*47* こんなクソみたいなありさま
あれから二人はずっと黙ったままだった。
街中を慣れた調子で進むリクを追えば追うほど、物珍しそうな視線が飛んで来る。
「あ、みてみて! 黒い人が歩いてる!」
「うわー、ほんとに黒い……でもあれ……ラーベ社のっぽくない?」
「あれってNPCじゃないの? 人間のオスだしプレイヤーだと思うよ?」
「てことはあの隣のねーちゃんはヒロインか……? いや、胸デカすぎだろ……ミノタウロス系か、あれ?」
「ミノタウロス種のヒロインでもあんなにはならないだろう。あれはやはりNPCでは……」
さっきまでだったら「なんて不愉快なんだ」とでも愚痴をこぼしたのかもしれない。
でも今はとてもそんな気分じゃない。
二人のおかしな雰囲気に、不安、その両方で胃の中が押し出されそうだった。
「……イチにゃん。おじさんはさっきこういったね。この世界で死んだ人間は『封印』されるって」
「ああ、死なないけど閉じ込められる……とかいってたな」
「うん。だからこの世界で死んだ人間は死なない。墓の中に閉じ込められて、この世界をどうにかするまではずっとその中で過ごすはめになるのさ」
二人を追いかけ続けていると、背中越しにリクは言った。
「……その、封印っていうのはどういうことなんだ。それに墓の中に入るって……それって普通に死んだっていうんじゃないか?」
「口で説明するのはかなり難しいよ。だからこれから、君にはこの世界の現状を見てもらいたいんだ」
封印、とはなんなのか。
死ねば墓の中に入るというのは当然だとして、それはつまりこの世界で死んだら自動で墓にぶち込まれるんだろうか?
「……ついたよ。ここがクラングルの大墓地へ続くポータルだ」
しばらくすると、喧騒に満ちた人々の姿は薄れていって、とても静かな場所に辿り着いた。
PDAの画面を確認すると丁度、街の北門の直前にあたる場所だ。
ここにはあんまり人はいないし活気もない。
空は相変らず明るいのに一目で分かるほど暗くて――それは目の前にあった。
「ポータルっていうと……ゲームの中にあったやつか?」
「そうだよ。足を踏み込めば、まばたきもしないうちに一瞬で目的地につくんだ。ちょっと酔って気持ち悪くなるけどね」
魔力を思わせる青白い光が中心でぐねぐねと渦巻く、固形物なのか液体なのか分からない塊が四角形の台座の上に浮いていた。
当然、その姿や性質は何となく覚えている。
ゲーム画面で何度も見たから知っている。入ると指定された転送先に送られる設備だ。
「……実際にこうしてみると、なんか不気味だな」
何かの祭壇にも見えるそれは艶が出るほど磨かれた石で作られている。
緩やかな階段があって、その渦の中に「飛び込んでください」とばかりに道を作られていた。
けれども青白い渦は不細工な軟体生物のように独りでに蠢いていて。
「さあ、いこうか。おじさんたちについておいで、転移直後に転ばないように気をつけてね」
「入った瞬間にいきなり風景が変わりますけど……びっくりしないでくださいね?」
「分かった。行くぞ、サンディ」
「……うぇい」
リクとイングリッドはそんな異様な姿も気にせず進んでいく。
「それじゃお先に」
まずリクが飛び込むと、一瞬で青い光にぎゅるっと取り囲まれて、すぐにぽつりと消えた。
まるで何かの生物の捕食シーンに見えてぎょっとした。
イソギンチャクとかそういう類の挙動で、化け物の腹の中に引きずり込まれたようにも見える。
「……正直にいいますけど、ゲーム内のキャラだった頃からこれが苦手でした。捕食されてるみたいでなんか嫌です……」
続いて、イングリッドが振り向いてそう告げてから同じように踏み込んだ。
やっぱり触手のように伸びた光に脚から胴までを包まれて、ぱっと消えた。
「……ほんとにこれ、入っても大丈夫……だよな」
共に消えた二人を見てから、階段を目前にして足が進まなくなってしまった。
思わず自分か、或いは後ろにいるサンディに聞かせるように言葉を漏らしてしまうと、
