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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
四章
78/196

知らない理由

 

――十年くらいは前だろ。あんたが、ここに来たのは。


 老婆はたしかにそう言った。

 テルスが魔瘴方界(スクウェア)で拾われ、ドラグオン孤児院に預けられたのは約八年前。


 つまり、この老婆は記憶を失う前の『テルス』を知っている。


「ちょ、ちょっと待って。本当に? 十年も経ってるなら、人違いって可能性は? 何で、そんな前に来た子供が俺だって!」

「そりゃ、あんたほど面倒で、腹が立った客はいなかったからな。運命線もぐちゃぐちゃにこんがらがっとったし、ああー、思い出しただけで腹が立ってきた!」


 珍しく声を荒げるテルスの前に、老婆は手に持っていたカードを投げつけた。


「ええ、運命とか言われても……」


 何故だ。自分よりも熱くなっている老婆に面食らったテルスは、思わず本音を漏らす。

 それが、さらに老婆の感情に火をつけた。


「ああっ! また言いおったこの小僧! 隣りにいたのはおらんし、別人みたいに魔力は変質しとる。でも、こんな面倒な奴はあんときの子供しかいない。こりゃあついに、あたしゃの百発百中の占いが外れたのかと気になっていたんだが、今ので確信したね! あたしゃの占いは正しかった。なーんも外れてなんかなかったってな!」


「占い? 俺はグレイスにいて、ここで占いをした?」


 ならば、『テルス』はグレイスの人間だったのか? しかし、コングもその仲間のサルジュ、シュネー、バルフも、長年ここに住んでいるであろうヌン爺もテルスの顔を見て、何の反応もなかった。

 どういうことだ? まさか、魔力だけでなく顔まで面影すらないほど変わっている? 混乱しながら考え続けるテルスに、老婆は歪んだ笑みを浮かべた。


「やっぱり、失くしているね。あれはそう意味だったか。なら、もう一度教えてやるよ。そうだねえ……一万チップだ」


「……高くない?」


「そうか。あんた自身の過去。その記憶の一端。思い出すこともできない情けない男にかけてやる温情はなかったようだねえ」


「ごめんなさい。一万でお願いします」


 無言で老婆が差し出した手に、急いで金貨を一枚乗せる。疑り深い性格なのか、舐めまわすように金貨を見分し本物だと確かめると、老婆は大事そうに金貨を懐にしまった。なんとも、けち臭い。


「さて、ではあのときの再現をしてやるよ」


 そう言って老婆は地面に散らばったカードを拾い始めた。


(なんだかなあ……)


 これから、あれほど求めていたことを知ることができるというのに、テルスの顔は浮かなかった。

 正直、半信半疑なのである。占いすら信じていないというのに、それをする人物はこちらを監視していた、人間的にも信じることができない人物だ。


 しかし、そんな思いはすぐに吹き飛んだ。


 老婆の気配が切り替わった。

 その気配は、ぐちゃぐちゃだった色が急に混ざり合って一色になったような不可思議なもの。

 空気が重くなり、漏れだした魔力が淡く暗闇を照らす中、ソルが息を呑んだ。


「いや、待て。この気配は……!」


「さあ、再現といこう――時の暗闇に火を灯したまえ【スクルド】」


 ぼうっと老婆とテルスの間に青く透き通るような火が灯った。

 音もなく、今にも闇に溶け込んでしまいそうな儚い火。それは幾たびか揺れ――


 老婆とテルスを燃やすように包み込んだ。


 何故か避けようとする意志さえ湧かなかった。火の熱気に視界はぼやけ、テルスの思考はまどろみの彼方に追いやられていく。


 そんな中、声が聞こえてきた。


――【遠くない未来、汝らは眠りにつく。約束は届かぬ彼方に。永劫の眠りと久遠の微睡に囚われる。避ける術はない。汝らはすでに、その運命を選んでしまった】


 聞いたことがない。こんな言葉は聞いたことがないはずだ。でも、この宣告を、闇が晴れていくかのように進む道が定まってしまうような、この感覚を体が覚えている。

 何もかもを忘れたはずだというのに、そんな確信がテルスを離さない。


――これがあのときの予言だ。そして、あたしゃ『残念だったね。残った寿命を楽しみな』って助言までくれてやった。でも、あんたは『占いは当たるも八卦当たらぬも八卦っていうからなあ』だのなんだのと、訳わからん、むかつくことを言いやがって……!


