10.それでも悪役令嬢は諦めない
目も口もポカンと開いたまま、マリアンヌは自分の手を握るギルバートと、手のひらへ乗せられた首飾りを交互に見た。
何を言われたのか直ぐには理解出来ず、ギルバートに言われた言葉を頭の中で復唱して……さあーっと、血の気が引いていく。
「洗浄し、デザインは直させる。何故ならば、これはマリアンヌの物だからだ」
先程までの冷徹な表情が嘘のように、ギルバートはやわらかく笑った。
「んー! んんっ、んー!!」
突然、髪を振り乱し騒ぎだしたアンジェは、マリアンヌの方へ行こうとして衛兵二人かがりで抑えられる。
首だけを動かし衛兵へ視線を送り、ギルバートは溜め息を吐いた。
「喧しい。連れて行け」
「はっ!」
「むー! んんっ!」
なおも抵抗するアンジェの両脇を抱え、衛兵は彼女を引き摺り連れて行く。
意気消沈したウィリアムは、無抵抗のまま大人しく衛兵に従う。
マリアンヌの側を通る直前、ウィリアムは顔を上げた。
「マリアンヌ……」
「ウィリアム様、どうかお元気で。次にお会いする時は、元の貴方に戻っている事を祈っています」
今にも泣き出しそうな表情となったウィリアムは、小さく「すまなかった」と呟いた。
衛兵に連れられたアンジェとウィリアムに続き、騎士団長と魔術師団長が息子を連れて謁見の間から出ていく。
父親達の厳しい表情が物語るように、恐らく彼等の未来も厳しいものとなろう。
「さて、邪魔者はいなくなったな」
「あの、陛下?」
自分の物だと言われても納得がいかないのは、デザインが気に入らないとか、アンジェが身に付けたのが気に入らないとかじゃない。
「何だ?」
「何故、わたくしにこの首飾りを渡されたのですか?」
「代々王妃へ伝えられる首飾りだからだ」
さも当然だ、といった風に答えるギルバートは、握った手を離そうとはしない。
沸き上がってくる嫌な予感に、マリアンヌの脚が震えた。
「わたくし、婚約を解消されたのですけど?」
何とか絞り出した声は微かに震えていた。
「ウィリアムとの婚約は解消だ。自由になったマリアンヌは、私が貰う」
くらり、眩暈がした。
手を握られていなければ首飾りを落としていた。
「えっ、あのっ、わたくしには、心に決めた方が! 申し訳ありません」
首を横に振って、無理だと必死で訴える。
分かってくれなければ、ギルバートを張り倒してでもこの場から逃げなければ。
真剣な顔で訴えるマリアンヌに対し、ギルバートは目を見開き、嬉しそうに破顔した。
「婚約破棄されたら、家を出て冒険者になる、だったか。心に決めた方か。そこまで想って貰えているとは、両想いだと信じられて嬉しいな」
「な、に? どういうこと?」
間近で起こった変化に、息をのんだ。
ギルバートの蜂蜜色の髪が風も無いのに揺れ、墨を混ぜたように中心から黒ずんでいく。
海を思わせる青い瞳も濃さを増し、濃藍色へと変化する。
口を開けたままマリアンヌは唖然となる。息をするのすら忘れ、目前で起きた変化に見入っていた。
軽く頭を振り、ギルバートはマリアンヌの手を掴む手とは逆の手で、黒く染まった髪をぐしゃりと崩す。
後ろへ撫で付けた前髪が崩れ、清廉としたギルバートの印象を変える。
纏う雰囲気まで変わり、一見すると同一人物とは思えないほどに、別人へと変化した。
「……うそ、でしょ」
何が起こったのか、理解が追い付かず固まるマリアンヌの頬を、ギルバートの指先が触れる。
「婚約破棄されたら、俺がアンヌを貰うと言ってあっただろう?」
「バルト?!」
目の前で変化したのを見たのに、信じられずマリアンヌは何度も目を瞬かせた。
髪と瞳の色を変えただけとは思えないくらい、外見も、声すら低く変化しているのだ。
「以前、マリアンヌが頭を打って倒れた時、陛下に相談していたんだよ。頭を打って以来、性格が変わった妹が毎週末変装して屋敷を抜け出している。何か良からぬ事を企んでいるかも知れない、とね」
固まるマリアンヌの耳へ、冷静なマリオンの声が届く。
「マリオンから相談を受け、マリアンヌの尾行をさせていたのだ。まさか、ギルドへ出入りして、楽しそうに依頼を引き受けているとは驚いたよ。マリアンヌと同じように変装をして近付き、何を企んでいるかを聞き出した時は、更に驚いたな。冒険者になるつもりだと伝えた時の、ダミアンとマリオンの顔は見ものだった」
「騙して、いたの?」
父親も兄は勿論、屋敷のマリアンヌ付きの使用人達も全てを知っていて一年近くの間、黙っていたのか。
ぎゅっと眉間に皺を寄せたマリアンヌは、ギルバートに手を掴まれたまま後退る。
「騙す? 接触したのは本音を聞き出すためだったが、その後は違う。私が、アンヌが欲しいという感情は嘘偽りのないものだ」
彼と距離を取ろうと更に後退る。
だが、直ぐに伸びてきた手がマリアンヌの腰を抱き、引き寄せられてしまった。
ぼすんっ、と勢いよくギルバートのジャケットの釦に鼻をぶつけ、マリアンヌは涙目になる。
(ひいい! 近い近い近い!)