「……いか、ないの?」
横からサンディがにゅっと顔を除きこんできた。
「いや、行くけど。ちょっと勇気が足りないんだ」
「……おい、てくよ」
「ごめん、心の準備がまだだから先にいってくれ」
満腹の相棒はご機嫌な様子ですらりと俺の横を通り抜けてポータルへ入っていく。
「……おおー……」
感嘆したような気の抜ける声を絞り出しながら、にゅるっと出てきた光に包まれて消えた。
「……ええい。俺もいくぞ!」
そうなると最後に残ったのは俺だけだ。
早足で階段を登って、勢いをつけてポータルに足を踏み入れた。
青白い光の塊に身体が触れると空気の感触がした。
つまり何も感じがしなかったということだ。
ポータルはごうごうと低い音を立てて蠢いて、それは渦の中から自由自在の光を伸ばして捕食するみたいに俺の身体を包み始め――
「……おおっと!?」
次にまばたきをする頃には、身体が一瞬宙に浮いたような感じがした。
冷たい空気と茜色の光を全身に感じていた。
周りの空気が変わって、最初に五感が受け止めたのは草の香りだった。
ブーツの裏から伝わる感触も変わった。硬い石の床ではなく、柔らかみのある草と土のそれだ。
「つっ……ついたのかこれ!?」
足首から下が不思議ともつれてバランスが一瞬崩れかけた。まるで縄でも絡んだみたいだった。
でも俺の身体は転ばせてくれなかった。
盗賊を殺して、スキルを伸ばして、生き残る術と戦う術を少しずつ学んでいった自分の肉体は、小刻みに踊るように一歩、二歩、と踏み込んだだけで簡単にバランスを取り戻した。
――そこは墓だらけの平地だった。
変わった形の真っ白な墓石が、髭のように草を生やした地面の上に鎮座している。
遠くから見ればそれはただの大きな十字架のように見えたかもしれない。
十字の交差部分を環で囲んで、その中をくり抜いてすかすかにしたような形だ。
その墓は中々の大きさで、太さは自分の胴ほど、立っていれば丁度その環の中と顔が合う高さがある。
「……ここが、大墓地だよ」
目の前に置かれた墓を見ていると、横からリクの声がした。
振り向けば、ますます気分が悪そうなリクと――その後ろでずらっと並んだ墓の姿が見える。
「……ほんとに墓しかないな」
それどころか何処を見ても墓だらけだ。
地面の上で環のついた墓石が所狭しと整列して、それが前にも横にも近くにも遠くにも、びっしりと規模で地平線まで続く死者の列を作っているのだ。
「うん。ここはね、みんなが眠る場所なんだよ」
「みんなが?」
しかも不気味なことに、見知らぬ誰かからじっと見つめられているような気持ちの悪い視線を感じる。
そこに俺たち以外に誰かがいるんだと、荒廃した世界に染まった自分が反射的にそう教えてくれた。
「――そう。みんなが」
ここはクラングルじゃない。
そこは青空に照らされた街の中ではない。
頭上には今にも消えそうな小さな雲が散りばめられた夕焼けのが何処までも続いている。
色々な匂いが混じったクラングルの香りじゃなく、オレンジ色に染められた地上の青臭さがする。
ブーツの裏から伝わる感触も違う。硬い石の床ではなく、柔らかみのある草と土のそれだ。
「……プレイヤーの墓ってことか」
だが視線を少しでも落とせば。
どこまでもどこまでも続いていく、白い墓の群れがこの大地を覆い尽くしているだけだった。
目の前にある墓は、環の下のあたりに何かが刻まれていた。
「それが誰かが封印されている墓だよ。この世界でプレイヤーやヒロインが死ぬと、そこに命が預けられるんだ。そこにいる誰かは、死んではいないんだ」
「……封印って、これって死んでるだろ。命を預ける? 死んでない? さっきから一体何言ってるんだよ?」
「……イチにゃん。いいから、その墓を自分の目で良く見てくれ」
どうみたってただの墓だ。これくらい盗賊でも分かるだろう。
ぱっと見てもそれしか理解できなかったけれども、リクの強い口調に仕方がなく調べることにした。
今すぐにでもこの歯切れの悪い二人に食ってかかろうかと思った。
