*48* 可愛い子を泣かせるのは悪い事だ
クラングルの街に戻って、サンディを連れてふらふら街中を彷徨った。
何処へ行けばいいのか、何をすればいいのか、何も考えられずにゾンビみたいに徘徊していた。
次第に疲れてきて、気付けば俺達は待ちの何処かにある広場のベンチの上に座っていた。
汚染されてない綺麗な水を噴き出す噴水があって、人通りはそれほど多くなくて静かで気楽な場所だ。
広場の周りにはプレイヤーかヒロインが出している屋台や露天がある。
まだ昼時なのか屋台で買ったお菓子や料理を食べ歩きをしたり、ベンチの上でもぐもぐ食べている人の姿があった。
あっちの世界に比べると随分と豊かな光景だ。
ところがそんな場所にいる俺達はよっぽど違和感が詰まっているのか、
『…………』
周りにいる奴らはみんな距離を置いていた。
相変らず怪訝な視線も飛んでくるし、間違っても誰も近寄ろうとはしないスタイルを貫いている。
間違いなく俺達は異物として扱われている。
或いは、檻の中から脱走した獰猛な肉食獣扱いだ。
サンディが狩りの上手なメスのライオンだとすれば、俺はそのおこぼれを喰らってどうにか生き延びているハイエナというところか。
「……だいじょう、ぶ?」
荷物を降ろしてベンチでぼーっと噴水の流れる様を見ていると、隣でお行儀良く座っていたサンディが顔を覗いてきた。
マスク越しに不安の様子が浮かんでいるように見える。
「ああ、大丈夫だ。さっきは強く言っちゃって……ごめんな」
弱弱しいハイエナの俺は逞しいメスのライオンに答えて、ストレートに謝った。
あれは今まで俺を助けてくれた恩人であって、相棒である相手に向ける態度じゃなかった。
「……そういうときも、ある」
一体どういわれるのかすごく心配だったけど、サンディはぽつりとそう言いながら頭を撫でてくれた。
狙撃のときに引金を引くための繊細な指は、茶髪をもしゃもしゃと掻き分けている。
本当に気にしてない、という感じだった。
それに面白そうに髪をいじってくるのだから、なんだかそれを感じて安心した。
「……うん、そうだな。そういうときが来ちゃったんだ」
「……わたしは、ちゃんとついていくから」
「……うん、ありがとな」
「ふふん」
そうだ、サンディはちゃんとついてきてくれている。
こいつは背中を預けるには十分すぎる相棒だ。
「……本当にありがとう、サンディ。何時もお前には助けられてるよ」
だから、今ここでちゃんと感謝の気持ちを告げた。
誰も近寄ってこないのだから、のんびりベンチで休んでいられる今だからこそ相応しい言葉だ。
「……今度は、わたしが……あなたを助けるよ」
サンディはくす、とマスク越しに笑ってくれた。
それどころか、わざわざ口を覆っていたマスクを下ろして笑顔を見せてくれた。
少し無表情さが残っているけど、口元だけはにこやかな形になっている。
「……そういってくれ嬉しいよ。どうしてあの時の俺は……お前を置いていっちゃったんだろうなって……今でも思うよ。今じゃお前なしじゃ何もできないのに、ほんと、あの時の俺って何考えてたんだか……」
本当に、いい相棒を持った。
ミコが見たら憤死しそうだけど、ムツキやムネと同じくらいに頼もしい仲間が増えたのだから。
「……ん」
こんな状況だから色々思い返していると、サンディがずいっと身を乗り出してきた。
「でもさ、もうそれは無しだ。あの時の約束どおり、今度は置いてかないさ。まだまだ大変になりそうだけどちゃんとついてこ……っ!?」
ちゅ。
