01 婚約解消
「婚約解消させてほしい」
城の庭園で、第四王女のスナイプは婚約者のレオンと向かい合っていた。
レオンだけではない。姉である第二王女のベリガルが、レオンの腕に手をまわし、かたわらで微笑んでいる。赤いドレスのベリダは庭園で育てられた花のように美しかった。
「婚約、解消……?」
「そうよぅ」
ベリガルは、ねっとりとまとわりつくような声で言った。
「あなた、十五歳にもなって、男の人に興味がないじゃなぁい。もう一生、そうなんでしょう? そんな子と結婚なんて、レオン様がかわいそうだわぁ。ね?」
二人は視線を合わせた。ベリガルはうっとりと微笑んでいたが、レオンもまんざらでなさそうだった。
「そんなこと……。ただ私は、できたらゆっくりと仲を深めたいと思っただけで」
「だめだめぇ。ねえ、ダーリン」
とベリガルが頭を肩にもたれさせると、笑みがこぼれたレオンは、ちらり、ちらりとベリガルの大きく開いた胸元を見ている。
「ベリガルお姉さまは、他の婚約者がいらっしゃるじゃない」
「もう別れたわあんなの。全然、もう、レオン様には遠く及ばないの。それにわたくしずうっと、レオン様をお慕いしてましたのよぉ? スナイプがいるから遠慮してましたの。でもぉ、どうかしらぁ」
「まあそういうことだ。わたしは、世継ぎも期待されている。恋愛ごっこをしている時間はない」
二人はしっかりと視線を合わせた。
「そういうことぉ。ばいばぁい」
大きな木のようにたくましいレオンと、それに巻き付くツタ植物のようなベリガルは、もう、スナイプのことを忘れたように、ゆったりと話をしながら去っていった。
そして昼食。
広々とした食堂では、王女四姉妹と王妃、そしてめずらしく、仕事で忙しいはずの王をあわせた六人が食事をしていた。
その席で王は言った。
「スナイプには、前線基地のゼンセンに行ってもらう」
「ゼンセン?」
聞いたことのない場所だった。
「そこには、魔族の進軍を抑える役割を与えた兵士たちがいる。そこでしばらく生活をするといい」
「どういうことですかお父様」
スナイプはナイフとフォークから手を離していた。
「なに、お前もすこし、離れた環境にいたほうが、やりやすいだろう」
ちらりと王はベリガルを見た。
ベルガルは、といえば胸を張って、悠然とナイフで肉を切断し、口に運んでいる。
「前線基地なんて、どうして……」
「なに、そこは一度も落ちたことがないし、身の危険を感じることはないだろう。そこでしばらく、生活環境を変えてみると、これまでとちがうものが見えてるんじゃないかと思ってな」
「ふふ」
第一王女ギリアジルが笑う。
第二王女ベルガルが、リズミカルに肉を切る。
第三王女ビネッドが一息にワインを飲み干した。
「ああ、おいしい」
と笑う。
それを見て、罰なのだとスナイプは思った。
この国は王子がいない。王女だけの四姉妹。
跡継ぎが必要だ。優秀な後継ぎが。
ゆっくり男性との距離を近づけたい?
バカなことを!
