さよなら世紀末世界
デイビッドダム。
それは大量の水をせき止めて湖を作っていたという。
だけど今は、それが作っていたはずの湖は完全に干からびてしまっている。
このゲームの設定では確か、ダムに流すための水どころか生物が生きる為に必要な水すらも失ってただの砂漠と化しているのであった。
……本来はそんなはずだったのに。
「……前が見えないな。このまま進んでも大丈夫なんだろうか」
「……すごい、きり。なにも、見えない……」
道路から逸れた砂利道を下ること数分。
目の前には凄まじい霧が立ち込めていた。
なんといえばいいんだろうか。そこに近づくにつれてうっすら霧がかかり始めて、湖のほとりの前に立つ頃には視界が真っ白に。
それに不思議な事が起きていた。
近づけば近づくほど、川が流れるような綺麗な水音が聞こえてくる。
乾ききった湖の中を進めば一層それは強くなるし、乾いていた空気が湿気を帯びてきてもいる。
今までとは違う香りすらする。
土や砂の香りに錆や油の悪臭が混じったようなこの世界の香りじゃない。
もっと自然なものだ。雨が降ったあとのようなあの香りといえば分かるだろうか。
それは『雨のにおい』などといわれるあの懐かしさに最も近い。
その匂いを嗅いだ瞬間、俺は何故か生き返った気分になった。
確かに何度も死んで生き返った身だけど、その懐かしい雨の香りは俺自身がこの世界の主人公じゃなく、ただの人間なのだと思い出せてくれる。
PDAを確認すると確かにこの先、つまり湖の中に向かえと表示されている。
仕方がなく進む。ケッテンクラートの重さが履帯の跡を残しながら大地を這っていく。
横を見ても霧。上を見ても霧。前に至ってはわた飴でも浮遊しているんじゃないかと思うぐらいの白さがあった。
「……なあサンディ、本当にこのまま進んでいいんだろうか――」
流石に不安になったので振り返ってサンディに尋ねてみると。
「いや、流石にまずいと思ったらいつでもひきかえそふぶっ」
「……なにか、いる」
俺より先に何かを見つけていたのか、前に身を乗り出しながら前方に指を向けていた。
運とタイミングが悪かったのか大きな胸がばるんと思い切り額に当たった。
【LUCK+1】
ラッキーな出来事だったのか何故か運が上がってしまった。
折角の旅の終わりの雰囲気が台無しだ。
「なにかって? 敵か?」
「……わから、ない……あれ」
ともあれ目ざといサンディがしっかり探してくれたようだ。
胸から顔を離して指のむけられた方向を見ると白い霧の中でぼんやりと、まるで鬼火のような青い光が静かに灯っていた。
念のため、弾の切れた自動小銃に新しい弾倉を装填しようと手を伸ばす。
が、後ろに乗せたお客様にひょいと奪われる。
「……りろーど」
まず運転席に空の弾倉が転がってきた。
後ろからがちゃがちゃと小気味のいい装填音が聞こえて――銃がハンドル左の近くへ戻ってきた。
しっかりボルトも引かれていつでも撃てるといった様子だ。
「……親切にどうも」
「……わたしの、おしごと」
きっと後ろでは胸を張っているに違いない調子の声を聞きながら、目の前にぼんやりと浮かぶ炎に向かって走っていく。
最初は小さく見えた炎が徐々に大きくなる。
やがてそれが何なのか理解できるぐらいまで接近すると、そこから先は霧が途端に薄くなっていた。
その先にあったのは。
最初に見えたのが人の死体だった。
それが人のものだと気付くのにだいぶ認識が遅れてしまった。
薄い霧の中をじっくりと見やれば、十名以上はありそうな人間の死体が地面の上に転がっているのだ。
スピードを緩めて接近すると……その死体は攻撃的に改造されたシェルターの住人用のジャンプスーツを着ていた。
多分、盗賊たちがデイビッド・ダムの住人のジャンプスーツを奪ったんだろう。
つまりそこに転がっているのはシェルター住人じゃなく、全て盗賊だという事だ。
ただし武器は一つも転がっておらず、どれもこれもが水分を根こそぎ吸い取られたような干からびた姿をしている。
まるで人間の干物だ。
俺は食人の趣味なんてないけど、適当に一体見繕って遠火で炙ればミュータントや魔物にとって美味しいご飯になるに違いない。
「……ひもの」
なるべく死体を踏まないようにすると、後ろからぼそりとサンディが恐ろしい言葉を漏らした。
どうやら俺と同じ考えをしていたようだ。
「丁度いいな。俺も同じ事を考えてた」
「……食べるの?」
「誰が食べるか」
しかしこの世界が基本的に乾いた環境とはいえ、こんなにも綺麗に干からびるものなんだろうか?
