*65* ミコ汁
いただきます。
朝食の準備が終わって、皆が席についてから最初に発したのがその一言だった。
――それで俺は今、夢でも見てるんだろうか。
テーブルに上に広げられた料理を見て、一瞬、ここがまだ夢の中じゃないのかと疑ってしまう。
真っ白な皿の上に乗った半熟のベーコンエッグ、良く焼かれた太いソーセージが五本に新鮮な小ぶりのトマト。
テーブルの中央を陣取るさまざまなパンでいっぱいの籠。
木製のボウルを満たす色とりどりのサラダ。
マグカップに注がれた熱々で野菜いっぱいのスープ。
氷水で満杯になって表面がひんやりと濡れたガラス製のウォーターピッチャー。
あと、自分の頭ぐらいの大きさにカットされた果物と格闘中の妖精。
もう一度言う。
俺は今、夢でも見てるんだろうか。
しかし香りもちゃんとする。カリっと焼かれたベーコンやソーセージの脂の匂い、パンのこんがりとした香り、スープから漂うおいしさのつまった湯気……間違いなく現実だ。
「……ご主人さま? どうかしましたか? 食欲ないんですか? それともお野菜苦手でしたか?」
「……え? ああ、いや……」
目の前にあるそれに目を取られていると、すぐ隣に座っていたミコの言葉に意識が引き戻された。
別に食欲がないというわけでもなく、ただ単純に驚いていただけだ。
「……なんだか、こういうの久々に食べるなーて思ってただけだ」
俺はそう答えてマグカップを手にした。
スプーンで中をかき回してみると色々な根菜や角切りのベーコンがぎっしり詰まっていて、トマトベースのスープだということが分かった。
「…………うまい」
早速、すくい上げて一口だけ口にしてみると……やっぱりだ、塩味と一緒にトマトの酸味を感じた。
これはトマトの酸味と赤色が効いた野菜たっぷりのスープで、味もかなり深い。
なんというか、胃にじーんと染み込んでいくうまさだ。
「良かったです! お代わりも沢山ありますからどんどん食べてねご主人さま!」
とにかく、これに対してどう頭を捻ってもミコに「うまい」としか口にできないのは確かだ。
こういうものを最後に口にしたのは一体どれほど前のことだったか。
このスープは間違いなく世紀末世界に慣れきった胃を殺しに来ている。
「こんなに賑やかなのは久しぶりだね、やっぱりイチさんがいると違うなぁ」
スープの具を良く噛んでいると、テーブルの向こう側からゆったりとした声がやって来た。
ゲームの画面越しでしか知らなかった友人の姿が、まさかこんな身長も高くて顔も良しの憎たらしいほどのイケメンだとは思わなかった。
だけど間違いなく、俺の知っているムツキだ。
「ふふっ、そうだね。今までずーっと三人だけだったけど……あっという間に倍になっちゃったもんね。賑やかで楽しいなぁ」
その隣にいる蒼いツインテールでおっとりとした顔つきの女の子も、間違いなくムネマチだ。
見た目も声も可愛いし、誰とでも仲良くできそうな雰囲気を漂わせる美少女だ。
もしもムツキの身長が低くてぱっとしない見た目だったら釣り合わなかったかもしれないけれども、こうして二人が仲良く座っているとそういう運命だったんじゃないかというぐらいにお似合いだ。
「ふひひ……どうですか、サンディさん。ミコ特製の野菜スープのお味は!」
「……すごく、おいしい」
「ふふん、そうでしょう! 伊達に料理スキル上げまくってますからね!」
「……よしよし」
「どやぁ……。あっ、おかわりたべますか?」
「……ほしい」
そしてミコの隣ではサンディがおいしそうにスープを啜っていた。
食事中なのに目のやり場に困る服装なのはさておいて、よほど美味しいのか黙々と朝食を口にしていたみたいだ。
周りに危険がないせいかかなり落ち着いている様子で、ミコの頭をなでなですると牛みたいにゆっくりとサラダを食み始めた。
「じゃあとってきますね! ご主人さまもおかわりしますか?」
「ああ、頼む。なんていうか……すごくうまいな、これ」
「ご主人さまのためにってミコ頑張って料理スキル鍛えてましたから! 愛情たっぷりのミコ特製スープ、通称『ミコ汁』です!」
ミコが空っぽのマグカップを二つ手にして、味だけじゃなく名前もすごいスープのお代わりを取りに行ってしまった。
「ミコ汁ってなんだよ……」
そうしている間にも皿の上にごろっと置かれたソーセージをフォークで突いてみると確かに本物で、突き刺すとぷつりとした感触が伝わってきた。
まだ熱いうちに口に運んで齧ってみると……塩気のある肉汁がじゅわっと溢れてきて、やっぱりこれもうまい。
パン籠から大きめにスライスされたパンを取って齧り付いてみる。さっくりと柔らかくて確かな小麦の味がする。うまい。
ボウル一杯のサラダを皿にとってほおばってみる。柑橘類みたいな風味のドレッシングで和えられていてさっぱりしてうまい。
