*42* 新鮮な肉がやってくる
「…………」
「…………」
とても静かだった。
しばらく進んで石橋の側でケッテンクラートを停めて、川のほとりで休憩も兼ねて昼食にすることに。
そして俺は料理をしていた。
料理と言っても複雑な工程が必要なものじゃない。
電池で動くタイプの携帯用ホットプレートに鍋を載せて川の水を沸騰させているだけ。
鍋が沸騰し始めてしばらくすると【綺麗な水】と表示された。
どうやらここの水はあっちと違って煮沸させるだけで飲用可能になるほど綺麗らしい。
今度は熱湯の中にチーズバーガーの缶詰やMREのメインディッシュのパックをぶち込んでいく。
缶詰はラベルが簡単に剥がれるので事前にしっかり剥がす。
本日のMREは【チキンステーキ】だ。
他には美味しいチョコケーキ風のチョコバーと、いまいちコンセプトが分からない【バターとチーズのパウンドケーキ】もついてきている。
料理が温まるまでパックに入っていた雑多なものを食べようとしたものの、このパウンドケーキは物凄く微妙だった。
俺は鍋をじっと見張りつつ中々減らないパウンドケーキを齧った。
始めはしっとり。噛めば何故かチーズ風味の塩辛さが舌一杯に広がって、続いて口の中がぱっさぱさになった。
飲み込もうとしても何故か喉に引っかかる。
下手したら窒息してしまうんじゃないかと思うぐらいに喉に詰まる。
「ぐっっ……!!」
俺は口中に残るパウンドケーキと舌で格闘しながらも、マグカップで熱湯をたっぷり掬い取って付属していたココアの粉末を全部流し込んだ。
スポークでぐるぐる混ぜると色が見る見るうちに変わって熱々のココアに化けてしまった。
甘くて濃いココアの香りが漂い始める。
一口飲んでみると……お湯の量が足りなかったのか物凄く濃い。
パウンドケーキほどじゃないけど喉に絡みつくほどだ。
甘さも香りも尋常じゃないぐらい濃いココアだ。でもこれはかなりうまい。
MREで唯一美味しかったチョコバーといい勝負だ。
結局塩辛いパウンドケーキとココアを交互に頂く事にした。
一瞬『ココアにパウンドケーキを浸せばいいんじゃないか?』と思ったものの、強烈なチーズの風味をすぐに思い出して不発に終わった。
この厄介な代物の何が微妙かというとパウンドケーキとか言う割には塩味が効きすぎている。
甘さはある。だけどチーズの塩味が押し出されていて、しっとりもそもそとした食感にそこら辺にありそうな惣菜パンのしょっぱさが混じって非常に食べ辛い。
当然、しっとりしているといってもぎゅっと圧縮された生地が口の中の水分をごっそり持っていく。
噛めば噛むほど喉が乾いて飲み込むのが辛くなる。
味は決して悪いという訳じゃないけど、食べるのが辛くなって投げ出したくなるようなものだ。
「……なんか釣れた?」
芝生の上に座り込んで甘ったるいココアを啜りながら、川のほとりでしゃがんでいるサンディに声をかけた。
相棒の足元には乱暴に開けられたパウンドケーキのパックがある。
「…………」
しかし無言。
優秀な狙撃手は昼食もすっかり忘れてあることに夢中になっていた。
釣りだった。
小銃の先端に糸と針を取り付けて魚を釣ろうと奮戦している。
確かに川の中では魚が泳いでいる姿が見える。この世界の澄んだ水だからこそ目に出来る光景だ。
そしてサンディはそれを何が何でも釣ってやろうと何を血迷ったのか。
MREのまずいパウンドケーキをエサに加工しておもむろにここで釣りを始めたのだ。
当然ながら釣果は今のところゼロ。
保存料たっぷり味もいまいちのパウンドケーキなんて食べる物好きな魚なんているわけがない。
「サンディ、俺が思うにそれじゃ釣れないような気が」
「……うる、さい」
「あ、はい……」
もう一度声をかけたら低い声で跳ね除けられた。すごく怖い。
そのまま放置していたら魚が釣れるまで延々とそこでしゃがんでいてもおかしくない勢いだ。
触らぬ神に祟りなしというやつだ。今は黙って昼食の準備に集中しよう。
といっても現状、缶詰やパックを湯煎するだけの作業だし別にする事はない。
食べ物が暖まるまでの間さくっとPDAでボーナスポイントを割り振る事にしよう。
いつもどおりにステータスを開くとスキルタブの【FO】を選択した。
配分可能なボーナスポイントは相変らず11。
これから先のことを考えて【製作】にすべて振ることにした。
理由は補給だ。困ったことに俺は近接武器や格闘の類のスキルを全く上げていない。