不規則に並んだ死体の横を通り過ぎると青い炎の正体が目の前にあった。
ランプだ。
青い炎を静かに灯すランプが――ほぼ無傷のまま残されている車のルーフパネルに乗せられている。
車の見てくれはガラスが全て取っ払われて、トランクの変わりに他の車から引っ張ってきた座席と適当な機銃を取り付けて銃座のようになっている。
物騒なその車は盗賊のものだったに違いない。
けれども今ではその車の所有権はすぐそばに転がっている盗賊たちじゃなかったみたいだ。
そんな車の隣で人影が一つ。
青い光の近くで誰かが車に寄りかかってこっちをじっと見つめていた。
「……おい! こっちだ!」
「……誰だ!?」
呼ぶ声がして、そこに誰かがいると分かった瞬間、サンディの小銃の銃身が俺の頭上を通っていく。
それに続くようにヒップホルスターから回転式拳銃を引き抜こうとした。
「よう、兄弟! そんな物騒なものは降ろしてこっちに来てくれないか!」
ところが向こうからフレンドリーな声が聞こえてきた。
何を言っているかも理解できるし、それも聞いているのが気持ちいいぐらい滑らかな発音だ。
声の発生源は車に寄りかかっていた何かだったみたいだ。
俺達に向けてやたらと細い両手をしきりに振って手招いている。
この世界じゃ『引っかかったな死ね!』とばかりに襲われるパターンである。
サンディの方へ振り返って何か意見を求めようとしたものの、そっと銃を降ろしたので仕方がなく進むと。
「よし、よし、話が分かる兄弟たちだ。待ちくたびれたぜ。でもちゃんと骨身を惜しまず見張って、待ってやった。偉いだろう?」
「……え?」
そして前に進んで言葉を失った。ついでに戦意も何処かへいった。
持ち主を失った車にべったりとくっついていたのは人の言葉を理解して、人の言葉を放せて、意思疎通が出来るような様子のそれだった。
そいつは肉付きのない……というか肉が一欠けらもついていない手を両手に広げて、俺達の来訪をひどく喜んでいる。
「ちゃーんとこの俺が待ってやった。そして今日になってやっと来てくれた。随分待たせてくれたじゃないか? ええ? そんなに骨の折れる旅だったのかい?」
そいつは骨だった。
正しい表現で言うならば意志を持った人骨。
スケルトンだ。ただし暗闇に溶け込んでしまいそうなほど青黒いローブで身を包んでいて、眼窩には青色の瞳が浮かんでいる。
絶対にFallenOutlawの世界の住人じゃないのは確かだ。
こんな骨だけの人間がいたらもはやファンタジーである。
つまりこいつはモンスターガールズオンラインの魔物に違いない。
「……どちら様?」
「どちら様、だなんて酷い言い方じゃないか? そりゃ愉快だ。この俺を忘れるなんて酷すぎて逆に愉快だ、不愉快だけど愉快だ。本当に覚えてないのかい?」
「少なくともこんなガリガリに痩せた不健康な友人なんて持った覚えはない」
皮も肉もそぎ落とされてもはや骨しかない友達なんていない。
思い出せといわれても無茶な話だと首を横に振ると、
「なんてこった、本当に俺が分からないのかい? なんて奴なんだ。ああ、こうしてずっと待ってやったのに、骨剣を落とさない腹いせに何度も俺を倒していったのに、俺の事を忘れるなんて失望しちまった。お前のファンをやめようかな」
面倒臭いほど大げさなアドリブを込めて俺に何か訴え始めた。
見た目以上に饒舌で、しかも良く頭の中に入り込んでいく類の聞き取りやすい喋り方の声だ。
そんな声に覚えもないしそもそもこんなモンスターガールズオンラインに出てくるような――
「……骨剣?」
変な骨人間の横を通り過ぎようとすると、不意にそいつの発した言葉の中にあった単語に何かが蘇る。
スケルトンが落とす貴重なアイテムだ。今こいつはその名前を言った。
「おう、そうだ。お前らが死ぬほど欲しがってたアレのことだぜ」
そうだ。地下遺跡ダンジョンで唯一のレアアイテムのことだ。
