*71* たぶん
リーゼル様との会話が終わると、俺たちは屋敷の中にある談話室へと移動させられた。
これから何かするからそこで待っていろ、ということらしい。
不真面目なメイドに誘導されて、長い廊下を歩いて、その間に誰一人喋ろうともしなかった。もちろん俺もだ。
沈黙のままたどり着いたのは二階にあるベランダバルコニー付きの部屋だった。
そこからだと晴れた空と屋敷の庭園が見渡せて、遠く離れた魔法使いの街の様子も分かる。
ここは荒廃した大地じゃないのだから、そういう変化のある風景を眺めるのは好きだ。
折角この世界に来たんだからあっちとは違う世界の形をしっかり見納めておきたい、という気持ちもある。
だけどその様子を呼び出しを食らうまでじっと見つめている……というわけにもいかなかった。
『…………』
俺たちは今、部屋の中にあるテーブルを囲んで「なんともいえない」雰囲気に包まれていた。
そのテーブルの上には果物で一杯のガラス製の皿が置かれていて甘い香りがしていた。
せっかく再会したばかりだっていうのにこれだ。
さっきの魔女様との会話がかなりキていた。
そりゃそうだ、と思った。
この世界に違うゲームのものが流れ込んでいて、しかもそれは確実に誰かをぶっ殺していて、実際この世界に混乱をもたらしてるわけである。
異なる世界が繋がってしまって、こっちにはあっちのものが、あっちにはこっちのものが、ぐちゃぐちゃに混ざっているというありさまだ。
挙句の果てにその原因は一か月も行方不明だったイチという人間そのもの、というわけなのだから……たとえこいつらがどんなに親しくてもそう簡単に受け入れられるものじゃないと思う。
それだけならまだしも。ただでさえイレギュラー的存在なのに、そいつが向こうで「何度も死んでたけど元気に生き返ってリベンジしてました」なんていったら普通は頭を疑う。
しかもそいつが自分の身体にある帝王切開したような傷跡や心臓をぶち抜かれた跡を何のためらいもなく見せてしまえば、証拠になるかどうかはともかくドン引きする。
確かに生きたまま食われただの最悪な死に方を繰り返してここまでやってきた。
さらにいえば人も殺してきたわけだ。二つの意味で。
つまりなんだ? 112はこの世に混乱をもたらし立派な人殺しとしてみんなのところに帰ってきました!ってことか?
色々な事情を全て「しかたがなかった」でまとめてしまってドヤ顔でこいつらに言えばいいのか?
クソ。死んだら墓石の中じゃなく地獄に落ちるかもな。
『…………』
ここに居る全員が一体何を考えてるか分からない。
俺のヒロインは隣に座って黙ったままだ。
ムツキは何かを言いたそうだったけど、窓から外を見つめて誤魔化してる気がする。
そんな友人のすぐそばで、ムネは視線を落としてずっとテーブルを見ている。
サンディは……相変わらず無表情でこっちを見ていたけど、心配そうにこっちを見ているレフレクを褐色の腕に乗せていた。
一言でまとめてしまえば、無数の細い糸がぐちゃぐちゃに絡まったような複雑な空気だった。
いっそ冗談で「俺が宇宙からエイリアン軍団が侵略してくるようなゲームやってなくて良かったな」なんてくだらない事でも口にしてこの空気をぶっ壊してやろうかと思った。
でも何も話せなかった。
あの会話をしてから、なんだかみんなとの距離が急に離れてしまった気分だった。
こいつらが「まあ仕方がないよね!そんなの気にしないし今は忘れよう!」と一言で済ませてしまうぐらい馬鹿だったほうがマシだったかもしれない。
……いや。そうでもないか。
こいつらのことだ、再開したあの時から……あるいはずっと前からうすうす感づいていたんだと思う。
うっすらと、本当にうっすらと俺が原因だって分かっていたはずだ。
――ああ、リーゼル様と話して良かったかもな。
そう思ってしまった。
もしあの時、リーゼル様に聞かれなければ俺はいつ自分のことを言ってたのか。
別にあの喰えない魔女に心の底から感謝してるわけじゃない。
ただ、あの場で言わなかったら……こいつらが何も言ってこないのをいいことにずっと黙っていたかもしれない。
本当は再会した直後に話すべきことだったのかもしれない。
けれども俺は逃げたわけだ。
その証拠に……こうして後悔しているのだから。
――つまり最低だ、俺は。
この世界に無事に来れたからって、あっちの世界で抱えてきたものが全てなくなるわけじゃないってことだ。
こいつらの知っている本当のイチという人間はもう、俺の中にいないんじゃないか?
