それぞれが目指すもの
浄化師が持つ『浄』の魔力は遺伝や生まれつき持つものではない。
ある日、突然魔力が変異するのだ。『火』から『浄』へ。『水』から『浄』へ。『浄』を持つ者を消えさせまいとする意志があるかのように、常に浄化師は存在していた。その法則は判明していないが、瘴気に対する抗体のようなものという考えが主流となっている。
そして、当代のほとんどの浄化師は同時期に魔力が『浄』へと変異した。
魔力が『浄』に変異するのは幼い子供の確率が高いため、ルナは同年代の浄化師の知り合いが特に多い。その中でも、年齢が近く、同性の浄化師であるミユとは仲が良かった。
「ひっ……」
たとえ、これが挨拶で手を挙げただけで怯えられたのだとしても、ルナとミユの仲は良い。そのはずだと、ルナの記憶が言っている。
「ご、ごめんね。ル、ルナちゃんに驚いたんじゃなくて、そのネズミさんが……」
尻すぼみになっていく声と向けられる視線に耐えられなくなったのか、ソルがこそこそとルナのポケットへと入っていく。案外、テルスの扱いが雑なのではなく、ソルがポケットの中を気に入っているのかもしれない。
小動物にすら怯える少女はいそいそとルナを控室に迎え入れる。椅子と机しかない殺風景な部屋で二人が向き直ると、しばし沈黙が場を支配した。
〈………………………………もうすぐ試合だけど、体の調子はいい?〉
「う、うん。大丈夫。今日も勝って、一人でいられるように頑張る……」
ぐっ、と力を込めてミユは小さな拳を握る。その真剣な様子から、心の底から言っていることが分かった。
何とも後ろ向きというか、ぶっ飛んだ努力だ。この少女が騎士を選ぶことは永遠にない気がする。
〈ほ、ほら、女の人とかなら、大丈夫じゃないかな〉
「えっ……やだ。ルナちゃんとかアリスちゃん、あとデネちゃんなら考えるけど……それに私に騎士なんて相応しくないよ……わ、私、魔力の受け渡し、得意じゃないし……」
浄化師としては致命的なことに、ミユは魔力の受け渡し、つまりは『浄』の受け渡しが得意ではない。できないわけじゃない。ただ、
「長い間、人に触れていないとなんて……で、できない……」
〈そ、そっかあ〉
彼女にとっては致命的なまでに時間が長すぎるらしい。あまりのミユの真剣さに、思わずどこかの少年の口癖を書いてしまった。
「そ、そういえば、ルナちゃんは騎士を選ぶんだよね……だ、誰がいいの?」
〈……秘密。でも、私は騎士を選べないと思うよ〉
それに、その人の名前を告げるとミユの剣が鈍る可能性もある。
ミユはルナの友達だ。信頼し合える誰かを騎士に選びたいルナは、ミユが無理をして騎士を選ばなくてはいけなくなるのは嫌だった。
「……王様も騎士くらいは自由に選ばせてくれればいいのに」
〈生死を共にする人だから、私も自分で選びたいよ。でも、自由に選べるようにすると、また違う問題が出てくるから〉
不満そうに告げるミユ。ルナも本当はその言葉に頷きたい。
しかし、浄化師は希望の象徴。個人の感情に流されてはいけないのだ。
〈きっと、今の実力で選ぶ方法が一番いいんだよ〉
実力が全て。
騎士選定の舞台の上、大勢の観衆の前で強さを示した者こそが、希望を守る騎士の資格を得る。
騎士の選定は嫌になるくらい実力という名の下、平等だ。貴族であろうと、ある程度活躍しなければ称号の授与はあり得ない。そうなるように、騎士選定は姿を変えていったのだ。
最初の変化は王や貴族が浄化師付きの騎士を選定することから、観衆の前で試合を行い騎士を決める開放的で不正が出にくい形式へと変わったことだ。
試合形式も当初はトーナメントだったが魔瘴方界での戦いを想定した結果、乱戦の形式に落ち着いた。罠や遠距離武器を使う者を考えれば、ルナもこれが妥当だと思っている。