つまり今までの戦闘の殆どを銃や手榴弾でどうにかしていたからだ。
この世界は"あちら側"とは大違い。弾薬や燃料が手に入るとも限らない。
だけど幸いにも、PDAのクラフトアシストシステムには弾やちょっとした燃料のレシピが載っている。
より質の良いものをより効率的に作るためにもここで投資しておこう。
上がっていない戦闘系スキルなんて練習で上げればいいだけの話だ。
ステータス関連は恒例のLUCK全振り。
これでようやくLUCKが23になった。果たしてどれだけ運が良くなったのか。
【称号】を開いて前よりもずらりと並んだ様々な称号を目にすると面白い効果のものが増えていた。
『RAAAGE!』と真っ赤な文字で書かれた効果が良く分からないもの。投げナイフの飛距離と命中率が大幅に上昇する効果のもの。食べ物を食べると傷が癒えていくもの。
どんどん実用的な称号が増えている感じがする。
しかし最初に出てきた『RAAAGE!』とやらがとても気になる。
画面をタッチして選択するとその称号の説明文が血のように真っ赤な文字で浮かび始めて、
『あなたはPDAに"激おこ装置"を搭載しました! これを起動するとあなたは怒りで加速し結果的になんやかんやで滅茶苦茶強くなります! でも健康に悪いので一日一回が限度です。怒りすぎはハゲや胃潰瘍を引き起こすので多少は我慢しましょうね?』
途中で解説を諦めたような投げやりな文が表示されて『収得しますか?』と確認を求められた。
良く分からないけどここまであいまいな説明をされると逆に興味が湧くレベルだ。迷わず収得。
称号を手に入れるとステータス画面に緑色の歯車のようなアイコンが浮かび始めた。
アイコンの上には小さく『加速(acceleration)!』とパンクな吹き出しが浮かんでいて、歯車はいつでも起動可能とばかりにくるくると緩やかに回っている。
これを押したら一体どうなるんだろう?
早速試してみようかと思ったけど、作りかけの昼飯のことを思い出してPDAをしまった。
「……つれな、かった」
そろそろいい加減に鍋の中の料理が温まってきたと思った頃、川からしょんぼりとした様子のサンディが戻ってきた。
どうやら釣れなかったらしい。
川の中にやけくそで放り込まれた感じのする残りのパウンドケーキが沈んでいる。
流石の魚たちも全力で避けているようだ。
ご飯ではなく、完全に川に沈んだ障害物として扱われている。
「あれで釣れるわけ無いだろ……」
「……むー」
ようやく一言物申す事が出来たと思うと、サンディは頬をぷくっと膨らませて地面に腰を下ろした。
それだけでも大げさに揺れる褐色の胸が目に悪い。
「とりあえず飯だ。今日は……チーズバーガーと……チキンステーキ」
それから湯煎していたMREのメインディッシュを取り出した。
熱々のそれを指で掴むと【チキンステーキ(加熱済み)】と表示されている。
聞こえはいいけど最高にまずいミートパスタが入ってたMREのことだ。絶対に期待しちゃいけない。
「……わーい」
「もうちょっと元気に喜べよ」
サンディの無気力な喜びの声を横から受けながらも早速缶を開けた。
本当にバンズと肉が挟まったチーズバーガーが詰まっている。
軽くスポークを挟んでひっくり返すように取り出してみるとそのまま丸かじりするのに丁度いい暖かさだった。ただし反対側がぐっちょり濡れている。
「先に喰っていいぞ」
「……いただき、ます」
サンディに手渡すとがぶりと噛み付いた。
無表情な顔は始めて会った時から変わらず、果たして美味しいのかどうなのか分からない様子で黙々と食べ始める。
「どうだ? うまいか?」
「……おにくが、ぱさぱさ」
「まあ、そこは缶詰だし多少は許してやれよ」
「……むぐむぐ」
そういえばシェルターの中でこの缶詰を加熱もせず食べた記憶があったような。
確かその前にとてつもない不味さを誇るMREのぐちょぐちょのパスタを食べたから、冷えてぼそぼそのチーズバーガーがとても美味しく感じた。
チーズバーガーといっても野菜なんてピクルスぐらいしか入っていないしケチャップの味しか感じないようなものだ。
付け加えると暖房が壊れたままの寒いシェルターの中だ。
そんな環境で冷えたまま食べたのに関わらず『美味い』と俺は記憶している。
さっきと同じようにひっくり返して取り出してみると、いつぞやの冷えたままの状態よりずっとおいしそうなチーズバーガーが出てきた。
熱いうちに齧りつくとそこそこ柔らかいバンズに、たっぷりのケチャップと解けたチーズの味がする。
