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*63* もう一度スタート

 「……っ!?」


 ――じゅうじゅうと何かを焼くような音がどこからか聞こえてきて、急に意識が戻った。

 慌てて上半身を起こしてみると温かい色の木製の壁と床が視界の中にあった。

 部屋の中は温かいし、綺麗な机やら棚やらが整えられている。


 そこは知らない部屋だった。

 横を向けば埃のついていない窓からガラス越しの朝日が差し込んでいて、透き通るような青空がある。


 頭の中がまだはっきりとしないし、身体が少し疲れを引きずっていて、目をつぶればすぐにでも眠れると思う。

 いやそれよりも音の原因はなんだ?

頭も体もまだ疲れているけれども状況の確認が先だ。


 枕元を探った。

 真っ白な枕が二つもある。

 というかベッドが妙にデカい気がする。

 ともあれ枕の裏から拳銃(リボルバー)を引き抜いて、柔らかい毛布を蹴飛ばして、ふかふかのベッドから飛び出した。

 それから半分起こしていた撃鉄を完全に起こして、見慣れない扉を開けて――


「……あ、イチさん! おはよっ!」


 ……。

 異音の原因を探しに部屋から飛び出そうとしたら、蒼い髪の女の子がほっこり笑って挨拶していましたとさ。


「……あー……」

「あー?」

「……おはよう、ムネ」

「おはよっ!」


 そうだった。

 ここはもう世紀末世界じゃなかったんだ。

 持っていたそれの撃鉄を戻して、近くの机の上にそっと置いた。


「ミコちゃーん、イチさんもう起きてたよー」

「あっ、お目覚めだったんですね! もう少しで朝ごはんできちゃいますよー! 連れてきてくださーい!」

「わかったよー」


 遠くからミコの元気な声が聞こえてきた。

 それになんだかいい匂いがする。

 カリカリに焼かれたベーコンみたいな香りがするし、パンの焼ける匂いが向こうからふわふわ漂ってくる。

 さっき異音だと思ったものはただの料理の音だと分かったわけだ。

 おかげでひどい空腹感を思い出してしまって、結果的に嫌でも目が覚めた。

 『ああ、そういえばそうだった』と。


「イチさん大丈夫? 顔色悪いよー……?」


 自分の部屋から出ていくと、まだちょっと見慣れない()()のムネが心配そうに尋ねてきた。

 きっと相当に酷いんだろう。

 自分でもそうだと分かるぐらいにまだ全身がだるい。


「大丈夫だ」


 とはいえ「マジもう無理」とでもいって二度寝したところでスッキリしそうにもない。

 無理にそう答えて大人しく部屋を後にした。

 部屋の外には廊下があって、左側は他の部屋がいくつか、右側は開けた場所へ続いているのが見えた。


「ほんと? 昨日、ここにつくなりぐっすり眠っちゃったから……みんな心配してたんだよ?」


 昨日……ああ、そうか。

 段々思い出してきた。

 あの後、俺は【クラングル】の街中に置いたケッテンクラートを回収してからギルドハウスとやらに向かったんだ。

 それから確か……街の外にある土地に向かって、無事に辿り着いて……良く覚えていない。

ただはっきりしているのは、疲れていたから死ぬほど眠っていたことぐらいである。


「どれくらい寝てた?」

「昨日の夕方からずーっと」

「人間疲れてれば良くもそんなに眠れるもんだな、俺もびっくりだ」

「死んだかと思っちゃったぐらいぐっすりだったんだよ? 話しかけても起きないし晩御飯できても起きないしミコさん乗せても起きないし……」

「おいミコ乗せたってなんだ」

「ふふっ、お尻に潰されてたよ」

「何されてたんだよ俺」


 そりゃ確かに寝すぎだ。

 そして案の定、寝てる間に何かされてたみたいだ。まったくこいつらは。

 ともあれ身体はだるい、腹減った、頭がくらくらするの三連コンボでふらふらしていると、


「ほらほらイチさん、顔洗って! 朝ごはんもうすぐできちゃうよ!」


 ムネにぐいぐい引っ張られて廊下の途中にあった洗面所に連れてこられた。

 やっぱりそこも綺麗なもので、ここに来る前の世界と比べるとまさに『雲泥の差』とかいうやつである。

 ひっどい顔の人間(プレイヤー)と世話焼きな人様のヒロインを映す鏡があって、真っ白な洗面台があって、その癖かなり綺麗で……。


「…………これ」

「これ?」


 アンティーク品みたいな銅製の蛇口があった。

 どう見ても蛇口だ。捻れば水が出てくるアレである。

 しかし何気に見覚えのあるもので、確かゲームの中で手に入れた念願のマイハウスに備え付けてあったものと全く同じだった。


「……これって」

「それは蛇口だよ? きゅっと捻ってね」

「……ああ、うん、蛇口ね」


 言われたとおりにそれっぽいのをきゅっと捻ると、水が勢いよく流れ出てきた。

 一瞬、赤褐色のクソみたいに汚い水が絞り出されるんじゃないかとめちゃくちゃ警戒した。

 ところがそこから出てきたのは……汚い水ではなく、それはもう飲めそうなぐらい透き通った水だったわけで。

 思わずジャンプスーツのポケットからPDAを取り出して近づけた。

 汚染測定器にぎりぎり近づけて反応しないか確かめて――――特に異常なしと分かった。


「……な、なしてるのかな?」

「……いや、気にしないでくれ。ちょっとした(くせ)だ」

「どんな癖なの!?」


 ムネにちょっと引かれた。

 大人しく水を手で掬うときりっと冷たくて、一呼吸おいてから一気に顔をばしゃばしゃ洗った。

 そうして顔を洗うとかなりすっきりして、頭の中でもやもや残っていた眠気も体のだるさも吹っ飛んでしまった気がする。


 ――そこでようやく、思い出した。


 ああ、そうか。

 こっちの世界に来たんだったな。

 鏡の中には目つきは相変わらずだけれど、確かに112というプレイヤーがばっちり映ってる。


「……おかえり、俺」


 近くにいるムネに聞こえない程度のボリュームでもう一人の自分にそう伝えて、俺は顔をごしごし拭いた。


「ふふっ、目が覚めた?」

「ああ、おかげさまで」


 まあ確かに目は覚めたけれども、正直なところこの世界に綺麗な水が出る洗面台があって驚いた。

 ファンタジーな世界に蛇口? と思ったものの……そうだ、モンスターガールズオンラインはそういう世界観だった、と思った。

 ゲームの設定じゃここは魔女が沢山いて魔法がかなり発達している大陸だの【オートマトン】という機械の種族がいるだの、そういった設定だった気がする。

 とにかく今いるこの世界がモンスターガールズオンライン基準のものだとすれば、そういった設定を当てはめてみればこれくらいあっても不思議じゃない……と思いたい。


「……俺は夢でも見てるんだろうか」

「えっ? どうしたのイチさん?」

「いや、なんでもない」


 それに何より()()()よりも清潔な水がこうしてどばどば出てくるんだからもう笑うしかなかった。

 俺は蛇口をきゅっと締めた。

 ……この際もう何も考えないでおこう。

 いざ来てみたらここがあの世界より最悪な世紀末だった、というオチよりマシだ。


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