梅干し人生
今年の六月一〇日は旧和暦で入梅と呼ぶらしい。旧暦のことなどわからない鴉野でもこの時期になると老人が楽しむ梅仕事セットがスーパーに並ぶのは目にするものだ。いや、このような些細な変化は気を付けていなければわからないのかも知れない。
人間が認知しなければ、五感で触れたものをこころでうつしとらなければ世界に存在しているものはその人にはないものとされる。たとえうつっていたとしてもこころを歪めなければ人は生きていられないので見たいものだけを人は見る。ならば今梅仕事を楽しむは鴉野が今みたいものと一致しているだけなのであろう。
いろいろあって宝くじよりクソレアを引いた某知人であるが、SSRガチャとか関係なくなんとか帰宅した。なんかたまたま検査して出てきたものがとてもつもなく珍しい症状で病院に速攻ドナドナされたのだ。
「えええ?! やまがあるのにぃ!」
「母よ。その話、詳しく(※激キレ)」
新型コロナ騒動以前に組まれた旅程により息子たちも知らない旅行が前々から決まっていたらしい。この頃は甘く見られていた。後日旅行会社から連絡が来て返金キャンセルと相成った。県をまたぐなという話が出だした時期であり当然である。これで『やまいってからね』と知人が言い出したら彼女の子供たちである三姉弟は般若となっていただろう。だがしかし。
「じゃ、Hさん(※仮名)の七回忌やってから!」
「えっと、死んだ旦那さんの七回忌と生きているあなたの命とどっちが大切ですかね?!」
姉弟三人と医者のツッコミがさく裂するも。
「しんでからじゃななかいきできないじゃないの」
姉弟と医者は結局般若になった(※激おこ)。
宿命は変えられないが運命は変えられるとは平松伸二の漫画『外道坊』のテーマであるが三姉弟の母は結局息子たちに激おこ食らうことになっていたらしい。
鴉野はこの時期、うっかりキッチンハ〇ターを蕎麦湯と間違えて飲んでしまい、病院に行こうとしたが新型コロナ以外の医療リソースが減り結局受診できずに応急処置でやり過ごしたことは前にも述べた。
ここで彼女がやまにいく~とか、七回忌を強行したら手術とか受けられなかった。物事には短期的にみて損にしかならなくても後から見れば適切だったとなる流れがあるものだがそんなものが見えるのならば鴉野は株だけで一昨年の無職を乗り切れていただろう。
そんなこんなで知人(※もうバレバレになりつつあるがあくまで『無笑』はフィクションであり全てでたらめであることにする)は入院し、手術を受け、見事に生還し、検査の嵐が終わればやまに復帰可能に。
『宝くじが当たったほうがよかった』
これは『知人家族』の共通認識である。まぁ目立った後遺症もなく無事手術が終わり、おそらく異常がないと判断できてからの結論であるが読者の皆様は保険などの見直しをしておくことを老婆心ながらおすすめしておく。鴉野のように無職であった期間などは無理に払う必要ないし見直さねばならないだろうが、ガンとかになったら『今回で入院二一回目だよ鴉野君!』と中二病宜しく神戸ナンバーの〇八九三番な車を自ら運転しチャンピオン入場宜しく元気に入棟する羽目になる。あんた本当にがん患者か。とりあえず脱走はやめてください。そこは立ち入り禁止だからご家族は入らないで?! あー! こけるこける! トラロープ超えるなぁああああ!
ここで教訓。病人(※まして健康人)が大人しくするというのは幻想。
新型コロナ騒動で自分自身が常に感染源になるリスクを負うようになった最近の思いである。元気な人間でそうなのだから病人も変わるまい。
(※『無笑』はフィクションであり、主に鴉野の聞きかじりと偏見により描かれており、特にこちらの人の話は本当に鴉野の知人女性とは無関係であります)
昔の入棟患者はわがまま次第で梅仕事もできたかもしれないが、最近は花の持ち込みすらできないらしい。
そんなこんなでいろいろあって、クッソ忙しい鴉野だが、休日というものはあるものだ。今年も無事母と家の中で梅仕事を楽しむことができるようだ。
梅仕事は不要不急の最たるものだろう。
買ったほうが安いし鴉野のようなへたくそが漬ければカビの危険もある。『他人に任せたら二度手間』と考えていたゆっこさんだが『自分が一〇の仕事をして専念した横で、一しかできない仕事の人に別の仕事をさせる』が理解できる程度には彼女も老いた。
最近は鴉野が洗った箸に少しゴミが残っていても黙ってさっと洗いなおす程度で終わらせている。老いは悪いものではない。
友がみな われよりえらく みゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ
石川啄木は『一渥の砂』でこのように語っているが、昨今の花も満足に買えなかった日々は実に鬱屈したものであった。なんとなく石川啄木を思い出して父の仏壇に買ってきた花を飾る母子。
いろいろ大変だし自分より優れた人がいっぱいいて逆に気疲れするのが最近だ。まして最近の『えらいひと』は実にでたらめを誰が見ているのかわからないTwitterだの新聞だのテレビだので年中いいまくってワケがわからない。お前ら全員go.jpやac.jpで発言しろこんにゃろう。コロナ関係でたらめだらけ。
啄木の言う『えらい』ひとは優れた、人格的に素敵な人物なのだろうが昨今の『えらい人』はどうにも自分に都合の良いでたらめをばらまく人というように感じてしまう。正しくインフルエンサー、インフォミックの元凶。これも鴉野の偏見、五感の認知のゆがみなのだろう。