人が今までの事を引っ張り上げながら語っていた矢先に――なんかこう、首筋の辺りにぷにゅっとした柔らかい物が当たった気がした。
首の肉を啄ばむような、跡を残すように吸い付くような、くすぐったい感触がしてびくっと背筋が反射的に伸びてしまう。
「……くす」
何されたんだ、と思うが矢先、サンディの方を振り向くと微笑みながらさっとマスクで口元を隠してしまった。
気のせいか、頬がちょっと赤い。
褐色の肌に赤みがかかっていて、いつものジト目はくいっと横に逸れてしまっている。
「サンディ?」
「……」
「サンディ!?」
「…………」
答えてくれないけど、流石にこれじゃ何があったかは良くわかる。
スキンシップのつもりだろうか。見事にやられた、首にキスされた。
自分の頬がすごく熱くなっているのを感じる。
【LUCK+1】
どうしてそこでステータスが上がるんだ。
目の前に相変らず上昇条件が分からないいつもの表示が浮かんできて、やかましいわ、と手で払った。
「とにかく……こうしてじっとしててもラチがあかない。次にやるべき事を……」
ひとまずは情報を確認しようとポケットからPDAを取り出すと【クエスト】タブに通知があった。
指で操作して開くと、新しいクエストがさりげなく追加されていた。
【魔女リーゼルに会え】
クソ、こっちもリーゼルか。
しかも優先してやるべきメインクエストではなく『やれたらやっとけ』みたいな意味をこめたサブクエストとして登録されている。
「リーゼルリーゼルリーゼル……リーゼルばっかじゃねーか。そんなに俺と会いたいのか、こいつは」
つまりこんな得体のしれない奴と会うなんて、別にやらなくたっていいってことだ。
隣にいるサンディに聞かせるように、PDAにも載っている忌まわしい名前を吐いた。
どうしようもなくじゃばじゃばと水を吐き出す噴水をじっと見つめていると,
「……あえば?」
隣にいた相棒は簡単にそういってきた。
心の整理がまだで、それができないからこうして悩んでるんだよ……。
「本当にその通りなんだけどさ……心の準備が必要なんだ、それに、まだ考えもまとまってないし」
「……いけば、すぐおわるよ?」
「いや、ちょっと今すぐには行きたくない。まだ他にやるべき事もあるし、今は落ち着いて状況の整理をしないといけないと思うんだ」
「……ちきん」
相棒から腰抜けとか言われてしまった。
悔しいけど反論できない。
そりゃそうだ、魔女のいる場所にいってそこでぶちまければそれで済んでしまう話なのだから。
でも、本当にそうしたところで自分の心が持つかどうか分からない。
ここはあっちの世界とは違って「敵だ、死ね」で何事も済む単純な世界じゃないのだ。
「まったくもってその通りだ」
「……でも、無理はしてほしくない」
「サンディ。どっちにしてほしいのか、ここははっきり言ってくれないか?」
「……イチの気持ちが、一番?」
「ああそうか、じゃあ今考えるのはよそうか。おしまい」
結論は後回しにすることだった。
色々な考えが交差して、「ここに自分の居場所はない」とか「この世界にくるべきじゃなかった」だとか、ネガティブなものばかりが浮かんでくる。
あーだこーだ考えて全く次へ進めないでいると、
「……ん?」
ふと視界の隅っこで何かがふわっと浮いていた気がした。
小さな灯りみたいに光っていて、それが目の前を横切って言ったような……。
ここにきて心労が限界に達して、脳がやられて視覚がおかしくなったんだろうか。
「……! ……!」
何かがひょいひょいと手を振ってきたように見えた――手?
