お前らの中に、冒険者がおる。『マピロ・マハマ・ディロマト』 お前か~!?!
「象でかいなぁ」
動物番組を見ていると母がこうおっしゃった。
「うん。あのね。30分ぐらい待っていてもぞろぞろと並んで歩いているよ」
まさかの実体験である。
普通の日本人は象を見たというとせいぜい動物園どまりだ。
「サイとかも見たことあるよ。あとマサイの人のパフォーマンスも見た」
最近のマサイ族はマサイ族という職業であり、ノートやボールペンや鉛筆が欲しいと言われて困ったらしい。先に言ってくれたらいくらでも日本から持っていく。
「ああいう人はあげても取り合いの原因になるからあげちゃダメだ」
鴉野は非情である。
ゆっこさんは普通に冒険者なので毎年フラッとどこかに出かけて帰ってこない時期がある。
鴉野にとっての冒険者というのは自らの書くものに出てくる空想の産物に過ぎないのだが、ガチ冒険者が目の前にいるとかいろいろ考えるものがある。
というか、普通の作者は武道家の親なんて持っていないし、冒険者の母とかいるわけがないのでどうやって書いているのか疑問だ。
全部想像で書いているのだろうが人間の空想能力とは偉大なものである。
「剣と剣が正面からぶち当たると剣を破損してしまうので正面から受けるように見えてしのぎ部分で弾いて身を守ったりするのだが、その際剣先は身体の中央に残したまま握った手を左右に身体と一緒に動かして敵の斬撃を逸らす。そうすれば剣先は身体の中央に残るので隙なく敵を両断可能に」
「すげえ! 知らなかった」
想像力にも限界がある場合もあるので、こういう場合は素直に知っている人に聞いたほうがいいらしい。
母は趣味で冒険旅行をやっているが、冒険そのもの、傭兵が仕事の人が身内にいたらまた感想も違うものになるだろう。
取敢えず母は鴉野の描く創作の世界のみならず、実際に異世界を旅していても鴉野はさほど驚かないと思う。