「わ、私も……勝てばいいなら楽」
ミユも同意するかのように呟いた。ルナもミユに限ってはこの強気な言葉に頷ける。何の気負いもなく、勝利するといえるだけの実力がこの少女にはある。同期のルナから見ても、それほどミユの強さは飛び抜けていた。
何より、ミユの強さを盤石にしているのは、『神霊魔具』の存在だ。
自然の恩寵ともいえる精霊石を使った精霊魔具を超える魔具。あれがある限り、ミユが負けることは――
「も、もうすぐ試合が始まるよ?」
ミユの声にルナは顔を上げる。時計を見れば、もう試合が始まる数分前だ。そろそろ、席に戻らなくてはいけない。
〈もう時間かあ。私、行くね。頑張って一位を取るんだよ〉
「うん……じゃ、じゃなくて、えと、会いに行かないの? 私が一位、ルナちゃんの友達が二位。そ、それがいいから……応援しに行ってあげて。応援されると、ゆ、勇気が湧くから」
ぱちり、とルナは瞬きをする。いつも、おどおどしているミユからの励まし。
そんなに、私は元気がなかったのかな、とルナは軽く頬を叩いた。
〈ありがとう〉
ルナの文字を読んだミユは顔を隠すようにフードを深く被る。
一瞬だけだが、ルナは見逃さなかった。ミユの顔には花が咲いたように、はにかんだ笑顔が広がっているのを。
『さあ、試合開始の時間です! 選手は入場してください!』
長々とした開会式も終わり、遂にこの時がやって来た。
ここからも、王のスピーチ――やたら長かった――や、王子のフォローのようなスピーチ、貴族の挨拶も『映石』で見ることができた。
しかし、石壁を何枚か隔てた先の出来事とは思えない。どこか遠くの町で起きているように現実味がなかった。
頭に巻いた包帯を外し、テルスは深呼吸をする。対するはマテリアル上位の猛者たち。勿論、その人たちと手合わせすることに対する緊張もある。
だが、それ以上にテルスが落ち着かない気分になるのは大人数の観衆たちが原因だ。こんなにも多くの観衆の前に出るなんて、テルスには一度も経験がない。早鐘のように鳴る心臓の鼓動が鬱陶しかった。
「よしっ! 行きますかー」
気合を入れるように膝を叩き、テルスは立ち上がった。
部屋を出ると通路を歩く選手の姿があった。会話もなく、ただ足音だけを響かせ盤上の舞台に向かい歩いていく。遠目で見れば、亡者の行進のように静かで陰鬱なものに映るだろう。
しかし、その場にいれば、まったく違う感想を抱くはずだ。この通路には今にも燃え上がりそうな空気が広がっている。少しの切片さえあれば、即座に戦いが始まる。そんな緊張感が漂う行進にテルスも加わった。
ふと奥の方に目をやると、メルクの姿が見えた。
視線が交差する。言葉はない。メルクは好戦的な笑みだけを見せ、舞台へと歩いていった。メルクに続き、次々と選手は通路を曲がり、その姿が見えなくなっていく。
通路はちょうど真ん中辺りが十字路になっている。テルスから見て、左に曲がればタマが受付をしていた選手用の出入り口。右に曲がれば盤上の舞台だ。
フードを深く被った人の姿が見えなくなる。テルスとは反対の端から歩いてきたその人がいなくなれば、長い通路にはもう誰の姿もない。
一人取り残された気がして、思わずテルスは足を早める。しかし、すぐに足を止めた。誰かに呼び止められた気がしたのだ。
振り返ると同時に、手に柔らかなものが触れた。
「……びっくりした。心臓に悪いよ、ルナ」
虚空が歪んだかと思うと、自分の手を握るルナの姿が現れた。
【不可視の一手】。あの魔瘴方界でも散々お世話になったルナの姿を消す魔法。この魔法を使われると本当に驚く。テルスは気配には敏感な方だと思っていたが、その自信は試合前から砕かれることになった。