「ああ、サンディ……いよいよ俺は駄目らしい。見えちゃいけないものが見えてきた。頭をやられた」
「……どうし、たの?」
「幻覚が見えてきた。これは結構重度な方だ。音も聞こえる」
ふわふわ。
また何かが見えた。
視界の隅で何かが動いている。
「……!」
「…………ついでに言うと女の子に見える」
「……おんな、のこ?」
そこで誰かが浮かんでいた。
ベンチの縁で小さな女の子が、背中に生えた羽をはたはたさせながら俺の気を引こうとしていた。
「ほら、そこにいるだろ」
その身長はだいたい20cmぐらいだと思う。
大まかな特徴から見ていけば掌に乗るような小さな身体で、活発的な橙色の髪を二つ結びにしていた。
その体躯にしてはやや大きめの茶色い肩掛けカバンは一体何が詰まっているのかパンパンに張っていて、頭にはこの街のシンボルともいえる尖がり帽子を被って自分の役割を主張している。
「……ほん、とだ。ふわふわしてる?」
「お前も見えたか……本物かあれ?」
その女の子の背中には宙に浮かぶための羽があった。
水晶を平べったく加工したような硬質感のある羽が、ふわっとした見た目に合わせたようなコート調の衣装の背中から出ている。
「……♪」
その顔つきは一言で表せば無垢だ。
好奇心満点で、それでいてふにっとした力の抜けた顔つきをこちらに向けている。
暗赤色の大きな瞳は一体何が楽しいのか、興味という視線をしつこくぶつけてきた。
野良かどうかは分からないけど、この子がヒロインの妖精という種族であることは確かだ。
その証拠に彼女は俺の目の前で何もない空間を指で弄り始めて、ゲームのウィンドウをそこに出していたのだから。
「あー、おい……そこのちっちゃいの。俺になんか用か?」
MGOの【妖精】という種族は小さいものの自由に空を飛ぶことが出来て、装備制限などはあるものの、移動速度と魔力が早い種族である。
それに基本的に妖精族は見た目が可愛いので『外れのない種族』とも言われていたりした。
見た目重視からガチ構成までカバーする最高のお供だ、と知り合いの廃人が言っていたのを思い出す。
「……? ……!」
目の前で妖精がくいっと首を傾げた。
ただ、なんというか……実際にこうして目にすると本当にちっちゃくて不安だ。
「……なんだよ?」
すごく落ち込んでいる俺とは対照的に、とても無邪気で毎日が楽しそうな様子のそいつはいそいそと何かのウィンドウを空中に取り出した。
それから皮手袋で覆われた小さな指先で何かを書いて持ち上げて。
『だいじょーぶ?』
と、薄いオレンジ色のウィンドウを両手で持ち上げた。
少しくねった手書きの文字が俺にそう尋ねている。
「ちっとも大丈夫じゃない。見て分からないか?」
見て分からないのか、という意味も込めて目も合わせずに答えた。
考え中に水を差されるのは好きじゃない。
「……!」
返答した矢先、ちっちゃい妖精は頬を膨らませて俺の視界の中に割り込んできた。邪魔だ。
いつも視界に浮かんでくる経験値の入手やスキル上昇の通知を消すみたいに振り払おうとした。
でもやめておいた。
ミコはまあ例外中の例外ということにして、俺はこういう子供にかなり弱いからだ。
別に犯罪的に思われるような意味でもなく、苦手という意味でもない。
ただ見ていると調子が狂わされるからだ。
「……ごめん、ちょっと嫌なことがあって落ち込んでるんだ。俺なんかに構わないで、ほっといてくれないか?」
手で追っ払いたかったけど我慢しながら、なるべく優しい口調で言った。
「……? ……!」
が、言うが否や速攻で首を横にふるふるされて断られた。
