*53* 人間の方が怖いとはよく言う話
目の前にいきなり銃が突き出されれば、普通は「撃たれる」「死ぬ」ぐらいしか思いつかないだろう。
一瞬。ほんの一瞬。しくじった、やられる、と心の中で吐いた自分がいた。
「……!」
引き金が引かれる――その瞬間を狙って俺は身に着けていた武器を抜こうとしていたものの。
ユキノは俺に構えていたはずのそれをずらして別の方向へ向けた。
大きな手に握られた拳銃は俺の額から、近くにいた自分の弟……ユーフィーンの頭に向けられて。
*カチンッ*
引き金を引いた。撃鉄が銃を叩く音だけだった。
銃を向けられた当の本人は「ひゅう!」と楽しそうに口笛を吹いておどけている。
ユキノはニヤリと鋭く笑っていた。
この二人は相当にイカれてるか、よほどお互いを信頼しているかのどちらかだ。
「……驚いたな。自分の兄弟を射的の的にするかと思った」
そいつが不発に終わった銃――箒という拳銃をこちらに再び向けると、
「へへっ……、別に弾が入ってないだの、安全装置がどうこうだの、そういう訳じゃないぜ? ちょっと色々事情があってな……」
その場で撃鉄を起こして横にあるセーフティをかちかちと動かす。
いかにも「安全装置のことは知っている」と主張しているようだった。
撃鉄の裏に隠れていたボルトを軽く引いたりして、ちゃんと弾が入っているぞと見せつけてきた。
それが完全に撃てる状態だという事を俺に伝えると、銀髪の男はまた俺に目がけてそれを向けてきて。
「撃てないんだよ。ほら」
引き金を引かれた。
しかしまたも撃鉄が落ちる音だけが響いた。
「撃針が折れてるんじゃないか? それかただのオモチャかもな」
目の前の馬鹿野郎が銃を撃てないことを知って安心しつつ、俺はユキノへ軽く言葉を挟んだ。
相手はさぞつまらなさそうに何度か銃を弄ったあと、
「いいや間違いねえ。撃てはしないがこいつは実銃だ。そうだろ?」
不満げな様子でこっちにそれを差し出してきた。
大きな自動拳銃の銃身が一瞬手に触れる。
その時、はっきりとその銃の状態が目の前に浮かんできた。
銃身から内部の機構まで、いつでも撃てるような状態に整っていてる。
「……確かに本物だな。使う弾は九ミリ、十発装填できる。ちゃんと撃てるはず――」
銃の状態は特に問題ないように見える。つまりこれは紛れもなく実銃だ。
差し出されたそれを掴もうとすると――
「おい、おい、だからいったろ? こいつは本物だぜ? それに撃ちかだって分かってる。元の世界じゃ動画サイトでも見れば銃の使い方なんてすぐ分かるだろ? こいつは本物の銃なんだよ。まぎれもなく、人をぶっ殺せるな」
そうはいかないとばかりにすぐに引っ込められてしまった。
イカれてはいるが、決してただの馬鹿じゃないユキノの様子を見るとますます不信感が湧いてくる。
それにこの世界に存在しないはずのものがあるということは、緊張すら突き破って俺の頭の中に届いていた。
「ああ……弾がちゃんと出ればそいつで十人は殺せるだろうな。見た感じいい銃なのにそりゃ残念だ」
「現実じゃ昔のどっかの軍……確かドイツ、だったか? そういうのが使ってた銃だぜ、こいつは。見た目もカッコいいしデカくて威圧感がある、俺のお気に入りだ。だから撃てなくてもこうして飾りにしてるわけよ」
ユキノは指でくるくると大きな拳銃を器用に回して、黒い革製のホルスターへとそれをしまい込んだ。
俺よりも上手だ。
「ずいぶん詳しいな、ガンマニアか?」
「マニアじゃなくても銃ってのは男のロマンだろ? へへ……」
もちろんこうして話している間にも、俺は隙を見計らっている。
しかしこいつに近づけば近づくほどよく理解できた、隙がないのだと。
馬鹿らしい会話をしてる間、そばにいるユーフィーンも、取り巻きたちもしっかりと俺を見ている。
もしも仕掛けるタイミングをミスれば周りにいるやつらが絶妙な頃合いで殺しに来る。
つまりこいつは親しくする一方で確実に警戒心を抱いているわけだ。
