*20* ばいーんなのに
*二十三日目*
ホコリ臭いベッドの中でふと目が覚めた俺は、顔が隠れるほど被っていた茶色い毛布を持ち上げた。
あたりを見回すとただただ殺風景で、ホコリの塊が目に付くような狭い部屋の光景が目に映る。
何かあるかと見渡しても、自分が使っている粗末なベッドと荷物を置いた机ぐらいしか見受けられない。
そんな部屋でも凍えるように寒い野外で寝るよりは全然マシだ。
部屋は暑くも寒くもなかった。けれども硬いベッドと柔らかい毛布に挟まれて程よく暖まっていたお陰で、ようやくそれらしい休息をとった気がする。
あれから何が起きたか思い出す。
……確か褐色肌の女の子とサーチに戻って、町の中に入ると爆音を聞きつけた住民たちと遭遇した。
何があったかは手短に説明した。
盗賊を倒した、町の郊外にそいつらの死体がある、連れ去られた奴も無事に取り戻してきたと。
連れられていた褐色肌娘も突き出したところで町のお偉いさんがやって来て――ひとまず宿に泊まるように言われた。
聞けば、俺はゾンビのごとく顔に生気がなくてかなり疲れた様子だったらしい。
最後に覚えているのは宿の親父さんがお礼を言ってくれたことと、冷たい水の入ったコップを一杯受け取って飲み干したことだ。
それからは汚い個室で荷物をばら撒いて泥のように眠った。
今こうして起きたものの、まだ寝足りないし全身に疲れが中途半端に残っている。
いっそこのまま二度寝すれば気持ちいいに違いない。
でも俺にはやるべきこともあるし、起きれるなら起きて昨日の状況を整理しないといけない。
枕元においたPDAを探そうと右腕を伸ばすと、脇腹のあたりにぐにゅりと柔らかいものが当たった。
下着のまま寝ているせいか素肌にそれが当たって感触が良く分かった。
つるつるすべすべで、形容しがたい柔らかさと弾力とボリュームがある。
脇のあたりから足先にかけても似たような感触がぴったりくっ付いている。
というより身体の右側が妙に熱くて重い。毛布の中に変に熱が篭って暑苦しい。
そりゃ寝起きが良くないわけだ。
枕元を手で探ってPDAを探すと脇腹のあたりで何かがぶるんと揺れた。
あった。
『OPEN』を押してメニュー画面を開くと時計が朝の10時を迎えていた。現実世界だったら仕事に遅刻している時間だ。
ひとまず顎のあたりに手を置いて思い切り"捻る"と、首の中がばきぼきと爆ぜて小気味良い音がする。
反対側も同じように捻った。首の芯がごりごり音を立てて、中にある詰まりが取れた気がした。気持ちがいい。
上半身を起こして両腕を伸ばす。
組んだ両手を左へ右へ、真上にぐーっと伸ばして筋肉を解した。
かちかちに固まった筋が伸ばされて疲れが少しがまともになった。
さて起きよう。
目が程よく覚めた。そして腹が減った。眠気より食い気とは良くいったものだ。
窓を覆っていた黄ばんだカーテンを引くと、眩しくて温かい太陽の光が入り込んできた。
身体が温まって気持ちがいい。
太陽に照らされた寂れた町の様子と遠くの荒野の風景が一緒になって見える。すっかり見慣れた光景だ。
ここでの用が済んだら俺はまた、ベッドのないあの荒野を歩かなきゃいけないのだから憂鬱だ。
そうして名残惜しくもベッドから逃げ出そうとすると。
「むぎゅ」
膝にやわらかいものがまた当たった。
しかも今度は毛布の中から可愛らしい声が響いた。
一体なんなんだろうか。裸の膝でぐりぐりと毛布の中のものを探るとやっぱりすべすべむにむにして柔らかい。
……すると毛布がもぞもぞ音を立てて蠢いていた。
というか、毛布が独りでに捲りあがった。
「……おはよ」
「……は?」
最初に見えたのは――でかい。白い包帯でゆるく隠された二つのサッカーボールだった。
