話せない真実、知りたくない真実
――負けた。
これは、完膚なきまでの敗北だ。
なんとか抜け出た落とし穴の先で、テルスは地に手をついて敗北に打ちひしがれていた。
「ええっ! 無傷って、どうやったの!?」
驚くミーネの声に答える余裕は今のテルスには無かった。
思えば、テルスの駒者としての第一歩は落とし穴だった。子供の力で魔物と戦うことは難しく、当時のテルスは落とし穴という罠に頼った。魔物がすっぽりと入るほど深く掘るのは大変だったし、隠すのが下手だと折角の落とし穴も役には立たない。少しずつ、少しずつテルスは落とし穴を理解し、落とし穴を掘るたびに新たなものを手に入れた。魔法だってそうだ。元々、テルスの【道化の悪戯】は落とし穴を掘るスコップを補助し、邪魔な土をどけたり、硬い地面をほぐせたらいいな、と思って作った魔法だ。落とし穴があったからこそ、テルスはオリジナルの魔法を作れたと言っても過言ではない。
そんな二人三脚で成長してきた落とし穴への自信を木っ端微塵に打ち砕かれた。
横に落ちる落とし穴。
おそらくは、空間に隙間を作る【空隙】を組み合わせた魔法。非の打ちどころがなかった。何より従来の落とし穴では対応できなかった地面に足を付けていない、例えば飛行する魔物などに対応できる点が特に素晴らしい。
この発想はテルスには無かった。だからこそ、テルスは負けを認めざるを得ない。自由な発想に乏しかった。地に穴を掘るのが落とし穴だと思っていた。そんな固定観念に囚われていたことを、こうも直視させられると言い訳すらできない。
「くっ……素晴らしい魔法だった」
「あ、ありがとう。でも、何でそんなに悔しそうに褒めてるの?……って、そうじゃなくて、どうやって躱したの!? あのトラップは入ったとほぼ同時に爆殺するものなのに!」
「そっかー、そんな危ないのを仕掛けてたのか……まあ、運が良かった。うん」
知り合いがこの魔法を使っているため、テルスにも【空隙】についての知識があった。あえて理由を挙げるなら、それが一番の理由だ。
何もない空間に隙間を作る魔法。それが【空隙】だ。
ようは、見えない『袋』を作っているイメージに近い。
本来は人が入るほど広くはないため、ミーネの【空隙】にもタマ同様何かしらのアレンジを加えているはずだ。
しかし、見えなくとも『袋』であることに変わりはない。テルスはその袋の部分を斬り裂いたのだ。
『袋』が破けることは特別な事ではない。【空隙】は元々、強い魔力が直撃すると壊れてしまう魔法だ。容量を超える重さを入れても壊れるため、ミーネの魔法もただの力で突破できたかもしれない。
ただ、ミーネはその時間を許すほど甘くない。僅かでも時間をかけてしまえば、その間に仕掛けた罠が作動する。テルスは【空隙】についての知識と、ミーネが罠使いという情報があったため、立ち止まるのはまずいと分かっていたにすぎない。
たまたま上手い具合に状況を切り抜けることができた。本来、罠に引っかかるなんて負けと同義だ。もう無傷で突破なんてできないと思った方がいいだろう。
何より、テルスはミーネの罠を見抜けない。爆発の余波で空気が熱を持っているというのに、背筋が冷える感覚はテルスを離さなかった。
「どうするんだい?」
「いや、駄目だこれ。運頼みの突破方法くらいしか思いつかない」
ミーネの落とし穴については進行方向に細かく【魔弾】を撃っていけば、多分、問題ない。だが、一番最初に引っかかった地雷の方は無理だ。それまで見つけようと【魔弾】を撃ってしまえばテルスの魔力はすぐに枯渇する。
あとは、仕掛けていなさそうな場所から奇襲するくらいしかテルスには思いつかない。例えば、思いっきりジャンプして頭上から攻めてみたり、とか。【魔弾】を連射しながら直進するのもシンプルでいいかもしれない。だが、これらは全て運頼みだ。ミーネがそこに対応するような罠を仕掛けていたら、テルスは敗北する。
何とも相性の悪い相手だった。
この状況に対応できる広範囲の攻撃。爆発に耐えうる防御。どちらもテルスには無いカード。
そして、無理に突破しようともミーネが最後の相手というわけではない。ここで強引に勝利を引き寄せても最終的な勝利を手に入れられない以上、テルスの目的は果たされない。
もはや、ここまできたら取るべき手は一つだ。
テルスは一つ頷くとミーネに背を向けた。
「よし、逃げる」
「へっ?」
背後の間の抜けた声を置き去りに、テルスは脱兎の如く逃げ出す。そして、
「メルク、交代! そっちも相性が悪いだろ!」
