陰者とシレンティウム~移住~
陰者という集団がある。
群島嶼で戦いの暗部を担ってきたその集団は、非常に合理的且つ効率性を追求する集団で有り、任務の為なら味方撃ちをも厭わない事から真っ当な剣士達から一段低く見られる事も多い。
かつての大氏の中にはそんな彼らの生き様を激しく忌み嫌い、滅ぼさんとした者もいたが、それでも彼らが滅びず長い群島嶼の歴史の中で活躍し続けてきたのには訳があった。
1つに、群島嶼自体が争いの絶えない地域で会った事。
間諜として。
暗殺者として。
工作員として。
そしてそれらを防ぐ者として、常に陰者は求められた。
2つに、彼らが卓越した陰形術と体術を修得する者達であった事。
優秀な間諜や暗殺者、そして工作員である為には必須であったその技術習得に彼らは文字通り命を懸けた。
真っ正面から剣士と打合ったり、重装備の兵士達と交戦する事は不利であったが、彼らの得意とする攪乱戦や混戦、夜戦、奇襲においては遺憾なくその技術を発揮した。
故に攻められても守る事が出来たのである。
3つに、強大な敵が時に群島嶼を襲った事。
西方帝国と言うとてつもない敵が度々群島嶼を支配せんとして攻め寄せた。
これを防ぐについて、陰者達の力は必須であったのだ。
抜道を知り、情報を伝達し、敵情を探り、敵陣を攪乱する陰者達無くして度重なる防衛戦に勝ち抜く事は出来なかったであろう。
陰者はそうして生き残った。
しかしその長い歴史と伝統は間もなく終わりを迎える。
なぜなら、ついに群島嶼が西方帝国に敗れ、争いが無くなったからである。
瞬時に仕事と役割を失った陰者達。
それでもしばらくの間は反乱を狙う大氏達や、群島嶼での覇権を夢見る者達が彼らを雇い入れたが、年月が経つにつれて帝国の支配は巧妙で強固な物となり、最早この態勢をひっくり返すのは相当な覚悟と準備が必要な段階にまで達してしまった。
そんな準備に費やす時間も金銭も、陰者達だけでは賄え無いのは明白で、各地の陰者の郷は少しずつ寂れていくこととなる。
ある者は里に下り、市井に混じって商いなどで生き残りを図り、またある者は郷の地味薄い土地を開墾して農民となった。
そしてある者達は北の地に希望を見出し、郷を上げての移住に踏み切った。
「長、楓姫の書状には何と記されておりますのか?」
「うむ…北の地にシレンティウムという新た植領都市が誕生したようだ…そこの領主は何とあの秋留晴義様である!」
「…何と、帝国へ仕官した晴義様で御座いますか?」
「如何にも」
長の重々しい頷きに陰者達がどよめく。
帝国に仕官した群島嶼人は数多あれど、未だかつて領地を与えられるような大出世をした者は居ないからである。
本当は単なる左遷であり、楓の手紙にもそれとなくその辺の事は触れられているのだが、長は敢てこれを伏せる事にした。
陰者の面目躍如であろう。
「こ、これは大出世ぞ!」
「して楓姫は何と?」
「ま、まさか…?」
「待て待て、未だ文章の途中だ」
息せき切って長に迫る陰者達から、巧みに文面を隠しつつ長は勿体ぶってなかなかその内容を言わない。
ついに焦れた陰者達が口々に不満を漏らし始めた。
「長、いい加減にして下されいっ」
「わかったわかった…」
長老格の陰者に窘められ、長は書状を閉じるとようやくその中身について口を開く。
「未だ北の地はまつろわぬ民も多く、政情も不安、晴義様も苦労しておいでとの事で、我らに力を貸して貰いたいとの由だ」
それまでの厳しい表情を一変させ、長がにんまり笑み浮かべていうと、館に集まっていた陰者達が再度、今度は前よりも大きくどよめいた。
「おお!」
「何と我らにお声かけを!」
「ううむ腕が鳴る!」
この場に居る全員が自分こそが北の地へ行くのだと張り切っており、残されることなど露程も考えていない。
常識的に考えれば、そして楓の手紙の文面から読み取れば、せいぜい20人か30人の派遣を求めているのだろうと言う事は容易に察せられたが、長はそこも敢て伏せた。
味方をもだます、陰者の面目躍如であろう。
そうした思惑から、長は派遣の人数や人選についてはなかなか口にしようとせず、長老が再度やきもきしていると場の雰囲気が次第に悪化し始めた。
「テメエなんざ行ける訳がねえ」
「なんだと?お前こそ屁みたいな術しか使えないだろうがっ」
「うるせえ!!」
「何をっ!」