「……じゅるり」
そんなことを考えていると、ついに誰かが動いた。
褐色肌の手が滑らかにフルーツ皿へと伸びて行って、引き金を絞るための指が真っ赤なサクランボを取った。
サンディだ。
軸をつまんで口元に運ぶと、サンディはいつもは閉じている口を小さく開けてぱくっと食べてしまった。
『……!……!』
そんな様子を見ていたレフレクが、サンディの上の上でぱたぱたと何かを訴え始める。
「わたしにもください」的な表現にも感じるそれは果たしてちゃんと伝わったのか、狙撃手の手はすぐに色の濃いラズベリーを取った。
甘そうな木苺が持ってこられると、小さな両手で抱えてムシャムシャ食べ始めた。おいしそうだ。
「……おいしい?」
「……うい」
『……!……♪』
果物に手をつけていた様子を見ていたムネが、近くでぽつりと言った。
凄腕の狙撃手も、小さな妖精も返答代わりに頷きながらもぐもぐしている。
そしてサンディがサクランボを食べ終えると、近くにあった「種はここへ!」とばかりに置かれている小皿へと種を戻した。
そのままいざ次の果物へ――――と思ったら違った。
細い軸を口の中に放り込んでむぐむぐし始めた。
「……むぐむぐ」
ああ、あれか。
サクランボの茎をうまく口の中で結ぶ遊びだ。
……とか思っていたら、サンディは少し口を動かしただけで。
「……でき、た」
こっちに向けてちろっと舌を出してきた。
その上にはしっかりと結ばれた茎が乗ってたわけで、文句なしに完璧な輪っかになっていた。
わずか一瞬で見事な作品を作り上げたサンディはちょっと口元が得意げだ。
「わっ……すごい」
「……ふふん」
それを見ていたムネが控えめな声で、けれども本気で驚いている。
するとつられてサクランボに手を伸ばしてぱくっと頬張ってしまった。
美味しそうに食べてしまうと、同じように茎だけを口に入れて……むぐむぐし始めた。
「むぐむぐ」
ムネがしばらくサクランボの茎と格闘して、それからだいぶ経つと。
「……んっ♪」
舌を伸ばして少し歪だけど、ちゃんと輪っかになったものをみんなに見せてきた。
誰かがくすっと笑った気がした。もしかしたら全員だったかもしれないけども。
「……僕もやってみよう」
つられて隣にいたムツキもサクランボを食べ始めた。
ちょっとだけ色の薄いサクランボを食べてから茎だけ残すと、自分のヒロインと同じようにまたむぐむぐ。
……していたはずが、かなり時間をかけて奮闘した挙句。
「…………んんー?」
ものすごく苦しそうな疑問形の声を上げながら、ムツキが舌を伸ばして「茎だったもの」を出してきた。
どう頑張っても結べなかったとばかりに残念な結果になっていて、そのまま悔しそうに小皿に乗せた。
それを見てたミコが「くすっ」と小さく笑った気がした。
「……おい、ムツキ。この流れで諦めてどうすんだよ」
俺だって少し笑ってた。
いつもの不器用な友人がちゃんとそこにいて、なんだか安心したからだ。
「だ……だって難しかったし……」
「ふふっ、ムツキくんってぶきよーだよね?」
「まさかゲームの中でも不器用だったのに、リアルの方でも不器用だったなんてなあ。背はこんなに高いのに……」
「背は関係ないでしょう!? じゃあイチさんもやってみてよ!ほら!」
「……望むところだ! 速攻で作ってやる!」
さくらんぼ結びに失敗した友人に変わって今度は俺の番だ。
軸だけ引っこ抜いて口の中に早速放り込んだ。おいしいところはレフレクに上げた。
青臭い茎を舌の上に伸ばして、歯を使って固定して、舌先でうまく輪っかを作って――――あれ、なかなかできないぞ。
「ほら、難しいでしょ?」
「……んん……んっ?」
でもあっちの世界で得た【DEX】のお陰か、茎を輪の中にくぐらせようと何度か格闘してるうちにすぐに舌が慣れてきた。
歯でしっかり押さえて……舌できゅっと締めて……。
「……ん!」
完成品を見せた。これ見よがしにムツキへと。
「……うん、できてますね」
「む、ムツキくん? 大丈夫だよ、練習すればちゃんとできると思うし……!」
友人はがっかりした様子だった。器用さじゃこっちの方が上だ。
俺は完成した作品を小皿の上に置いた。
「よし、俺の勝ちだな」
「ええっ!? 勝負だったの!?」
