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5.その違和感の理由

 薄いカーテンから射し込む朝日の眩しさに、ベッドで横になっているマリアンヌは身動ぎした。


 ずり落ちた上掛けを手繰り寄せて、意識は徐々に覚醒していく。

 ゆっくりと目蓋を開いたマリアンヌはぼんやりと天井の木目を眺める。


(此処は、何処?)


 侍女を呼ぼうと、サイドテーブルへと腕を伸ばした先には呼び鈴もテーブルも無く、指先は宙を掴む。

 霧がかって呆けた思考で、顔を動かして室内を見渡した。


「此処は? ああ、そうか、宿屋だった」


 呟きに応える者はいない。

 夢見た自由なのに、胸の奥に虚しさが広がっていく。

 まるで、胸の奥に空洞が出来たような、それは虚しさなのか寂しさなのか分からない、違和感。

 首を横に振り強張った両手足を伸ばして、マリアンヌは上半身を起こした。



 宿屋の一階にあるレストランの朝食は、野菜がたっぷり入ったスープ、チーズオムレツ、ベーコン、ロールパン、ヨーグルトという庶民的な、けれどもどこかで懐かしいメニュー。

 懐かしさを感じるのは、前世の記憶からだろう。


(たまには珈琲か緑茶も飲みたいな)


 スレイヤ王国では、珈琲は南国から輸入されていて、時々淹れてもらっていた。

 記憶が甦ってからは、時折緑茶が恋しくなる。この国を堪能した後は、書物上の知識では日本と似ている文化を持つらしい、極東の国へ行こうか。


 そんな事を考えていると、二階からツインテールの少女が食堂へやって来るのが見えて、マリアンヌは笑顔で手を振る。


「エミリアさん、おはよう」


 声をかければツインテールの少女、エミリアは手前で片手を軽く上げた。




 徒歩か馬車で向かうと思って身支度をしたマリアンヌだったが、エミリア曰く「時間短縮のため」近くの村まで転移魔法で向かった。

 三人まとめて転移させても涼しい顔をしているエミリアは、高位魔術師というのも嘘ではないようだ。

 転移魔法自体高度で使える者は少ないのに、自分以外の者も転移させられる者はスレイヤ王国一の魔術師、兄のマリオン以外は出会った事は無かった。


「なにボーッとしているのよ」

「あ、ごめんなさい」


 ぼんやりと景色を見ていたマリアンヌの手を取ると、エミリアは村の中へは入らずに湖の側に建つ石造りの建物へ向かう。

 湖と繋がっている村の横を流れる川の水は濁り、鼻の奥がツンとなるような刺激臭もして、マリアンヌは思わず眉を顰めてしまった。


「ろ過装置のお陰でまだ飲めるようだが、これでは湖の生物が全滅するのに、そう時間はかからないな」


 ウォルトの言葉は大袈裟では無く、川の水の流れがほとんど無い所には、緑色に濁った水面に腹を見せて浮かんでいる魚もいた。


「アンヌ、あの建物内で湖の水量や水質を管理しているの。おそらく、建物内にある制御装置に異常が出たのね。今から、制御装置を修理しに中へ入るわよ」


 入り口に立つ警備兵に、ウォルトは懐から取り出した領主からの依頼書を見せ、地下へ続く階段を降りれば上とは雰囲気がガラリと変わった。

 石造りの通路を歩いた先にある扉の奥は、四方を石のブロックで整備されており、壁がぼんやり光っていて薄暗い。



 陽の光が入らない地下なのに仄かに明るいのは、壁に生えた苔がぼんやり光っているためだった。


「光り苔があるから灯り無しでいい?」

「問題ない。魔物が寄ってくるからな。………これより奥の方は魔物がいるな」


 意識を集中させてみると、ウォルトの言う通り奥の方から生き物の気配がする。


(やはり魔物がいるのか)


