人として生きる権利『市立アカ中学校』
鴉野の母校は独自教科書を用いて授業時間を潰し、ハングル文字や手話を教え、夜中の8時まで熱血授業し、民主主義の大事さを説く(※そうしないと自分たちの意見が尊重されない)と共に北朝鮮は地上の楽園で韓国には個人所有の概念がないから幸せだった(日本政府や軍や資本家が奪った)と教え、日本と日本軍がいかにアジアで悪行を敷いていたのかを延々と語る。もしくは騙る学校だった。
こうして書いてみるとなにそれすごい。
まだある。
『給食は教育の義務が日本国にあるので給食代は払わん。市が払え』
そんなことを平気で言う学校でもあった。
メ シ 代 く ら い ち ゃ ん と 払 え 。
余談だが鴉野と友人(女)はパンと牛乳を取り合う戦友だった。逆を言えばこの二人しか必死で牛乳取り合っていない。
というか、戦友は別に貧しくもなんともない。鴉野がムキになるから面白がっていただけであろう。
一応、某地区が貧困地区であったころ、給食代が払えない生徒が多かったことの影響だったらしいのだが鴉野の時代にはそんなことはない。
また、某アカ教師に言わせれば日本には平和憲法があるので、在日韓国人や朝鮮人は徴兵の義務などないので日本で平和に暮らすべきとのことらしかったのだが、それと給食は関係ない。
また、平和憲法とやらは成立の経緯はいろいろ議論の余地があるが、現在は日本と日本人の憲法であるのではっきり言って在日韓国人の徴兵関係ない。朝鮮戦争の時は普通に志願兵で飛び出している。
まあ、アカ学校の話をしようか。
差別を許さないと言って地元集中に逆らう生徒は毎月の学年集会でオルグし『研究会(学園祭に当たる)のお化け屋敷は差別と関係ないから(ガス抜きかねて)五クラスまで』と言うバリバリのリアル赤学校。
いろいろな意味で論理破綻しているのだが当時の鴉野にそれを見抜く知性はない。
アカのくせに民主主義の素晴らしさを熱く語るアカ教師たち。
民主主義には弱者や少数意見者を大事にする考えがある。
民主主義には欠陥がある。こういう前提を加えてみりゃわかる。
『社会構成関数(個人の効用)は合理的でなければならない』
どのような政策を比べても片方が優れるか、同等のいずれか。
『社会構成関数は全会一致の原則に従わなくばならない』
もしすべての人間が全会一致で特定の政策が優れているというなら社会もそれに従う。
『社会構成関数は第三の無関係な選択肢の影響を受けない』
個人同士の思想や思惑でどちらかを採択することはあっても無関係な政策の影響に左右されてはいけない。
『独裁者が存在してはいけない』
特定の個人が他人の意見を無視して政策を決めてはいけない。
結論だけ述べる。
合理性、全会一致、無関係選択肢からの独立性を満たす場合。
『独裁者がいないとおかしい』
てんでバラバラに好き勝手にしゃべれば何も決まらないのだから当たり前だ。そして弱者の意見が有用だと判断した人間が、その意見を採用した場合はほかの大多数の意見は無視されていることになってしまう。逆に自称弱者が好き勝手することも可能になる。声がでかいほうが勝ち。皆がそういったウザったい連中の話を聞くのを嫌がって『はいはい。そうしましょう』とやるとそうなってしまう。そうすると少数のウザったい奴らが独裁者になる。
ひるがえしてみると彼らアカ教師は自分たちの絶対正義を信じながらもその根拠は憎むべき日本国の保護と民主主義に求めるしかなかったということである。彼らは夏休みになると外国に貧乏旅行を敢行してその武勇伝を授業放棄して語ってくれていたが、その貧乏旅行だって日本国がビザを出している。彼らは自らの考え、思想に命がけだったかもしれないが、実のところそうでもなかったのだと思う。
そういった愉快な中学の存在を認めてしまう日本国の器のでかさに鴉野は感謝している。
いや、つぶせよ。マジで。




