東京だよゆっこさん【2022/05/08】
2013年 03月12日(火)の活動報告より
2013年3月。
14、15、16の連休が取れたと称し親子水入らずで旅行に行くと母に伝える鴉野。
オールアバウトというサイトの懸賞商品、サントリーの銀座試飲会が当たると見越して連休をとったのである。
母、ゆっこさんは働かせてもらえるなら働かせてもらえな昔の人なので、あんなのは鴉野たちには近場である京都の山崎のビール工場などで行ったほうがよくないかしらな意見であるが、鴉野にとっては名目に過ぎず、ハズレ前提で予定を組んだので問題はない。
「じゃ、墓参りに鳥取に」
それは母にとっては良いが鴉野にとってはつまらない。
「日帰りでいけるだろ。東京のままで決定ね。と、いうか、三回もネパールに冒険に行っているのに東京は行ったことないってありえないでしょ」
「だってあんなとおいところ、いったことないもん」
意味がわからない?
鴉野も意味がわからない。
そんな鴉野のツッコミに母は驚愕のセリフを放った。
「じゃ、ディズニーシー行こう」
「ファ?!」
まさか二十歳過ぎて母親と夢の国に行く羽目になるとは。
「親戚の家も寄ろう」
母は神奈川の親せきの家にも立ち寄りたいと言い出す。
この親せき、無笑ではスケキヨごっこをしたりする女学生がいたりする家だ(※当時)。
なお、鴉野の一族は小柄で身体能力は低いが、やたら若造りであり、見た目のみならず加齢による身体能力や見た目の劣化もまたほぼなく(※これは鴉野自身がスラックラインやボルタリングを始めるに当たって実に都合の良い能力である)、一般的に見て美形らしく(※鴉野のような『別方向』での例外もいる)、当然彼女も一般論で言えば美少女であった。
でもスケキヨ。
鴉野一族のひとりである従姉を娶ったかの女学生の父親は、『オクレ兄さん』とバカ正直な親戚が思わず漏らしたフケ顔ながら一族における容姿に最も優れた一人を娶ったラッキーガイである。ちなみに彼も容姿が全く変化していないので鴉野は従姉妹夫婦を吸血鬼でないかと密かに疑っている。
そんな彼は鴉野の親せきやその配偶者たちの中ではとびぬけて時間に厳密な人物であるため親せきで寄り合うならば彼がいなくては成立しない。
そういうわけで、鴉野たちは彼には好意的に接している。
……逆に述べると従姉妹含む鴉野一族の一部は、嫁にきた母などを除き壊滅的に時間を守れない。鴉野にも言えるが出発前に風呂を沸かし出したりガスの元栓を5回くらい確認はザラである。
まあ、鴉野の個性豊かな親戚についてはここまでにしよう。
ここで旅程に問題が発生した。
当時はスマートフォンなど今ほど普及していない。
乗り換え案内サイトがやっとできてきた頃でGoogleマップも一般的といえない。自宅で調べたら出先で乗り換え情報を確認できないのだ。
「しまった!」
鴉野は旅程を考えられなかった。
そもそも活動報告を書いたのは出発数日前である。
鴉野はその生涯において会社都合で休日を取る人生をしていたので休みを取るのも旅程を自分で考えるのも苦手なのだ。
「みゅ?」
「泊まりの旅行など十年近く行っていない。プランが考え付かん」
現実の母はファルコみたいな話し方はしない。
「朝一番の『こだま』で京都からいく?」
「13日は深夜まで仕事してるからどうしよう」
こんな大雑把なプランで大丈夫か。
大丈夫だ問題ない。
とりあえず浅草、皇居、スカイツリー、房総半島も行く予定。
らしい。 今も昔も適当だなぁ。我ながら。
こうして鴉野母子は東京に旅立つことに相成った。
東京の地理は東京圏の人々に聞けばいい。
しかし東京圏の方々曰く『電車で20分でもいまだに慣れない』らしくそんなものらしい。
これはのちに鴉野が群馬に住んでいた時にも生かされる。
いわゆるドーナッツ化なのだと思われるが東京で生きるということは東京で生活するというよりねぐらは別とみなしたほうがいいようだ。
連休でおかん孝行はまぁ良い。
この歳で『東京だよおっかさん』をやるのもいいだろう。
皇居に行かずとも浅草で人力車もいい。
どうせ不慣れでも観光ポイントは活動報告を見た皆さんが教えてくれる。いざというときの読者頼み! この辺は鴉野もかなりあつかましい。
しかし浅草から浜離宮巡りなどは地元の人でなくば考え憑かない。
日本一Aカップが多いと自ら自嘲される某S玉県民様ありがとうございました。
しかしだ。
鴉野はディズニーランドにこれから母といくのである。
読者様方は忘れていないか。鴉野は脱線話を書きすぎていて忘れていた。
鴉野は確かに幼い時、母にネズミの国に遊びに行きたいと訴えた。
当然母は『もっと大きくなってからね』と答えた。
時が巡り、今、鴉野はとっくに成人している。
というか子供がいておかしくない年齢である。
この歳になってまでして母と行きたいと思うだろうか。
普通は若くなくてもきれいな彼女と以下自粛。
そんな鴉野に活動報告をみた読者諸氏は親切だった。
早速ディズニーランドの諸注意を皆さんから教えられる。
曰く、子供も大人も童心に帰って楽しむ場であり朝の8時からくまのプーさんに抱きついて、「旦那と娘要らないから、一緒に帰ろ♪」とか発狂する母親を見ても、ここは夢の国だから何でも有りと思うべし。
なんじゃそれは。
その方はプーさんから母上を引き離すのが大変であったらしい。
ほかにもファストパス制度を利用せよと言われる。
かなり便利な制度だ。考えた人は天才か。
また、夢の国内部での窃盗は捕まらないが、外に出たとたん『夢はここまでだ』と御用されるなどなど。
この当時は更新を頻繁かつ毎日複数作品やっていたと記憶しているが、読者さまたちより、
「ともあれ、たまには遊んできてくださいな」
ということで鴉野母子は旅立った。
ちなみに今と違いWi-Fiスポットもろくにない。
かように拙いWi-Fi網にKindle Fireが繋がるならネットができるという状況であったと記憶している。
房総半島に行かねば千葉は地味と母だか誰かに言われ舞浜、西船、京成のほうに行くのはご愛敬である。
三県まとめて大観光の始まり始まり。
さて、『東京だよおっかさん』の世界というか時代では皇居を庶民が訪れる関係で古い人は着物で正装して東京に向かった。
そこはゆっこさんも大差ない。
やまのぼり用最強装備で挑む彼女。
鴉野ともどもこの時期は『謎の濃霧』(※めっちゃ喉が詰まる物理的な砂だかPM2.5だかの悪影響を否定する当時の日本政府はかように表現した)対策で二枚三枚とマスクを装備し、山用の帽子をかぶり合羽を装備。
暇つぶし用の新聞をビニール袋に入れた姿はまさに。
「おかんその恰好ホームレスやん。せめて着物着れんか」
鴉野は基本、母に対しても遠慮を知らない。