一体なんでこうなったのかはさておいて、寝ぼけた褐色肌の女の子が目をごしごし擦りながら小さな欠伸をしている。
毛布を被るように起き上がったそいつは、きめの細かい砂のように柔らかそうな黒い長髪から、ずるりと毛布を背中へすべり落としていった。
褐色の健康的な色合いの肌が見えて、程よく引き締まったパーツが良く見えた。白い下着と包帯ぐらいしか身に着けてない。
俺は冷静に驚いた。
いきなり出てくるものだから驚いた。理解が追いつかない。
一体どうして昨日助けた奴が人の部屋に勝手に入って人のベッドに勝手に入り込んでいるのかという点から問い詰めないといけないようだ。
「……おはよ……?」
そんな彼女に目が釘付け(特に胸)になってどうしたものかと戸惑っていると、挨拶を求めるように相手は同じ言葉を疑問の形で投げてきた。
「おっ……はよう?」
とりあえず返した。
しかしどうにもならずに、今にも眠りについてしまいそうな小さな瞳がぼーっと俺を見ている。
「……お前何してんの? なんでここにいんの?」
「……寝て、た」
「いつの間にいたんだよ……」
念のために尋ねると、『うー……』という毒の抜けたゾンビみたいなうなり声を返される。
壁に向かって後ずさるとその分相手も近づいてきた。
10代後半に見えるかどうかの可愛らしい顔つきが、褐色の体と一緒に迫ってくる。
じっとりと据わった瞳が人形のような無気力さを演出しているようだった。
そのせいで今にも力尽きそうなゾンビか何かが弱弱しく這ってくるようにも思えた。
しかし彼女はなんというか……そう、でかすぎた。
豊満"すぎる"んじゃないかと思うぐらい大きな胸を包帯でとりあえずぐるっと巻いて、それでもなお分かるはみ出た褐色の谷間と、下から溢れる肉を見せつけながら迫ってくるのだ。
しかも下は下着が一枚のみという有様だ。
もしも町の外の世紀末な世界に放り込まれてしまえば、文明を捨てた野蛮な盗賊どもに目をつけられてあっという間に捕まって乱暴されるのは間違いない。
「……あり、がと……、うん」
人様のベッドの上でぺたりと座り込んでいたそいつはただ一言だけそう言った。
特に顔つきも変えずに眠そうな表情で。
「ああー……そりゃどうも」
「……たすけてくれた、うれしい。……あり、がと」
健康的な肌色の身体に可愛い顔となれば、それはもう男して何か感じるものがあるかもしれない。
彼女は二度目のお礼を言うとそれっきり黙りこんでしまった。
眠そうな顔でただひたすらじっと俺を見るだけで、狙撃手のように強い圧力を感じる視線を送り続けてくる。
それだけならまだしも。
「……ぎゅって、したい……おい、で?」
「………何がしたい」
「……おれい?」
「言葉だけで十分だよ」
その子は寝ぼけたような目をうつろに向けてきて、両手を伸ばしてこっちを手招きしてきた。
……しかも圧倒的にでかいものを押し出して強調するように。
少しでも応じればその中に取り込んでしまいそうな構えだ。
可愛い女の子が嫌いな男なんていない。
こんなに身体つきの良い女の子に誘われて断る奴なんてホモじゃない限り存在しないと思うさ。
ああそうだとも。
でもこれは例外だ。生気のない声とまどろみに落ちかけた顔がなんとも不気味だからだ。
「……かまって?」
「……そういう気分じゃないんだ」
「……ばいーん、なのに……」
「…………はあ」
確かに魅力的。でも何故だろう、関わりたくないという気持ちで一杯だ。
というかばいーんってなんだ。
手で払って起き上がろうとするとむすーっと頬を膨らませた。
未だに構ってくれると信じているのか突き出された両手と胸はまだ降りない。
「ああはいどういたしましてでも勝手に人のベッドに入るのは良くないと思うよ俺は!?」
「……むう」