 魔物がいるのは淀んだ場所のお約束か。油断していていきなり強敵が来たら堪らないと、マリアンヌは後ろを振り返る。


 スカートのポケットから折り畳んだ紙を取り出し広げ、エミリアは頭上に魔法の明かりを灯す。


「制御装置はこの下の階にあるみたいね。ご丁寧にガーディアン付き、まぁ私達を頼るくらいだから楽にはいかないか」

「エミリア」


 前方を見てウォルトが苦笑いする。

 魔法の明かりは便利だが、魔物に此方の居場所を知らせてしまう欠点があるのだ。


「来たぞ」


 ズルズル、べちゃっ、粘着質な水を含んだ何かが近づいてくる複数の音が聞こえ、マリアンヌは呪文の詠唱を始める。


 曲がり角から魔法の明かりに吸い寄せらるように、蛸の足を持つ頭部は半透明のゲル状で、頭部中央に巨大な目玉が浮かぶ外見の魔物五体が姿を現した。

 生理的な嫌悪感が沸き上がってきて、呪文の詠唱が一瞬止まりかける。

 先頭の魔物が粘液にまみれた蛸の足を伸ばした瞬間、マリアンヌの詠唱が終わり魔法を放った。


「サンドスナイプ!」


 キュドドドドー!!

 無数の砂の弾丸が出現し、魔物へ雨のように降り注ぐ。

 撃ち込まれた砂の弾丸は魔物の体内で水分を奪い取り、体表面の粘液を吸い取っていく。


「はあっ!」


 ザシュッ!

 ウォルトが振り上げたバスタードソードが一閃し、水分が抜けて乾いた魔物達をまとめて薙ぎ払う。

 薙ぎ払われた魔物は悲鳴を上げることもなく砂塵と化した。


「へぇ、やるじゃない」


 楽しそうに笑うエミリアへ、マリアンヌは曖昧な笑みを返して魔法を放った手のひらを見つめた。


(何だろう? 魔力が、上手く巡らない?)


 完全に干からびさせるつもりで魔力を込めたのに、思った通りの威力が出なかった。

 威力半減どころか、体を巡る魔力が上手く繋がっていない。そんな違和感を覚えて、マリアンヌは眉を寄せた。



「アンヌどうしたの? 行くわよ」


 歩き出したエミリアとウォルトに声をかけられ、マリアンヌは慌てて二人を小走りで追いかけた。




 ***




 執務机に頬杖を突き、広げた地図を眺めていたギルバートは視線を上げる。

 首から足元まで黒で覆われた暗部の青年が音もなく姿を現し、恭しく頭を垂れた。


「王妃様の足取りが分かりました。連絡船に乗船したようです。連絡船の行き先は、トランギアナかノアニールの二国です」

「先程、マリアンヌの魔力を感知した。トランギアナの方だ。直ぐにトランギアナ国王へ書状を届けさせろ」


 頬杖を外したギルバートは、地図の横に並べていた親書へ署名をして封筒へ入れると青年へ手渡す。


「はっ」


 親書を受け取った青年は、胸に手を当てて頭を垂れる。そのまま現れた時と同様に、音もなく姿を消した。


「国外へ出るとは、やってくれるじゃないか」


 マリアンヌの内へ仕込んであった魔力の気配から、彼女が離れた場所、国外へ出た事は予測していたが掴みきれていなかった。

 そのため、他国への連絡船が行き来している港町周辺を調べさせていたのだ。

 まさか、暗部の者が足取りを追うのに一日以上かかるとは。

 マリアンヌが全力で逃亡を企てたということが分かり、ギルバートは冷笑を浮かべた。


 下らない噂を流した者達は既に全員解雇処分とし、首謀者も把握し屋敷へ兵を差し向けてある。自害も逃亡も許さずに後数日は監禁しておくつもりだ。

 首謀者の処罰は、マリアンヌを捕らえてからでいい。最優先する事は処罰ではない。


「逃がさんよ」


 嫉妬の感情に堪えきれず、逃げ出した可愛い(マリアンヌ)も、彼女を陥れようとした愚かな者達もどうしてくれようか。

 クツクツ喉を鳴らして笑うギルバートの瞳には、冷酷な、ほの暗い光が宿っていた。


「陛下、程々にしてやってくださいね」


 執務室の隅に立つダミアンの声は、今後の娘の身を案じて震えてしまっていた。


「そう案じなくとも、私がマリアンヌに無体を働くわけがなかろう」


 薄く笑うギルバートに対し、ダミアンは何も言えずに唇をきつく結ぶ。


「時間をかけるつもりは無いが、私が戻るまでに例の方も進めておくように」


 娘の事以上に、胃痛の原因となっている案件を思い出してしまい、眉間に皺を寄せたダミアンは絞り出すように「御意」と答えた。


魔物の外見は、クラゲの色素が濃くなって目玉がくっついたみたいなやつです。

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