目の前の見知らぬ誰かの墓をじっくりと見ると――
『迷い人アルファ、ここに眠る』
その墓の根元にそう刻まれていた。きっと誰かの名前だ。
迷い人というのは、モンスターガールズオンラインの称号の一つだ。
始めたばかりのプレイヤーは初心者、即ち迷い人という称号から始まるのだ。
迷い人という称号は初心者の証拠であって、そこからスキルを上げていくと手に入れたスキルの種類やその数値によって戦士だのサムライだの料理人だのと称号がつく。
『彼はこの世界に導かれて早々、首都グラナートに攻め入った魔物の軍勢に襲われた。逃げ戸惑う人々の波に飲まれながらも、冷静に知人たちを集めて激戦の中で必死に脱出路を求めて逃げ回った』
が、称号と名前の下にはまだ文章が続いている。
『彼らは首尾よく乱戦状態の東門から首都の外へと脱出しようとしたが、パートナーであったワーウルフの少女を庇って悪意のあるオークの矢によって首を貫かれて絶命した。どうかこの地で安らかに眠りたまえ』
墓に刻まれていた名前の下には、そう淡々と書かれていた。
文章のところどころには俺の知っている単語が交じっている、
ワーウルフだって知っている。
ヒロインの種族の一つで、犬のような体毛に覆われた手足を持つ機敏で力強く、忠実な魔物だ。
「おい、なんだこれは?」
「死んだ理由さ。あとはその人の名前も書かれてるよ」
この墓に書かれてるのは死因か。
まるで実際に目にしたように、その死にざまが淡々と描かれている。
「……ずいぶん悪趣味な墓だな。一体誰がこんな悪趣味な……」
死んでもなおその姿を晒すような、悪趣味なメッセージだ。
しかし、目の前にある不愉快な墓から離れようとすると。
不意に、墓石の環の中を見てしまった。
――その中に『人の姿』があったのだ。
環の中では墓地ではない……もっと神秘的で穏やかな風景が映し出されていた。
青いようで、黒いような、まるで星が散りばめられた深い夜空のような空間が中に広がっている。
うかつにもそこに手を伸ばせば腕後と全身を吸い込まれてしまいそうだ。
「……お……おい! な、中に誰かいるぞ!? どうなってんだこれ」
ブラックホールにも見えるその中で、黒い髪の青年が穏やかな表情を作って眠っていた。
下着すら身に着けていない裸の誰かが、誰にも邪魔されずにゆったりと寝息を立てている。
一目見て分かったのは、びっくりするほど血色が良くて健康そうに見えること、それからちゃんと呼吸をしているということだ。
寝心地がいいのかとても気持ち良さそうで、とても墓石に刻まれていた文字と縁があるとは思えない。
「見たかい?」
「……ああ、見た。中で人が眠ってる。それもすごく気持ち良さそうに」
「つまり、そういうことだよ。この世界で死んだ者はこうやって封印されて、誰にも干渉されぬまま眠り続けるのさ。自分がどう生きてきて、どう死んだのかを周りに晒しながらね」
封印、という意味が分かってきた俺が墓石から離れると、リクは見知らぬ誰かの墓を撫でた。
手袋に覆われた手が墓石を下からなぞって、異空間を映し出す環の中へ触れようとした。
が、見えない壁があるかのようにつーっとリクの手が弾かれていく。
「最初はね、皆がどうにかして中にいる誰かを引きずり出せないか試したよ。でもあの手この手で何をやっても駄目。次第に皆はこれがあるべき姿なんだ、って皆が諦めてね……。おじさんたちにできるのはもう、こうして黙って見守って、安らかな眠りに水を差さないことぐらいさ」
「……あんたの言ってた『封印』の意味が分かった気がする。これは確かに、死んだとは言えないな」
「そうだろう? 声をかけたり、名前を呼んだりするとたまに反応するんだ。決して起きたりはしないけどね」
もう一度、環の中を見た。
やっぱり裸のまま眠っている奴がそこにいるだけだ。
誰にも干渉されず、いつ目覚めるか分からない永い眠りの中に閉じ込められている。