きっと内心では俺にビビってるに違いない。
今頃、サンディは配置についているんだろうか。
いや、きっとあいつのことだ。
あとは俺のゴーサインを待っているに違いない。こいつらから見えないどこかで。
「それで……あんたらは銃が撃てないから俺に相談しにきたのか? 悪いけど俺は銃職人じゃないんだ、撃てるようにしてくれ、とかだったら他を当たってくれないか?」
俺は用心深く周囲の様子を見ながらも話を続けた。
こんな状況でも饒舌に喋れるのは、きっとFallenOutlawのスキルのお陰なのだろうか。
「いいやそういうわけじゃなくてな。スキルが足りません、だとさ。何のスキルか分からねーし誰がどう使おうとしても弾が出ねえ。他にもいろいろなこういう武器を拾ったが……どれもこれも、スキルが足りねえ、の一点張りで使えないってわけだ」
「アンタに良く似合ってるのに残念だ、本当に」
「へっへっへ! こういうごつい銃が似合ういい男だって俺の弟も言ってたぜ。分かってるじゃないか、イチさんよぉ」
気に食わない会話が続くのはともかく、周りの状況はよろしくない。
逃げ遅れた人々がこうして話している間にも好き放題されている。
「やだっ、放してぇ! わたしなんにも悪いことしてないよぉ!?」
「おれがっ! おれがなにをしたっていうんだぁ! やめろおおおぉぉぉーーーーーッ!!」
「おねっ……がい……もう、やめて……入らない……」
遠くで大人しそうなエルフのヒロインが数人がかりで時間をかけて剥ぎとられて玩具にされていて、助けを乞いながら逃げ回っている。
口答えした、という理由で羽交い絞めにされて、売り物だった槍の実験台にされている男がいた。
人間の子供より小さなヒロインが抑え込まれて、パンを何個まで腹に詰め込めるか試されている。
「お前らの取り巻きはずいぶん楽しそうだな」
「そりゃそうだ、だってここはゲームだろ?
でも――どうしてだろうか。
頭の悪い奴の脳から飛び出してきた悪夢のような光景を目の当たりにしても、何も感じなかった。
目の前に出来事に無関心というか、もはや邪魔くさいとすら感じている自分がいた。
俺も相当に染まってるみたいだ。
「くそっ……! また……また好き放題やりやがって……!」
「ひどい……。どうしてあいつら、あんなひどい事できるの……?」
「あいつ、やっぱりラーベ社の奴だったんだ……! あいつが連れてきたんだ!」
「いい加減にしてよ、もう! 私たちが何をしたっていうの!? なんでこんなことが平気で出来るのよ!人でなし!」
「どうして、どうしてリーゼル様はこいつらをほったらかしにしてるの!? どんどんつけあがって、こんな……!」
そして広場の外にいる奴らからは完全に、このクソ野郎どもの立派な仲間だと思われているようだ。
周りから聞こえるのは、陽気な男たちの笑い声と聞くに堪えない苦しい悲鳴だけ。
そんな中でこうして呑気に会話に興じていれば、同類か何かと思われても仕方がないことだ。
「あー……兄さん、私と変わってくれないかなぁ? 色々言いたいことがあるけど私が本題を言う約束だったよね?」
「おっと、そうだったそうだった。まあなんだ……俺がいいたいのはお前なら扱えるって話だ。そうだろう?」
そうして話を続けているとさっきからじーっと口を閉じていたラーベ社のマスターが口を挟んできた。
弟にはかなわないのか、ユキノは腰に吊るしたモノを指で示しながら……ニタリと笑って入れ替わる。
「えっと……まあ、そういうことですね! あなたはある事情を抱えていて銃を使える。この世界に本来ありえないものが転がっている。そして我々ラーベ社はそういったものを幾つか回収している。……しかしこれでは宝の持ち腐れ。是非とも我々のために使って欲しい、というものですね!」
段々と早口になりながらも、ユーフィーンは馴れ馴れしく近づいて一方的に肩を組んできた。
顔にそいつの灰色の髪が近づくと、なんともいえない汗臭さと一緒に確かな血の匂いを感じた。
