3.不機嫌な国王の帰還
前半マリアンヌ、後半ギルバート視点となります。
自分の腰に両手をあてた少女は、頭二つ分以上は背の高いウォルトをギロリと睨み付ける。
「女の子とくっついて鼻の下を伸ばしていたアンタは、ナンパじゃなかったら何やっていたのかしら?」
「人助けだ」
「はぁ?!」
眉間に皺を寄せた少女は、次にマリアンヌを見上げた。
「ねえ、貴女。名前は?」
「え?」
自分より背が低い少女が、胸を張って上目遣いで見てくるのは猫みたいで可愛い。とはいえ、王宮であれば王妃の自分に対して少女の態度は不敬だと叱責されるだろう。
少々戸惑いながらマリアンヌは口を開いた。
「私、ですか? 私は、アンヌです。ウォルトさんのお陰で、本当に助かりました」
少しでもウォルトの疑いが晴れるように丁寧に頭を下げる。
微笑むとウォルトが照れ臭そうに視線を逸らす。
「ふぅん? アンヌね、私はエミリアよ。こう見えて高位の魔術師なの。アンヌは強い魔力をもっているのね。ジョブは何? 此処には何しに来たの?」
「ジョブ? えっと、私は魔法剣士です。此処には観光、かしら」
ジョブとは何か、マリアンヌは数秒考えて思い出した。
王妃の仕事が忙しく、半年以上冒険者アンヌとしてギルドからの仕事を引き受けていなかったため、自分のジョブをすっかり忘れていたのだ。
「俺はウォルト、旅をしながら傭兵をやってる。この神殿には」
言葉を止めて、エミリアを親指で示す。
「コイツの「素敵な人と出逢いたい」という願いのため、立ち寄ったんだ」
「う、うるさいわねっ!」
ぼふんっ、と効果音が聞こえそうな勢いでエミリアの顔は真っ赤になる。
「あ、貴女っ! ステンシアの街に宿泊しているのかしら?」
「え、ええ」
勢いよく問われ、マリアンヌは引きぎみで頷く。
「ここまで野宿だったし、いっぱい歩いたからゆっくりしたいの。案内頼めるかしら?」
「私も今朝到着したばかりで、街の事は分からないです。あ、宿なら案内出来ますけど」
眉を寄せるマリアンヌの手を握って、エミリアは「よろしく」とにっこりと笑った。
先を歩くマリアンヌに聞こえないよう、ウォルトは腰を曲げてエミリアの耳へ唇を近付ける。
「おい、ステンシアは初めてじゃないだろ」
「あんなに綺麗な女の子が、一人旅しているのは腕に自信があるって事でしょ? かなり強い魔力も持っているし、彼女は水属性持ちだわ」
手を握った時に分かったのは、魔力の強さと複数の属性持ちだということ。
「例の依頼をクリアさせるなら、味方にした方がいいじゃないの。ウォルトも気になるでしょ」
大きな瞳を細めて笑うエミリアに、ウォルトは呆れながら片手で顔を覆った。
***
その頃スレイヤ王国では、視察のため王都を離れていた国王一行が帰還し、王宮内は一気に活気付いていた。
出迎えたダミアンの挨拶の言葉を聞き流し、玉座へ腰掛けたギルバートは頭を垂れて出迎える者達を見渡して眉を顰めた。
ギルバートが誰を探しているのか、理解しているダミアンの顔色は悪い。
「マリアンヌはどうした?」
問われた側近達はギクリッと肩を揺らす。
「それが、」
顔色が悪いダミアンと視線を下げた側近達の様子から、マリアンヌが出迎えに出てこない理由を覚ったギルバートは苦笑いを浮かべた。
「また城を抜け出したのか」
「止められず、申し訳ありません」
沈痛な面持ちで頭を下げたダミアンは、心労から足元をふらつかせた。
「こんな時に、困った奴だ」
十日後に訪れる使節団の事もそうだが、七日間もの間、触れられ無かったマリアンヌは、夫を労るどころか非情にも姿を消すとは。
沸き上がる苛立ちから舌打ちしかけて、ギルバートは唇を閉じた。
渋面となり、閉口するギルバートから発せられる不機嫌な圧力により、誰も彼へ話しかけられない。
青から白へ顔色を変えたダミアンと、胃痛と嘔気を堪えるマリオンの二人は今にも倒れそうになっていた。
静まり返る玉座の間に、扉の向こうから兵と女性の声が聞こえてくる。
渋面だったギルバートが顔を上げ、張り詰めていた空気が僅かに揺れた。緊張感から、身を縮めていた臣下達は内心安堵の息を吐いた。