「よーし、敗者にはペナルティだ。お前の身長を頂こうかな?」
「渡せるものなら渡したいよ……。でも五センチぐらい上げれば同じぐらいになりそうだよね」
「でもこの世界に魔法があるならそれくらいできそうだよな」
「……それだったら単純にイチさんの身長を魔法で上げて貰えばいいんじゃないかな」
「……それもそうか」
「いっ……イチさんはそのままでもいいと思うよ……? ムツキくんが大きいだけだし……」
「うるせえ! こいつがデカすぎんだよ! 高身長でイケメンとか馬鹿にしてんのかお前は!?」
「なんで怒るのさ!?」
さっきまでの空気はどこへいってしまったんだろう。
サクランボの茎を結んでるうちに、さっきまでの悩みも、重かった雰囲気も何処かへ逃げ始めてるようだった。
ゲームの画面越しに感じていたあのにぎやかなやり取りが、なんだかそのまま現実のものになったような感覚がする。
つまり……楽しい、ってことだ。
「……むぐむぐ」
さっきまで静かだった部屋が急に騒がしくなってくると、とうとうミコも始めてしまった。
小さな口でぱくっと茎を飲み込んで、なんだか小刻みの口の中を動かして、しばらくすると、
「……んっ!」
サンディに負けないぐらいのスピードで完成。
舌の上に綺麗に結ばれた軸を乗せていて、こっちに向けて得意げな顔をいっぱいに浮かべていた。
「できましたっ」
「ミコちゃん早いよ!?」
「サンディさんと同じぐらい早かったね」
「ふふん、短剣の精霊はみんな器用なんですよ」
順番で言うとサンディ、ミコ、俺、ムネ、ムツキ……といった感じだと思う。
『……!』
ちなみにレフレクは両手で何とか結んで完成させたみたいだ。そのまま頭に乗っけているけども。
「……何やってるんだろうな、俺たち」
小皿の上の種と輪っかを見て思わずそう口に出してしまった。
だけどもうここにはあの暗い雰囲気も、それを作る原因もない。
代わりに……なんだかおかしくて全員笑っていた。
はたからみればマナーはすこぶる悪いだろうけど、少なくとも俺は救われた気分だった。
でも決して俺が背負っているものが消えた、という訳じゃないのは良く理解してる。
「だってサンディさんがいきなり結び始めるんだもん!」
「……わたし?」
「僕もやってみようかなーって思ったんだけど……」
「言っとくけどムツキ、お前がやってみろいうからやったんだぞ?」
「ご主人さまがやったからミコもやらないとダメかなーって思っちゃいました」
『わたし口じゃ結べませんでした……』
ここには確かにみんながいる。
自分がどこまで変わってしまったのかは分からないけども、少なくともこいつらは、ゲームの画面越しだった時のままだ。
笑える話だ。
ある意味、俺はこの世界にとっては害悪みたいなもんだ。
言ってみれば112というプレイヤーがあの時いなければ、この世界はそれほど荒れることもなく存在していたのかもしれない。
無人兵器の存在はもちろん、ラーベ社のようなものが生まれたのも自分のせいじゃないか?とすら思ってしまうぐらいだ。
いや、その結果がどうであれ……この世界に本来あるべきじゃない異物を持ち込んでしまったのは紛れもない事実だ。
別に「全て俺が悪い」とまで馬鹿なことは言うつもりもないし、かといって「自業自得だ」と背負うつもりなんてさらさらない。
偶然が重なってしまってできた結果、ともいえるかもしれない。
だからといって「仕方がない」なんて済ませるほど俺は馬鹿じゃない。
俺が連れてきた異物がこの世界を傷つけたというのならその埋め合わせをする。
原因の俺が誰かにそう咎めらたら、真っ向から受け止める。
もう自分の中にはそんな覚悟がある。
だから思った。
「俺がこいつらと一緒にいていいのか」という疑問だ。
今はそうでもなくても厄介ごとを持ち込んだ俺の影響はいずれ、確実に、ミコたちに流れ込んでいく。
その証拠に、こんなに近くにいるのに一人だけずっと遠くへ離されているような……そんな感じがしてたまらない。
もしかしたら、せっかく会えたのに俺だけ正反対の方向に向かって歩き続けているのかもしれない。
それとも……こんな俺でもミコたちと一緒にいるぐらいの幸せは許されているんだろうか。
――これくらい、別にいいよな?