「……この世界で人殺しをするためにか?」
こいつの喉元にナイフでも差し込んでやろうという気持ちを抑えながらも、そいつの耳元で囁いた。
するとどうだろう。
組んでいた肩をぱっと離して、目と鼻の先で気味悪く笑みを浮かべ始めた。
目は悪意に満ちた鋭い目で、口だけが笑っていて気味が悪い顔になっていた。
「ええ、いっぱい。見てくださいよ、この人たち。我々よりいっっぱいいるのに、こうして何度も遊びに来てるのに、逃げてばっかり。前は反抗的だったのに、今じゃ街ぐるみで無抵抗ですよ? あの屋敷でふんぞり返ってる魔女とやらが雇った騎士団とやらもぜんっっっぜん相手にしてくれないんです。なんなの? 何考えてるの? 非暴力主義なの? 一方的にやられて何が楽しいの?ねえ? つまんないんだけどさ」
様子がおかしい。
相変わらず早口のまま、ラーベ社のマスターは鋭くなった目からたらりと涙を流し始めた。
その様子の不気味さは初めて盗賊に殺意を向けられた時よりもずっと濃い。
現に、周りにいる幾らかのメンバーやその『兄』も様子に気づいて若干引いているぐらいだ。
「最初は抵抗こそしていたものの結局! ある日突然!何もしてこなくなった! きっとあの魔女が我々に歯向かうなと言ったんでしょうね! 何もせず逃げ出して無抵抗! もうこれはお仕置きしてやるしかない、と思ったわけなんですよ! 何度も何度も何度も何度もこうして略奪してるのに黙ってやられてるだけ! 悲鳴を上げて逃げ回って可哀想な被害者アピールしかできない! 見てください! か弱い女の子が酷いことをされても、誰かが嬲られ傷つけられてもただじっと見てるだけ! 張り合いがないんだよ!! 俺たちを! こうしなきゃ生きられない哀れなチンピラ集団とでも思ってんのか!!」
……これで良く分かった。こいつはイカれてる、完璧にだ。
だがこのユーフィーンとかいうイカレ野郎は止まらない。
支離滅裂な事を吐き出し続けながら、杖を振り回してそこら辺にいたラーベ社のメンバーの尻を撫でるように叩いた。
「おふっ!? なんすかユーフィーンさん!?」
「君、動きが止まってますよ。もっと気合込めて盗みなさい」
「さーせーん、頑張ります!」
何ともいえない一撃を食らった男はそれ以上やられないようにと自分たちのボスから離れていく。
「うひゃははは! 怒られてやんの!」
「だっせー! 怒られたらお前死ぬぞ!」
「うるせー! 始めてなんだよこういうの!」
周りにいるやつらがゲラゲラ笑いだす。
「ぶっ殺してやろうと思ったらネズミみたいに逃げ回る! 思い通りにくたばろうともしない! そんなときに見つけたんですよ、この世界に本来ありえないものが! でも使えない。すっごい武器も道具も見つけたのに使えない。いっぱい殺せるのに使おうとすると「お前は駄目だ」っていってくるんですよ。どいつもこいつも私を拒むんだ。思い通りにならない、これほど辛いことはないのに……。母さんと父さんのいる元の世界に帰る方法も分からない。この世界のプレイヤーもヒロインも、我々を恐れてまともに向き合ってくれない……。わかりますか? この切なさ」
興奮が収まってきているのか、ユーフィーンは口のスピードを緩めていく。
会話に落ち着きが見えてくると俺は思わず、
「いじめられっ子に恋をしちゃったようにか?」
空っぽの頭の中で適当な言葉が浮かび、不意に舌が動いてその言葉を挟んでしまった。
感覚としては、口の中に溜まった唾を吐き捨てるそれに近い。
それが果たして今のこいつに対して適切なものかどうかは自分でも分からなかった。
だがそうやって茶化すと、
「ええ……その通り、そうです、恋です! 私はこの世界で無気力に生きる人々に叶わぬ悲しい恋心を抱いてしまった…ってことですね、はい」
相手は栓でもしたみたいにぴたりと涙を止めて……さっきのような親しげな笑みを浮かべた。
*話術スキルが1上昇*
ここで空気を読まずにスキルが上がった。
