*72* ヒロインとの契約について
盛り上がっていても構うものかと入り込んできたリーゼル様は相変わらずニヤニヤしている。
「重要なことって……何をさせるつもりなんだ?」
「まあそう身構えなくともよい、楽にしろ。くひひひっ……♪」
「大丈夫ッスよイチさまぁ、ちょー簡単ですから……アヒヒッ♪」
すぐ近くにいるメイドと一緒にねっとり笑う相手を前に、俺たちはさっきと同じように椅子に腰を掛けた。
「さて……一体どこから来たかは知らんが、ぬしらのような旅人は自分の【ヒロイン】を与えられているようじゃな?」
そして第一声がそれだった。
ぎざっとした歯を見せる魔女の視線の先には、ちょうど俺とムツキが座っていたと思う。
「リーゼルさまぁ、与えられたっていうかうちら元は人工知能なんスよー」
「貴様は黙っとれ。クラングルにいる者は口をそろえて『えーあい』だの『じんこうちのう』だの訳の分からぬことをぬかしておるが、ヒロインというのはどこぞの女神が創造したものじゃ。そこの短剣の精霊も、刀の精霊も、妖精もな」
続けて話を聞いていると、今度はその視線がここに居る女性陣に向けられた。
もちろん、この話にはサンディは含まれちゃいないようだ。
「……その話はこれからすることに関係あるのか?」
俺はミコやムネを見てから、リーゼル様へと質問をしてみた。
ゲームではミコみたいなヒロインが『女神』とやらに作られた、なんていう設定はなかったはずだ。
というよりも、肝心の目の前の人物がこれだ。
この魔女様は人工知能という言葉が全く分からないのだから、やはりここはゲームの中じゃなく『ゲームに近い』世界じゃないんだろうか?
「くひひ……もちろんあるとも。ぬしのために分かりやすく言ってやるが、ヒロインというのは……古臭く言えば『召喚獣』や『使い魔』といったところかのう? 必ず主人がいて、そやつと契約してる存在なわけじゃ」
「契約だって?」
俺は思わず横にいるミコと顔を見合わせた。
「なんかカッコいい設定ですね!」みたいに輝いてたので何も見なかったことにした。
「そうじゃ。これは儂の……知人からの受け売りじゃが、ヒロインというのは主人となる者と契約をすれば花開くものらしいのう。絆が深まれば深まるほどヒロインは強くなっていく……と反吐が出そうな気持ち悪い力を秘めておる」
「……反吐とかいうなよあんた」
「……ええい、儂は愛は何物にも勝る、というような糞みたいな話が死ぬほど嫌いじゃボケが! なーにが絆じゃ! 舐めとんのか女神め!」
「ほんとリーケ様って愛よりも実益な人ッスよねえ、現金こそ命って考えは結構好きッスよぉ、アヒヒヒ……♪」
「ふん、愛で世界が救えるのならこんな愉快な状況にはなっとらんわ」
……今度はムツキと目をあわせた。
あいつは「ね?だからロックって言ったでしょ?」とばかりの顔をしている。
「それでリーゼル様、あんたの話はなんなんだ? 黙って聞いてれば契約だの、ヒロインだの言ってるけど……」
「うむ。では要点だけ話そうか? まず重要な点はぬしら旅人は全員、この世界に来た時点で自分のヒロインとの契約が切れてるってことじゃ」
契約が切れてるって?
一体そりゃどういうことなんだ?
リーゼル様の言葉で感じたのはまさに疑問の塊で、それがどういう意味を成しているのかさっぱりだった。
「……どういうこった? 契約が切れてるって? 運転免許証みたいに有効期限でもあったのか?」
「くひひ、どうもこの世界へ来るときに契約が無効になったようじゃな。例えばぬしはミセリコルデというヒロインがおるそうじゃが、今のそやつは厳密に言えばぬしのものではないということじゃ」
「ミコがヒロインじゃないだって?」
つまり今のミコは自分のヒロインじゃない、といっているらしい。
どういうことだ、俺たちプレイヤーが言ってたような野良になったってことなのか?