「まあまあ、お前らは2人ともダメだ。行くのはソレガシよ」
「「なんだとっ!!」」
最初は我も我もと言っていた陰者達であったが、次第にその主張が相手をけなす方向へと向いてしまったようである。
日々不安を抱いて生活してきた陰者達にとって、千載一遇の好機となる今回の話は、正に骨肉の争いを始めるに十分な価値があった。
この郷は一般的な陰者の郷の例に漏れず、非常に険しく山深い地に拓かれており、地味薄く農地自体が少ない上に開拓できる平地の余地もほとんどない。
西方帝国の群島嶼制圧以降、全員で協力し、備蓄食糧を取り崩し、出稼ぎで日銭を稼いで何とか食い繋いできたが、それももう限界に達しつつあったのだ。
長としては郷を放棄する事も常々考えていたが、いきなりでは反対意見も多く出るだろうし、ただ移住するだけでは、長年住み暮した郷を放棄するという衝撃で感情的になる者も居るだろう。
第一移住するにしても行く先が無いのだ。
長は自分達の将来を繋ぐ為、楓からの手紙を読んだ段階で、これを最大限以上に利用する事を決めていたのであった。
今にも乱闘が始まりそうな雰囲気に包まれている中、しばらく様子を窺っていた長は一向に険悪な気配が止まない事に落胆する。
が、配下の者達の思いは十分に分かった。
全員が今の閉塞感に危機意識を持ち、何らかの形で打開したいと考えており、またそれは思い掛けない移住という形でも十分受け入れられる素地が、残念ながら醸成されてしまっている事も分った。
今されている醜い議論も、行くか行かないかの議論ではなく、最早行くのは決定事項で、その中で誰が行くかという、選定を巡っての争いである。
長は予想外の成果に心の中ではほくそ笑みながらも、口汚く罵り合い、暴言を浴びせていた配下の陰者達に対してあからさまな侮蔑の表情を作り、次いで激烈な一喝をくれる。
「喝あっ!!!!」
気合いの十分以上に乗った長の喝に、一瞬で陰者達の諍いの声が止んだ。
そしてついに長は自分の心中に秘めていた計画について具体的な内容を言葉にした。
「…行くのは全員だ」
「「「全員ですと!!」」」
軒並み驚く陰者達。
長老が上擦った声で長に問い質す。
「か…楓姫は何と言うて来ておりますのじゃ?」
「人数には触れられておらん」
長の答えにざわつく陰者達。
1人の陰者が意を決して口を開いた。
「で、では我ら全員がシレンティウムへ行ったとしても、その雇用や生活の保障は無いのでは?」
「そうかもしれん」
長の回答の言葉にざわめきが大きくなる。
移住は良いし、全員で移住出来るというのであれば尚良いが、それも生活の保障と宛てがあったればこそであろう。
ただ闇雲に北の蛮地へ行ったとしても今と何が変わるというのか?
しかし長は揺るぎない決心を秘めた目で配下の陰者達を見回すと、懇々と諭すように語った。
「聞け、皆のもの。皆も知っての通り、今我が郷の有り様は変わってしまった。かつては大氏に雇われ土豪に雇われ引く手数多であった我ら陰者も、皮肉なことにその力を最大限発揮した帝国によってもたらされた平和な世によってその命脈を絶たれようとしている…その平和な世の中に我らは最早必要とされぬのだ。辛うじて伝手を持っておる秋留村でさえ我ら全員を養い続けることは出来まい…我らの出来る仕事は陰働き意外に無いが、必要とされぬ物を持っていた所で腹は膨れぬし、銭を稼ぐことも能わぬ…だが、皆も今知ったように、我らを必要としてくれる場所はある。聞けばシレンティウムでは移住者も募集しているというではないか。この点についてだけでも我らが行く価値はあるだろう。ただ、いかな秋留晴義殿が治めようとも、それは遠く異境の地であるから、言葉に言い尽くせぬ苦労は必ずあるに違いない。だがやり甲斐はあるし、誇りも保てる、そして我らの技を存分に生かすことが出来よう。皆にその気持ちがあると分かった今、わしはこの郷を棄て、新たな郷を北の地に営もうと決心した…反対意見があれば聞こう、対案があれば申せ…このまま座していても、待っているのは離散、破滅の道だけだ。最後は身売り以外に無いだろうがな」
長の言葉が終わったが、しわぶきひとつなく静まりかえる陰者達。
終に反対意見は出ること無く、また対案が示されることも無かった。
こうしてこの郷の陰者達は、新たに北の地へと移住することが決まったのである。
出発当日、一旦全員が郷の広場へと集まった。
