『騎士』として約束を
騎士選定が終わり一時間後。
出場者は再び、舞台に上がった。
舞台中央には新たに銀の燭台や白い布が敷かれ、小さな壇が作られている。
その壇上には王や騎士、そして、浄化師が立っていた。
地方の駒者に過ぎないテルスでは、もう二度と見る機会がなさそうなお歴々だ。しかし、そちらに意識を傾ける余裕がテルスにはない。ふらつく体は気を入れていないと今にも倒れそうだった。
『――それでは表彰に入ります』
司会が厳かに勝者の名を告げた。
『優勝、リシウス・ジャック。壇上にお越しください』
服は水と汗に濡れ、疲労と鈍痛に身体は重く、届かなかった勝利に気分は沈む。これで約束までしていたら、自責の念に潰れテルスは立ち上がることもできなかったかもしれない。
何しろ優勝どころか……いや、自分は結局、何位だったのだろう?
テルスはもう何度目になるか分からない疑問に首を捻った。
優勝はリシウス。それは間違いない。何しろ最後まで舞台の上に立っていたのはリシウスだけだったのだから。優勝以外にもミユが一蹴したエドモンド、ファスター、ツバメ。テルスが降したヴァン。メルクが罠を全部洗い流すという酷い方法で勝利したミーネ。
この五人についても順位ははっきりしている。上からミーネ、ツバメ、ファスター、ヴァン、エドモンドの順だ。
しかし、それ以外の順位については、何とも言えない結果となってしまった。
そうなった原因は間違いなく、テルスとミユにあった。
必殺を掲げた技の交錯。その結果は正に痛み分けだった。
ミユの一撃はテルスを舞台の端から端まで吹き飛ばし、テルスの一撃はミユの手から大剣を吹き飛ばした。
そう。テルスの一撃は届いていた。少なくとも大剣を奪い、ミユの体勢を崩して舞台の上に戻ることを許さないほどには。
そんな二人の交錯は他の出場者にも影響を与えた。凄まじい魔力の奔流や勝敗の行方に気を逸らしたのではない。
これは優勝候補を蹴落とすいい機会だ、と皆が考えたのだ。
まさに駒者の思考。まあ、そうなるよね、とテルス自身も納得できてしまうのがちょっと虚しい。
メルクはテルスを空に打ち上げた隙をエレンリードに突かれ、その他の出場者は空中で無防備な姿を晒すテルスとミユを狙い、
そして、リシウスの【蒼火】はそんな出場者の隙を突いて、燃え上がった。
テルスはまさに舞台の真上を飛んでいる最中であったため、その瞬間を見てはいない。ただ、後から聞いた話では蜘蛛の巣のように蒼い炎が走り、一瞬で舞台上の参加者を燃やしたらしい。
それが王手。騎士選定の終わりを告げるリシウスのトランプ・ワンだった。
(……ひどい決着だ)
誰もが敵の背後から奇襲しようとする中、一番後ろにリシウスがいた。ようは、彼が一番、周りが見えていたということなのだろう。
リシウスの魔法による同時脱落。それはくしくも、吹き飛ばされたテルスが壁に埋まり、ミユが場外に落ちたその瞬間だった。
この結果に騎士を選ぶ王様たちが頭を抱えたのも無理はない。一位以下のほとんどの順位がはっきりせず、物語に出てくるような騎士なんて何処を見渡しても見当たらない。いるのは騎士を選定する大会だというのに、騎士道をバックスタブする出場者だけであった。
それでも何とか騎士は選出され……それはテルスではなかった。
(ルナに合わせる顔がないな……)
そんな思いがポツリ、ポツリと浮かんでは消えていく。これでは五十点だ。
だが、後悔すら満足にできないほど、テルスの体は疲れ切っていた。
保護用魔具があったというのに体にはいくつも傷ができ、あばらの近くは呼吸のたびに鈍く痛む。
ただよう意識をなんとか繋ぎとめ、テルスはぼんやりと、騎士の称号の授与に移った式典を眺めていた。
実況の声もどこか遠くに感じた。ただ、白い布が敷かれ煌びやかに飾られた壇上へと目を向ければ、騎士の称号を得た人物くらいは分かる。
リシウス・ジャック。
ラブレ・アンホース。
エレンリード・ヴォルテ。
騎士の称号を授与されたのはこの三名だった。
「テルス、テルス、大丈夫かい? あんまり具合が悪いなら、もう帰ってもいいんじゃないかい?」
「そうだな。お前、随分派手に吹き飛ばされてたもんな。ほんと、死んだかと思ったぜ……にしても、背後から電撃飛ばしてばかりな奴が俺より上ってのは納得できねえ」
聞こえてきた声に顔を上げれば、いつの間にかソルが肩に乗り、メルクがテルスの隣にいた。そんなことにすら気づけないほど、テルスはボーっとしていた。