「みっ、ミコはちゃんとご主人さまのヒロインですよ!?」
「ついでにムツキ、ぬしのヒロインの……ムネマチも同じじゃ。主人とヒロインという関係はとうの昔に切れておるな」
「えっ、僕も!?」
「えっ、わたしも!?」
「ふん、この世界に来た時から旅人どもは自分のヒロインとの繋がりなど無かったということよ。ぬしらの言葉を借りるなら全員が野良と化しているといった感じかのう? くひひひ……♪」
「あー、全ての飼い犬から首輪とリードが消えて解放されたって感じッスねぇ、アヒヒヒ……♪」
「まあつまり、すべてのヒロインは「ぷれいやー」とやらに従う必要もなくなったという訳じゃな。今のこの世には主人のことなど忘れてしまった者も数え切れぬほどいるそうじゃのう? くひひひ……♪」
「ちなみにうちはご主人がいたけどずっと放置されてたッスよぉ、これでみんな仲良く野良ッスねえ。アヒヒヒ……♪」
「聞けば、ここに来る前に人間がヒロインをぞんざいに扱っていただのとも聞いたのう? もしかしたらぬしら旅人がこうなったのも、その罰が当たったのかもしれんなぁ? くひひひ」
「うちらでリセマラなんかするからッスよぉ……もっと早く対策してればこうはならなかったかもしれないのに。アヒヒヒ」
おいおい。
あまりにとんでもない発言にまたムツキと顔を合わせてしまった。
表情が「マジですか?」と訴えているので、手振りで「冗談いってんじゃねえのかこいつ?」とラフに答えた。
「おおおおおおおおおお落ち着きましょうご主人さま。たとえ契約が切れてても魂ではご主人さまと繋がってますから大丈夫ぶぶぶぶぶ」
「みんなヒロインじゃないって……確かに……言われてみればヒロインと一緒の人、少ないなって思ったことがあるけど……」
「だっ、大丈夫だよムツキくん! わたしは何があってもきみのヒロインだからねっ!?」
ミコに至っては動揺してしまって……小さなリンゴをリスみたいにカリカリしている。
俺だっていきなりこんなことを言われてかなり衝撃を受けているし、ムツキたちも心配そうにお互いを見つめている。
「なあ、リーゼル様。その……仮にそれが本当だとして、どうしてそんなことが分かったんだ? いや、別にあんたが適当言ってるに違いないとか言ってるわけじゃないんだけど……」
小動物と化してしまったミコの真似をするつもりはないけれども、俺はフルーツ皿に手を伸ばしながら聞いた。
真っ黒な木苺があったので口に放り込んでみると……甘酸っぱくて頭の中がシャキっとした。後味がちょっと渋かった。
しかし考えてみれば、ヒロインとの契約が外れているかどうか……ということを確認するとなれば、ちょうど一つだけ心あたりがある。
「そこはまあ、あれッスよ。うちら的に言えばステータス画面で誰のヒロインか、誰の主人か、とか表示されてるはずがそうじゃなかったりしてるんスよねえ……」
そう、リーゼル様の背後で言う不健康メイドの言う通りだ。
確かプレイヤーのステータス画面には自分のヒロインの情報も表示されていたし、逆にヒロインにもマスターとなる人間の情報が出てたはず。
「プレイヤーとヒロインの情報が消えてたってことか?」
「それがですねー……そこだけ綺麗に消えてるんスよぉ。最初はみんな気にしてなかったんスけど、ここ最近になってだんだんみんなが気づき始めてて……まあうちはどうでもいいッスよこんなん。アヒヒヒ……♪」
この世界はプレイヤーから切り離された野良ヒロインばっかってことか?
だけど俺はここに来るまで何度かプレイヤーとヒロインが一緒になってたのを見たことがある……カズヤだとか、目の前にいるムツキもそうだ。
ひょっとしたらこの世界でなんとか自分の主人と合流できたヒロインは少ないんだろうか?
