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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
二章
26/196

虫籠の夜

〈何かあったの?〉


「でかい、それはもうでかい蜘蛛がいたんだよ」


 茂みを出てきたテルスの悟りきった表情を見て、ルナも何があったのか察したようだった。


〈また、わしゃわしゃもしょもしょなことが……〉


「正確には、ぐちゃぐちゃべちょべちょだった……とりあえず、あの茂みにはもう虫はいないはず。今のうちに入ろう」


〈うん〉


 シュウを抱え、隈笹の茂みに入るテルスとルナ。

 茂みの中にもう虫はいない。だが、ここで野宿となると勇気がいる。いつ茂みをかき分けて魔物がくるかなど分からないのだから。気づいたら目の前に魔物がいました、なんて展開はごめんだ。


 しかし、テルスはそれについては考えがあった。


「よしっと。じゃあ、ちょっと動かないで……【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】」


 呪文とともに、テルス、ルナ、シュウの三人を囲む隈笹が生き物のように動き始める。蛇使いに操られる蛇のようにゆらゆらと動いていた隈笹は、やがてひとりでに絡み合っていき、三人を包んでいく。


「んー、こんなもん? このくらいの大きさなら外からも見えないよな……多分」


 数秒後、三人はドームのように編み上げられた隈笹の中にいた。まさに、虫籠や秘密基地、そんな言葉が思い浮かぶ空間が茂みの中にこっそりとでき上がった。


〈便利だねえ〉


 感心した様子で、ルナはキョロキョロと完成した宿を見回す。


「これなら少しは安心できる。もうほとんど真っ暗だし、飯食って寝よう」


〈うん。この子も、これで少しはゆっくり休めるかな〉


 バックパックに入っていたブランケットを地面に敷き、背負っていたシュウを寝かすと、ルナは魔法を行使する。テルスも心配そうにシュウを覗き込んだ。


「傷口、開いてた?」


〈少しだけ。それに、傷口周りは清潔にしないとだし、今の内に【浄光(ルクス)】を使っておこうと思って〉


「【浄光(ルクス)】って、回復と身体強化ができる活性化の魔法だっけ?」


 テルスはルナが見せた魔法陣を思い出しながら聞く。回復に加え身体強化ができる活性化の魔法といえば、術式があまりに複雑すぎてテルスには理解できなかったものだ。

 魔法は魂に魔法陣を刻むだけではなく、術式をある程度理解していなければ使うことができない。だが、あの複雑な術式を理解するための勉強はちょっと考えたくない。それほどまでに、ルナの術式は難しかった。


〈そう、浄化師伝統の術式だよ。昔から使われていて、書き直したり、削ったりしているから、術式がすごい複雑で覚えるのに苦労したよ。でも、効果は一級品だし、ほとんどの浄化師はこの魔法を使ってると思う〉


「そっか。まあ、効果すごいもんなあ」


 納得したようにテルスは頷く。

 伝統という言葉通り、あの複雑さは年月を感じるものだった。研鑽を重ね、術式を書き足し、無駄を削り、洗練されていった魔法陣。人が一代で、あのレベルに辿り着くのは難しい。


〈これで良しと。あと、あなたもちょっと近づいて〉


 文字に従いシュウの処置を終えたルナに近づくと、テルスにも【浄光(ルクス)】の暖かな光が向けられた。その白く清らかな光に照らされていると、日向ぼっこをしているように、じんわりと体の奥から温かくなっていく。


「俺はたいした怪我はしてないけど」


〈【浄光(ルクス)】は、というより『浄』の属性の魔力には名前の通り、浄化の作用もあるんだよ。これで汚れとかも綺麗にできるし、匂いとかも抑えられるから魔物に気づかれにくくなる。それと刀も出して。ここじゃ手入れも満足にできないでしょ? 汚れだけなら落としておくから〉


「便利だなあ」


 ルナの言葉に甘えてテルスが刀を差し出すと、刀も白光によって浄化されていく。数秒後、ルナから渡された刀はたしかに新品同様ピカピカになっているように思えた……暗くてよく見えないが。


