『妖精』Ⅲ
森が蠢く。緑が騒めく。
回る廻る。人が消えては現れる。魔物が現れては消えていく。
笑い声が木霊するたびに妖精が好き勝手に遊び相手を連れ去っていく。
変わり続ける景色。動き続ける人影。
アリスはただ一人、転移することなくそれを見ていられるというのに……これをどう対処すればいいのか、まったく分からなかった。
現れては消えるを繰り返すのはピクシエルも同じ。
見つけたと思って妖精に【魔弾】を撃っても、それは木々の枝葉を揺らすだけ。
誰かと協力したくとも、近くにいたその誰かは声をかけると同時に違う誰かに変わっている。
ミユにメルク、ガウルやアスケラたち《白騎》。
ここには大勢の仲間がいる。いるはずなのに、アリスは一人でピクシエルと戦っている気さえしていた。
「あははは、すごいすごい! こんなに攻撃してんのに壊れないなんて初めて! でもでも、いつまでこの壁をもたせられるかしら!」
赤、青、黄、緑。まるで虹が倒れてきているかのような魔法の豪雨。
気球と自分に【魔壁】を幾重にも張り巡らし、罅割れるたびに魔力を注ぐ。
反撃の【魔弾】なんてほとんど勘で撃ってるだけ。そんなんで当たるわけがないなんて分かっている。でも、一方的に攻撃されているこの状況がどうしても気に食わない!
耐えて耐えて耐えて。
絶対にこの妖精に倍返ししてやると心に固く誓いながら、アリスは一秒が何倍にも感じる苦痛の時間に歯を食いしばる。
「こ、の……!」
ああでも、本当に腹が立つが、この盤面をひっくり返す手段が思いつかない。
ミユたちが助けようとしてくれているのは分かっている。
転移に巻き込まれないようにミユとアスケラは森の上を飛び、メルクも高波のような水にガウルたち《白騎》の何人かを乗せ、ピクシエルを攻撃しているのが視界の隅に見える。
だが、それでは逃げる妖精を捕まえられない。
ピクシエルがいるのは森の中だ。
森の上は転移の範囲外なのかもしれないが、そこからでは姿を捉えることすら難しいだろう。
ただでさえ、攻撃が当たらないあの妖精をろくに姿を確認もせず、遠くから撃ち落とすことができるだろうか。
その答えは一向に変わらないこの状況が示している。
だからといって、森の中に入れば好き勝手に転移させられる。
いっそ森ごと吹き飛ばしたいが、気球やここに連れてこられた《白騎》の団員、そして時折姿を見せる一般人がそれを許さない。
「人質なんてとって、遊びましょうだなんてふざけんな……!」
「えー。じゃあ、あげる……ふふ、返品しないでね」
母親と子供、お爺さんとお婆さん。
そんな王都に住まう普通の人々がアリスの前に現れた。
そして、ピクシエルは魔法を発現させる。
気球にも倒れた人たちにも降り注ぐ悪辣な雷を。
「【魔壁】!」
何が遊びだ。
この妖精はまともに戦おうとしていない。圧倒的に有利な状況で敵をいたぶりたいだけだ。
その嗜虐心こそが妖精の行動理念。だから、この一手もまた誘いなのだ。
「あ、アリスちゃん!」
「来るな! 私は大丈夫――」
雷鳴にアリスの声がかき消される。
声は届かず、親友を助けようと真っ先に飛んできたミユが風に撃ち落とされる。ダメージはないだろう。
だが、ミユの姿はこの場から消え去った。
「ん~、そんな足場じゃこうやって凍らされちゃうわよ」
続いてメルクたちが乗っていた高波が一瞬で凍りつき、砕かれる。
「お前ら勝手に着地してろ! 俺はあいつをこのまま叩き――」
「駄目だ。風が来る! 狙いは君じゃない! あの人たちだ!」
即座にメルクは砕かれた氷を霧に変え攻撃しようとしていたが、ソルの声に動きが止まる。
メルクにとっては問題ない。だが、彼が助けていた人たちにとって、とくに森で拾った一般人にとっては妖精が操る風は死神の鎌に他ならない。
「くそが。だけどよ――」
そうして、庇ったメルクも風に撃ち落とされ、姿が消える。
だが、彼が残した霧から飛び出す影があった。
「――【時遠】」
「――喰牙」