「……そういわれてみれば、確かに消えてるね」
ムツキがステータス画面を開いて確認していた。
「あっ……確かに、そうだったかも」
「むう……ミコもですね」
ミコやムネも画面を開いて同じようなことをしている。
つられて自分もPDAの画面を覗いてみようと思ったものの……ステータス画面にはこっちの世界とごっちゃになったステータス画面だけしかない。
『本当にみんな野良になっちゃったんでしょうか?』
PDAをしまうと、不安そうにレフレクがウィンドウを持ち上げてくる。
木苺で頭が冴えていた俺はなんとなく、リーゼル様が言ってることは本当なのだと分かってきた。
「……そうかもしれないな。ヒロインはもともと人工知能だろ? リクたちが言ってたけど生身の身体を得て人間に近づいた……ってことらしいし、そのついでに外れた可能性もあるんじゃないか?」
俺はテーブルの上にいる元人工知能の妖精に向けるように言った。
「……そうですね。ミコたち、ゲームの中にいた時と違って完全にナマモノとして生きてますし……」
「……うん、そうだね。なんていうか……人工知能だったこと、みんな段々と忘れてるぐらいだしね……? そういう制約と一緒に外れちゃったのかも?」
「っていうかほんとに人工知能だということを忘れ始めてますよぉー。そのうち完全にこっちの世界の住人になっちゃいそうで怖いッスね、アヒヒヒ……」
「おぬしらヒロインの言うこともいまいちわからんが、自由になれたということじゃろう? 良いことではないか。くひひひ……」
人工知能が自我に目覚めるどころか本物の生物になってしまう、なんてそれこそファンタジーだ。あるいはただのB級ホラーか。
とにかくこれで分かった、リーゼル様の言う通りプレイヤーとヒロインの契約とやらは切れてるんだろう。
「分かった、契約切れっていうのは良く分かった。で、その上で俺たちに何をさせるんだ?」
さっきリーケの言っていた【再契約】とやらと何か関わっているのかまた尋ねた。
すると相手はそう質問してくれるのをずっと待っていたみたいに、
「くひひひ♪ 最近面白いことが判明してのう。実はヒロインと人間が契約する方法が判明したわけじゃ」
ニタァ……とギザ歯を見せて、それを言うのが楽しみだったのかご機嫌な声でそう答えてきた。
それがほんとかどうかはとにかく、この魔女が何をさせたいのか察してしまったのはいうまでもない。
「……ヒロインと契約できるってマジで言ってんのか?」
「そうじゃ。方法は阿呆くさいものじゃが、実際にそれで本当に契約が成立してしまったのが確認されておる。ほ、ん、と、う、にくだらん方法じゃがな」
またもとんでもないことを聞かされて、もうなんでもありだなと突っ込む気力も足りなくなってしまった。
「契約できるんですかっ!? じゃあまたご主人さまのヒロインに戻れるんですねっ!? やったー!」
「ま、またムツキくんのヒロインになれるんだ……! やったー……!」
「くひひっ♪ まあそんなわけじゃ、ぬしらには早速、そこの精霊どもと【契約】をしてもらうぞ」
俺たちはともかく、精霊ヒロインどもはギザ歯魔女からそんな言葉を聞けてとってもワクワクしている。
……もともと野良だったというレフレクは、すぐ手元でちょっとだけ暗くなっていたけども。
「……なんだ、また契約できたのか」
「……あはは、なんだか安心したね。てっきりムネさんたち、これからずっと野良なのかなって思ってたけど……」
リーゼル様ってそんなに悪い奴じゃないんじゃ……?
ずっと警戒していたけれどもついにそう思ってしまって、俺とムツキはすっかり安心していたものの。
「じゃあじゃあリーゼル様! その契約って何をすればいいんでしょうかっ!」
希望一杯に目を輝かせたミコがギザ歯の魔女にそう問いかけると、
「簡単なことよ。認め合った者同士で接吻をすればよい。くっそくだらないがそれだけで契約が完了するそうじゃ」
あっさりとした契約方法をあっさりと教えてくれた。
キスをすればヒロインの契約が結ばれる、とのことだ。
「どっちかが拒んでるとダメらしいッスねー、こんな楽勝な契約でいいんスかねこれ」
「なんでキスしただけで契約できるんじゃ。こんな契約方法にしたやつ馬鹿じゃろ」
…………。
ん、んんー?
