姿とかただのアウトだ。

 しかも本人は完全に遊びかなんかだと思ってるらしく、ふにふにした身体を露出させながら無垢百パーセントで作られた笑顔を向けてきている。


「おう……」


 ロリバニーどもがいる部屋を見て、最初にしたことは一歩後退。


 *ばたん*


 扉をそっと閉じた。

 パンドラの箱を一度開けてしまった以上、この世界には災いが降り注ぐだろう。


「ほんとにバニー姿なんだけどォォォォォォ!?」


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