気味が悪いのでさっさと着替えてしまおうとベッドから飛び出すと、頬を膨らませながらじーっと此方を見続けてくる。
黒いジャンプスーツを開いて着る姿も、ポケットにPDAを入れて荷物を確認するところも、逃さないとばかりに見てくるのだ。
まさかこいつは泥棒で、俺の荷物を盗みにきたとか――そんな考えすら巡って慌てて荷物を点検しようとすると。
「おうい! 旅人さん、起きてるか! メシができたぞ!」
ごんごんとぶっきらぼうに部屋の扉がノックされた。扉の上から溜まったホコリがぼさっと落ちてくる。
この声は宿の親父さんだ。盗賊に家族を殺されて意気消沈していたはずなのに、嘘みたいに元気で張りのある声だ。
「起きてるよ。さっき起きたところだ」
「おう! 今日はスペシャルメニューだ! あんたのために腕によりをかけて作ったんだ、冷める前に食っちまってくれや!」
「今いく、ちょっと待っててくれ!」
盗賊を殺したことを聞いたおかげなのか扉越しの声にはまだ希望が残っていた。
ひとまずは暖かい食事だ――後ろでベッドからぼーっとこちらを見ている褐色肌の女の子を無視して扉を開ける。
そういえば俺はこの世界に来る前に色々な人間にこんなことを言われた事がある。
『色気より食い気』な男だと。
□
サーチの町にある宿は綺麗とはいえないし決して快適とはいえなかった。
まずホコリがこびりついて空気がカビ臭い。
更に部屋だって汚い上に二つしかない。
それでも安全な寝床と最低限の眠りを保障してくれる場所は、この世界じゃ貴重なものだ。
そこは元々、小さな酒場をやっていたらしい。
といってもその元々というのは謎の病原菌が広まり核戦争が始まる前の世界のことで、今じゃカウンターに置く酒もなくかろうじて原型を保っているだけである。
階段を下りた先にあるこじんまりとした空間では香辛料や肉をまとめて煮込んだなんともいえない香りが漂っていた。
カウンターの裏では空っぽの空き瓶が横一列に並べられて、ヒゲをたくわえた筋肉質な男がタバコを吸いながら鍋を複雑にかき混ぜている。
「どうだい?」
そんな場所で適当な席について料理を喰らっていた俺に、宿の親父さんは気さくに尋ねてきた。
深めの皿になみなみと盛られたシチューはすごく美味い。それしかいいようがなかった。
シカ肉と豆のシチューだそうで、スプーンで解れるほど柔らかくなったシカの様々な部位の肉がひよこ豆と一緒に濃いブラウンの中で煮込まれたものだ。
そのシチューの中では、しっかり茹でられたあと、形が残る程度に軽く潰した大きなじゃがいもが丸々一つ浸かっていた。
本当に美味い。
甘味と酸味が少し利いていて、胃が喜んでいる気がする。
「ああ、うまい。久々においしいものを食べた気がする」
色々と褒めちぎってやりたいぐらいだったけど、冷静にそういってジャガイモとシチューを口にした。
それだけ美味いということだ。それ以上に考える余地がない。
「ははっ! そうかい! おかわりは沢山あるぞ、どんどん食ってくれ」
相手からすればその言葉がえらくお気に召したようだ。
カウンターの向こうで笑った宿の親父さんに思わず笑い返しながら、皿の中で豆を潰してもくもくと口に運んだ。
これは今まで食べたものの中で一番うまいものかもしれない。
この世界に来る前にいた現実世界も含めて、これほど美味しいものがあったとは思わなかった。
まあ、それはさておいて…。
柔らかい鹿肉の塊を口に放り込みながら、俺は丸いテーブルの向こう側にいる相手を見た。
「……むしゃむしゃ」
相変らず眠そうな褐色肌の女の子が、下着と胸に包帯という姿のまま鹿肉のシチューを食べていた。
さっきからずっとこっちを見ているし、おいしそうなのかまずそうなのか判別しにくい様子で食べ続けている。
部屋を出たらぽてぽてと後ろをついてきて、気がついたら一緒に食べるはめになっていたのだ。