パンに崩したベーコンエッグを載せて思い切りがぶっといってみる。脂と黄身がじゅわっと溢れて物凄くうまい。
「おい……何食ってもうまいんだけど、どうなってんだこの世界?」
なんだかもう何から食べていけばいいかもわからずにとにかく喰いまくっていると、
「あはは……ほんとにおいしそうに食べてるね。なんだかすごい食べっぷりだ」
ムツキから驚いているのか若干引いているのか分からない言葉がやって来た。
そういう本人もがっつり食べてるようで、ソーセージと丸型のパンを交互に口に運んでいる。
「……向こうでの献立を聞いたら納得してくれると思う」
ここに辿り着くまで胃にぶち込んできたものを思い出して、思わず苦笑いが出てきた。
俺はガラス製のコップに注がれた冷たい水を一気に煽った。
喉の奥がしみるほど冷たくて、浄水タブレットに毒されていない本物の水の味だ。
それからもう一度ソーセージにフォークを向けて襲い掛かろうとしていると、
「それって……あっちの世界のこと?」
ムツキが手を止めてぽつり、と俺にそう言ってきた。
それを聞いてこっちだって手が止まった。フォークを手放しかけないぐらいに。
――ああ、そうか。
「……届いてたんだな、俺のメール。ちゃんと読んでくれたんだな」
驚くことにどうやら俺の送っていたメールはちゃんと届いていたらしい。
送るたびに出る謎のエラーや、この世界ではフレンドに登録した相手じゃないと送れないという新しいルールもあって「届いていない」とばかり思っていた。
「……うん。そっちには送れなかったけどね。僕たち、全部読んでたよ。どういう状況なのかあんまり分からなかったけど……イチさんが大変になってたってことはすごく伝わってきた」
「わたしもだよ。ある日突然来なくなって心配したりしたけど……わたしもムツキくんも、ミコちゃんもメールが来ないか楽しみにしてたよ」
二人がそう言ったのを目にして、なんだか「報われた」という気分になった。
自分がしてきたことは無駄になっていなかった――そう分かっただけでも大きな収穫だ。
「はーい、おかわり持ってきましたよー。やけどしないように気を付けてくださいねー」
「……わーい」
ミコが戻ってきた。
『ミコ汁』……じゃなくてミコ特製スープの注がれたマグカップをサンディと俺の前に置いて、桃色の髪のヒロインが隣にちょこんと座った。
やけどするぐらい熱いスープがたっぷり入っている。
「……!! ……!」
おかわりのスープを冷まそうとしていると、手元でフルーツの盛り合わせと格闘していたレフレクがフォークを掲げてこっちに歩いてきた。
妖精のサイズにあわない食器の先端にはカットした桃のようなものが刺さっている。
どうやらまただ。喰えということらしい。
「ああ……ありがとう。いただきます」
前と違ってアホみたいに酸っぱいことはないだろう。
妖精が持ってきてくれたそれにかぶりつくと、ちょっと固めで薄味だけど確かに桃の味がした。しゃくしゃくしてる。
『おいしいですか?』といいたそうに首をかしげていたので、俺は頷いて答えて見せた。
「ん……うまい。よし、お礼にこれやるよ」
お礼にと皿の上にあるソーセージをフォークで千切って差し出そうとした、ものの。
「……? ……!」
どうしたんだろうか。とてもいやそうな顔でふるふる首を横に振られた。
ソーセージが嫌いなんだろうか、それならばと今度はカリカリに焼けたベーコンを近づけようとして、
「ご主人さまストップ!レフレクちゃんにお肉は駄目です!」
「あっ……駄目だよっ! この世界だと妖精さんはお肉とか食べられないの!」
「えっ」
ミコとムネがものすごい勢いで制止の声を挟んできた。
知らなかった。まさか妖精が肉喰えません、なんて誰が思うことか。
『妖精さんはお肉がたべられません』
げんなりした様子のレフレクが小皿一杯に盛られた果物を指し示してきた。
「ああ、ベジタリアンだったのか?」
運びかけていたベーコンを自分の口に運ぶとレフレクはふんす!と得意げに……妖精サイズのマイフォークとマイナイフを手にして、ざくざくと果物を切って食べ始めた。
「良くたべますねー、ご主人さま。ミコの作ったごはんそんなに気に入っちゃいましたか? あ、ちなみにパンもミコが作りました!」
確かこの世界に来る前にミコがゲーム内で『パン屋始めましょう』とか言ってた気がするけど……本当にやるつもりなんだろうか。
とにかくそのパンも「うまい」としかいえないぐらい脳が退化するレベルの味だ、今の俺は食の狂戦士と化しているに違いない。
テーブルに広がる朝食はミコの強いこだわりを舌で感じる。
「うまいんだよ! あっちじゃまともな物食べれる機会が滅多になくて……!」
くそっ、まさかとは思うけどこいつら……いつもこんな食事してたのか?