 この場に似つかわしくない苛立ち混じりの声。そして、続く声は問いかけることも、言葉を返すこともできないテルスをさらに追い詰めていく。


――おまけだ。二度も未来を教えてやれば、あの方の御力を信じられるだろう?


――っテルス! 駄目だ! これは占いなんてものじゃない!


 どこからかソルの必死な声が木霊のように響いた。しかし、テルスの意識は揺蕩うだけで、体はぴくりとも動かない。


――【三度目の邂逅は逃れられぬ必定。追い立てる因果の猟犬から逃れる術はない。閉じゆく世界の先に希望、は――】


 老婆の声が詰まった。咳き込むのを耐えるように声が途切れる。その瞬間、テルスの体を包んでいた火が僅かに揺らいだ。


 今しかない。


 テルスは突き動かされるように刀の柄を握り――青く燃える世界を斬り裂いた。


「はあ、はっ……」


 そうして、テルスは老婆の声から逃げ出した。

 まどろむ意識が覚醒していく。うるさいほど胸を打つ鼓動。痛いほど握りしめた刀の柄。そして、汗ばんだ体を揺さぶる手に気づいた。


〈テルス、テルス! 大丈夫!〉


「大丈夫って……何が?」


 ルナの文字から顔を上げれば、そこに老婆の姿はなかった。熱気の欠片もない冷ややかな空気と土の匂い。壁に刻まれた一文字と落ちている塔の絵のカードだけが、あれが夢でないことを教えてくれる。


〈青い炎が広がったと思ったらすぐに消えて、そうしたら、あのお婆さんがいなくなってたの。テルスは刀を抜いているし……それに〉


 文字はそこで止まった。ルナの瞳に映るテルスの顔は、今にも倒れそうなほど青白かった。


「テルス……すまない」


「いや、なんで謝るんだよ?」


「会わせるべきじゃなかった。テルスと似ているという時点で、もっと警戒すべきだった!」


 ソルは震えていた。これほどまでに、この精霊が動揺している姿をテルスもルナも見たことがなかった。


「あれは精霊の力だ。あの老婆は相当な精霊と契約している。それも……テルス、君なら分かるだろう。あれの魔力には微小な瘴気まで混じっていたぞ!」


 テルスとあの老婆の魔力は似通っていた。あの老婆とテルスにおそらく血の繋がりはない。テルスが生来持つ魔力が反応していたのでないならば、


(俺の瘴気とあの人の瘴気が反応していた……?)


 これが答えかは分からない。だが、テルスの知る限り、他にあの老婆と共通点はないはずだ。


「魔力に瘴気、か……ソルはやっぱり知ってたかあ。あんまり気持ちのいいものじゃないから、黙ってたんだけど」


「精霊をこんだけ近くに置いて、ばれないはずがないだろう。それに……瘴気が混じっていようと君は君だ。一緒にいるのが、そこそこっ! 楽しいからね」


 そう言って、ソルはそっぽを向いた。そんな照れているのを隠すような仕草は、今の言葉が気恥ずかしい本心だということをテルスに教えてくれる。


「そっか」


 瘴気が混じっていることが気にならないほど、楽しい。そう言ってくれるのは、素直に嬉しかった。まあ、ルーンが言っていたように、瘴気を持った存在に興味を持ったという理由もあるのかも――


(あれ……?)


 ふと、テルスの頭にある疑問が浮かんだ。


 ソルは以前、瘴気の残滓を精霊は嫌がると言っていた。では、瘴気そのものが混じっているテルスはどうなのか。ソルがテルスの魔力に混じる瘴気に気づいていたということは他の精霊、例えば、テルスの近くにいるという精霊たちだって、その瘴気に気づいているのではないか。


――もし、この考えが合っていたなら、どうして精霊は俺から離れないのだろう?


 そんなに、『興味』とやらが強いのだろうか。じっとテルスは考え込むが、浮かんだルナの文字がその思考を止めた。


〈瘴気って、どういうこと?〉


 そう、ソルと違って、ルナはこのことをまったく知らない。

 テルスを見上げ、答えを求めるルナの目は心配そうに揺れていた。


 ルーンに話すな、と言われていたこともあって、テルスはこのことを誰かに話したことはない。だが、これはもう言い逃れはできない。騎士は、真っ直ぐ見つめてくる主の視線から目を逸らし、釈明の言葉を並べていく。


「えーと……俺の魔力には瘴気が混じってるというか、体を蝕んでいるというか、後遺症というか、って、ちょっと待って。大丈夫、大丈夫だから! そんなに『浄』を流し込まないで!」