一時期、それを手に入れて大もうけしようと企んでミコと一緒に3時間ぐらいダンジョンに篭るのが日課になったことがあった。
懐かしい。確か幾ら狩っても出てこなくて、腹いせにそのダンジョンの奥で待ち構えているボスを倒したものだ。
そいつの名前は【マスターリッチ】とかいうボスだ。
青黒いローブを着て巨大な鎌をもってプレイヤーの体力を吸収して回復しつつ、巨大な鎌で攻撃と防御を一度にこなす厄介な奴だった。
その癖ドロップはおいしくない。
だけど慣れてしまえば吸収すらさせずに一方的に――
「いいやファンをやめるのはまだ早いか。兄弟、これで何か思い出せないか?」
そのスケルトンがかたかた笑うと、車の裏から何かを持ち上げてきた。
巨大な鎌だ。農業に使う鎌をそのまま武器にしたようなデザインで、刃もしっかり研がれている。
そうだ。丁度そのマスターリッチとか言うボスもそんな武器を持っていたような……。
まさか。
「……マスターリッチ?」
まさかと思って心細い声でそう尋ねてみると、ただの白骨死体から一変して死神になってしまったそいつが嬉しそうに得物を持ち上げる。
「ハ、ハ、ハ、ハ! 正解! 俺の事を忘れてしまったのかと思ったよ、112(イチイチニ)。でもお前ならきっとここまで辿り着けると思ってたぜ」
どういうことなんだろうか、これは。
途切れが混じった独特の笑いを上げたそいつは、あのゲームにでてくるボスキャラだってことだ。
そいつがまるで人間のように意志をもってこうして俺を話している。
少なくとも俺に散々やられた恨みはないようだけど、カタカタ笑っていて本当に楽しそうだ。
「俺の名前を知ってるって事は……」
「そうさ。率直に言っちまおうか。向こうの世界でプレイヤーとヒロインたちが閉じ込められて、大変な事になってる。本当さ、嘘なんてついてない。証拠にお前にやられた回数や、お前とピンクの髪の相棒が俺に向かって言った台詞を全部言ってやろうか? 例えば「おいミコ!この骨のボス1Gも持ってねーぞ!シケてやがる!」とかな」
「あー……すごく複雑な状況らしいな。それから、ええと、その発言は別に悪意を持って言った訳じゃ……」
「ハ、ハ、ハ! お前のきつい一言は骨身にしみたけど気にしちゃいないさ。その代わり我が呪いを発動し貴様には二度と骨剣を拾えない呪いをかけてやったのだ! ……冗談さ」
「……悪い夢でも見てるみたいだ」
「良い夢だろ、兄弟? こうしてお前と平和的に話し合える時がやって来たんだからな」
間違いなくモンスターズガールズオンラインのボスキャラだ。
しかもちゃんと俺の言った台詞を覚えているのだからタチが悪い。
でも不思議な気分だ。ダンジョンの奥で待ち構えているただのボスキャラとこうして世紀末的な世界で話せるなんて。
しかし一体どうしてこんなにフランクな人格になっているんだろうか。
それにこいつに兄弟といわれるほど仲を深めた覚えはない。
「えーと……マスターリッチ。今向こうはどうなってるんだ?」
「そりゃもう大変さ。プレイヤーとヒロインたちが魔物に怯えながら暮らしている。人間同士で争う事もあれば、時折やって来る魔物の襲撃で滅茶苦茶にされて疲弊してるんだぜ? それからマスター・リッチじゃ堅苦しい。りっちゃんとでも呼ぶのはどうだ?」
「お前もモンスターだろ」
「いいや、俺は特別さ。ここにくるまでお前が良く見た奴らを見なかったか? あいつらは何故だか分からないけどこの世界に迷い込んだらしい。まあお前と同じだろうよ。だが俺は違う。まあ……ちょっとした企業秘密があるんだが、実は俺もヒロインみたいなもんなのさ。だからあいつらと違って気まぐれにお前を襲う事はないから安心してくれないか、兄弟?」
そう訳の分からないことをいってマスターリッチは骨だけの白い親指でダムの方を指した。
どうやらかなりややこしいことになってるらしい。
なら、このマスターリッチも俺みたいにこの世界にたまたま迷い込んでしまったんだろうか?