「何事だ」
ギルバートの声で、弾かれたように扉の前へ立つ衛兵が扉の向こう側の様子を確認をする。
「陛下、王妃様付きの侍女長と侍医のロブスタが陛下にお伝えしたいことがあると、お目通りを願い出ているそうです。いかが」
「通せ」
衛兵が言い終わる前にギルバートは短く命じる。
開かれた扉から通された王妃付き侍女長と侍医ロブスタは、室内の雰囲気に戸惑いながらギルバートの前まで歩き、恭しく礼をした。
「侍女長、王妃から言付けでもされているのか」
「い、いいえ。ですが、王妃様は書き置きを残されておりました」
侍従から手渡された、マリアンヌが残した書き置きを読んでいくうちに、ギルバートの眉間に深い皺が寄っていく。
「何故、王妃はここまで思い詰めたのだ?」
書き置きに書かれていたのは、今生の別れを告げるような内容。七日前、出立するギルバートを見送るマリアンヌからは、姿を晦ます素振りなど微塵も感じられなかった。何か、思い詰める出来事が起きたのか。
「陛下が御不在の間、使用人達の間である噂が広まっていたようです。私達侍女は王妃様のお耳に入れないようにしていたのですが、何処かでその噂を知ってしまわれて失意の末、王宮を出られたのではないかと」
「噂、だと?」
「はい。王妃様は子を成せないのだと、そのため陛下が隣国の王女を側妃として迎え入れるのだ。という噂でございます」
侍女長は、ギルバートからの射るような視線に耐えきれず俯いてしまった。
「成る程」
口元へ手を当てたギルバートはクツリと喉を鳴らす。
「確かに、私は王女を迎え入れる準備に奔走していたのだがな」
まさか噂は真実だったのかと、顔を上げてギルバートの表情を見た侍女長は息を飲む。
春を迎え暖かな時期だというのが信じられない程、周囲の温度が下がっていく。
急降下したギルバートの機嫌と、彼から漏れ出る魔力を至近距離で感じてしまった侍女長は、必死で体の震えを抑えていた。
「陛下、魔力を抑えて下さい。侍女長が倒れてしまいます」
侍医ロブスタの一声で冷気が止み、解放された侍女長は腰をその場に崩れ落ちた。直ぐに衛兵が脱力した彼女を支え退室させる。
「陛下、我等に八つ当たりをしても困ります。貴方の魔力は耐性の無い者に対しては毒薬同然なのですから、撒き散らさないで下さい」
幼い頃から王家に仕えている侍医のロブスタは、幼子に言い聞かせるように真正面からギルバートを見据える。
「直ぐに王妃様の行方を追って下さい。勝手ながら、魔術師団長に依頼し我等も行方を探したのですが、王宮を出たところで転移魔法を数回使用されたらしく、途中までしか足取りは分かりませんでした」
「転移魔法を多用し追跡を撤くとは、マリアンヌも考えたものだな」
密かにマリオンに命じてかけていた、監視魔法にもマリアンヌの行動は引っ掛からなかったのだ。上手く魔法を解除したのだろう。
「陛下、王妃様は体調を崩されて休養されていたのです。心身の影響を受けて、魔力も乱れておられました。魔力が乱れたままの状態でご無理をされていたら、箍が外れた魔力が内に向かい取り返しのつかない事になるやもしれません」
「何だと?」
ロブスタから告げられた内容に、ギルバートは大きく目を見開いた。
息を吐いて、玉座の背凭れに背中を凭れかける。
「大人しく、私の帰りを待っていればよかったのにな」
帰りを待っていればきちんと話したのに。否、反対するだろうと話さなかった自分が悪かったのか。
ギルバートは自嘲の笑みを浮かべた。
「マリオン」
「はい」
名を呼ばれた意味が分かっているマリオンの顔色は悪い。
「分かっているな」
自嘲の笑みを消したギルバートは、肘掛けに手をかけゆっくりと立ち上がった。
「直ぐにマリアンヌの行方を探せ。同時に噂を流した者達も調べろ」
感情を排除したギルバートの声から彼の怒りの深さを感じ、側近達は背筋に冷たいものが走った。
侍医ロブスタは見た目は人の良さそうなお爺さんです。名前は海老を見て。安易でごめんなさい。