落ち着きを取り戻したユーフィーンはぐしぐしと涙を拭いて、
「…………それで我々ラーベ社の戦力増強のために、是非とも入ってほしいんですよ。あなたのことはこの街の情報屋が何から何まで教えてくれまして、タダで。とてもイレギュラーな存在だとお見受けしています」
「……悪いけど、そういう理由ならちょっと遠慮したいところだな。それにそんなイレギュラーが入ってしまったら困らないか?」
「そんなことはありませんよ。私は仲間になってくれるならどんな人間でも受け入れますから」
ふらふらと踊るようにこっちにまた近づいてくる。
今、この男には俺以外目に映っていないのかもしれない。
だがそいつは、そのままキスでもできるというぐらいにこっちに顔を近づけてきた。
「……なあ、あんた」
そして、俺の肩に顎を乗せてきて。
「い~~っぱい人を殺したあの人殺し機械、あんたが連れ込んだんだろ?」
とても低くて、そいつの本性が滲み出ているような淡々とした口調で。
他の誰にも聞かれない程度のボリュームで。
はっきりとそう伝えてきたのである。
「……あ……」
脳裏にあの姿が浮かんだ。
あの墓場がずらりと並ぶ場所で見せられたあれが。
盗賊たちをぶち殺して、俺の足を撃ち抜いた鉄の怪物の姿が。
写真に映っていた無人兵器と、必死に逃げようとしている小さな女の子が。
「……俺が……連れてきた……」
胸のあたりと片足がずきりと痛んだ気がした。
きっと今の俺の顔面はひどく青ざめているか、動揺が隠しきれずに酷いものになっているだろう。
「……冗談です♥ まあ、興味があるならいつでも歓迎しますよ。それにもう、貴方は我々の仲間みたいなものですし?」
こんな状況で、しかも同じ色をしたやつがお誘いを受けていれば仲間と思われても仕方がない。
これじゃ仲間になりに来たようなものだ。
「うへへ……。そういうこった。 どうだ? 俺達の仲間にならないか? 今ならお前用のそれなりのポストも用意してある。お前が部下を率いてこの世界で成り上がるチャンスがあるんだぞ?」
ユーフィーンがそう告げると、銀髪の大男がだめ押しとばかりに迫ってきた。
そいつの周りにいた仲間達も随分と好意的な眼差しを送ってきてくれる。
これはつまり、あれだ、完璧にご同類と思われているらしい。
「おい兄ちゃん。別に入るのに金は取らねえし、タダで俺達の仲間になれるんだぜ。おめーが『はい』というだけで今日から毎日オイシイ思いができるんだ」
「俺みたいなやさしー先輩も沢山いるぞー。もし入ったら手取り足取りこの世界での生き方を教えやるから心配すんなって」
「それに可愛い女の子にも好き放題できる! 食い物にも女にも困らないサイコーの職場だぜ!」
そんな話をされて俺が「じゃあ入れてくれ」とでも言うと思ってるんだろうか。
分厚い化粧の裏にある顔はみにくいように、この親しさの側には敵意が隠れている。
隙を見せれば確実に噛みつきに来るし、受け入れてしまえばもっと最悪な結果に行き着く。
故に、もうこいつらと話し合うことはない。
しかし幾ら数が多いとはいえそんな奴らにここまで脅かされているというのなら。
どうしてそいつらにこのクラングルで好き放題やらせて――しかも『魔女リーゼル』とやらがわざわざ手を出さないように命令しているのか。
ご自慢の庭を野良犬に荒らされて『危険すぎるから絶対に手を出すな』なんて言って見守るだけの家主がいるだろうか?
この露天市場に来る前に、フェルナーが『今日もまたにらめっこするだけかよ』と言ってた気がする。
つまりフィデリテの奴らはこいつらをに対してはある程度は制止力になるのかもしれない。
監視も十分でラーベ社が少しでも動いたとわかればすぐに連絡が回って、いつでも即座に動けるように準備が整っている。
それなのに危険だから手を出せない?
幾ら相手の数が多くてもその気になれば、あのトカゲの兵士たちやクラングルにいるプレイヤーとヒロインが力を合わせれば対処できるんじゃないか?