「……おじさんはね、あの一方的な大虐殺になるはずだった騒ぎの中で、なんとか助かった人間の一人さ。グラナートの下水道に逃げ込んで、イングリッドを連れて命からがらこのクラングルまで逃げてきたんだ」
「下水道か。そういえばあったな、そんな場所」
「うん、あそこは超マイナーなダンジョンだったね。おじさんたちも一度だけちょこっと入ってすぐ帰ったぐらい何もないところだったし」
「何かレアエネミーでもいるかと思って何度も探索したけど、結局何もなくてそれ以来行ってなかったな。クソみたいなところだった」
「はははっ、でもお陰さまで無事に脱出できたんだよ。あのマップを作ってくれた人間に感謝しないとね」
リクの話を聞きながら、俺は墓石の環の中に手を伸ばしてみた。
すぐにこつんと中指に何かが当たった。
見えない壁があるのか、冷たいガラスみたいな感触がそれ以上進ませまいと指を拒んでくる。
「さて……イチにゃん」
そこへリクが「ふう」と苦しそうに息を吐くと、きりっと引き締めた顔を向けて来た。
いかにもこれから真面目で重い話をする、といった表情だ。
一体、何を言うのかは想像できなかったものの、良い話題じゃないのは確かだろう。
「……これから本題に入るよ。いいかな?」
「ああ。さっさと言いたいことをはっきり言ってくれ。もう焦らされるのはごめんだ」
俺は墓に背を向けて、口元をぎゅっと縛って、この場に相応しい顔にしてから向かい合った。
「まずこの世界は……おじさんや君が知っているような、モンスターガールズオンラインの世界じゃない。限りなく似ているだけの世界だと思ったほうがいい」
「……それはなんとなく分かる。ゲームの中には無かったものがあるしな」
「うん、クラングル周辺だけでもおじさんやヒロインたちが知っているものとだいぶ違うんだ。ゲームじゃ見たことのない空に浮かぶ島や魔物の巣食う大樹、街には知らない名前のNPC――この世界の住人たちが人間と同じように生きていて、社会を営んでいる。この世界はモンスターガールズオンラインじゃない、ただ似ているだけのもっと別の何かだと思うんだ」
ここは俺たちの知っているゲームの中じゃなく、それに限りなく近い世界だということ。
それは良く分かる。リクの言う通り本来存在しえないものが山ほどあるからだ。
しかしあっちの世界のこともある、その原因はもしかしたら俺にあるかもしれない。
「別の何か、ね。でもこの世界を救う為に呼ばれたんだろ、俺たち」
「そうだね。あの騒ぎがあってから、まず首都グラナートは陥落したんだ。さっき話したとおりに魔物たちが襲いかかってきて、沢山の人が死んだ。それからグラナートは攻め込んできた軍勢に丸ごと乗っ取られて、今やあそこは魔物達の本拠地代わりさ」
「……そのあと、どうなったんだ?」
「グラナートを手に入れたあいつらは、この国の各地にある都市や村を襲い始めたんだ。あいつらはまず農村を襲って燃やし尽くして、次に各地にある鉱山を占拠した。生きる為に必要な食べ物と武具に使う金属を差し押さえて、我々の力をじわじわと削いでいくっていう目論みだね」
あいつら、と聞いて最初に浮かんだのは――あのオークの騎兵集団だった。
しかし話を聞いていても、なんだかロクでもないことばかりを聞かされている気がする。
FallenOutlawの世界の方がまだマシなんじゃないかと思ってきた。
あっちはあっちで『敵は殺せ、味方は生かせ』だけでシンプルにやっていける世界だと言うのに、こっちは俺の想像を絶するほどややこしいことになってるからだ。
「あいつらっていうとあのオークとかか?」
俺はリクの顔色を伺いながら尋ねる。
相手の顔色はまだ微妙に悪い。しかも質問を投げかけたら頭が痛そうに顔をしかめ始めた。
「うん、あのオークはクラングル近辺にある小さな村を襲ってたのさ。良質の薬草と小麦がとれるささやかな村だけど、救援要請が飛んできて慌てて向かった頃には……あいつらは略奪を済ませたあとだったよ。数も予想以上に多くて、しかも待ち伏せされていて結果は敗走したけどね」