顔を上げ、互いの息遣いを感じるほどの至近距離に、「ひっ!」と悲鳴を上げかけた。
「わ、わたくしはっ、冒険者になって世界中を旅したいのですが」
羞恥に全身を真っ赤に染め、抱き締めてくるギルバートの胸へ片手をついて彼と密着するのを防ぐ。
「外交と新婚旅行で世界中を回ろう。アンヌが望むなら、城を脱け出し共に魔獣討伐へ出てもいいな」
楽しそうに言われ、マリアンヌは言葉に詰まる。
「わたくし、貴方の寵を誰かと争いたくはありません」
「アンヌ以外の女を傍らに置くつもりはないから安心しろ。傷付ける真似も裏切る事もしない。約束しただろう?」
以前した会話を覚えていてくれたのかと、マリアンヌはぎゅっと唇を閉じた。
目の奥が痛い。油断したら涙が溢れてしまいそうだ。
「ですが、後継問題が有りますでしょう?」
「子を成せるかどうかは調べてある。俺もアンヌも問題無かった」
「調べてある?!」
しれっと言われ、溢れ出しそうになっていた涙が引っ込む。
いつの間に?! とか、どうやって調べたのかとか、突っ込みたいけれども聞くのが恐ろしい。
「ダミアン、王太后、元老院からの承認は得ている。そして、」
一旦、言葉を切り、ギルバートは真っ赤に染まる耳元へ唇を近付けた。
「アンヌはバルトからの求婚を受け入れているのだ。拒否などさせない」
「っ?!」
激甘な低音の声を耳から流し込まれ、全身が甘く蕩けるような刺激に痺れる。
肩を揺らしてよろめいたマリアンヌを、ギルバートは片腕で抱き締めた。
「さて、行くぞ」
「えっと、どこへですか?」
腰砕けの状態となったマリアンヌは、抵抗する気力も無くなり彼の胸に凭れかかる。
「用意しておいたアンヌの部屋だ。荷物は既に運び込んである」
「ええっ?!」
驚いた勢いでマリアンヌは身を縮めてしまった。
少しでも隙間が出来れば良かったのに、隙間が出来るどころか背中へ回された腕に力が込められてしまう。
真っ赤な顔のマリアンヌを見下ろし、ギルバートはニヤリと口角を上げた。
「学園を卒業して、もう成人と変わらないのだ。寝食を共にしても、かまわないだろう」
「寝食っ?!」
短時間の間に次々と起こった事への情報整理も、妃にと望まれても、心の準備をする時間も無く、屋敷へ戻って休ませてもくれないのか。とか、絶対に逃がす気はないのか。とか、色々な思いが脳内を駆け巡り、マリアンヌの意識は遠退きかけた。
「ふふっ、怯えた顔も堪らないな。マリアンヌとアンヌ、どちらでもお前は可愛らしい」
(あ、これはヤバイやつだ)
愉悦に満ちた笑みを浮かべたギルバートに、マリアンヌの本能が彼は危険だと警報を鳴らす。
上手く逃げなければ、がんじがらめにされて捕らわれる。余所見などしたら、もしも逃げようとしたら鎖で繋いで監禁くらいはされそうだと、寒気がしていた。
「陛下、あまり無理強いしないでください」
溜め息混じりで言うダミアンの言葉には、諦めの感情が混じっている気がした。
混乱する思考の中、前世の記憶が甦る前兆の鈍痛がしてきて、マリアンヌは目蓋を閉じる。
湧き出すように甦る情報内容を理解して、悲鳴を上げそうになった。
何故、このタイミングで情報が甦るのか。もっと早く甦ってくれていたのなら逃げていたのに。
(剣士バルト、スペシャルな隠しキャラ。王太子ルートを攻略した後に攻略出来るキャラ、ナイジェルも入れた全キャラを攻略した後に攻略可能になる。その正体は......ギルバート国王陛下。ウィリアムがマトモだった場合のエンディングは、退位したギルバートと二人で世界中を旅する。マトモじゃなかった場合は)
ぎゅっと閉じた目蓋に力を入れる。
(ヒロインは王妃になり、ギルバートを支える。一見、真面目で清廉潔白な良き王だが、好感度が上がるにつれ、独占欲でがんじがらめにされたあげく、彼へ依存するようにと歪んだ愛情を注がれ、ヒロインは壊れかける。隠れヤンデレキャラ?! 好きでもヤンデレは怖いっひいいっ!!)