でも俺は一体誰に言えばいいのか。この世界に連れてきた女神とやらにそういえばいいのか。
「……あの、ご主人さま」
ぼーっとそう考えていると湿ったような声が挟まりに来た。
言うまでもなくそれはミコのものだったわけで、妙に優しい調子の声だった。
「どうした、ミ……」
声につられて顔を向けると、名前を最後まで言い切るところであるものが見えてしまった。
薄い桃色の髪のヒロインが胸をきゅっと抑えながら心配そうにこっちを見ている。
というか泣きそうな顔をしてる。いや、もう二割ぐらい泣いてる。
やっちまったな、と思った。
「……ああ」
そんな表情を間近で見て、なんとなくだけどだいたいは察してしまった。
いいや、向こうだって俺を見ていて分かってしまったんだろうと思う。
だとしたら……これからお互いにするべきことも決まっている。
「……みんな、悪い。ちょっと席外してくれないか?」
一度ミコと二人きりで話さないけないと思って、俺はムツキたちに声をかけた。
「うん、僕たちのことは気にしなくていいよ。いっぱい話してあげて」
そういって背の高い友人が椅子から立ち上がった。
「……僕は不器用だし頭も良くないけどさ、それでもイチさんを後ろから支えるぐらいはできるからね」
「……ありがとう、ムツキ」
ムツキが部屋から出て行った。
それに続くようにムネも、
「大丈夫。わたしもいるからイチさんを一人にはさせないよ?」
とても穏やかな声でそう言い残して部屋から抜け出し始めた。
その言葉が一体どれだけ嬉しいか、赤の他人には分かるんだろうか。
「……ああ、助かる」
「あっ、でもミコちゃん泣かせるのは良くないよ? こればっかりは一人で責任取らないとダメだよ?」
「ムネの言う通りここ最近女の子を泣かせてばっかだな。任せてくれ」
蒼い髪色のヒロインも部屋から出て行った。
「……いくよ」
『……!』
サンディは俺にも何も言わないで、腕にレフレクを乗せたまま部屋の外へと向かっていった。
腕に座った妖精が『わたしもついてますからね!』とウィンドウを掲げている。
二人に「ありがとう」と心の内で感謝した。
「……いいパーティになったもんだな、俺たちも」
呆れるほどにみんな良いやつばっかりだ。
馬鹿じゃねーの、とか思ってしまった。
こいつらいつか誰かに騙されちまうぞ、というぐらいにお人よしだ。
「……なあ」
この部屋に二人だけになったのを確認してから、俺は話を切り出した。
でもどうだろう。次に俺が口に出すより早く、
「……ごめん、なさい」
千切れてしまいそうなぐらい震えた声で謝られた。
また出鼻をくじかれた。
まただ、もうそういう運命に生まれたんじゃないかって思った。
「……ごっ……ごめん、なさい……。ミコ、ごっ……ご主人さまが、こんな、たいへんなめに……っ、あってるなんて……」
すぐ隣でミコがめそめそ泣いてしまった。
「ミコのご主人さまっ、こんな、ぼっ……ぼろぼろに、なってたなんて、知らなくて、ごめんなさい……」
いつもの調子じゃ到底考えられないぐらいミコが悲しんでいる。
つまり……ムネに言われたとおりに責任を取らなくちゃいけないわけだ。
「……ほら、おいで」
腕を広げて「こい」と自分の膝をぽんぽん叩いた。
胸をずっと抑えていたミコはすぐに立ち上がって、小動物が飛びついてくるみたいにこっちに乗っかってきた。
「先に言っとく。ミコが謝る必要はないからな?」
それからそう言うと、膝の上で丸くなるように座ったミコが上目遣いで見上げてきた。
痛々しいぐらいに泣いている。
けれども、そこに何があるのか俺にはよくわかる。
こいつは、いや、この子は他人のために泣けるいい子だ。初めて会ったころからずっとそうだった
「……でもっ……その傷っ……」
「いいんだよ。それに……本当なら謝るのは俺の方だ」
元がたとえ高度な技術で生まれた人工知能だろうが、ミコはまだ子供だ。
それもとってもいい奴だ。そんな奴にこれほど信用してもらえるなんて、一体どれほど幸せなことなんだろうか?