「おかわりくれないか? あと……ところでこの女の子は」
特に宿の親父さんも気にしていないので、おかわりを頼むついでに思い切って彼女について聞いてみることにした。
皿を差し出すとさっきより多めの鹿肉のシチューが注がれて返って来て。
「ああ……。その子はこの町に昔からいる……なんというか、あたまが足りない奴だ」
「あたま、ね」
ちょっとだけ困った様子で答えてくれた。
随分と酷い言い方だけど、別に褐色の彼女を嫌悪しているとかそういったわけじゃなさそうだ。
「親父さんの家族じゃないのか?」
「いいや、このサーチに人が集まって町が出来てから、いつの間にかいたんだ。勝手にうちに住み着いてるんだが特に害もないし、猫みたいに自由気ままに動くから町の住人に良く可愛がられてるよ」
「ふーん」
要するに不思議ちゃんというやつらしい。
言われてみれば確かに猫のような気まぐれさがあるから何となく理解できる。
ごろんとした肉の塊をスプーンで突いていると、親父さんがやってきてテーブルに二人分のコップをおいた。
透明な水だ。綺麗な水が注がれていた。飲めるほど綺麗な水が貴重なこの世界なのにだ。
「これ……いいのか?」
思わず聞き返してしまった。
正面では褐色肌の女の子がおいしそうにこくこくと水を飲み干し始めてる。
「ああ、いいんだよ。実はこの町は……水の出る水脈が見つかってな。毒の入っていない綺麗な水だ」
親父さんはそういって自分の分のコップを煽った。
つられて俺も水を一気に飲み干す。
ちゃんとした水の味で、あのプールの水みたいな薬臭さなんて何処にも無かった。
それから遅れて驚いた、まさか汚れていない水を確保できる町があるなんて思わなかったからだ。
「……綺麗な水が? 信じられないな」
「ああ、見つかったのはつい最近さ。だからこの町はチャンスがある。水のおかげで農業も少しずつ固まってきているし、水そのものがトレーダーとの取引の材料にもなる。だが……盗賊がきてまた振り出しに戻っちまった」
宿の親父さんは語ってくれた。
段々と言葉の調子が下がってきて、さっきまでの豪快さが解けていた。
このシチューも水の恩恵を受けて出来てるってことらしい。
肉の塊と豆を良くかんで、残った水を飲み干した。
窓から外を見るとまだ無事な人々が細々と作物を育てている姿が見えた。
確認できる人間は女か子供か、それか男性の老人ぐらいだ。
「盗賊は何をしたんだ?」
「あいつらはまず目ざとく水に目をつけた。来るたびに水をたっぷり持っていかれたが問題はなかったさ、地下から沢山湧き出る水だ。だが……」
「……ああ、そういうことか」
宿の親父さんは拳を握って静かに震えていた。言いたい事は分かっていた。
正面では褐色肌の子がシチューを食べ終えていて、目を細めて満足している。
「それだけじゃ空き足らず食料も要求した。次は燃料、次は武器、残りは人だ。我慢できずに抵抗した奴が何人もいてやられちまった。俺の妻も、子供もだ」
俺はそれ以上何も言えなかった。
まだ胃にもう一皿分ぐらい詰め込む余裕があると思ったのに、話を聞いているうちに腹が満たされた。
あの盗賊たちは残虐さが美徳だと思っているようなものだ。
特にスキンヘッドの奴そのものが人食いに略奪を好むのだから、その影響下にある下っ端たちも当然感化される。
そんな奴等がリーダーを失ってしまえば勝手に崩壊する……わけがない。
むしろ無秩序が常識となってる今の世界じゃ指導者を失っても、イナゴのように他人を食い荒らすかえってタチの悪い集まりを生み出すだけなのかもしれない。
そしてそれを作ってしまったのは――言うまでもなくこの俺だ。
「妻はハンターでな。よくこの荒んだ外の世界から動物を狩って来てくれたのさ。時には無法者だって狩るときもあった」