「きゃあっ?! ちょっと何するの!」
冷や汗をだらだら流すマリアンヌの体勢が急に変わり、悲鳴を上げて目蓋を開く。
目蓋を開けた視界いっぱいに広がるのはギルバートの笑顔。
黒髪は蜂蜜色へ、濃藍色の瞳は深い青色へと、元の色合いへ戻っていた。
体勢が変わったのは、所謂お姫様抱っこをされているからだと分かり、全身が熱くなる。
「ははっ、やっとアンヌの口調になったな」
しまったと、口元を押さえた。
自分の状況を受け入れるまで、ギルバートとは一線引こうとしていたのに驚いて素が出てしまった。
「半年だ。アンヌを欲しいと思ってから半年もの間、手を出すのを我慢していたんだ。これ以上は、もう待つのは無理だ」
音を立てて血の気が引いた。
手を出す、待つのは無理だとか、ギルバートから発せられた物騒な言葉は即ち、マリアンヌは貞操の危機に陥っているということか。
「ちょっ、待って?! 婚姻どころか婚約前なのよっ?!」
「世継ぎを作るのは国の未来のため、だろう? それに、ソレイユ公爵家は王家の遠縁にあたる。私とアンヌの子ならば、良き王となるはずだ」
真面目な顔で答えるくせに、ギルバートは声に含まれる喜びの感情を隠そうともしていない。
「お父様っ! お兄様っ! えっ?」
助けを求めてから気付いた。謁見の間にはマリアンヌとギルバートの二人しか居ない。
先程まで確かに謁見の間に居たのに、ダミアンとマリオンは姿形も見当たらないどころか、衛兵の姿もない。
「二人は先に下がらせた。もう、諦めろ」
「諦めろって、何を? 歩く下ろしてぇ~!」
「駄目だ」
その後、羞恥から涙するマリアンヌを横抱きにしたまま、上機嫌で王宮内を歩くギルバートは、多くの目撃者からの生暖かい視線に見送られたという。
ギルバートのマリアンヌへ対する溺愛っぷりの始まりは、王宮勤めの者達の語り種となったそうだ。
(いくら好きな相手でも限度がある。ゲームヒロインみたいに、ギルバートからの溺愛に壊されそうになったら……)
甦った記憶の中にあった、首輪と鎖で繋がれたギルバートルートでバッドエンドを迎えたヒロインのスチル。
(死ぬ気で逃げて、冒険者になろう)
歪みまくった愛情を受けて、スチルとして描かれたヒロインは生気を無くした虚ろな瞳で微笑んでいた。
スチルを見て震え上がったマリアンヌは、隙有らば、遅くとも身の危険を察知したら、国外逃亡することを誓い唇をきつく結んだ。
悪役令嬢マリアンヌは、ギルバートから求婚されても冒険者になることを望み、逃げられないように包囲されても必死で抵抗し、彼との追いかけっこを繰り返す事になるのだった。
懲りないマリアンヌの逃亡劇は、毎回、ギルバートを楽しませているだけだと気付いていないのは、きっと彼女だけ。
ギルバート(バルト)はスペシャルな隠しキャラ、暗部のナイジェルも隠しキャラでした。
あと1話、お付き合いください。