〈ごめん。一言、伝えたいことがあって……〉
「そっか。俺もあるし、ちょうど良かった。先に言っていい?」
ルナはこくりと頷いた。その肩にはソルも乗っているが、見守るようにじっと黙っている。
「俺は浄化師付きの騎士を目指すよ。準優勝を……違うな、優勝を狙う。だから、騎士になれたら組んでくれると嬉しい。駄目かな?」
時間もない。率直にテルスは自分の想いをルナへと伝えた。
予想もしていない言葉だったのか、ルナは表情をころころと変え、明らかに狼狽していた。ルナの光球も落書きのような跡を次々と残しながら、宙を跳ね回っている。
〈そ、それは……とても、とっても、嬉しい……けど、なんで……?〉
ようやく文字が読み取れるようになる。ルナが疑問に思うのも当然だが、テルスにとっては気まずい質問でもあった。
ただ自分の為。世界の為なんて欠片も思っていないのだから。
「正直に言うと、俺は自分の目標のために騎士になりたくなった。だから、ルナには迷惑な話かもしれない」
〈私だって、目標はあるよ。多分、他の浄化師の騎士をやるより危ないけど、いいの?〉
「……騎士になれるかは分からないけど、後で喧嘩しても馬鹿らしいし、お互いの目標を先に話しておこうか」
〈そうだね〉
テルスは初めて誰かにその『理由』を語ろうとしていた。
未だ影も踏めぬ夢の話。口にしてしまえば夢物語のようになってしまいそうで、約束を一つでも破ればこの誓いも虚ろなものへと変わってしまうような気がしていた。だから、言えなかったし、言わなかった。
しかし、何故だかルナと、そして、ソルには聞いてほしいとテルスは思った。
「俺は助けたい人たちがいる。だから、ある魔物たちを討伐したいんだ――それが俺の目標」
今もなお、あの雨の日はテルスの記憶に鮮明に刻まれていた。
目を閉じれば、あの何もできず助けられなかった瞬間が浮かび、心が締め付けられる。耳を澄ませば、あの優しい声との約束が蘇り、自分を支えてくれる。
だから、テルスは前を目指せる。
「……そいつらは多分、魔瘴方界にいる。もう出てくるのを待つだけなのは嫌なんだ。だから、俺は魔瘴方界に行きたい」
〈私は……ある解放不可能と言われている魔瘴方界を、解放したい〉
寂しげな表情のルナの前で蒼い光が躍る。少女が流さない涙の代わりに、光は声なき願いを宙に刻む。
〈全部なくなっちゃったけど、せめて故郷を取り戻したい。だから、何度も何度も魔瘴方界に入って、魔物と戦うことに付き合わせると思う〉
テルスは自分がどんな表情をしているかは分からない。でも、目の前の少女以上に覚悟と強さで輝いた目をしていればいいと思った。そうでなければ、その隣には相応しくない気がしたから。
「俺はいいよ」
テルスは右手を差し出す。
〈私もいいかな〉
ルナはその手を握る。
繋がった手を渡って、ソルがテルスの肩へと戻ってきた。
「なら、まずはここで勝たないとね。ではルナ嬢、行ってくる」
なんだかんだで、肩に乗るこの重さがあると落ち着く。
これでいつも通り、そんな気がするのがおかしかった。
もはや、迷いも柵もない。あとは手に入れたいものを勝ち取るだけだ。しかし、歩き始めようとしたところで、もう一つ理由があったことをテルスは思い出した。
「じゃあ、頑張ってくるよ。そこは約束する……ルナの隣にああいうのがいるのは、なんか嫌だし」
〈え、あ、は、はい。ま、待ってる…………〉
ルナの反応にある言葉を思い出し、テルスの頬が少しだけ朱に染まる。
なんとなく、後ろにいるルナの顔を見ることができなかった。頭の中で反響するティアの台詞を振り払い、テルスは舞台の上へと走り出す。
騎士選定本戦。
それぞれの思いが交錯する十二人による乱戦が始まろうとしていた。