ああ、この魔女はキスっていったのか?
『…………』
少しだけ沈黙が続いて、それから俺たちは……しかるべき場所に顔を向けていたと思う。
多分、ムツキは「えっ?」という顔でムネと見つめ合ってるに違いない。
俺の場合は――――
「さあっ! ご主人さまっ! 来るならかかってきやがってください! ミコはいつでも契約準備完了ですよぅ!」
水を得た魚みたいなミコがさあおいでとばかりに両手を広げてこっちを待っている。
あとなんかこう、レフレクとサンディの視線がとても冷たい。
「じゃが……今回頼むのはただの契約ではない。イチ、ぬしにしかできんことをやってもらうぞ」
「……俺にしかできないことって?」
「ああ、ぬしは特別じゃからな。別の世界から来た者でもちゃんと契約ができるのかどうか知っておきたいのじゃ。ついでに、ぬしでもう一つ試したいがあっての」
あまりのとんでもない展開に固まってしまっている俺がいるけども、リーゼル様はお構いなしに指をさしてきた。
その指先は――――どう見たってテーブルの上にいる温かい色の妖精と、
「もう一つってなんだ?」
「ずいぶんと懐いておるその妖精と、どこから連れて来たかよくわからぬ女がここにおるじゃろぉ?」
「……ああ、ここにいるなぁ」
「この前、ある人間が複数のヒロインと契約を結べたという報告があったわけじゃ」
「……まさかヒロインを複数もてるってことなのか」
長い話に疲れてうっすら眠りかけている狙撃手へと向けられていて。
「ということで、ちょうどいいからミセリコルデのついでにその乳のデカい女と妖精、あわせて三人を全員ぬしのヒロインにしてみせよ」
「…………三人?」
「なに、そこの三人とキスするだけじゃ。何も難しくはなかろう?」
「……えっ!?」
「そうじゃな……ムツキとムネ、ぬしらもついでに契約してろ」
「えっ」
「ふぇっ」
どういうことだろう。
この魔女の言うことを正しくかみ砕けば、ミコとサンディとレフレクにキスしてヒロインにしろ、ということになるわけで。
「……さ、三人ですとー!? それだとミコのご主人さまがハーレムになっちゃうんですけどリーゼル様ー!?」
「……する、の?」
『けいやくするんですか……?』
……そんなヒロイン候補三名からは、期待されているような感じの視線が人数分送られてきている。
ちょっと待ってくれ、一人の人間が複数のヒロインを持てるって?
それで、お前ちょうどいいから他の奴もヒロインにしてみろと?
とんでもない流れになってしまって言葉を失っていると、
「くひひひ♥ まあ、こんな風にいきなりやれ、といわれてもぬしらは難儀することじゃろう。やりやすいように手配してやろうではないか?」
「じゃあヒロインになる皆さまー、ウチらについてくるッスよー。ヒロイン契約の準備しにいくッスよぉ……アヒヒッ♥ 」
「……くっ! ミコ、負けませんからね! 待っててくださいご主人さま! ミコが正統派ヒロインだということを証明できるようにスタンばってきますから!」
「……いってきます」
『えっと……いってきますっ』
「どっ、どこいくの!? おいてかないでー……」
時計塔の魔女とデュラハンメイドはミコたちを連れてぞろぞろと部屋から出て行ってしまった。
あっという間だったと思う。
俺とムツキが呆然とその様子を見ている間にヒロインたちは消えてしまって、
「ではお客様、このお部屋でしばらくお待ちください」
代わりにゴーレムのメイドが入れ替わるように入って来て、まるで俺たちが部屋から出られないようにと扉の前を陣取っていく。
少なくともここに居る二人の人間には逃げ出す勇気すらないけれども、絶対に逃さないし絶対に遂行させてやるという意思を感じる。
「……なあムツキ。どうなってんのこれ」
「僕が聞きたいよ……」