肉は硬くてパサパサだけど確かな牛肉の味がした。
ただし妙に塩が効いている。ケチャップの味と釣りあわないぐらいに塩辛い。
何度もかみ締めているとピクルスの味もしてきてちゃんとチーズバーガーとして機能していることが分かった。
……だから何? それが俺の感想だった。
「……ほんとにパサパサだな。まあ……悪くはないって感じだ」
「……わたしは、好き」
「俺も好きだな。少なくともパスタよりはうまいからな」
良くも悪くもこれはチーズバーガーだ。
でも不思議とシェルターの中で食べた時のようなインパクトの強さは感じられない。
一旦缶の中に食べかけのチーズバーガーを戻して、今度は湯煎したばかりの【チキンステーキ】のパックを取り出して開封。
手で千切るようにあけた途端、意外なことにおいしそうな香りが漂う。
まるで燻製のような、それでいてコショウの香りや肉独特の香りもする。
スポークを突っ込んで熱々のパックの中から肉を引きずり出すと大きめの肉の塊が出てきた。
ちゃんと表面に焼き目がついていて形成された感じのする肉で作られていて――鼻に近づけると猫の食べる缶詰のような匂いがする。
――ああ、なんだかもうオチが読めた。
ここまで来たら引き下がるわけにもいかないので丸ごと齧る。
香辛料が無駄に効いたスパイシーな味だ。肉はやっぱり形成肉のようで、チキンナゲットの中身を少し圧縮したような味と噛み応えがする。
というかしょっぱい。さっきのパウンドケーキといいどうしてこうも塩辛いものばかりをぶち込むんだ、ふざけるな。
しかも無駄に食べ応えがあるせいで口の中がぼそぼそする。
どうしてこんな口の水分を根こそぎ奪ってくようなものしかぶち込まないんだMREっていうのは。
「……おい、しい?」
「……肉がぼそぼそ、塩辛い。まあパスタよりはマシだ」
「……わたしも、たべたい」
気がつくとサンディはあっという間にチーズバーガーを平らげていたみたいだ。
鍋の中に残っていたチキンのパックをサンディに手渡した。
ついでに残ったお湯はココアの粉末を入れたマグカップに注いだ。
熱々の【チキンステーキ】を手渡すと、サンディはパックから半分ほど押し出したチキンをもくもくと齧り始めた。
「どうしてMREって喉が乾くものばっか入れるんだ……。ココア置いとくぞ」
「……もしゃもしゃ」
……よほど気に入ったんだろうか。がつがつと早いペースで食べている。
ケッテンクラートの車体に熱々で濃厚のココアを置くと、俺は残ったものを仕方が無くかっ込んだ。
ボソボソしすぎて味の認識が徐々に出来なくなってくる。
チーズバーガーを咀嚼するとパサパサで塩辛い肉のせいで喉が乾く。
チキンもどきに至っては旨みのない形成肉と塩辛さと乱雑な香辛料の連続攻撃が口の中を不毛の大地に変えてしまう。
これでもあのミートパスタよりも全然うまいと思うのだから余計にタチが悪い。
結局、全部胃の中に収まってしまった。
疲れた顎を癒すように残ったお湯をマグカップに注いで全部飲み干した。
それでも足りなくて川に顔でも突っ込んでしまおうかと思った。
「……まあまあ、だった」
「……ごちそうさま。あわよくばこんな食事を二度としないことを祈る」
せっかくこっちの世界に来たって言うのに始めての食事がこれだといまいち盛り上がらない。
むかつく胃を抑えながらサンディの方を見ると、俺とは反対的に満足した様子だった。
目を細めて熱いココアを啜って一息ついている。
口直しにチョコバーでも食べようかと思った。でもこれを食べたら間違いなくまた喉が乾く。
「……おなか、いっぱい」
「そりゃよかった。じゃあもうちょっと休憩だ」
「……いっしょに、ねよ?」
「見張りは交代制だろ? 寝るなら一人で寝てくれ」
「……つれ、ない」
釈然としない昼食を終えて、パックや空き缶に触れて片っ端から【分解】していく。
手にしたゴミが正常に分解されて塵になって消えていった。
【リソース入手:金属10 プラスチック15】
遅れて資源の入手も表示される。
どうやら【分解】もこっちの世界でも使えるようだ。
あとは食後の休憩ついでに水の補給もしておこう。
「サンディ、水筒貸してくれ。今のうちに補給しておこう」
「……分か、った」
鍋で綺麗な川の水を掬ってそのままホットプレートの上に乗せて加熱。
これもさっきと同じように煮沸させれば完成だ。
浄水タブレットを使わずに済むのだから非常に助かる。