「敗走か。オークっていえばやられ役、って相場が決まってなかったか?」
「実際はそうもいかないよ。あいつらは力強いし武器の扱いにも慣れていて、士気も高い。モニターの前で暢気にマウスとキーボードで戦ってた人間がちょっと武器を持ったぐらいじゃそう簡単に勝てる相手じゃない。それに、即応性のある指揮系統がついている。個々の強さは勿論、群れているから強いんだ」
ゲームじゃざくざくと切り伏せていくような雑魚だった癖に、今じゃ人類の脅威か。
だけど言うことは分からないでもない、もはやあいつらはただのやられ役じゃないのだ
此方は暢気にマウスを動かして、操作したキャラでぼこぼこにしていたようなプレイヤー。
そんな奴がいきなり実際に武器を持って屈強なオークたちと戦って勝て、なんていわれてもかなり無茶な話なのは分かる。
「こいつがなかったらヤバかったかもな」
「その銃のことかい?」
「ああ」
ところが俺はあいつらを倒せた。
この金髪のおっさんと、そのヒロインを助ける為に相棒と一緒に頭をぶち抜いてやった。
この世界には不釣合いというか、本来なら存在しないこれのおかげだ。
銃がなければ俺たちはあのオーク以下、だったかもしれない。
「それに、プレイヤーもヒロインも着の身着のままこの世界に放り込まれたからね」
「きのみきのまま?」
「何も持たずに放り込まれたって意味だよ。プレイヤーとして必死に上げてきたスキルも、お金や時間をかけて手に入れた装備も、全てなかったことにされてこの世界でスタート。みんな平等に一からスタートさ。」
「なるほど、つまり生まれたての姿でこの世界に連れてこられたってわけだ」
「そういうことだね。スキルはゲームみたいにちゃんと上がるよ、ゲームと違ってそう易々とは上がってくれないし、上げるのも大変だけど」
じゃあ……俺が今までガチャにかけてきた多額も消えたってことか。
ミコにプレゼントしまくった装備も、ミコと一緒に上げてきたスキルも、全て水の泡になったと。
課金装備につぎ込んだお金は数十万まで達していたかもしれない。
スキルも装備も膨大な時間をかけて整えたのに、それすらなかった事にされてスタート。
全身金ぴかの成金装備の奴も、攻撃力特化の最高級装備で歪に身を包んだ奴も、おしゃれ勢も、みんなが平等に初心者としてスタートしたということである。
「ははっ……そりゃ絶望的だな。俺は結構課金してたんだけどな」
「まったくだね。おじさんだっていっぱいガチャ回してたしね」
つまり全員、強制的に初心者にされたってわけか。
もっともスキルも装備もそのまんま、という状態でいきなりこの世界に放り込まれたとしても、果たしてゲームのようにうまくやっていけるかどうかは分からないけれども。
「それでね……あれからおじさんたちは、生き残った人々を連れてクラングルになんとか辿り着いたんだ。それからどうしよう、と悩んでいたら……魔女が手を差し伸べてくれたんだよ」
「……魔女?」
「時計塔の魔女、リーゼル様。魔法使いの街であるクラングルの所有者のことさ。ゲームにはそんなNPC、いなかっただろ?」
魔女リーゼル。
魔女と言われても思い浮かぶのは、助けを求める声が『魔女がどうこう』と言っていたことぐらいだ。
「いなかったな。でも魔女って言うと……あの声が言ってた奴のことか?」
「いいや、あの声はリーゼル様のことを示しているんじゃないよ。多分別の人のことだと思う。この魔法の国には魔女は他に沢山いるしね」
話を聞いているとまた横から冷たい風が吹いて、遮られた。
風の行く先を横目で追うと、イングリッドが誰かの墓の前で跪いて深々と祈っている。
「あの時……丁度クラングルも魔物に襲われていてね、リーゼル様は街中にいる兵を連れてあの街を守り抜いていたんだ。あのリザードマンの女の子達のことさ。街は守りきったけどあの子達は随分と減ってしまった。おまけに外からは魔物の襲撃から命からがら逃げてきた人々がクラングルに殺到して、街は大混乱、治安も悪くなってしまう一方だったんだ」