〈最後に魔力を流して……〉


 ルナはテルスとシュウに触れる。その手から暖かな光が流れ込み、テルスとシュウの体を包んでいった。


〈これで、一晩は瘴気の心配はしなくていいかな。もう魔力はほとんど空っぽ〉


 眠たげにルナは目を擦る。魔力、体力と共に限界なのか、今にも意識を手放しそうだ。テルスも魔物との戦闘により疲れてはいるが、戦うだけならまだ可能だ。


 それも、ルナの頑張りによるところが大きい。

 透明化魔法の長時間使用、テルスの戦闘のサポート、『浄』による保護。魔力を酷使する状況の中、シュウを背負ってまでいた。


 その頑張りを分かっているからこそ、テルスはルナが心配だ。


「見張りをやっておくから、先に休みなよ」


〈うん、ごめん……もう眠気に勝てないや。あとは任せました〉


 うっつらうっつらと船をこぎながら文字を書いていたルナは、本当に限界だったのか、文字を書き終わると同時に、意識を失ったかのように倒れこんだ……テルスに向かって。

 肩に乗っかった頭はしばらくすると、より快適な睡眠を求められる方へと動いていき、最終的にテルスの膝に辿り着いた。


「……」


 その様子を無言でテルスは眺めていた。

 数分後、意識が飛んでいたテルスは、ハッとしたように動き始め、バックパックからブランケットを取り出し、ルナへと被せる。


(何で俺、膝枕してんだろう?)


 ささやかな疑問がテルスの頭に浮かぶ。が、暗闇にぼんやりと浮かび上がる少女の寝顔を見れば、疑問なんぞより不安が勝った。


 死んだように眠りにつく少女。


 やはり、相当無理をしていたのだろう。未だ呼吸が少し荒いシュウも心配だが、呼吸の音も聞こえず石像のように静かなルナも心配だ。死んでないよな、と細い首元に指をあて脈を測ってみると、血の流れも温かな体温も感じられる。


 真っ暗な闇の中、テルスはほっと息をついた。

 何も見えないことが不安でも、灯りをつけることはできない。光源に反応して寄ってくる走光性を持つ虫は多い。こんなところで光を灯したら、虫型魔物にたかられて大惨事になるのは明らかだ。


 暗闇の中、テルスは一人見張りを続ける。

 魔物の鳴き声がリーン、リーンと森に木霊している。音だけなら風情があるが、テルスとしては魔物に見つかるのでは、と不安が増していく。試しに魔物の気配を感じ取ろうとしても、王域の中では瘴気がそこかしこに溢れ、どこに魔物がいるかまでは分からない。


 それでも、いることだけは確実だ。


 時折、遠くの草を揺らす音や、バサリと上空を飛んでいく音に気持ちも休まらぬままテルスの夜は更けていく。片手に持ったパンの味など分からない。機械的にシュウの額のタオルを交換しながら、静かにこれまでの道中を振り返る。


(……危なかったなあ)


 本当にここまで来るのはギリギリで、何よりも運が良かった。インセクタの巡回ルートを見つけられたことでも、魔物の大群に襲われなかったことでも、隠れることができる場所を見つけられたことでもない。ある残酷な現実に直面しなかったことが、何よりの幸運だった。


 テルスは――おそらくはルナも――見ないようにしている事実がある。


――本当にマテリアル《Ⅳ》以上の魔物と、そして何より、王と戦えるのか。


 希望を持って、前だけを見据えてここまで進んできた。

 いや、そうなるようにテルスはしてきた。


 テルスは自分の実力は把握しているつもりだ。だからこそ、自分はマテリアル《Ⅳ》以上の魔物を倒しきることができないと断言できる。


 マテリアル《Ⅲ》と《Ⅳ》には大きな壁がある。マテリアル《Ⅳ》以上の上位の魔物は頭を飛ばそうが、心臓を貫こうが、それだけでは死なない。いかなる損傷を与えようと瘴気がある限りは復活する。それこそが、マテリアル上位に位置づけられる理由。


 上位の魔物を倒すには魔物が内包する瘴気全てを吹き飛ばすような高威力、広範囲の魔法がどうしても必要になってくる。それこそ、『トランプ・ワン』の名が与えられるような上位の魔法が。


 しかし、テルスの手札にそのカードはない。とある理由で魔力量が少ないテルスには上位の魔法が使えないのだ。だから、テルスはマテリアル《Ⅳ》以上の魔物と戦うことができても、倒すことは絶対にできない。


 最奥まで辿り着こうとも王を倒すことはできない。

 だが、希望は残っている。王の隙を突き、その間に魔瘴方界(スクウェア)を解放することはできるかもしれないからだ。


 それが唯一の希望であり、テルスの心を軋ませるもの。


 魔瘴方界(スクウェア)を解放するためには、ルナが瘴核を浄化しなくてはいけない。つまり、テルスはその間は王とたった独りで戦わなくてはいけない。分かっている。テルスはそれをこの王域に入った時点で理解している。


 いっそ、希望など一欠片も残ってないなら諦めがつく。が、可能性も、諦められない理由も、やるべきことも残っているからこそ、テルスは立ち止まれない。


 マテリアル《Ⅴ》の魔物と戦わなければいけない奴が、道中のマテリアル《Ⅲ》以下の魔物に苦戦していたら? 弱音を零してばかりの頼りない姿を見せたら?