そして続けざまに顔を近づけて『どうしたの?』とウィンドウを突き出してきた。
「……なんだ、心配してくれてるのか?」
内心「早く自然に帰ってくれ」と思いながらも尋ねると、柔らかな表情でこっくり頷いてきた。
何か裏があるんじゃないかと用心するものの、そいつは人の気持ちも無視して「私に任せろ!」といわんばかりの態度で胸を張った。
「……お前、物好きなやつだな」
何を考えてるのか理解できない生命体に呆れを伝えると、何故か嬉しそうににっこり笑い出す。
褒めたつもりは毛頭ないというのに何が嬉しいんだ、この妖精さんは。
「……!」
すると妖精さんは俺のすぐ目の前でカバンをごそごそし始めた。
しばらく小さな手でかき回した直後、中から小さな赤い木の実……? のようなものを取り出して、両手でもって俺に差し出す。
小柄な体もあって橙色の妖精が持てばりんごのように見えるし、自分の指先と比べればさくらんぼのようにも感じ取れる。
「……え? これを食えって?」
「……! ……!」
食べて欲しいらしい。
とりあえず指で摘まんで受け取った。
いや、だからっていきなり突き出された茎のついてないさくらんぼみたいなものを目にして「じゃあいただきます」なんて事は出来なかった。
第一に得たいがしれない。味とかそういうものはとにかく、貰って食べて大丈夫なのかが問題だ。
第二に腹がいっぱいだった。食べすぎというのもあるけど、で頭も胸も一杯だ。
「これはなんだ? さくらんぼ……?」
意図が掴めない妖精さんに謎の木の実について尋ねる――けれども、首を横に振られて否定された。
残念、さくらんぼじゃないらしい。
「じゃあなんだよ?」
「……♪」
二度目の問いかけも効果なし。にひっと笑って俺が食べるのを楽しみにしている。
この木の実の正体はともかく、どうしても食べてもらいたいらしい。
「……じゅるり」
そうこう悩んでるうちに隣でサンディが物欲しそうな顔でじーっと見てくる。
「……毒じゃない?」
念を入れてしつこく聞く。
「……!」
毒なんかじゃないと言いたげに頬をぷくっと膨らませて怒った。
「ああ、食えば分かるってか。食べてからのお楽しみってことだな。分かったよ、食えばいいんだろ?」
これ以上こんな事をしても永久ループするだけだ、大人しく食べよう。
デザート代わりだと思えば、まあ、食えないことはないと思う。
まさかこいつがどこかのヒットマンで、食ったら即死するような猛毒を直々に食わせに来た、なんてことはないだろう。
「いただきます」
口に放り込んで噛み潰した。
食感はざくっとしていて、固めのさくらんぼみたいな感じだ。
「……わ~お」
……ファッキン酸っぱい。
油断しているところに凄まじい酸味が口の中一杯に広がっていく。
これはあれである。甘味がなくてしょっぱくてすっぱいだけが取り得の梅干の味そのものだ。
それなのに一体どうしてなのか香りは桃っぽい。
桃みたいな匂いが口中一杯に広がるくせに、顔がぎゅっと圧縮されるぐらい酸っぱい。
「……ワーオ……」
思わず喉が裏返ったような変な声が出た。咽そうだ。
本当に口から「ワーオ」しかでてこない。
それくらい酸っぱくて、刺激が強すぎるのか目から涙が出てきた。
でも俺は無邪気なその子の名誉の為に、表情筋を気合で解しながら「うまい」と強く無理矢理頷いた。
「……ああ、その、うまかったよ。白米が欲しくなる味だった」
「……!」
ぱあっと無邪気すぎて見てるこちらが浄化でもされちゃいそうな満面の笑みを見せてくる。
しかもご機嫌な様子でぶら下げていた大きな鞄から、さっきと全く変わらぬ形と色の木の実をごろごろと取り出しベンチの上に置き始めて。