すこし辺境で頭を冷やしてこい。
王はそう言っているのだ。
スナイプは王妃を見た。
王妃は一瞬気の毒そうにスナイプを見て、目をそらした。
もう誰もスナイプを見ていなかった。
昼食後、スナイプは裏門を出て、兵士たちの訓練場のベンチに座っていた。
訓練場といってもいくつかあり、ここは使われなくなっている場所だ。
林と隣接していて、暑くなると虫刺されが気になるという苦情もある。
他の場所が使えないときの補助の土地、という名目だったが、そもそも、屋根があるわけでもなく、他が使えないのならここも使えない。
スナイプだけが訪れる隠れ家のようになっていた。
「ここも役に立たず、か」
スナイプは言った。
「どうされました? スナイプ様」
顔を上げると、エスタがいた。
兵士の指導役だ。もう白髪で、60歳を超えているが、その体は鍛え上げられていて、動きは20代の兵士にも劣らないとも言われるほどだ。単純な筋力だけではない技術が、年齢の壁を越えさせている。
たまにこうして現れ、スナイプと、どうということもない話をして去っていく。
「王都から追い出されそうなの」
スナイプは経緯を伝えた。
事実だけを中心に、姉たちへの感情は込めないよう試みた。
「では弓を?」
「そうね」
スナイプは立ち上がった。
いつからだったか。
スナイプは、誰にも言えないことで心の中がいっぱいになってしまったとき、ここで矢を射る習慣ができた。
最初はエスタが勧めてくれたはずだ。おもちゃのような弓で射ると、近距離の的でも、当たるとうれしかった。頭の中が空っぽになるような気がした。
成長に合わせて、エスタが勧める弓に変えていった。
スナイプは、エスタと訓練所の端へと歩いていった。
ここは王都の裏の丘にあった。
訓練場の端は林と接しているが、いったい誰が作ったのか、幅十メートルほど、奥行き、千メートルにわたって伐採、整地され、細長い射撃場ができている。
ほとんど見えないような位置まで、五十メートルおきに的が立っていた。
兵士たちは使用していないらしいから、スナイプは、遅れた訓練なのだろう、と勝手に考えていた。
「では、スナイプ様」
エスタが弓と矢筒を持ってきた。
左手で黒い弓を受け取る。
持った瞬間弓がすこしうねる。
そのうねって、くねって、変形しようとするのをうまく傾けつつ矢を抜き、直線になった瞬間に射る。
標的は一度ちらりと見ただけだ。
うねりが力となり、十五歳の少女が持っているとは思えない勢いで矢が飛び出る。
当たるかどうかを見る前に、スナイプは矢筒から一本ずつ矢を抜くと、大して狙いをつけずにどんどん射ていく。
この異様な弓を扱う角度、タイミングはすべてスナイプの天性のものだった。
手前から順に、的に当たってコーン! コーン! と小気味良い音が林に響く。
「十、十一、十二、……はあ」
スナイプがため息をついた。
「どうされました?」
「突風がくる。ああ、面倒くさい……」
スナイプはつぶやいた。
林は、木の密度が薄い部分もあってそこは風が通る。
風を見る目もあれば、遠くを見通す視力も持っている。
スナイプは目を見開いて射た。
外れたように見えた矢が、突風に流されて的に命中した。
そうしてさっさと二十本、つまり千メートル先の的にも当てた。
もはや音は聞こえたとしても、的に当たった音なのかどうかわからない距離だ。
当たったかどうかも見えない。
スナイプと、魔道具の望遠鏡で確認しているエスタ以外は。
「お見事です」
エスタは言った。
スナイプは首を振る。
「突風が読めなかった。無駄な時間がかかっちゃった。すっきりしない」
スナイプはエスタに弓を押しつけた。
「いつ見てもほれぼれしますな」
「……もうお世辞はいらないけど」
スナイプは言った。
「私はもうよそに行くの。あなたは、役に立たない王女の遊びに付き合う必要もない」
「わたしはただ、見事だから見事だと申し上げているだけです」
「なにを言っているんだか」
スナイプは鼻で笑った。
「こんなの『誰でもできる』でしょう? 『失敗なんてするはずのない』『簡単なもの』を見て、お世辞以外のなんだっていうの?」
自分にできることなのだから、誰にでもできる。
それを褒めているエスタは、スナイプが王女だから言っているだけだ。
エスタはお世辞で立場を得ているようなつまらない人間ではないが、かといって、褒められれば、必ず嬉しいというものではない。
スナイプは心からそう思っていた。
エスタはなにも言わずにスナイプの言葉を受け止めていた。
スナイプは、イライラから八つ当たりをしてしまったと自覚した。
「……ごめんなさい、変なことを言って」
「いいえスナイプ様。お気にならず」
「ありがとう」
「では、ゼンセンまでわたしがお送りしましょう」
「いいの?」
「知らない人間ばかりでは不安でしょう」
エスタは微笑みを浮かべた。
今日スナイプが見た誰の笑顔よりも、安心できた。