ところがどうだ。俺はそんな自分のヒロインも含めてみんなに対してほんの一瞬でも「隠してしまおう」と思ってしまった。
もっと言ってしまえば、自分はひどい目に会ってきたんだから別にいいだろとか、そういう領域にまで足を踏み入れようともしていたと思う。
「……ご主人さまが、ですか……?」
薄い桃色の髪と一緒にミコが少しだけ首をかしげてきた。
「……もしもリーゼル様とあんなことを話してなかったら、よっぽどのことがない限りずっと黙ってたかもしれない。逃げてたんだ、楽をしようとしてた、みんなから逃げ出そうとしてたんだよ。お前らに都合のいいところだけ見せようとしてしまってたんだ」
こんな弱音を言えるのは、この世界に一人しかいないと思う。
二人きりじゃないと到底言えないことを言って、胸の内がすっきりするのと一緒に小さな喪失感を覚えた。
ところがミコは少しむすっとした様子になって。
「……そんなこと、ないです」
「……本当にそうかな」
「だって……ご主人さま、ちゃんとミコの前に戻ってきましたよね? こんなにつらい目に会ってるのに、ちゃんと戻って来てくれましたから」
「……それも、そうかな?」
「……うん、そうですよ。だから、もうどこにもいかないでくれますか? ご主人さまがまたどこかにいっちゃいそうで……すごく怖いんです」
「行かないよ、大丈夫」
膝の上に乗っかったまま、こつん、と胸に額をぶつけてきた。
根拠もなしに精一杯の力でそういっただけのようにも見えた。
でもどうだろう、ただその一言だけで……空いた胸の中が何かに満たされるような、不思議な感じがする。
「……ご主人さまはミコと初めて会ったときのこと、覚えていますか?」
それから何も言えなくてしばらくずっとミコを見ていると、今度は向こうから話を切り出してきた。
そんなことを言われると二年以上前の――ゲームの画面越しであったやり取りが蘇って……。
「……あー、覚えてる。とっても散々だったな」
封印されていたはずのとても苦労した思い出がこの世に復活してしまった。
『理想のヒロイン』を作るための性格設定にもなる診断を超適当に答えて、出来上がった初対面のパートナーに「キャラの顔が怖い」と文句を言われるような出会い方だ。
「むう、散々ってなんですか」
「お前、どこに理想のヒロインとやらに狩場に連れまわされた挙句にフェラルチワワに惨殺されるような出会い方があるんだ。速攻で始まりの村から連れていきやがって」
「だってスタートダッシュって大事ですよね? それに聞くより感じて覚えてもらった方が早いかなーって」
「……あのゲームってスタート直後に自分のヒロインに案内してもらう流れだったんだぞ? だからチュートリアルが超手抜きだったんだよ」
「えっ、そうだったんですか? 事前においしい狩場とか金策とか知ってたから早く強くなってもらおうかなって思いましたっ!」
「……これはお前の挨拶が『うわっ顔こわっ』だったことにも触れておかないとダメみたいだな?」
「だって怖かったんですもん!さながらデーモンのように!」
「誰がデーモンだコラ!」
「うにょー」
……この期に及んでいまだに反省しないヒロインの頬を思い切り左右に引っ張った。
ものすごくもちもちしていて、やっぱり良く伸びた。
それから、顔が面白いことになってるミコを見た。
「なあ、あの時な。畜生こんなやつと付き合ってられっか!やめてやるぜ!とか思ってたんだ。ログアウトしてる間にも勝手に強くなってくし、色々なスキルを使ってみようと思ったら斧と鎧もってきてアタッカーやれっていうし、おまけに知らないやつとどんどん友達になって連れて来るし……」