梅干しや梅酒ごとき買ったほうが安いのはわかっている。クッソ忙しくて寝ておきたい。
にも拘わらず花を買い、昔ながらの梅仕事を涼しくて快適な室内で過ごす雨の日にあえてやる意味はないのだが意味がないからこそあえてやるのが休日、オフといえなくもない。最近ジムが再開されて久しぶりに走ったら三〇〇メートル走る前に嫌になって帰ってきた。確実に体力が落ちてやれること、気力体力が落ちているのにオーディオブックを聞きつつ梅仕事である。
『まぁカズオ・イシグロ聞きたかったからなろう更新せず梅仕事もオツなもの』
そういってヘタを取るべくまず梅を水にいれて洗う。今年の梅は母の山仲間が色々あってタダでくれたものだが青々としていて毛もしっかりしておりプラムと見まごうほどの立派なものである。
水にどぼんといれたら透ける。
梅仕事をしない人間にはわからない事実である。
実際鴉野も真剣に梅仕事に参加することは今までなかったのでこれは知らなかった。
梅には小さな毛がおびただしく生えているので毛の間に小さな空気がたまり、光が屈折して実際の梅の大きさに反して小さくなり、空気の層が大きく見えて梅が透けて見えるのだ。光すら歪む事実はなかなか愉快な事実なので写真と動画にとるがそういえばTwitter辞めたのだったと気づいて苦笑いする鴉野。
長生きしたとしても注意しなければ見えていても自覚できていないものだ。季節のイベントでそういったことに気づくこともある。小説の一人称が作者と主人公の認知を脱することはあまりないように。
ドボンといれた梅をブラシで丁寧にゴミ出しする。その後は毛を揉み洗いしてヘタを楊枝で抜く。今年の梅は青々としているので一日置いてから熱湯で追熟するらしい。今年の梅干しが楽しみだ。
『ベイビーベイビーわたしを離さないで』
オーディオブックを聞きながら作業を終わらせると先ほどまで透けていた梅がその実を護る毛を失った結果、当たり前のように大きい顔で水中でごろりとしているのに気付く。梅よおまえデカい顔してないかと笑う。新聞を読み株価を見て過ごす。本日はアライドテレシスホールディングス株がいい感じで売れたようだ。
宝くじより激レアな病気にかかった知人が無事帰宅したとか、株価が連日下がり調子のに三日連続で少額ながらプラスが出たとか、仕事でいろいろあったというのに梅仕事が本日で一番楽しい。不思議なものだ。
思うに不要不急というもの、小説だの創作だのはある意味こころの救いになるものなのだろう。
話しは変わる。先日、『某所某氏』の仕事になるが、『接触すると色々あるのでわざわざ搬送時間と管理棟を決めて対応していた中、対応棟が変わったという仕様変更を知らない担当者がその時たまたまいた時間があった』ことがある。厄介なことにも偶然にも前の管理棟関係者が何か誤解して担当時間に来訪し、新棟対応と判断して電話しているのに新棟はいろいろあってスタッフも資材もその問題のブツも撤去済みでありながら某氏と担当には伝わっていなかったのだ。
当然恐ろしく揉め、某所にて働く某氏は調整し、仕様変更を知らない担当とのよくわからない会話の後にとりあえず現担当責任者と話をつけて『とりあえず当面対応不用。何かあってまた新棟に動きがあったら連絡をもらう』との返答をもらえ、名目上は対応責任者なので各員に周知を図ったのだが隊員の一人がかのように言い放ったので内心キレた。
『知ってた知ってた。言わなくていいです』
『つまり今日のトラブルの全てはお前が原因か~~!』
某K氏は内心ブチキレた(※誰だろう)。
問題が起きる原因である新棟対応という仕様変更に対して新棟が既にもぬけの殻になったという事実を先に自分だけ把握していたにも関わらず問題が起きるであろうことを担当責任者に話さず放置し関係各社への対応を怠ったのに超絶偉そうな態度で返答されたのだ。
不要不急に救いを見出すことは多くある。
しかし不要不急に甘んじてトラブルを自己判断で止めるのはちょっと困る。
人間の判断および認知は澄んだ水に入れた梅の実のように透けてキラキラ美しく見えるのに、実際は歪んでいて強行に及ぶことは多くある。
美しいと感じるもよし。
危険とおののくもまた一興。
可能ならば梅仕事のように不要不急を楽しみ、一歩下がっておちついて美しく、それでいてトラブルになる傷やカビに対して綿密な下準備や情報収集をもってあたりたい。
例えばミツカンのカンタン酢とジップロックを用いれば超絶手間なく簡単に梅干しが作れるので鴉野と母ゆっこさんはこの手法で今年は梅仕事を終えた。この方法ならば空気が入らないのでカビる要素もない。母のやま仲間が教えてくれた知見である。
ところがどっこいミツカンの公式見解としては『保存がきくものではないのでやらないでください』だ。
(参考。
http://faq.mizkan.dga.jp/faq_detail.html?page=1&category=11&id=1211 )
どちらが正しいのか物事はわからないのが世の常だがこの場合鴉野と母およびそのやま仲間の行動は危険で正しくない行動となる。
人生、あまいもしょっぱいも自分しだい。そしてその認知そのものが歪んでいるのにも関わらず美しいものしか見たくないと思うのも心次第。
人生まったく梅仕事。
読者様もゆめゆめ忘れずにいてほしい。