「はっ!?」
後方でエレンリードと戦っているメルクに叫んだ。
別にこの大会は一対一というわけではない。なら、相性が悪い相手は別の人に押し付ければいいのだ。それに、ミーネはどうしても戦わなくてはいけない相手ではない。
メルクもテルスの考えに気づいたのか、【魔壁】を解除しテルスを追いかけるミーネへと走り始めた。
「広範囲に罠。おすすめは『水』で一掃」
「『雷』の紐と精霊魔法が鬱陶しい。ペットで何とかできるんじゃないか」
すれ違いざまの情報交換を終え、テルスはミーネからエレンリードに意識を切り替える。
水飛沫と爆発音を追い風に。まずは【魔弾】を一発、エレンリードの呆けた顔へ発射した。
「待てメルク・ウルブス! くっ、何とプライドのない……それに『死神憑き』! 何で君がここにいる!?」
紫電を纏った紐が【魔弾】を弾き、テルスを襲う。正面、上空、背後。縦横無尽に軌道を変え、襲いかかる紐の動きは読みづらく躱すことも困難だ。エレンリードの属性が『雷』ということが、テルスをさらに追い詰める。
「見間違いだと思っていた。いや、思いたかった。何故、騎士選定に出場している!? 君に騎士の称号が相応しくないことは、自分で分かっているはずだ!」
エレンリードは饒舌に語り出すが、テルスに答える余裕はない。話したいならこの厄介な攻撃を止めてからにしてもらいたい。そんなテルスの思いは届かず、エレンリードの攻撃はさらに勢いを増していく。
「騎士とは誰かを守る人物を指すものだ。なら、君は違う。君は仲間を守るどころか、殺しているじゃないか!」
エレンリードはテルスの罪を叫ぶ。
その言葉はリーフの駒者の総意に他ならない。
見えない何かに締め付けられるようにテルスの胸が痛んだ。
ハンスはこれから先もテルスを許すことはない。人のいいあのおやっさんですら、この点に関してはテルスの味方になることはない。そんなことになった原因は間違いなくテルス自身にある。なぜなら、
「君は、君は! あの人の最期すら語ってくれない!」
テルスはあの日、起きた真実を話していないのだから。
「……うるさいな」
能面のように感情の抜け落ちた顔でテルスは走る。
「あのときも言った。話せないって。それは今も変わらない」
「なんだと! この――」
エレンリードは強い。
扱いづらい武器と属性を使いこなす実力は確かにマテリアル上位のものだ。
しかし、ルーンより上とは思えなかった。
記憶に焼きついているルーンの魔法はもっと凄かった。成長するたび、魔法についての知識が深まるたびに、ルーンは本当に強かったのだと理解する。それこそ、追いつくことなどできないと思ってしまうくらいに。
――【道化の悪戯】。
風でそっと紐の動きをずらし、テルスは少しずつエレンリードに近づいていく。軽々と紐を躱され始め、エレンリードは信じられないとばかりに目を見開いた。
が、驚愕による空白はほんの一瞬。すぐにエレンリードは掌をテルスへ向ける。
「精霊魔法。『水』から『雷』。あのエルフの前面に立たなければいい」
「了解」
呪文よりも早くテルスの耳元でソルの助言が呟かれた。
「【アクエル】! 【フルメン】!」
『水』から始まり『雷』。続いて『風』、『氷』。多種多様な属性の精霊魔法をテルスは掻い潜っていく。
精霊の助言がある以上、テルスに精霊魔法はまず当たらない。
少しずつ間合いを詰めていくテルス。
その姿は、黒衣も相まって不吉な気配を漂わせていた。エレンリードからすればまさに『死神』が迫ってきているようだろう。
「な、何故だ。何故、精霊は君に力を貸すんだ。ルーンも……何で。何で、師匠は君なんかのために死んだんだ……こんな、貴方の死を踏みにじるような人間を……何で」
悄然とした顔でエレンリードは呟く。その呟きにすら、テルスが答えることはなかった。
もう数歩。死神の鎌がその首へと振るわれる瞬間がくる前に、
舞台に轟音が響き渡った。
王都で騎士選定が開催されている頃、リーフの小さなお菓子屋ではエルフの店員マルシアが頭を悩ませていた。
一体、この喧騒はどうすれば終わるのでしょうか、と。
「あのー、皆さん――」
「きたきたきた! そこだテル兄!」「おおおっ、かっけー!」「ちょっと、そっちじゃないってテル兄映して!」「全然、映らない……」
朝早くから孤児院の子供たちがやってきたかと思うと、映石を占領し始めたのだ。というか、ここ数日はこの子たちが毎日のようにやって来る。こうなった原因は映石の向こうで戦っている常連のせいだ。