リクの話が続いた。
俺たちがさっきまでいたクラングルも、ずいぶんひどい目に会ってたみたいだ。
「……それで、どうしたんだ?」
「リーゼル様はおじさんたちを雇ってくれた。それなりの対価を払うから自分の駒になれ、といわれて……おじさんはイングリッドと一緒にこのフィデリテ騎士団を作った。いわゆる、ギルドのことさ」
「つまり、その魔女があんたらの保護者になってくれたってことか?」
「うん。フィデリテ騎士団はリーゼル様の所有物だけど、ある程度の自由は保障されているし、普段はクラングルの治安維持活動や周辺地域の警護を任されているんだ。見た目も言動も恐ろしい人だけど、あの街の事や、彼女が育てている魔法使い達の事を一番に考えているいい人だよ」
話を聞く限りはそのリーゼル様という存在は胡散臭さを感じるものだ。
でもリクがここまで信用しているということはそれなりに信用できる人物なのかもしれない。
話を聞いて、短く受けて答えていた俺はしっかり頭に話を叩き込みながら話の続きを待った。
「それでね、イチにゃん。おじさんはリーゼル様から……ある重大な任務を受けているんだ」
ところが、リクの顔つきがそこで変わった。
今までのへらへらしていた顔だとか、何処か抜けている気楽な人間というイメージじゃない。
そいつの本心が垣間見えるような鋭い目つきが、硬く強張った顔が、リクの本当の姿を作っている。
「……なあ。その任務っていうのは、まさか俺と関係があるのか?」
その様子に我慢できなくて咄嗟に俺は尋ねた。
「……そうだよ」
「……はい。私達はおじさんと共に、ある人物を探していました」
それは当たりだったようだ。
リクが、イングリッドが、今までとは違う視線を俺に向けてきている。
敵意なのか、疑いなのか、どうであれ受けていて気持ちの良いものじゃないのは確かだ。
「……私達はあの日、グラナートの中で魔物の軍勢に挟まれて一人残らず、そこで殺されるはずでした。でも……その中に明らかに違うものが混じってたんです」
イングリッドが割り入って来て、彼女は近づいてくるとおもむろに何もない空間を指で弄り始めた。
目の前に見慣れたゲームのウィンドウが開いた。
そこに指を押し当てるとくるくるといじりだして、そこから何かを掘り出していく。
「……その違うもの、ってなんだ?」
「この世界にはありえないものです」
イングリッドの白くて繊細な手がぴたりとそこで止まる。
そうすると彼女はウィンドウから何かを摘み上げて、ゆっくりと目の前の空間に広げた。
「……イチさん。何も言わず、これを見てください」
そこに何かが出てきた。
半透明の紙のようにも見えるものが空中で制止していて、それは独りでにむくりと立ち上がった。
目と鼻の先で、何処かの風景を映し出した静止画が空中に浮かんでいた。
言うならば『スクリーンショット』とでも言うべきものだ。
「これは……?」
「スクリーンショット、今この世界でプレイヤーとヒロインが使用できるシステムの一つです」
思わずそれに触れようとすると手に取ることが出来た。
紙か、ゴムか、或いはその二つを混ぜたような変わった質感がした。
でもそれはしならず真っ直ぐと伸びていて、柔らかい写真を手にしているような気分だった。
「……!!」
だが、その風景を見て絶句してしまう。
言葉が食道あたりで詰まった。
胃がぎゅっと圧縮されて、未消化のものを搾り出そうと体内で悲鳴を上げた。
「それは……あの日の様子を映したスクリーンショットです。あの惨事から生き延びた方から譲り受けたものです」
そこには無残な姿となった何処かの街中の様子が映し出されている。
立派な建物は炭のように焼かれて砕かれ、石床にはおびただしい血が赤い絨毯を広げていた。
「……このクソみたいな悪趣味な写真を撮ったのはどいつだ?」
画像の手前では助けを求めている小さな女の子の姿がある。
ただしそれは人間ではない。
十代前半かどうかで、綺麗な金髪に狐の耳を生やして、尻のあたりから三本の尻尾を生やしている。