「なんでお前だけなんだ?」
「気がついたら突然『112(イチイチニ)という人間が来るまでここを守れ』って誰かに命じられてこのままだ、こんな風になっちまったのは特別に俺だけ、一緒に迷い込んだ他の奴らは今日も元気に本能のまま生きてやがる。そしたら野蛮人が定期的に変な武器に変な乗り物持って来るもんだから、来るたびに魂を吸い取って飯には困らず快適な暮らしを過ごせているときた。それにこんな面白いものも手に入れた」
骨だけの手がまた忙しく車の裏をごそごそと漁ると、新品同様の綺麗な小型ラジオを取り出した。
真っ白な指が手慣れた動きでラジオを起動させて、ゆったりとしたクラシックがあたりに流れ始める。
「いいだろう? ちょっと捕まえた奴から貰って使い方もマスターした。ほら、そこで南に向かって転んだまま骨と皮だけになってるやつだ。親切にもこのラジオとかいう道具の使い方を教えてくれたんだがスコップでぶん殴られた、酷い話だ。しっかりお返しはしておいたけどな」
なんやかんやで結構この世界を満喫しているようだ。
話を聞くにはこの世界と向こうの世界が繋がっている……そういうことになるのかもしれない。
そしてここから先は向こうの世界へいける道があるということか。
「それで……この先へ進めばようやく辿り着くのか?」
「ああそうさ。兄弟、お前だけに設けられたゴールだ。お前が去ったあとはどうなるかわからない、もしかしたら二度とこの世界に戻ってこれないかもしれない、だがさっさと通ってくれれば俺は自由に羽ばたくさ。ここで俺だけの人生……いや骨だから骨生か? ああもうとにかく先へいきな、お前の本当に行くべき場所がこの先にある」
えらく口数の多い骨のモンスターは遠くを指差す。
俺達がこのまま真っ直ぐ進んだ先にある、霧が薄まっていく新たな道だ。
良く目を凝らすと小さな川があった。その上に小さな石橋が真っ直ぐと向こうに続いている。
「分かった。それじゃあ……」
「おっと、そんな何処の馬の骨か分からない奴を連れていくのか?」
言われたとおりに先へと続く道へ進もうとすると呼び止められた。
頭蓋骨の中にある瞳がじっと俺の後ろへ向けられている。
それはさっきまでは蒼かったのに、今は警告するような黄色だった。
その先にはサンディがいた。
マスクで顔を殆ど隠して表情は殆どシャットダウンされているものの、骸骨の言葉に不愉快そうな雰囲気だ。
「……わたし?」
サンディがこっちを見た。
今度は今にでも『おいてくの?』とでも口走りそうな様子。
どうやら俺は少しの旅の間で、無口無表情な彼女の言いたいことを理解できるスキルを得たようだ。
「まあそうだな。こいつは俺の相棒だ」
「おいおいおいおい浮気かい? あんたの相棒が向こうの世界で待ってるっていうのにそいつはいけないな兄弟。まさかあれか? そのデカ乳なねーちゃんに骨抜きにされちまったのか? そんな骨が全然見えないぶよぶよな体なのにか? 女性なら骨が見えるくらいガリガリな子が一番だろ? なんて悪趣味なんだ」
「……ぶよ、ぶよ」
へらへら笑うお喋りなマスターリッチにサンディのスコープ付き小銃が頭上を通り越していった。
真上を見ると褐色の下乳の谷間が見えて視界が塞がれる。
ヘッドショットを決める前に、銃身に手をやって大人しく引くように頭上から銃をどかした。
「サンディ、よせ。骨に肉の魅力は分からないだけだ」
「……むー」
「ハ、ハ、ハ! 価値観の違いってやつだ。これくらい許してくれよ」
その一瞬、眉をひそめてあからさまに苛立っているサンディの顔が見えた。
釈然としないまま小銃を抱えている。
多分『ぶよぶよ』と言われるのがお気に召さなかったんだろう。
「まあ止めはしないさ、俺はお前がここを出るまで野蛮人をここから先に通すなといわれてるだけだ。また会おう、112(イチイチニ)。またいつか戦おうぜ」
「ああ、またな。お疲れさん」
「お前もな、兄弟! こんな変な世界だが、お前ならきっとどんな苦難があっても必ずここまで辿り着くと信じてたぞ。普段ならお前達の敵役だった俺が言うのもなんだが……どうか向こうの世界を助けてやってくれ。俺の故郷を救ってやって欲しいんだ」
「任せろ。その為にここまできたんだからな」