宿の親父さんが壁を見て、悲しそうな顔を浮かべた。
声が少し泣きそうだった。
目で追ってみると壁には水平二連型の散弾銃が飾られていた。
銃身もストックも切り詰められていなくて、それだけは埃を被っていない。
ちょっと横に視線をずらせば立派な鹿のはく製もある。綺麗な状態で狩りの成果がそこに飾られている。
「……娘は10歳でそんな妻を尊敬してた。そこの褐色肌の奴と仲が良くて……ああ、そうだとも、俺の家族と仲良しだったんだ。そいつは血の繋がっていない俺の家族だ」
「……そうだったのか」
「娘が連れて行かれそうになったとき、妻は散弾銃で盗賊の一人の頭をぶち抜いた。結果は……分かるだろ?」
親父さんは悔しそうに言った。
それからしゃがみ込んで、カウンターの裏をごそごそとあさり始めた。
きっと裏では泣いているんじゃないかと思ってしまう。
なんともいえない気分だった。
もし俺が盗賊のボスを殺していなければ、この美味い鹿肉のシチューを作った人間は別の人生を歩んでいたんだと思う。
その時は別の形でこのシチューを食べていたんだろう。
ここに宿の親父さんの奥さんがいて、娘さんもいて、この褐色肌の女の子と一緒にこの鹿肉を噛みしめていたのかもしれない。
「……ごちそう、さま」
隣で満足した褐色肌が目を細めたままスプーンを置いた。
そいつは顔を此方じゃなくカウンターに向けて、静かに感謝の気持ちを伝えている。
カウンターの向こうにいる人間が家族を二人失った原因は、間接的とはいえ俺にある。
ほんの一瞬、親父さんに謝ろうかと思った。だけど浮かんだ言葉は、
「……気の毒だったな、同情する」
「ああ……。」
それ以上の言葉を思いつくことも、喋る事も出来ない。
親父さんは黙ってカウンターから起き上がった。目が潤んでいてやっぱり泣きそうだった。
その手には紙製の箱が握られている。
ここにきてからすっかり見慣れた口径十二ゲージの散弾銃の弾が詰められていた。
「でもよ、アンタが仇をうってくれた。たった一人であいつらを蹴散らしてくれたそうじゃねえか」
散弾を箱の中から取り出しながら、相手は俺に笑った。
どんなに頑張っても悲しそうな顔は拭い取れそうにもない。
親父さんは幾つか弾を抜き取ると、カウンターの前に何発かそれを置きはじめた。
一発、二発、四発、八発。真っ赤な薬莢がホコリで汚れたカウンターの上にずらりと並んだ。
「ありがとう、旅人さん。こんな狂っちまった時代でも、あんたのようなヒーローはまだいるんだな。本当にありがとう」
俺はそれ以上、親父さんの顔を見ることが出来なかった。
だって泣いていたからだ。
喜んでいるのか、悲しんでいるのか、自分でも分からないのか泣いて笑っていたのだから。
胸がずきりと痛んだ。残った肉と豆を一気にかっ込んで、気の効いた台詞を何もいえぬまま俺は頷いた。
「あんたの仇を取れてよかったよ。……すまない、親父さん」
「おいおい、一体何を謝ってるんだ。あんたが謝る必要なんて何処にもないんだぞ? アンタは俺の妻と子を救ってくれた、この町も救ってくれた、その子だって生きて連れ戻してくれた。あんたは俺にとってのヒーローだよ」
「……期待に沿えないようで悪いけど俺はヒーローなんかじゃない。ただの……通りすがりだ」
「そう謙遜するなよ。町の皆はお前に感謝してるんだぜ? 走って、蹴散らして、その子を助けて大活躍じゃないか」
空になった深皿にスプーンを置いた。
何がヒーローだ。
俺はある意味、この親切な人間の家族を殺した原因みたいなものだっていうのに。
無性にため息を吐きたくてしょうがなかった。
だけど親父さんも見ているし、褐色肌の女の子も俺をじっと見ている、どんなにしたくてもできない。