今度は籠から皮がちょっと硬めでずっしりとしたパンを取って、バターと一緒に口に放り込んだ。やっぱりうまい。
続いてミコの焼いてくれたパンを残ったベーコンエッグと一緒に必死に食らっていると、
「滅多にって……ご主人さま、今まで何食べてたんですか?」
見事なパン職人になってしまったヒロインが不安そうな調子で尋ねてきた。
ついでに空になったコップに水を注いでくれた。
食べかけのパンを皿の上に置いて、綺麗な水が補充されたコップを掴んで一気に飲み干して――。
「……そういえば俺、本当にロクな物食ってなかった」
冷たい水で喉を洗い流して、そこでようやくあっちの食生活を思い出してしまった。
「例えばなんでしょうか?」
「……えーと……賞味期限無限の最終戦争前の食べ物とか、軍用糧食とか、焼いた肉とか……野菜とか果物は無いに等しかったな」
ミコの質問でなんだか色々な思い出がよみがえる。悪い方面で。
ゲーム内では「賞味期限から解放されました!」ということになっている最終戦争前の食べ物。
最悪の麺類が封印されているミリタリーレーションに、チーズバーガー。
そして遅れて『ガーデン』でのバーベキューや、大好きな鹿肉のシチューがヒーローは遅れてやってくるとばかりに蘇ってくるのであった。
「えっ……ええぇ……なんですかその、聞いたことのない世紀末ラインナップは……」
「ぼ、ぼくの予想以上に凄まじい食事してたんだねイチさん……。ワイルドっていうか……」
「うわー……身体、壊さなかった? 身体に悪そうだよー……」
『おいしくなさそうです……』
「……シチュー、おいしかった」
そしてこの話を聞いたみんなは相棒一人を除いてドン引きだ。
一体何年前か分からないレベルの缶詰だとか奇跡的な進化を遂げた化け物の肉とか、よっぽどじゃない限り食わないだろう。
ここに辿り着くまでの食事を思い出して手をとめていると、
「……大丈夫ですご主人さまっ! ミコがっ! ミコが今日から毎日おいしいごはん作ってあげますからっ!! もっといっぱい食べてください!」
桃色の髪のヒロインが迫真の様子で自分の皿を差し出してきた。
目の前の妖精さんに至っては果物を刺したフォークをまたこっちに掲げてきている。
とりあえず分かった、この世界にいる限りは変なものを食べずに済むだろう。
「……まあでも良かった。しばらくはうまいものには困らなさそうだ」
ミコの皿を「いらない」と押し返して、残ったソーセージをざくざく刺して一気に頬張った。
自分のヒロインが用意してくれた朝食は、自分が一番食べたかった物全てが詰まっている。
けれども、インパクトで言えばあっちで食べた鹿肉のシチューの方が遥かに上だ。
俺は少し冷めてしまったソーセージを良く噛んでから、
「ああ、そうだ……1つだけ絶対にうまいって思ったものがあった」
俺は世紀末世界で一番うまいと思ったものを思い返した。
「それってなんですか?」
ミコが首を傾げてきたので、俺は適温になったスープにまた手をつけて、
「鹿肉のシチューだ」
今では懐かしく感じるあの料理の名前を伝えた。
サーチの街にいた宿の親父さんは元気にやっているんだろうか?