「ふふふ♪ ふぃふぉ、ふぁふぃふぇいふぇふふぁふぁ」
「何がガチ勢だ、俺まで巻き込みやがって毎日毎日! お前のせいで立派な廃人になったんだからな!」
すっかり元の調子に戻ったのが分かって、引っ張っていた頬を離した。
ぷるんと戻ると、いつもの調子の良さそうな顔になってたのは言うまでもない。
そんな様子を見て思ったのは……ただ一つ。
「……ありがとな。ほんとうに、ありがとう」
とてもシンプルで、それでいて沢山の何かがこもった感謝の気持ちだけだった。
やっぱりこのミコというパートナーは大事な存在だ。
本当に大切で、こいつがいなければ俺はあっちの世界で何もかも投げ捨てていて諦めていたかもしれない。
自分は外も内も酷く変わり果ててしまったけど、ミコという短剣の精霊と一緒に作った色々な思い出はまだ残っている。
俺は今、きっと笑っているようで泣いているような、この世で一番微妙な表情を浮かべているんだと思う。
「……えっと……!」
そういうと、ミコは嬉しそうに戸惑って。
「……ご主人さまにそういっていただけるなんて、とっても嬉しいです。ミコからも……ありがとうございます、愛してくれて」
とても優しい声で「ありがとう」と言ってきた。
その言葉で背中がすっと軽くなるのを感じた。決して、背負っているものが消えたわけじゃないけども。
俺が立って歩く理由がこうしてできた。
「……よし! じゃあ、またあの時みたいに案内してくれないかな。俺一人じゃこの世界は広すぎるし、どうもお前がいないと何もできないみたいだ」
ミコを降ろしてから立ち上がった。
心も体も軽くて、もう一度やってやるぜ、という気持ちが溢れてきている。
「はいっ♪ ずーっとお供しますよー! 地獄以外ならどこでもです!」
「オーケー、それでこそ俺のヒロインだ。頼むぞ相棒!」
「たのむぞあいぼー!」
俺たちは握った拳をこつんと合わせた。
世紀末から来た男には広大すぎるこの世界でも、頼れる相棒がいればどこにだっていけるはずだ。
「……イチさんっ!」
すると、ばんっとドアが開いた。
ムツキがいきなり押し入って来て、その後ろにムネやらサンディやらを連れてこっちに向かって来る。
「ん? おい、お前ら……」
何だと思って身構えていると、ムツキが両手を広げて抱き着いてきた。
お前そういう趣味だったのか?と言おうとすると、次にミコもしがみついてきた。
続いてサンディが、ムネが、レフレクが、みんな何も言わずに抱きしめに来てくれた。
……しばらくして、何を伝えたいのか良く分かった。
「……ああ。お前らも、ありがとな」
みんなを抱き返そうとしたけども、両手で抱き返すには少し大きすぎたみたいだ。
でももう大丈夫。おかげで元気になった。
「あ~……あのー、お楽しみのところ申し訳ないんスけどー……」
そうやってみんなで固まっていると、空気も読まずあのねっとりとしたメイドの声が部屋に響いてきた。
感傷に浸ってる時間も与えてくれないようで、俺たちは腕を解いて部屋の入口へと向き合った。
案の定、リーケがニヤニヤしながら立っていた。
「なんかリーゼル様がこれからヒロインの【再契約】しろとかいってるッスよぉ。アヒヒヒ……♪」
「……再契約?」
「そーっすよぉ、あーそっかー、説明しないといけないことがあったッスねえ」
今度は一体何をさせるつもりなのか。
全員で顔を見合わせていると、デュラハンのメイドの後ろからてくてくと小柄な魔女が歩いてやってきて、
「くひひひ、待たせたのう。さて……これからお主たちにある重要なことをしてもらうぞ?」
時計塔の魔女は意地の悪そうな笑顔と真っ白なギザ歯を俺たちに見せてきた。