 きっと、前に進む意思は弱くなっていく。


 だから、テルスは分不相応な役を演じている。頼りになる姿をルナに見せようとしていた。

 ここまでは多分、きっと、ギリギリで格好良いのではないか、とテルスは思っている。ルナの中の自分は五割り増しくらいかっけーはずなのだ。


 しかし、これで最奥にたどり着いて、王に瞬殺でもされたらと思うと乾いた笑いしか出てこない。道化にはなっていないはずなのに、どう考えても喜劇もいいところだ。


(こんなとこで『道化師』かー。はあ……どこまで頑張れるか、ちょっと自信ないなあ)


 まだ苦笑いを浮かべる気力は残っている。身も心も削られ、気を抜くと眠りに落ちそうにもなっている。だけど、まだ耐えられる……まだ大丈夫だ。仮にも、あのクランに入ると言ったのだから、これくらいの役はできないといけないのだ。


(……というか、そろそろ座っている方がきつい)


 テルスの体感時間では、もう数時間は経っている。そろそろ、じっとこの場に座り続けるのも苦行に感じていた。かといって、ルナの頭が膝に乗っている以上は、動くこともできない。

 痺れてきた足に耐えながら、ただ座っているだけの退屈で不安な時間。


(こんなときに話し相手がいたら、というかルーン姉みたいに精霊とかと意思疎通ができたら、いい暇つぶしになるんだろうなあ)


「んっ?」


 ふと頭に浮かんだ言葉。

 同時に、テルスの頭に一つの疑問が浮かび上がる。


――魔瘴方界(スクウェア)にも精霊はいるのだろうか?


 いる、はずだ。

 テルスの魔法【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】は外と同じように発動したし、魔力を多く消費した感じもない。それなら、精霊は魔瘴方界(スクウェア)でも普通にいるということになる。ということは精霊は瘴気の影響を受けない?


 意思を持った魔素とも言われる不思議に満ちた生物には、未だ解明されていない謎も多い。テルスは暇つぶしがてら、自分に付きまとっているらしい精霊へと考えを膨らませる。


(そういえば、精霊に手伝ってもらって魔法を使ってるのに、全然、精霊のことを知らないな。精霊のことならエルフに聞くのがいいかな?……今度、あの変な店員に聞いてみよう。精霊から聞くのが一番早そうだけど、俺は視えないしなあ。上位の精霊になると、意思疎通ができるのもいるらしいけど……そのうち会うことができたら、色々と教えてもらおう。それか今度お金が貯まったら、精霊と交信できる魔具を買うのもいいかもしれない……でも、そんなものあったっけなあ)


 時間を忘れて、テルスは物思いに耽る。

 魔物の気配を探り、警戒もしている。そんな中でも、時折浮かんでくる疑問を突き詰めていくと、知らないことが多いな、と改めて思うのだ。


 精霊を始めとして、魔瘴方界(スクウェア)や魔物、浄化師、それにルナのこと。


 気になっていたあの文字を書く魔具を拝借してみようか、と邪な考えも浮かんだが、テルスはなんとか踏みとどまっていた。ルナは聞きたいことや謝りたいことがあるとテルスに言っていたが、テルスとしてもルナに聞きたいことがこの時間で山ほどできていた。起きたら色々と聞いてみようと、ルナが起きるのを今か今かと、テルスは待ちかねる。

 

 待ちに待って、数時間。

 テルスの膝を枕にしていたルナがむくりと起き上がった。


「おはよう」


 ぼーっとテルスを見つめ、自分が寝ていた場所を見つめ数秒。

 何故か暗闇の中でボディランゲージを敢行し始めたルナを押しとどめ、テルスはとりあえず一番最初に頭に浮かんだ質問をしてみた。


「ところでさ、浄化師って皆、その白い服着てるの? 汚れない?」


 その意味不明な質問のせいか、それとも別の理由か。

 暗闇の中、ルナは頭を抱えていた。

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