 ルナは話の途中から、テルスにしがみつき『浄』の魔力を流し始めた。あまりに力を込めるから、洞穴の暗闇まで白い光にどかされていく。最後は止めとばかりに、治癒と活性化の効果がある【浄光(ルクス)】がテルスを包み込んだ。


「暑い……」


 『浄』の魔力を過剰に流し込まれ、テルスの体はひじょーにぽかぽかしている。今ならコングが言っていた、全裸でのグレイス生活もできるかもしれない。


〈そういう大事な事は、もっと早く言って! どうしよう、そんなこと聞いたことないし……とりあえず、薬みたいに朝晩二回、『浄』を流し込めば……どうかな、ソル? 今の『浄』でテルスの中の瘴気は減ってる?〉


「そんな簡単に減らないし、分からないよ! ただでさえ、テルスはぐちゃぐちゃしてる変な魔力なんだから! ああもう、今はいちゃつかないでくれないかい! それより、あの老婆だ。テルス、君はあれと会ったことがあるんだろう!?」


「……多分。でも、俺は忘れているんだよ」


「忘れている?」


 ソルの言葉に頷いたテルスは冷たい地面に腰を下ろし、やがて、ぽつりぽつりと自分の過去を話し始めた。

 シリュウに魔瘴方界(スクウェア)で拾われる前の記憶がないことを。そして、今まで何も聞かないでいてくれた相棒に、それから先の話せる限りの過去も。


 この場所はちょうど良かったのかもしれない。余計な耳もなく邪魔が入ることもない。ルナとソルはただ静かにテルスの話を聞いてくれた。


 話が終わると、落ち着きを取り戻したソルがためらいがちに口を開いた。


「テルス……君はその思い出せない過去を知りたいかい?」


 そんなソルのささやくような問いかけに、テルスは目を閉じた。


――戻らなければならない。


 自分に残っていた唯一の思い。あのときは、もうそれしかないのだと思っていた。だから、馬鹿みたいにテルスは自分の過去を知ろうと突き進んでいた。でも、今は違う。過去を知りたいという思いは変わらない。ただ、その理由は多分変わっていた。


 ルーンの言葉と生き方がテルスを変えた。

 いつか『誰か』に会えたとき、笑顔で今までのことを話せるような、そんな未来を目指せる生き方をすべきだと思ったのだ。


 だから、耳元の問いかけにテルスは小さく頷いた。


「なら……僕は友達として、知っていることを話すべきだね」


「は?……え、いや、ソルは俺の過去を知っているの?」


「僕は知らないよ。でも……君の周りにいる精霊は違う」


 一瞬、テルスは何を言われたのか分からなかった。

 少しずつソルの言葉を咀嚼し、その意味を理解していく。


 求めていた答えは、常に自分の近くに転がっていたという事実を。


「ちょっと待って! 普通の精霊ははっきりとした意識はないはずだろ。だって、雪花の湖のことだって……」


 テルスはソルが嘘をついているとは思っていない。しかし、仮にソルが精霊からテルスの過去を聞き出せるのなら、同じように雪花の湖についてだって、もっと詳しく聞けたはずだ。


「そうだよ。エルフなら表層の意識を少し理解できる程度。精霊である僕ですら『水鏡』、『元の輝き』程度しか聞き出せない。そんな、人間でいうなら幼子みたいな意識だ。そのはずなのに、そこにいる精霊たちは……」


 虚空を捉えるソルの目に何が映っているのか、テルスには全く分からない。

 精霊が視えないことが、意思の疎通ができないことが、こうまでもどかしいと思ったのは初めてだった。


「……君は本当に何も知らないのか。この誰かの願いに心当たりもなく、何を失ってしまったのかも分からず、僕があのとき君に話しかけたことも、ただの精霊魔法もどきの僕の約束があんな力になるのかも……知らなくて、想像もできないのか」


 ソルから零れる言葉を聞いても、テルスは何の答えも返すことができなかった。それを見て、ソルはやるせないとばかりに、首を振った。


「酷い話だね。君も、精霊も、ずっと一方通行だ……」


 ひどく悲しそうな呟きだった。思わず、テルスとルナが目を合わせるほど、ソルは何かを嘆いていた。


「僕が伝えられることは全部話すよ。そうだね、まず、君たちも『精霊憑き』のことは知って……いないのかい?」


 初めて耳にする単語にテルスと、その隣に座るルナは首を傾げていた。その反応に話の途中で気づいたのか、ソルは意外そうな声を上げた。


「知らないだって? テルスはともかくルナ嬢まで? 変だな……ええと、『精霊憑き』というのは、滅多にいないが生まれたときから、精霊に愛されている存在のことをそう呼ぶんだ」