『いっぱいたべてね』
ウィンドウに手書きの文字をざっくり書いて此方に向けてきた。
一つじゃ足りないとでも思ったのか、木の実の山の横に立って今すぐにでもお代わりを差し出そうと、やたら張り切っている。
少なくともこいつには悪意はないと思う。むしろ善意まみれだ。
でもその善意が酸っぱい実の山となって目の前に積まれてしまっては、過ぎたる善意を拒みたくなる。
「あの、足りないとかそういうわけじゃなくて……つーかお前どんだけ持ってるんだよ、もういらないからしまってくれ」
このままじゃ酸っぱい木の実をひたすら食べるハメになってしまうのでストレートにお断りした。
妖精がむすっとした様子でまたカバンを漁り始める。
「……わーお……」
隣から裏返ったようなサンディの声が聞こえた。
どうやら勝手に木の実を食べたみたいだ。
クールな相棒が胸に散弾銃でもぶっ放されたように悶えている。
……平然とした様子に見えるけども、ぷるぷる震えてマスクの裏で必死に酸味に抗っている。
「……!」
そこへ妖精さんがまた行動を起こす。
「これならどう?」と自信満々に色とりどりの木の実をベンチの上にごろっと転がし始めた。
カラフルすぎて毒キノコのごとく危険色を発するものが幾つも混ざってる。
「いや、色の問題でもねーよ。しかもなんだよこの虹色の木の実、これ絶対食ったらヤバイやつだろ……」
「……!」
「ああ……うん、もう大丈夫、大丈夫だからそのすごく酸っぱい実を片付けてくれ。っておい、こら! 人のポケットに勝手に詰め込むな! そこPDA入ってんだぞ!?」
食えるかこんなもん、と断りを入れようとすると遂に妖精さんが怒って強硬手段に突入した。
「なっ!? おいやめろ! そんなにいらないって!? もう元気になったから!!」
ベンチに置いた実を手当たり次第にポケットに突っ込んできた。
手で捕まえてやろうとするよりも早く、小物や弾を入れるポケットに次々やたら酸っぱい木の実が押し込まれていく。
プロテクターの裏にあるスペースにも押し込まれて、見る見るうちにポケットが木の実まみれに。
「……♪」
無理矢理押し付けてきた妖精が目の前で得意げな表情を見せてきた。
一仕事終えて満足したかのように爽やかだ。
「……はあ」
反面、俺はなんかもう疲れて疲れて怒る事すらできなくなっていた。
トドメでも刺された気分だった。さっきまで考えてたものが全部吹っ飛んだ。
「……むしゃむしゃ」
もくもく食べて俺と妖精のやり取りを眺めている。
「むしゃむしゃ、じゃねーよ。食ってないで止めて欲しかったよ」
「……おもしろい、から」
「……そうですか」
完敗だ、潔く負けを認めてやろう。
「参りました」とばかりに手を向けると、彼女はけらっと笑って手の甲に抱きついてきた。
人形みたいな小さな子が、ナイフと銃と食べ物ばかりを握ってきた俺の指をがっちりと押さえる。
そしてふわふわさらさらの髪を手の甲にぐりぐり押し当ててくる。くすぐったい。
どうやら俺はこの子にすっかり懐かれたらしい。
「おいちっちゃいの、いつまで絡んでくるんだ」
「…………♪」
でも温かかった。
20㎝あるかどうかの本当に小さなヒロインだけれども、確かに生きている。
ゲームの中で見てきたように無邪気で無垢な存在で、この世界を思うが侭に生きている。
「……妖精か」
「……?」
でもこの子は、あのグラナートの惨状から生き抜いてきたんだろうか?
あのスクリーンショットに映っていた光景の中で、この妖精は何をしていたのだろう?
主人と一緒に生き延びたのか、それとも失って一人でこの街にいるのか?
