秋風の狂詩曲「しわしわ真っ赤な干し柿みてえな面してんじゃねえよ」
人間の顔が覚えられない。
というかクラスメイトの名前を一年経っても覚えていない。それが鴉野という男だが何かのトラウマに触れるのかいまだ学校の夢を見るときは大半の登場人物の名前が思い出せない。
「この映画バカすぎておもしろそうなのだが」
「へー。ほー。ふーん」
仲良しだが不審な態度をとる級友の正体はその映画の主演女優だった。マジでそんな夢を見たことがある。
さて、鴉野に限ったことではないが顔が覚えられない、全ての人間の顔が心理的外傷により覚えられない人種は実際に存在する。どこぞの小説では人間の顔が覚えられないので将棋の駒として覚えている人物がいた。歩兵ばかりで大変だ。
人間は個別を子細に眺めれば明らかに差異があるが、干し柿の皺のごとくそうそうわかるものでもない。外から見れば一緒一緒。注視し外的環境と共に認知して初めて個性が見えてくる。はずだ。
「鴉野君。ぼくの名前は山本!」
「あ、ごめんなさい山川さん」
「だれだよ」
「自分でも思いました」
こんな警備員がいたら困る。
鴉野の警備範囲に殺人犯とか出ませんように。
一応ワークマンで400円にて買った対切創インナーグローブを礼装白手の下に装着している。
取敢えず小さなナイフ程度なら防ぐが痛い。
今回はそんな話である。
実はマッハ新書『群馬のタコ部屋で二か月半リゾートバイトした話』とも重複する。
鴉野が前職を辞めてリゾートバイトといいつつ二か月半遅れで六万しか渡してこないしその後ひと月ごとに給料を渡してごねにごねて離職票を出さないケチな派遣会社の手で群馬にいたとき、いい加減鴉野はキレていたことを告白せねばならない。
取敢えず鴉野は弟を見習い、人の悪口を言わない、参加しないを是とした人物としてふるまうことを決めていた。にしたって派遣会社P〇Nスタッフ(※仮名)はトンデモない会社であるが。
後に沖縄で離職票は来年にと言われた鴉野はキレている。
「一ケ月30万と言われた派遣先にいって、実額15万にならず、二か月半待った給料が6万しか振り込まれなくて、アンタは暮らしていけるのか!」
「ムリです」
P〇NSTAFFの従業員は証拠の残るような話をしたら嫌なときはメールや手紙を使わず電話を使うので電話ではめちゃくちゃぶっちゃけてくれる。注意されたし。
そんな派遣会社もアレだし、なんかよくわからない文化的なものを感じていた。
「お土産買ってこいよ!」
この一か月半で頂いたお給料総額六万円しかもらっていない鴉野に皆はそうおっしゃっている。
ゆっこさん(仮名。母)は相も変わらずやまにいるらしく家は無人らしいがそんなことは関係ない。書類だの行政手続だのあるしいろいろせねばならないし、なによりなんかまっぴらごめんだ。
「というか、鴉野君赤字だよね」
「めちゃくちゃ赤字です」
「辞めとけばいいのに」
なんせ彼らは鴉野が暇さえあれば今まで前職で貯めた貯金を崩してジップラインだの川下りだのしているのを知っている。鴉野としては赤字で株を売らねば年金が払えないのでマッハで心臓に悪く、そんな状態で仕事が捗るはずもないので許してほしい。
「とりあえず、会社のバスを待っていると深夜に帰宅になるっぽいのです」
鴉野は調べたルートをテクテク歩いていた。
地元のバスに乗れば群馬にも新幹線駅がある。
鴉野はずっと皿洗いをしていた。
手は真っ白だしスマホも動かない。
皿洗い自体は嫌いな仕事ではない。ごはんおいしい。
皿洗いはあまったご飯が食える。
給仕担当の台湾のひとたち曰く「あんなのはマンゴーじゃない」だがそういう彼らもほかのご飯は美味しいらしく体重が激増しているのを鴉野は知っている。