黙って皿を見つめていると親父さんがカウンターの上に置いた散弾を両手で包んでこっちにやって来た。
「これは俺からの礼だ。少ないかもしれないが使ってくれ。あんたも散弾銃を使ってるんだろう?」
もう一度親父さんの顔を見ると、さっきまでの顔はまるで嘘みたいに明るくなっていた。
持ってきた散弾の薬莢の色ほどじゃないけど目は赤く腫れていて、明るい笑顔の裏に永遠に取り除けない悲しさが残っていた。
俺は散弾を受け取る。
「ありがとう。使わせてもらう」
「ああ。そいつで盗賊どもをぶち殺してくれ、遠慮はいらん。そういえばアンタの名前はなんなんだ?」
「……112。イチって呼んでくれ」
「イチイチニ? 随分ユニークな名前だな。俺はライト、そっちの褐色の子はサンディだ」
名を名乗ると親父さんも名乗ってくれた。
そのついでに褐色の子の名前も分かった、サンディというらしい。
「……なあ、に?」
「呼んじゃいないよ。名前を教えてやっただけだ、お前もちゃんと自己紹介しな!」
「……むう?」
そんな彼女は名前が挙がったからか首を傾げて無言で親父さんを見た。
それからまた、俺をじっと見てきた。
視線が相変らず突き刺さってきてどうも気が休まらない。
気を紛らわそうとカウンターに戻ろうとしている親父さんに話しかけようとしたら、空になった深皿とスプーンが二人分持っていかれた。
「……なんだか話したら少しすっきりしちまった。こんなご時勢だ、危険が前触れもなくやってくるのは覚悟してたさ。でもうちは『何があっても前に進め!』が家訓でな」
カウンターに戻った親父さんはにっこり笑ってくれた。
無理に作った笑いじゃあない。俺よりもずっと真っ直ぐで、明るい笑顔が戻っている。
「さっきまで自殺でもしちまおうかと思ってたけど止めだ。一体どうしちまったのかアンタを見てたら俺も戦いたくなったよ。もう逃げるのはやめだ、本当にありがとうな」
「どういたしまして」
「……それにしてもイチさん、アンタいい食いっぷりだな。まだおかわりいるか?」
「ああ、いただくよ。うますぎていつまでも食べられそうだ」
「そりゃ良かった。妻や娘と一緒に考えた料理なんだ、うめぇだろ?」
「……うん。こんなに美味しいものを食べられてすごく嬉しいよ」
「そんなに褒めてくれるやつはイチさん以外にゃいないだろうな。どうだ? 良かったらこの町に住むか? 寝床ぐらいはくれてやってもいいぞ!」
「考えとくさ」
もう一皿分テーブルの上に置かれた。今度は丁度いい量だった。
これから先、どんなことがあってもこの料理の味はこれからずっと忘れないと思う。
この町を出たらしばらくはありつけないであろうごちそう――熱々のシチューに浮かぶ大きめの肉にまたスプーンを割りいれようとしていると。
『はっ、離しやがれ! あの化け物が来たからって調子に乗りやがって雑魚どもが!』
『し、仕方がなかったんだよ! 俺たちゃ生きる為にああでもしねぇと――』
『うるさい! 黙れ! よくも俺の家族をぶっ殺したな!!』
『よくも俺の息子を……! 目の前でバラバラにしやがったな!! お前も同じ目にあわせてやる! みんな、こいつらを抑えろ!』
『皮を剥いではく製にしてやれ!』
聞き覚えのある調子の声が二つ、それから町の人間の怒声。
窓の向こうからでも伝わるそれはライトさんにも伝わったみたいだ。壁にかけられていた散弾銃を手に取ろうとしている。
「……なあ、イチさん。今の声はまさか」
言われなくても大体見当はついている。
窓越しに町の広場に二人の盗賊がずるずる引っ張られている姿が見えてきた。
あれは俺が良く知っている姿である、なんというか運の無いやつらだ。
俺はホルスターにリボルバーがあることを確認しながら、宿屋のドアを開けて外へ出た。