3か月後を目処にシレンティウム南城門前での合流を目指すのである。
少ない荷物に質素な旅装束、家財はほとんどこの郷へとうち捨てていく。
本来陰者は財貨を余り持たない。
だがその様な財貨を気にする程も裕福で無いと言うのが実態であろう。
この郷においては特にそれが顕著で、持っていく財貨の少なさが長い貧窮生活を物語っていた。
概ね世代単位でそれぞれシレンティウムを目指すことになっているが、道は皆バラバラ。
小さな子供や赤ん坊とその親、老人達は、護衛を入れて10名程度の集団となり、優先的に路銀が振り分けられる。
彼らは、最も早いが最も金の掛かる帝都経由でシレンティウムを目指し、一方頑健な陰者達は一旦シルーハ領を目指して北上する、最も安いが最も危険な密航船で海を渡り、陸路も険しい道無き道を行き、光無き闇を進むのがごとく険しい経路を使う。
「では、皆の者、苦難は皆同じように降りかかる。だが、互いに助け合い、誰1人として欠けることの無いようにシレンティウムを目指せ!では行けい!」
郷の広場で開かれる最後の集会で、長はそう激励を含んだ命を下すと、旅装に身を包んだ陰者達は一路シレンティウムを目指して歩き始めたのであった。
約3ヵ月後、シレンティウム南街道、第二休憩所
最も早く到着した陰者集団8名が、すかさず休憩所の一角を手持ちの鉈で切り払い、広い場所を確保する。
これから十数日掛けて集まってくる、300名余の陰者の一族を迎えなければならないのだ、街道脇の休憩所程度の広さと大きさではとても収容しきれない。
それに頑健とは言え老人や女子供もいる、少しでもゆっくりと休憩を取れるように配慮しなければならない。
陰者達が黙々と草を刈り、木の枝を払い、地面を均していると、巡回の兵士がすっ飛んできた。
「こらあ!勝手に何をしておるのか!!?」
怒声を張り上げ、地面を均している陰者達を威嚇してくる十人隊長。
8名の陰者達はそれぞれ目配せを交し、その中の1人がすっと十人隊長へ寄り添った。
その手には小型の香炉と、薬草のまぶされた香木の切片が入っており、陰者は陶器の火種入れを懐から取り出し、火を付けて香炉の仲の香木を燻べる。
「申し訳ありません…少々待ち人が大勢でして…」
「な、なに?」
ふわっと薫る甘ったるい薫りを含む煙に幻惑されながらも十人隊長がそう答える。
頭を振って蠱惑的な匂いを振り払おうとするが果たせず、しかも陰者から漂う薫りは濃さを増し、配下の兵士達にも届いた。
「ぬ、ぬう…」
ぼんやりとする頭で陰者を見る十人隊長の顔は完全にとろけきっていた。
数日後、シレンティウム南城門
「ど、ど、どうしたのさ、これは!?」
「どうもこうもありませんぞ、秋瑠家の姫君が良い務め先を紹介してくださると言うのでこうして郷を上げて馳せ参じた次第」
「うえええっ?」
驚く楓を余所に、長が訥々と語り始めた。
「帝国の支配が行き届き始め……戦や小競り合いも無くなり、大氏同士の謀略戦や政争もすっかりなりを潜めてしまいましてな、我等としても働き所が無く、収入は途絶え、山深い地にある郷では農作業もままならずに難渋していた次第、いや、助かります」
「ぼ、ボク聞いてないよっ?こんな大勢来るなんてっ!」
「姫様の手紙には人数が記されては居りませんでしたしな、そこは“いっそ一思いに”というヤツです。最早我等路銀も使い果たしました次第で…ここで雇って頂かなくては進退もままなりません次第です」
楓の抗議も何のその、涼しい顔で答え、更には帰る術は無いと半ば脅かしてくる長に、楓は頭を抱えた。
「うう…ハル兄に何て説明しよう……」
「旅で見聞きするに帝国は政情が揺れておりますし、この地においても晴義様が辛うじて押さえては居られますが北の地もまだまだ不安定、このような時勢であれば我等はお役に立ちますぞ?」
「それはわかってるけどっ…」
「それはそうと長、これだけの大所帯でよく騒ぎにならずここまで…」
「呆けたか?我等は陰者ぞ…道無き道をゆき、光無き夜を自在に歩く…全員が合流したのはつい先頃その先にある兵士詰所での事、それまでは皆バラバラにここを目指したのだ」
「…お見それしました」
陰者と長が会話していると、楓がついに叫び声を上げた。
「もーっいいやっ、考えてもしょうがナイっ!何とかなるっ!」
「……姫は変わっておらんな?」
「はあ」