皿洗いはこれといった特殊技術がいるわけでもない。
給仕のように英語や中国語、日本語が話せるとか、調理師免許が必要ってわけじゃない。
まして紅葉と間違えて漆の葉をのっけようとして元料理長に激怒されるようなこともない。
ようするに肉体労働ではあるがそれほどストレスがたまるわけではない。いやたまるのだろうが鴉野はこういう性格なのでスパッと忘れる。
たとえば普段怒鳴り散らしている人間は同じ顔に見えたりする。差があるのにわからない。干し柿かよ。
かつて中原中也は「青サバが空に浮かんだような顔をしやがって」と太宰治に酒の席で絡んだらしいが、料理人というのはパワハラの多い世界らしい。
焼き加減を聞いたらフライパンに手を突っ込まれたとか聞くし。流石にそんな暴力はないが暴言大声当たり前。料理場は鉄火場、戦場といっていいのだ。
秋の山の中をテクテクテクテク。
風が吹いてテクテクテクテク。
のうのう猿が餌付いても気づかない。
狂うほどに穏やかに。
詩人の如く静かに。
曲というかことばが消えてこえになる。
「鴉野君、乗っていかね」
料理担当のえらいひと、○○さんが車で送ってくれた。なんでも今日は休みらしい。
「鴉野君は真面目だし、いろいろ食べ歩いて勉強熱心だそうだね。そういうの、パントリーとして良いよ」
確かに鴉野はそう言うところがある。
彼の話が続く。修業時代いじめられたこと、流石に最近は殴るわけにはいかないが厳しくしないといけなくて辛い、仕事や生活、今後の展望など。にしたって調理場では怒鳴り声が日常茶飯事過ぎる。
「本当に本当にありがとうございました。お蔭で実家に昼に帰れます!」
そういいつつ放送大学の用事をして帰るわけだが鴉野は。それはそうと何故かiPadがない。教科書もない。それを入れたカバンがない。
「新幹線駅で忘れたのかな」
鴉野は警察に届けることもせず、しばらくしてから届け出を出すことになる。
言われた通りお土産を買って帰る。ひとり100円のお菓子で良いのかな。安物と叱られないのかな。
予想は覆り、「鴉野君が! 一個百円『も』するお菓子を買ってきた!」「ウマい!」「冗談だったのに。鴉野君は気遣いできる子だ!」と皆は申しており。
あれこれなんかぶんかがちがう。
確かに地元のお菓子屋さんの銘菓だけどさ。
そして鴉野の母ゆっこさんは『駅まで送ってくれたのなら』と山仲間が育てた特製の渋柿から作った干し柿をくれた。送ってくれた〇〇さんにと鴉野は調理部にそれを持っていく。元料理長から『超美味しかった。何処の農家さんの干し柿なの』と聞かれたものの母の山仲間なので言えない。
「取敢えず、母の山仲間で公表も一般販売もしていないらしいのです」
「本当に美味しいのに。残念だ」
その後、△さんが『車の中でなんか色々見つかった! 爆弾と思って焦ったら鴉野くんの荷物だよねコレ』と教科書などを返してくれた。正直iPadより教科書とノートのほうが大事だったので喜ぶ。それより料理人って爆弾仕掛けられるような仕事じゃない。
○○氏は鴉野への評価を高くしたらしく、鴉野君は自分の洗い場だけではなく多部署へのお土産も持ってきた、彼は真面目で律儀だと周囲に漏らしていたようだが問題がある。
「ところで、車で送ったのはぼくだよ。○○さんじゃないから名前覚えてね」
△さんに届くはずだった干し柿を鴉野は○○さんに渡していた。
だっていつもみんな怒鳴り散らしていますから。みんな同じ顔に見えるのです。まじでごめんなさい△さん。
「鴉野君。あの二人の名前を間違えて覚えていたの君だけだよ」
「普通(※あんな強面な人達)間違えないだろ」
「すんませんすいませんマジでごめんなさい」
鴉野の顔面認知能力は職場の伝説となった。