「ハ、ハ、ハ、ハ! 俺は知ってたよ、お前は中々"骨"のある奴だってね」
「……骨だけにってか?」
「そうさ、マスターリッチのジョークは面白いだろ?」
俺は右のハンドルでスロットルを操作して、別れの挨拶とばかりにウィンクするマスターリッチの佇む場所を後にした。
最後に見た饒舌なマスターリッチの姿は、サイドミラーの中で小さくなりながらも手を振っていた。
薄い霧の中を進んだ先は川があった。
その上に辛うじてケッテンクラートが通れそうな幅の石橋がずっと奥まで続いているだけ。
これじゃまるで三途の川だ。頼りない橋にいきなり現れた川になんだか不安になってきた。
かといって立ち止まっていちゃ先へは進めない。
観念して慎重に橋へ入るとすっぽり車体が納まった。
あとはそのまま走りきるだけだ。
「……ほねが、しゃべってた」
「よくある」
「……ふーん」
後ろからそんな声がする。
声の質のせいでさほど驚いていないようにも聞こえるけど、言われてみればこの世界の住人からすれば骨が人間の言葉を発するなんてただの異常事態である。
だけどそんなことはやがてどうでもよくなったのか。
ただまっすぐ続く道、モンスターガールズオンラインの世界へと続く道のりを見ていると急に肩に何かが乗ってきた。
ハンドルをしっかり固定したまま思わず振り向くと、首筋につるっとした髪が触れてくすぐったい。
まさかと横目で左を見れば、続いて背中に柔らかいものが押し当てられる。
そして視界の中にサンディの顔が一杯に映る。
どうやら人の肩に勝手に顎を乗せてきたみたいだ。それも後ろから抱きついたままで。
「……いきなり抱きつくなよ」
「……これから、どこへいくの?」
「待ちに待ったゴール地点さ。これからもっと忙しくなるぞ」
「……じゃあ、おともする。後ろは、まかせて?」
「ありがとう。とりあえず向こうについたらミコを探さないとな。それに向こうがどうなってるのかも調べないと……」
少しずつ周囲の風景が変わってきている。
これから向こうで何をするべきなのか考えているうちに、向こう岸の輪郭が見えてきた。
サイドミラーの中ではもう何も映っていない。
あの陽気なマスターリッチの姿も、枯れ果てた湖も、帰り道を塞ぐような濃い煙が隠している。
橋の向こうにあるのは森だった。
俺が今までいた世界では絶対にありえなかった緑色の世界が、これまでの旅路を否定するかのように存在している。
もう少しで俺は新しい世界へ突入する。
戦いがあるかもしれない、大きなトラブルの山が待ち受けているかもしれない。
だけど待っているんだ。その先で助けを求めている世界が、そしてミコたちが俺を待っている。
「イチ」
少しずつスピードを速めているとそっと耳元でサンディの声がした。
改造で抑え込まれたエンジン音に重なって、相変らずめりはりのない声が耳をくすぐる。
「ん?」
「これからも、よろしく」
「こっちこそよろしくな。さあサンディ、今日から忙しくなるぞ」
そういったきり、サンディは肩に乗せた顎をどけて所定の位置に戻った。
そしてケッテンクラートは無事に橋を渡り終えた。
草の生えた地面にずっしりと車体がめり込む感触が尻から伝わる。
何気なく後ろを振り返ってみればそこにはあの石の橋も、濃い霧もない。
――小さな湖があった。
見上げると青い空が見えた。
冷たい空気は乾燥した大地と比べてずっと澄んでいて、一呼吸しただけで肺の中がきりりと冷たい味で満たされる。
それは旅の疲れなんて忘れてしまうほどにとても新鮮な空気で、軍用糧食に入っているスパゲティよりもずっとおいしく感じた。
「……きが、ある」
「木が一杯だな。それになんていうか……空気がおいしい」
周りは木で覆われ、草が生い茂り、人が通ったであろう痕跡でもある道が森の外へと続いている。
ここはいわゆる俺達の新しい始まりの地であるわけか。
早速、新たに一歩進んだ。
正しくは自分の足じゃなくケッテンクラートの履帯だけど、とにかく前へと進んだ。
【XP+4000】
記念すべき第一歩と思いきや、空気を読まずに経験値表示がされた。
すかさずメタルな調子のBGMが盛大に流れた。これでまたレベルが上がった。
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