その顔は見るに耐えないものだった。
絶望を押し出すような泣き顔で、必死に此方に向けて助けを求めているのが分かる。
撮影者のものなのか、ごつごつとした腕が彼女を受け止めようと伸ばされている。
「……良く、見てくれませんか?」
「これをよく見ろ、だって? あんたらは娯楽でこんな物でも集めて――」
でも、その後ろでは真っ黒な何かが画像越しにこっちを見ていた。
太陽を根こそぎ受け止める為に作られた真っ黒な装甲。
金属で補強された八輪の大きなタイヤで地を駆り、残骸も死体もお構いなしに潰して進む車体。
そしてそこに詰まれた小さめの砲塔は、二門の小さな機銃を逃げ戸惑う女の子の背中に向けていた。
「……おい、待て……」
多分それは、あの時に俺の足をぶち抜いたものと同じなのかもしれない。
センサーがはっきりと女の子を捉えていて、この子がどうなるかなんて容易に想像できた。
ずきり、と撃たれた足が痛んだ。
もう完治したはずなのに、そこが穿り返されたように痛い。
「これって……まさか!?」
脳に鉄の杭でも打ち込まれたような衝撃が走った。
紛れもなく俺の良く知っている存在が。
FallenOutlawの世界にいるべきはずの無人兵器がそこに映っている。
「戦車だよ。戦車が、いたんだ」
「なんで……なんでここにいるんだ!?」
吐き気がした。
吐きそうだ。誰かの墓の前で、胃の中をぶちまけようと身体が発射準備を整える。
嫌な汗がどろりと額から溢れてきた。
吐いちゃいけない、吐いたら俺はこの画像に映るクソッタレに負けたことになる。駄目だ、吐くな。
「……そこに映るそれは、あの大混乱の中で多くの人々の命を奪ったんだ。だけど、それがきていなかったらおじさんたちは死んでいたかもしれない。あれは人も、魔物も、なりふり構わず無差別に誰かの命を奪って、結果的に攻め入っていた魔物の軍勢もあれにすり減らされた」
あれで大半が死んだ、と誰かがいっていた。
それは攻め込んできた魔物たちにやられた、というわけじゃなかったのか?
この無人兵器も、同じように人々を殺していたのか?
「……嘘だろ」
「一両だけじゃなかったよ。何両も、色々な種類の戦車がきていた。でもあれがいなかったらもっと多くの人間が殺されていたかもしれない。もっともあの戦車も、沢山の人の命を奪っていったけどね」
「嘘だって言ってくれ。頼む」
「……嘘じゃないよ。あれは多くの人を殺して、同時に多くの人を生かしたんだ」
それはつまり。
俺が沢山の人を殺したってことじゃないか?
そうだ、俺があっちの世界にいた時も……モンスターガールズオンラインの魔物が確かにいた。
この画像に映るちっぽけな女の子も、きっと5.56mmの機関銃で背中をぶち抜かれて死んだ。
無差別に周囲に死を振りまいて、その身体が破壊されるまで金属の暴力を振るった。
それを呼んだのは偶然でもなんでもない、どう考えても俺だ。俺のせいだ。
「……俺が呼んでしまった、ってことか?」
俺がこの世界とあの世界とつなげてしまったせいで、鉄の化け物を連れてきてしまったに違いない。
そいつはこの写真の狐の女の子だけじゃない。もっともっと、何処かで沢山の命を奪っている。
「それだけじゃない。最近、クラングルの近くで近代的な――ゲームの中ではなかったはずの建物などが見つかってる。まるで別の世界と繋がってしまったみたいにね」
それは俺が殺したようなものなんだと、この画像に答えが全て載っている。
「それでリーゼル様はこういっていた。あの機械について知っている人間がいたら、自分のところに連れて来いと」
画像を手放すと、跡形もなくふっと何処かに消えた。
見上げれば、リクがそこで待っていた。
魔女リーゼルとかいう人物に忠実に従う騎士が、俺の反応を待っているのだ。
「イチ。君はこれに関わっているね?」
「……そんな」
何もいえない。
自分がここにくるべきじゃなかったんだ、という気持ちしかない。
俺は一体何をしてたんだ?