これは甘い考えかもしれないけど、この集団にエカスティエの奴らとトカゲの兵士たち、それからこの街にいる数多のプレイヤーやヒロインを合体させて無理矢理にでもぶつければ単純に押し潰せそうな気はする。
しかしそんな安直すぎる考えこそ難しいことなのかもしれない。
そうはできない理由が、事情が、原因が、このクラングルの至るところに散らばっているのだ。
「さて……イチさん。あなたのお返事をちゃんと聞かせてくれませんか?」
つまるところ誰かがこいつらを蹴散らしに助けに来てくれる、ということはありえないって話だ。
なら話は早い。
この二人をここで殺す。それが俺の答えだ。
「もう一度だけ聞きます。入りますか? それとも、入りませんか?」
ユーフィーンは俺がどう答えようとも問題ないのだろう。
愉快な仲間たちを背にしたまま、その整った顔に胡散臭い笑顔をいっぱいに広げて俺を誘っている。
「入ったら俺の扱いはどうなるんだ?」
「上から三番目です。部下も与えましょう。破格の待遇ですよ?」
おそらくは最後の通告だ。
断れば用はないから殺す。
少しでも変な動きをすれば周りにいるやつらが一斉に襲い掛かりに来る。
受け入れれば……やっとここまで来たのに、こんなクソみたいな連中に束縛され続けてしまう。
「…………そうだな、俺は――」
極力、相手に悟られないように身体の力を抜いた。
いつでも食らいつけるように、拳銃やら散弾銃のホルスターに手を近づける。
攻撃を始めればきっとサンディの狙撃が事を有利に運んでくれるはずだ。
この戦いが終わったらあいつに美味しいものでも奢ってやろうと、柄にもなくそう思ってしまった。
「なんにも問題はありませんよ? あなたの持つそれの力はこの世界では貴重だ」
ところが視界の中に何人か違和感のある存在が映った。うっすらと、だが。
こんな状況でひどく冷静というか、チャンスをうかがっているというか、不自然な様子だった。
四角い鞄を持った背の小さな男が今にも何かを始めようと慎重な様子で見張っている。
その後ろで口元を襟で隠して両手に大きな籠手みたいなものを付けた女性が何やらうずうずしている。
「銃です、その銃の力を借りればこの世界で天下をとることだって夢じゃないんですよ? どうです?」
そこから少し斜めに離れた場所に……人ごみに紛れて異色を放つ奴がいる。
緑色のスーツと中折れ帽を身に着けて、仕上げにサングラスをかけるという不審者の極みのようなやつが腕を組みながら様子を見ていた。
ところがそいつは俺に気づいたのか「よう元気?」とでもいうように掌を小さく上げてきた。
目の前にいるラーベ社の奴らもそうだけど、ここはかなりきなくさい場所だ。
「……俺はあんたの仲間だ。同類だ」
ともあれ、少しでも成功率を上げるために仲間になると嘘をついた。
僅かに油断した瞬間を狙って、ボスにありったけを叩き込む。
失敗すればおそらく死ぬ、運よく殺せても他の奴らが殺到してくるかもしれない。
「おおっ! では……入るんですね?」
「ああ、喜んで……」
そんな俺の言葉を聞いてユーフィーンはとても嬉しそうに顔を輝かせた。
けれども、確実に隙は生じた。
腰のホルスターに手をやって、散弾銃を掴もうとして――
「たっ!大変ですユーフィーンさん! ガキが暴れて手がつけられませーん!」
そこへいきなり誰かが空気を読まずに横から突っ込んできた。
俺たちの意識は完全にそっちへと持ってかれてしまった。
そんな言葉が聞こえた直後、
「……ああ? おい、お前、今ちょっと……いいところだったのに、なにしてくれてんの? 取り込み中なのにいきなり割り込んでくるとかお前……死にたい?」
すぐ目の前にいたユーフィーンはあれほど熱のこもった嬉しそうな表情を引っ込めてしまう。
顔はバケツ一杯の氷水でもぶちまけられたように硬く締まって、大きく見開いていた眼はライフル弾の先端みたいに細くなっていった。
それがそいつの本性なのだと良く分かった。
「あっ……いえ、あのですね……ハーピーのガキがすげえ邪魔してきて作業が止まっちまってるんですよ、捕まえたんですけど爪で何人もやられちまって……」
ラーベ社の一人はボスの静かな怒りを目の前にしても特に気にしていないようで、へらへらしていた。
よく見るとそいつの顔には刃物か何かでざっくり切られたような傷があった。
そこから結構な量の血が流れて石畳に道筋を立てている。