一人ぼっちの寂しい時間を紛らわす映石を取られ、子供たちに魔法を教える約束まで流れでしてしまった。決してキラキラとした尊敬の眼差しに気分を良くしたわけではない。なんかこう、向けられたことのない類の感情にときめいたわけではないのだ。
あの常連は絶対に面倒事を押し付けたかっただけだと、マルシアは確信している。
だが、そんな理由がきっかけだったとしても、マルシアのここ数日はとても充実していた。子供たちはきちんと掃除や簡単な手伝いをしてくれる。ただでさえ客が来ない店に手伝いが入るとどうなるか分かるだろうか? 何もやることがなくなるのである。
仕事はすぐに終わり――ただし、客はこない――唯一誇れる魔法の知識をひけらかすことができ、手製のお菓子の味を褒められ、『せんせー』と呼ばれる。
完璧だ。最近のマルシアはご機嫌だった。
だから、「テル兄、テル兄」と映石に張り付く子供たちを見ていると拗ねたくもなる。なんだか、可愛い弟子たちを取られた気分になるのだ。マルシアは少しだけ唇を尖らせ子供たちが夢中になっている映石に視線をやる。
(ああ、これは……駄目でしょうか)
常連の強さは予想外のものだった。
騎士選定の、それも本戦に出ていることには驚いたものだ。あのお気楽そうで、菓子を買ってはほくほく顔で出ていく彼が、そこまでの実力者だなんて思うはずもない。
ちらりと映っただけだが、貴族を一人倒し、この辺りでは有名なエルフの駒者ももう少しで倒せそうだった。マテリアルはなしということだが、正式な申請をしていないだけで確実に《Ⅲ》はあるはずだ。
実況も、もう一人の貴族と合わせ、マテリアルゼロの快進撃と騒ぎ、観客の声援も熱気を帯びている。番狂わせや下剋上はやっぱりわくわくするものなのだろう。
ただ、それもここまでのようだった。
『おおっと、ここで脱落者が続出だーっ! ファスター選手、ツバメ選手がミユ先ぱ……選手の餌食となったー! これで開始直後に襲われたエドモンド選手を加え三人を降しています。強い! 流石、先輩容赦ねえっす! そして、次の標的はどうやら……テルス選手のようだー! エレンリード選手は判断が早い! もう逃げていますね。イケメンが台無しです。でもでも、逃げ遅れたテルス選手にはチェックがかかった! 「だってマテリアルゼロの方が格好いいじゃん」の台詞で会場に苦笑いの風を巻き起こしたラブレ選手との二人三脚マテリアルゼロ快進撃もここまでかー!』
常連さんと相対しているのは浄化師の中でも最強の一人……らしい。
ずっと喋りっぱなしの実況のデネビオラ・スワンという浄化師が自慢げに話していた。どうも彼女の後輩であることが誇らしいようだ。そこらへんの解説は試合が開始してからちょくちょく実況に挟んできている。
「えっ、テル兄負けちゃうの?」
「ちょっと、厳しいかもしれないですね」
不安そうなハルに思わずマルシアは嘘をついた。
ちょっと、じゃない。大分まずかった。
というか、ここで負けは確定しているようなものだ。ミーネという選手と戦っていたときは途中で逃げたのに、騎士選定優勝候補のミユ・リースから逃げなかったのは判断ミスだ。
「テル兄は簡単に負けないよ」
しかし、否と自信たっぷりにシュウは言い放つ。その視線は映石から一瞬たりとも離していない。
「だって、あんな魔物の群れに勝てたんだから。大きな蛾や蝶にだって、テル兄は全然負けてなかった。だから、大丈夫」
この場で誰よりもシュウはテルスの実力を信じていた。その理由はマルシアにだって分かる。憧れなのだろう。この子は魔物に連れ去られ、それを彼に救われた。そんな人が簡単に負けるところなど、見たいはずがない。
……それにしても、
「大きな蛾に……蝶?」
はて、そんな魔物はいただろうか、とマルシアは首を傾げ――
気づいてしまった。
(え? 大きな蛾って魔瘴方界のティザーニアのことじゃないですよね? でも、落葉の森で大きな蛾ってそれくらいしか……いえ、ブレニーナだって子供から見れば大きいですよね……でも、大きな蝶なんて、聞いたこともない気が……)
マルシアはエルフだ。
見た目も実際の年齢も、彼女は他のエルフに比べればかなり若いとはいえ、人に比べれば重ねた年月は上だ。当然、自分の住んでいる地域の魔物についてだって、ある程度の知識はある。
だから、気づいてしまった。
薄っすらとマルシアの背筋に震えが走る。図らずも何かに踏み込んでしまった。そんな嫌な予感がしてならないマルシアは遠い目で画面の向こうの戦いを眺めていた。