確かに水に錠剤を入れて振ればすぐに完成するものの、『消毒』された水は夏場のプールさながらの味でとても喉が潤いそうにない。
――ああ、それにしても平和だ。
見上げれば至って健全な青空が続いている、何処を見てものどかな大地がそこにあるだけ。
空気も水も綺麗。見渡す限り脅威になるものなんてない。
いつぞやの声は俺に向けて『魔女』がどうだの『危機が訪れてる』だの大げさに言ってきた。
でもこうして見ると目の前には平穏な風景しかない。
「……ほんとにこの世界、危機とやらが訪れてるんだろうか」
「……ねむ」
「眠いなら寝てていいからな」
鍋に張った水が沸騰するまでのんびりと風景を楽しむことにした。
深いことは考えずに色々なものを見ていく。
空に浮かぶ島。大地に水を落とす巨大な滝。何処までも続いていく緑の大地。
そして仮眠を取り始めてしまったサンディ。
「……すやぁ」
すぐ近くで満腹になってすっかり大人しくなったサンディが芝生の上に寝転がっている。
というかぐっすり眠っている。
【ガーデン】の町を発ってからずっと休まず働いてくれたんだから仕方がない。
こうして気持ち良さそうに眠っているし起こさないようにしよう。
周囲の警戒も兼ねてケッテンクラートのタンクの上に腰かけて、双眼鏡を手に遠くを見た。
北のあたりは街道が続いているようで、PDAの地図と照らし合わせても結局そこを辿らなきゃいけない運命にあるようだ。
東では独特の形をした巨大な滝がごうごうと水を流していて、西は無数の木々に覆われている。
西の方向では成長しすぎてしまったようなクソでかい木が雲を突き破っていた。
どう見ても太さも長さもおかしい。
下手な高層ビルなんて目にならないぐらい大きいんじゃないんだろうか。
PDAのマップと照らし合わせてみると場所の名前だけは表示された。
【トレントの塔】というらしい。そんな名前の場所知らん。
南を見渡すと湖がある小さな森がぽつんとあって、そこを横切るような道が続いていた。
その道を双眼鏡越しになぞった。何故か遠くから土埃が上がっているのが分かる。
……なんだかデジャブを感じる。
その周辺を詳しく見ているといきなり視界の中に白い馬が見えてきた。しかも誰かが乗っている。
その後ろを追うように別の白い馬が誰かを乗せながらこっちに向かって走り続ける。
馬は何故か必死の形相だ。きっとひーひーいってる。
馬に乗っているのは――男と女。
先頭を走っている白い馬には銀色の髪の女性が乗っている。
白い鎧と防御力の無いスカートを組み合わせたような……いわゆる『姫騎士』とでもいうようなナンセンスな格好だ。
その後ろに続いているのは金髪の男だ。
ところどころに白い十字の模様がある軽装鎧で身を包んでいて、背中にはかなり大きな剣を背負っている。馬はかなりへばっている。
双眼鏡に映る二人の格好を目にして見覚えがあるかと尋ねられれば、逆に思い当たる節がありすぎて『無い』と答えるかもしれない。
モンスターガールズオンラインはとにかく装備品が数え切れないほど無駄に存在するからだ。
その内の一つや二つや三つぐらいきっと当て嵌まっているはずだ。
「……なんだありゃ」
さて、それじゃあどうしてその二人は必死に馬を走らせているのか。
様子を眺めていると二人目掛けて茶色い馬たちが続々と駆けてきて、そのあとを追っていく。
慌ててそっちを注視すると異様な風貌の人間たち――いや、亜人とでもいうべき何かが統制の取れた動きで白い馬に乗っている二人を追いかけていた。
薄汚れた肌はほんのりとピンク色。
怒り狂った豚のような顔。
脂肪と筋肉が織り交ざった体は手足と胸を保護する鎧以外は殆ど裸。
「……サンディ、起きろ。ちょっとトラブル発生」
「……ねむい……」
それぞれが手に血まみれの戦斧や槍を持って雄叫びを上げている。
それに呼応するように茶色の馬達は走るペースを早める。
背中に乗せた豚のような主の指示の下、馬達は獲物である白い馬との距離を徐々に縮めていく。
オークの騎兵集団だ。
十体ほどのオークたちが白い馬に乗った二人を追いかけている。
「クソッ、こっちに来てるぞ! サンディ! ピッグマンだ!」
「……なあ、に?」
「敵襲だ!」
進路を見る限りはほぼ間違いなく俺達のいる方向に突っ込んでしまう。
上等だ、ここで世界を救う第一歩を歩ませてもらおうじゃないか!
「こっちに敵が向かってきてるぞ! 迎撃準備! 起きろ起きろ!」
すぐに自動小銃を手にとって、暢気に寝ているサンディを叩き起こした。