「……ああ! ちゃんと報告しにきたんですね!えらいえらい! 怪我人はいますか? さっさと兄さんに治してもらってくださいね? で、邪魔してんのはどこの馬鹿よ?」
引き抜こうとした武器から手を静かに離して血の跡を目で追う。
どうやら、やや離れた場所に武器や防具を売っている露店があったようだ。
「はなせーっ! ボクの友達をいじめるなーっ!」
「ええい動くんじゃねえ! 足と羽を抑えろ!」
その店の前で鳥のような女の子が二人がかりで抑え込まれていた。
膝から下は鳥の足にになっていて、両腕は肘から先が大きな羽になっている。
鳥人間とでもいえばうまくその見た目を表現できるかもしれない。
しかしあれはれっきとしたヒロインの一種で……ハーピーとかいう種族である。
「このっ!大人しくしやがれクソ鳥が! 良くも俺たちの邪魔してくれたなぁ!?」
「ユーフィーンさん! 悪い鳥を捕まえました!どうしますこれ!? 羽全部毟って丸焼きにでもしちまいますか!?」
ポケット付きのキュロットを履いた下半身は膝から下は茶色のふわふわの毛に覆われ、鳥の持つ形状や質感をもった四本に分かれた足があった。
羽は広げれば何人もの人間を包み込めるぐらい大きく、顔立ちは遠目に見れば小さな男の子に見える柔らかい輪郭をしていた。
短い髪はしっとりと茶色く、時々八重歯の見える小さな口で喚きたてながらばさばさ暴れている。
手足の先端が鳥のそれになっている以外には、活気のあるボーイッシュなヒロインだ。
「このお店の商品はメカが頑張って作ったんだぞ! 勝手に持ってくなー! 馬鹿!人でなし! お前たちなんてリーゼル様に呪い殺されちゃえ!」
茶色いハーピーがこっちへ連れてこられると、力に溢れた声を上げながらじたばたと暴れだす。
その言葉は俺にも向けられているような、そんな気がした。
「はっ……放してくださいっ! ピナちゃんは関係ありません! 私のお店にあるものはなんでも差し上げますから……お願い、離してあげてください……!」
誰かが慌ててその後を追ってくる。
透き通った水みたいな色の髪をさらっと短く整えていて、伸ばした前髪で目を隠している女の子だ。
背の小ささからヒロインだと思う。
「はぁ~……こんなちっちゃな女の子に足を引っ張られるとか雑魚ですか?馬鹿なんですか? でも素直に報告しに来たのはえらい。良く捕まえましたね」
「すみません……空から何度も襲って来るもんで……。で、でもこいつだけじゃないんすよ! あいつも魔法で邪魔してきて……」
彼女の懇願など特に意に介さず、ハーピーのヒロインが生贄として目の前に運ばれてくる。
結局その子はいくら暴れても逃れられずにくたくたになっていて、代わりに恨めしそうに眼鏡の男と、それから俺を睨んでいる。
「……やれやれ、今日は何かと思い通りにいかない日だ……」
ごたごたとした周囲の様子にユーフィーンが明らかに苛立っているのが分かった。
俺だって出鼻をくじかれて同じような心境だったが。
「へっへー! 捕まえたぜぇ、おチビちゃん! 俺たちの前で正義のヒロイン気取りなんてしたからこうなっちまうんだよ!」
その時、別の誰かが両手で何かを握りしめながらこっちにやってきた。
「……!! …!!」
「おい……その妖精……!」
そこでようやく、今の俺に最悪の事態が訪れたことを理解した。
見覚えのあるあの小さな妖精がいたのだ。
さらっとした橙色の髪にとんがり帽子をかぶって、水晶みたいな羽を生やした――あの時の子だ。
「…………!!」
首から下を包まれるように握られた妖精がもがき苦しみながら必死に助けを求めているように見える。
そして目が合った。
ふるふると振っていたその子の首が止まって、確かに、はっきりと、俺を見たのだ。
「――」
その妖精の瞳に今の俺の姿が一体どう映ったのかは知らない。
はっきりと分かることは、俺を見るなり深い絶望の色で塗りつぶされてしまったということぐらいだ。
それから下衆な男の手の中でがっくりと脱力して、めそめそ泣き出してしまった。
「……そうだ、まずはこのクソガキどもを料理しましょうか。イチさんと私の邪魔を二度とできないように、ねっ?」
ユーフィーンは連れてこられたそれを見て、ごちそうを目の当たりをしたかのように両手をさすった。
クソッタレなことに俺もそれに付き合わされるみたいだ。