「そういえば…お前、誰のヒロインなんだ?」
落っこちないようにもう片方の掌で足場を作ってやりながら、俺は何気なく尋ねてしまった。
「……」
しかしそれが何かまずかったのか。
手の上でごろごろしていた小さな妖精はそこでぴたっと身体ごと笑顔を止める。
掌の上に乗っかったままウィンドウを出して、何かを書いて見せてくる。
『のら』
のら。プレイヤーなら誰もが知っている、野良ヒロインのことだろう。
野良ヒロインというのは、MGOが始まって、割と間もない内に浮き出てきた問題だ。
プレイヤーがキャラを作ると、同時に作られる人工知能のキャラクターをヒロインという。
だが同時に、プレイヤーにはそのヒロインを削除する権利も与えられる。
その理由にはサーバーへの負荷などもあるんだろうけど、ゲームをやらなくなったり、やめざるを得なくなったり、そういった時はユーザーにヒロインの削除の申請をやらせるのだ。
初期はその辺りは運営側は寛容だった。
いや、寛容すぎたというのが正しいかもしれない。
始めた頃は削除機能なんてそんなに使う人はいなかったし、やめざるを得なくなってもちゃんと使う人がいた。
でもゲームの知名度が上がって、人が沢山増えてからはそうはいかなくなってしまった。
ヒロインが気に食わないからキャラごと消してリセマラ、ゲームごと放置、やめなきゃいけなくなったけど消せない……などなどだ。
そういった理由で『ヒロインを削除する』という選択をしないせいで、共に行動するプレイヤーを失ったヒロインだけが残ってしまう。
人が増えた分、そういった野良のヒロインは増えていった。
その辺りのシステムが再調整されたのは、丁度増えすぎた野良のヒロインたちがゲームの問題として浮かんできた頃である。
その頃の運営が考えていたのはいかに儲けるかどうかだ。
どうやって金を稼ぐかばかり考えていて、当初掲げていた『素敵なヒロインとの楽しい生活』なんて後回しにされていた。
その結果、野良のヒロインの多くはいつされるか分からない強制削除という運命を突きつけられることになったのだ。
いつかのどこかで、知り合いのプレイヤーがこう言っていたのを覚えている。
『まるで保健所の折の中に入れられた動物だ』
それがどんな言葉を意味しているかは聞いてすぐに分かった。
あの時。俺はその言葉を聞いて、ミコを大事にしよう、と胸に誓ったものだ。
「あ……野良ヒロインだったのか」
掌にしがみつく妖精は自然さの欠けた笑みを浮かべて頷いた。
「……なんだか悪い事聞いちゃったな、ごめんな」
申し訳ない気持ちが湧いてしまって、掌の上に向かって謝った。
そんなことない、と苦しそうに首を横に振って否定されたものの、当の本人は悲しそうだ。
それでもその子はもう一度笑顔を取り繕って、またウィンドウを表示して何かを書いて。
『そのひとはヒロイン?』
今度はサンディを指で示しながら、ふにゃっとした文字で尋ねてきた。
「いや、ヒロインじゃないけど相棒だ。俺は……野良プレイヤーなんだ。訳あって、はぐれたヒロインと友人を探してる」
俺は答えた。
妖精はそれを耳にすると、
『てつだうよ』
と手早くウィンドウに文字を書いて、目を輝かせながら掌から起き上がった。
ミコたちを探してくれるのを手伝ってくれるそうだ。
正直何の手がかりもなくここに来てしまった自分には、手を貸してくれるなら本当にありがたい。
この世界を良く知らないからだ。
あてもなく二人で探していくよりは三人で探した方が少しはマシだし……野良ヒロインのこの子も、寂しい思いもせずに済むと思う。
「……いや、駄目だ」
でも駄目だ。
俺はこの子の小さな身体を容易く押し潰すことのできるほど大きく、危険なものを背負っている。
明るくて、優しくて、見ず知らずの他人を気に掛けてくれるほどの善意に満ちたこの子まで巻き込む必要も、巻き込む理由もない。
荒廃した世界で生き抜いた男の隣には、この子を座らせることのできる安全な椅子などないのだ。
「気持ちだけ受け取っておくよ。でも……俺達で十分だ、ありがとう」
だから断った。
言いたくなかった。でも自分に無理を言い聞かせてその子に今の意思を伝えた。
「……」
その返事は、手の上でこくりと小さく頷いただけだった。
それから何かを諦めたような、嬉しさの篭ってない笑顔を見せてそこから飛び立っていってしまった。
他人の死を沢山見続けてきた自分の目が腐っていなければ、その子は涙をぽろぽろこぼしていた。