 精霊が魔力に惹かれ、勝手に集まってくる。

 そんな力を持つ者を、かつては『精霊憑き』と呼んだらしい。


 精霊憑きは、強大な魔法を発現することができる。だが、使う魔法の規模が大きくなり過ぎて制御は難しく、先天的な資質だからどうすることもできない。ソルは「これは才能というより、事故みたいなもの」とすら言った。


「この精霊憑きはね、何もしなくとも魔法を勝手に精霊が助け、強大な魔法も少ない魔力で発現することができる……ほら、これだけなら、誰かにそっくりだとは思わないかい?」


 その言葉に隣に座っていたルナがテルスを見た。

 テルス自身も分かっている。


――【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】。


 一つだけ、精霊が勝手に力を貸す魔法を自分が使っていることを。


〈ということは……テルスはその精霊憑きっていうのなの?〉


「それは違う。テルスは先天的ではなくて、後天的なもの。だからこそ、テルスは普通なのに、特別なんだ」


 先天的な資質であるはずの精霊憑き。それと同様の現象。

 それが何に支えられているものなのか。真っ直ぐに、そして、抑えていた感情が溢れるように激しく、ソルはテルスに伝えようと言葉にしていく。


「君の周りにいる精霊たちは、たった一つの口約束でそこにいる。召喚魔法のような契約でもない。精霊魔法みたいに使役されているわけでもない。僕のように意思を持ち、形を持っている精霊でもなければ、何か力を持った精霊でもない。それでも、ただの幼子ほどの意識しかない精霊たちが、ずっと、ずっと君のそばにいる」


 ソルは必死だった。それは、テルスだけのためだけではない。

 自分の同族が伝えることのできなかった、何年もの時が積み重なった想い。それを忘れてしまった愚か者に少しでも伝えようとしているから。


「僕が声をかけたのも」


「リベリオンがあんなに強い魔法になるのも」


「みんな君の精霊たちがいたからだ」


「『あの子はきっと』『独りでも生き残る』『だから、一緒にいてあげて』っていう誰かとの最後の約束をずっとずっと、一字一句忘れずに、ただの精霊たちが覚えているんだよ!」


 その答えはただテルスに空白を突きつけた。


 ただの精霊が朧げな意識に刻みつけた約束。


 それはきっと、すごいことなのだろう。

 考えられない奇跡のようなことなのだろう。


 だけど。


 テルスには分からない。一欠片たりともそれを思い出せない。どんなに心の中を探しても、記憶が蘇ることはなく、大事なはずのそれはただ知識として刻まれてしまう。それこそ、読んだことのない本の感想でも聞かされているかのように、ソルの感情に取り残される。


 何て――薄情者。

 ずっと前に樹上で抱えていた感情。覚えていないという罪悪感。

 それだけが、テルスの胸の内を染めていく。


(そっか……だからか)

 

 これまで、ルーンやマルシアのように精霊が視える人は、誰もがテルスの周囲にいる精霊について不思議がったり、その理由を尋ねてきた。

 でも、ソルは一度もその話をしなかった。それは、テルスが記憶を失っていることを知らなかった以上に、


 テルスが辛い過去を思い出さないように、ソルが気を遣っていたから。


 それが『傷』だと思ったのだろう。精霊たちの言葉が何を意味しているのかなんて明白だったから、ソルはテルスの過去に触れなかった。


 その理由は、テルスがルナの首に巻かれたスカーフや、メルクがああも強さを求めている理由を聞かないことと似ていた。

 

 どんな生き方をしてきた人にも過去がある。それに踏み込むことは勇気がいることで、踏み込んだら壊れてしまうものだってある。

 少なくとも。


――もう、会えない。


 ソルが教えてくれた過去の一端は、テルスの願いを壊すものだった。

 いつか『誰か』に会う未来は消え失せた。再会が叶うことはなく、テルスがこれまでを『誰か』に語る機会は一生ない。


〈テルス、大丈夫?〉


「ん、大丈夫……覚悟はしてたし」


 分かっていたことだ。当然の帰結だったはずだ。

 魔瘴方界スクウェアで一人だけ拾われた。記憶はなく手掛かりもなかった。だから、こんな結末もテルスは覚悟をしていた。


 それでも。

 テルスは今、自分がどんな顔をしているか分からなかった。


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