そして、そんなテルスでも気づけるほど、その瞬間は観客の歓声とともに訪れた。
『それではペアの選定に入ります。浄化師付きの騎士を希望するものは前へ』
式典の司会であるデネビオラの声が涼やかな風鈴のように響き渡っていく。実況と同一人物とはとても思えない声の変貌ぶりだ。
その声に応えるように壇上の三人が前へと歩み出た。
騎士たる証である銀の短剣をその手に、選ばれし三人はこれから先、死を共有する浄化師の前に立つ。その浄化師の中には当然、ルナの姿もあった。だが、今日の主役はこの人物だろう。
『ミユ・リース。約定に従い騎士の選定をお願いします』
浄化師の中央に立つミユ・リースはしばらく立ち尽くしていたが、静かに一歩踏み出した。
正直なところ、テルスはミユに悪いことをしたと思っている。ミユは騎士を選びたくなかったはずだ。それは理由や状況は違えど、ルナの抱えていた思いに近い。テルスは結果としてその思いを邪魔してしまった。
まさに共倒れだ。テルスとミユは互いの願いのために戦い、共にその願いを叶えることはできなかった。さぞ、ミユには恨まれているだろう。
テルスはそう思っていた。
だから、壇上で跪く三人を通り過ぎ、一直線に自分の目の前にやってきたミユに目を丸くしていた。
「……きて……ください」
「はい?」
「あと――」
耳元で小さく囁かれる。驚きでいくらか覚醒したといえ胡乱な頭では返事もままならず、頷き返すことしかできなかった。
袖の辺りの布を掴まれ、テルスは引かれるがままに歩いていく。その様子に誰もが言葉を失っていた。
「王様……この人で」
気がつけばテルスは王様の目の前に立っていた。歴史ある式典だからか、その姿は金の王冠に真紅のマントと王様らしい正装だ。しかし、困ったような黒い目を向けられてもテルスは何も言えない。白髪が混じった金髪が苦労を表しているようで申し訳なくなってくる。
「確かに……確かに、今回は特例がある……だが、ミユ・リースよ。なんで、君はいつも面倒なことを……」
最後の方はもはや消え入るような声で聞き取れなかった。王様の眉は下がり、小さな黒い目は潤んでいる。思わず謝ってしまいそうなほど悲哀に満ちた顔だった。
特例。
それは今回の騎士選定に限り、浄化師が望むなら七位以上の人物は浄化師付きの騎士になれるというものだ。
こうなったのは、順位が曖昧だったという理由が大きい。
一位のリシウスは揺るがない。だが、二位から七位は別だ。なにしろ、ほぼ同時に脱落したのだから。強引に順位をつけるなら舞台の端から端まで吹き飛ばされていたテルスが二位になる可能性があるほど、本当に微妙な差で勝敗は決していた。
観客は予想外の結末に興奮しただろう。しかし、騎士の称号授与者を決める王族たちはそうもいかない。
想定していなかった結果に悩みに悩み、一時間も表彰を遅らせ、ようやく特例を作るという結論が出たのだ。
そして、まさかこの特例をテルスに使用することになるとは、王様は露程も思っていなかったはずだ。
何せ、おそらく、この特例は推薦枠であるラブレとエレンリードを騎士にするためのものなのだから。
二人とも最後まで残ってはいたが、誰も倒してはいない。
だから、騎士として選定するため『実力伯仲の五人であれば、騎士になる資格は十分』と、この特例を作ったのだろう。そうまでして、推薦された二人を騎士にしたい理由はテルスには分からない。が、そんな思惑のおかげでテルスも騎士になれる資格が手に入ったのだ。
ただ、ルナ以外の浄化師が自分を選ぶなんて、完全に予想外だった。
「わ、私に……土をつけたのはどう考えてもこ、この人。だ、だから、この人以外はい、嫌です……」
「それは君とまともな戦いになった人物は初めて見たが……いや、やはり歴史ある式典でこういった事例は……」
王様は困ったのか救いを求めるように視線を泳がせるも、両脇に立つ騎士は無言で佇んだままだ。しかし、少なくともその片方であるシリュウは笑いを堪えている。何というか目がにやけていた。
式典の真っ最中ということもあって、誰も王様に声をかけない。何故か目をキラキラさせているヴィヌスを始めとした貴族も、名状しがたい複雑な表情のルナや他の浄化師も、王様と同じような困り顔の王族たちも、誰も助け船を出さなかった。
「ダメ、ですか?」