盗賊を殺しまくって、不毛の地を歩み続けて、死にもの狂いでここまできて、それで最初に分かったことが自分が大勢の人々を殺していただって?
「お……俺のせいだって、言いたいのか」
俺を待っていてくれているミコ。ミツキ。ムネ。いつもの三人の元へ帰るんだと誓っていたのに。
なんなんだよこの始末は?
もしかしたら俺のせいで三人は死んだんじゃないのか?
あのメールが届かないのも、みんな死んでしまったからじゃないのか?
ひょっとしたら俺が連れてきてしまったこれに、やられてしまったんじゃ?
「違う……俺じゃない」
「……おじさんだってさ、そう信じたいよ。でも……君はこれを知っている。これを招いた原因だ。君が呼び寄せたんだろう?」
「違うんだ。リク、信じてくれ、これは、俺が殺したわけじゃなくて」
「……とにかくこれ以上は言及しないよ。その代わりおじさんたちと一緒に、魔女リーゼル様の下へ――」
一体、俺のせいでどれほどの命が消えたなんて分かるはずもない。
俺が原因で無人兵器が流れてきて大勢の人が殺されたというのも、きっと事実だ。
でもそれを認めたら。
俺の中からこの世界に来た意味がなくなる。
自分がこの世からなくなる。つまり、死ぬのだ。
この世界での自分が死んでしまう。荒廃した世界の住人である自分しか、手元に残らなくなる。
「……違う!!」
「……落ち着いてくれよ。おじさんだって本当はこんなことしたくはない。命を救ってくれた恩人にこんなことなんていいたくもない。でも聞いてくれ、君の存在はこの世界では重要な」
「違うって言ってんだろ!! ふざけたこと言ってんじゃねえよ、クソ野郎が!!」
耐え切れなくなった。
ぶら下げていた自動小銃を思わず構えてしまった。
粗末な照準越しにリクの硬い表情が重なった。
「……撃つ?」
その後ろで、サンディが咄嗟に小銃をリクの頭に向けた。
「なっ……! や、やめなさいッ!」
サンディの横から細剣が伸びて、イングリッドが褐色の首を抑えた。
銃口の向こうでは、あの金髪のおっさんは照準器越しに俺の目をじっとみている。
つかめなかった。一体何を考えて、俺に対して何を思っているのか、全く分からない。
「……武器を下ろすんだ。おじさんは……リーゼル様は、君を責める為に探していたんじゃないんだ。分かってくれないか?」
それが怖かった。
無手のまま武器も構えずに見られているだけなのに、リクの姿は自分の何倍も大きく見えて、今にも押し潰されてしまいそうだ。
「……その顔を、やめろ」
「おじさん……!」
「……うごいたら、撃つ」
これで分かった。
俺の旅は、ずいぶんと無意味だったみたいだ。
このまま引き金を引いて目の前の奴を撃ち殺しても、俺には何のメリットもない。
「……頼む。武器を、降ろしてくれ」
今のこいつの言っていることが全て信用できない。
口を開けば魔女リーゼル、リーゼル、リーゼル。
まさかこいつが、そんな胡散臭い奴の命令で動くだけの駒だったなんて。
「…………ごめん」
……ああ、もう十分だ。
誰かに向かって謝って、自動小銃を降ろした。
サンディもつられて小銃を降ろした。褐色肌に突きつけられていた細剣も離れていく。
「サンディ。帰るぞ」
「……いい、の?」
「……いいんだよ! いいから黙ってついてこい!」
臨戦態勢から解放された相棒を連れて、二人に背を向けて出口のポータルに向かって歩いていった。
「おじさん、イチさんが……」
「……いいんだよ、行かせてあげて。あの人は……この世界で一番大変な目にあってるんだから。見逃してあげよう?」
「……はい。おじさんがそういうのなら、従います……」
少し離れたところで、二人が何かを言っているような気がした。
もうあいつらのことなんてどうでもいい。