まさに神速の連携だった。
妖精を逃がさない檻をアスケラが作り、その檻ごとガウルが必殺の牙で喰いちぎる。
仕留めた。ガウルとアスケラ、そして、その連携を見ていたアリスの確信。
それは妖精のため息に吹かれて散った。
「はあ~、それじゃあ当たらないわ」
するり、と。青い螺旋の中をピクシエルはすり抜けた。
内側に巻き込もうとする螺旋の流れすら利用して、妖精は軽やかに空へ舞い上がる。
「くっ、覇哮!」
「それも無駄。はい、さようなら~」
追撃の牙もピクシエルは翅を一度動かすだけで回避する。
そうして、ガウルとアスケラの姿も消えた。
残ったのはアリスと、倒れた人たちだけ。
それはあまりにアリスに酷な状況だった。
「さあ、続き続き。助けが戻ってくるまでどれくらいかしらね~。もしかしたら、戻ってこないかも!」
「さっきも言ったけど、もう一回言ってあげるわ。抜いてみなさいよ、羽虫」
くるくると舞うピクシエルはアリスの啖呵に動きをとめ、にんまりと満面の笑みを見せる。
「すごい、諦めてない! まだ、わたしに勝てると思ってる! でも……気づかない?」
妖精が指差す先にいるのはアリスが雷撃から救った人たち。
その人たちの体には禍々しい痣が浮かんでいた。
「毒よ。でも、あなたなら助けてあげられるでしょう。浄化師さま」
妖精の周囲に火球が次々と生み出されていく。
さあ、どうするの。楽し気に細められた妖精の目はそう言っていた。
「ただの植物を持ってくるわけないじゃない。何年も何十年も待ったって言ったでしょ。それなりのおもちゃをちゃんと用意してるわ。ねえ、毒キノコの胞子たっぷりの森に飛ばされたあなたの仲間は何人帰ってくると思う?」
火球の群れが妖精の動きを真似るようにくるくると舞い、火の粉を散らす。
ただでさえ最悪な状況だというのに、あれを防げるだろうか。
あの人たちを庇いながら。
あの人たちを浄で癒しながら。
気球を、何より自分を、守れるだろうか。
アリスは正しく状況を理解していた。その上で答えは一つだった。
「ぺらぺらぺらぺらと羽音がうるさいったらありゃしない。言ってるでしょ。御託はいいから――さっさと抜いてみなさいよ」
アリスは多分、親友たちほど浄化師らしい行動はできない。
今だってこの妖精の笑みを消してやりたいだけ。転がってる邪魔なのなんてどうでもいい。
だけど。
子供を身を挺して守ったり、わざわざ危険な領域に踏み込むお馬鹿な親友に――顔向けできないことはしたくないとは思う。
まあ、負ける気はないのだが。
それにミユは絶対に戻ってくるだろうから、そこまで絶望的でもないだろう。
手に浄を灯し、一歩も退かずに妖精と相対するアリス。
――その耳をそよ風が揺らした。
「――【浄光結界】」
アリスを囲っていた白い結界が爆発したかのように広がる。
浄の白が世界に満ちる。アリスの膨大な魔力で展開された【浄光結界】は下位の魔物ならばこれだけで祓えそうなほど、強く浄が輝いていた。
倒れた人たちの痣も薄くなっていく。
しかし、これはピクシエルにとってはそれほど意味がない行動だ。
「え、どうしたの? やっぱり諦めたの?」
不思議そうにピクシエルは問いかける。
不快感はある。
少し体が鈍るとか魔法の発動が遅くなったりはするかもしれない。
だが、それはこの妖精が作り上げた盤面をひっくり返せるほどではない。何より、結界を広げたアリスは妖精の転移に対し、あまりに無防備だった。
「べつに諦めちゃいないわよ……まあ、あんたは結構強かったわ。でも、遊びについては勘違いしてるわね」
だから、あんたは負ける。
そう告げるアリスの瞳は不思議なほど確信に満ちていた。
「そ。じゃあ、それが負け惜しみにならないことを祈るといいわ――」
これで終わり。
最大の邪魔者は消え、後には気球が残される。
――【エニグマ・チェンジリング】。
そして、妖精がその呪文を唱えた瞬間。
アリスの姿は消え、役者は入れ替わった。