「はあ……分かった。君が折角、騎士を選ぶんだ。多少のわがままは聞こう。実力も君には及ばないが、シリュウの息子なら下手な者よりは騎士に相応しいかもしれんしな」
孤独な戦いの末、王様は陥落した。諦めたように首を振った王様が片手を上げると、華やかな装飾が施された箱を持ってシリュウが歩み出た。
開かれた箱がテルスの前に差し出される。そこに納められた騎士の証たる短剣にテルスは息を呑んだ。
黒塗りの鞘に金と銀の紋様が入った短剣。騎士の紋様である円環を貫いた剣以外に装飾など一つもない。これは『武器』だ。目利きの知識などないテルスが見ても、『騎士の証』だけで収まるものでないことは伝わってくる。
「最終的な決定権は君にある。分かっていると思うがこれを受け取れば騎士になることを了承したということだ。テルス・ドラグオン。よく考えて選びたまえ」
悩む必要はなかった。しかし、箱を持つシリュウの真剣な眼差しにテルスは伸ばした手を止める。その声なき問いかけにテルスが頷きを返すと、シリュウはどこか寂しげにも見える笑みを浮かべた。
そして、テルスは迷わず銀の短剣を手に取った。
「では、テルス・ドラグオン。汝を浄化師『四浄天』ミユ・リースの騎士に――」
「あ、それはお断りします」
「……ほっ?」
テルスの空気を読まぬ発言に王様は素っ頓狂な声を上げた。驚きのあまり固まった空気の中、ミユが心底嬉しそうな声で悲しみ始める。
「断られちゃった。か、悲しいなー、胸が痛いなー。でも、こ、これでもう騎士を選ばなくていいですよね! わ、私は選びはしましたし、約束は守りました!」
耳元で囁かれたときからテルスは思っていたが、ミユも結構な性格である。王を始めとしたお偉いさまの頭痛など気にもせず、自分の道を突き進むその姿勢はちょっと見習いたい。
「ま、待て。テルス・ドラグオン、どうか考え直してほしい。この問題児に騎士をつける絶好の機会なのだ。そ、それに銀の短剣を選んだではないか。褒美も与えるから頼む……」
「ですが、自分より強い人の騎士をやっても、その人の弱みにしかならなさそうですし。俺……コホン、私よりもリシウスさんたちの方が相応しい気が……」
「それはそうなのだが……これでようやく面倒事が終わったと……まったく何故、こんな機会を平気で不意にするのか……これだからドラグオンは……」
困ったあまり、頭を押さえ恨み言をまき散らし始める王様。今のテルスの頭が色んな意味でぼけていなければ多分、こんな偉い人を困らせることはできない。悪いとは思っていようと、テルスに止まる気はなかった。
「でも、私も騎士にはなりたいです。ですので、他に私を騎士として認めてくれる浄化師がいないなら、ミユさんの騎士になります」
「本当か!」
希望が見えたとばかりに勢いよく王様は顔を上げた。
「テルス・ドラグオンを騎士に望む者は前へ!」
わざわざ地方の名もなき駒者を騎士に選ぶ者は、二人もいないと思っていたのだろう。王様は喜色に満ちた声で浄化師たちに呼びかけた。
そして、即座に前に出てきたルナに声を失い、崩れ落ちかける。
「そ、そんな……ル、ルナ・スノーウィル。本当に、本当にテルス・ドラグオンを騎士に望むのか? あ、あそこに貴族やマテリアル《Ⅳ》だっているのだぞ」
〈はい。この人は浄天の一角であるミユ様を唯一追い詰めた人です。騎士になるというなら、私はこの人を望みます〉
「うん、うん……こ、この人は強かった。ルナちゃんの騎士になるなら、友達としてあ、安心」
〈うん……ありがと、ミユ〉
澄み切った微笑みと迷いのない文字に王様が言葉を失う。絶望の表情を浮かべる王様とは対照的に、ミユとルナの表情は明るく喜んでいた。
王様は救いを求め周囲を見渡す。しかし、誰も王様に救いの手を差し伸べない。ここまで喜んでいる少女たちに、わざわざ水を差す勇気があるものはいなかった。
何より、今は式典の真っ最中だ。面倒事はもう諦めて、さっさと式典を進めろと無言の催促が聞こえるような視線と静寂だった。
「……………………テルス・ドラグオン…………貴殿をルナ・スノーウィルの騎士と認めよう……」
まだ最初の一人だというのに疲れ切った声で王様は宣言した。
「おお、やったねテルス、おめでとう」
「ありがとう……あとで、ソルにもお礼はする……」
「ふむ、楽しみにしておこう。それで、ここは格好良くだね……」
状況に置いて行かれている観客がざわつく中、誰よりも早くソルがテルスを祝った。それだけなら良かったのだが、半分寝ぼけているようなテルスにソルはあることを吹き込んでいく。
耳元で囁く精霊の導きにテルスは頷くと、ルナの方へ真っ直ぐに歩いていき――跪いた。
「――これよりこの身、この刀は貴方の為に。降りかかる不浄を切り拓き、いかなる苦難も共に歩むことを此処に誓おう」
それはとある絵本に登場する騎士の誓いと同じものだった。
テルスは知らない。騎士になるからといって、こんな宣誓の文句を言う必要などないことを。ただ、この場この時において、これほど相応しい言葉はなかった。
爆発するように観客が湧きたった。
無名の人物が勝ち上がるその様はいつかの誰かのようで、傷だらけになりながら浄化師に跪き誓いを告げる姿は物語の一ページを誰もに思い起こさせた。
実のところ、テルスはこの舞台上で誰よりも、騎士を目指す『役』には相応しかったのだ。
何の肩書もなく、強大な魔法も、特別な武器も持たず戦い続けたその姿はまさに、等身大の騎士として人々の目に映っていた。雲の上の存在ではない。自分と近い人物が頑張る姿だからこそ、人は熱くなれる。
これは騎士選定。
誰もに機会がある舞台だからこそ、予定調和の配役なんて観客は望まない。
声援と指笛が飛び交い、真っ赤になったルナが震える文字で騎士の誓いに応える。
それは同じく、絵本の王の言葉と同じものだった。
〈し、生涯共に歩む騎士に相応しき主であることを誓います……〉
真面目な騎士と型破りな王様が強大な魔物を討伐し、魔瘴方界を解放する物語。
そんな遥か昔に実際にあった出来事は絵本となり、現代まで語り継がれている。そして、絵本の中の王様は……実は女王だったりする。
騎士選定を終えたテルスを待っていたもの――それは豪華な料理の数々だった。
目を輝かせたヴィヌスに招待され、テルスはルナやシリュウたちと共にブルードの屋敷に来ていた。もう二度と来ることはないとテルスは思っていたが、こうも早く機会が巡ってくるとは未来は分からないものである。
「美味しい!……痛い……うまっ!……痛い」
〈大丈夫?〉
「だ、大丈夫。ここで食わないと俺は絶対、後悔する。そんな気がするんだ」
やっぱり肋骨数本に罅が入っていたテルスは魅力的な料理を頬張り、嚥下するたび、綻んだ顔が苦痛に歪んでいた。しかし、食べる手が緩むことはない。何もしなければ、ほぼ毎日出てくる野菜スープという苦行が想像できるだろうか。孤児院の子供たちには悪いが美味しい料理を食いだめておきたかった。
「ふう。食ったなあ」
数分後、もう食べられないとばかりに満足げにテルスはお腹を撫でる。
もう、マナーなんてどこかに忘れ去られていた。
最初こそ、厳かに進んでいった祝いの席。それも、すぐにシリュウによって賑やかなものになった。
そのシリュウは何故かついてきていたメルクと共に酒に潰れている。二人の近くでヴィヌスが倒れているのは、テルスとしては見なかったことにしたい。
メイドとして同行していたティアはちょっと前に、にやにやと気持ちの悪い笑みを残し部屋を後にしている。ソルも小さな体に大量の料理を詰め込み、テーブルで大の字だ。
今、この場で起きているのはテルスとルナだけ。
どちらともなく、二人はグラスを合わせる。触れあったグラスが響く音に、ルナは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
〈お祝い、できたね〉
「うん。ここまで長かったなあ」
魔瘴方界を出たら盛大にお祝いをしよう、という約束。想像していたのとは随分と違うが、こんな形のお祝いもありかもしれない。
騎士選定に出た目的も果たした。ルナの騎士になり、ミユと剣を合わせたことで、多少は強くなっていることも確認できたのだから。
あと、残っている負債は一つ。
「ところでさ、ルナは『水鏡』って場所を知ってる?」
〈『水鏡』…………えーと、北にある湖のことだったかな。でも、それ随分と古い呼び名――〉
「やった! これでようやく面倒事から解放されそうだ」
〈面倒事……なんだか嫌な予感がするんだけど、『水鏡』に何かあるの?〉
「いや、あそこから出るとき、精霊に力を借りる魔法を使ったんだけど、いつの間にか『水鏡に元の輝きを』なんて約束を交わしてたみたいで……どうかした?」
〈テルス……そこ、魔瘴方界だよ。それも落葉の森よりも危険度が上のレベルⅢの……〉
もう、テルスには言葉もなかった。




