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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
六章
188/196

『妖精』Ⅰ

 歪む景色と浮遊感にアリスは失敗を悟った。

 振り返る。だが、そこに先ほどまであった気球はない。半壊した工場も発現した【魔壁】もなく、魔物が広げる枝葉の緑だけがそこにはあった。


「ちっ!」


 気球が動かされたんじゃない。動かされたのはアリスの方だ。

 空間転移。瞬間移動。一瞬で遥か彼方まで移動できる夢のような魔法。

 そう、夢だ。そんな魔法など存在しないとたかをくくっていた。

 どんなに目の前の光景が”夢の魔法”に見えたとしても、万能には程遠い条件があるはずだと妖精の魔法を甘く見ていた。

 だって、本当にピクシエルが空間転移を使えるのなら、何で気球を転移させないのか。上空にでも転移させれば、それだけであの妖精は目的を遂げることができるのに。

 気球を破壊するために【魔壁】が邪魔ならば、転移でどければいい。

 アリスやミユが邪魔ならば、どこか遠くに転移させればいい。

 しかし、ピクシエルはそれをしなかった――今、この瞬間までは。


「【強化】!」


 踏みしめた地面が爆ぜ、アリスの体が空高く舞い上がる。

 跳躍というより、爆風に乗っているかのような移動。

 それはいささか過剰だった。


「そんな離れてないじゃないっ! どこの森に飛ばされたのかと思ったわよ!」


 魔物や植物が邪魔で分からなかったが、気球とアリスの距離はさほど離れていなかった。

 せいぜい数十メートルくらいの距離。今の跳躍の方がよほど遠くに行ってしまっている。

 しかし、数秒ほどアリスが【魔壁】から離されるだけで致命的だった。

 甲高い笑い声をあげながら妖精が【魔壁】と気球に迫る。ミユがピクシエルを追っているが、間に合わない。


「……気球を壊されたら、絶対にあの羽虫潰してやる……」


 大変遺憾ながら、もうアリスにピクシエルを止める手段はなかった。

 この位置から【魔弾】や他の魔法を撃てば【魔壁】を自分で壊す羽目になる。

 距離が近ければ【魔壁】に魔力を送り込んで補強もできたが、ここからでは遠すぎる。

 正直アリスは諦めかけていた。

 だからこそ、妖精を襲う横殴りの雨にぐっと拳を握りしめた。


「遅い!」


 文句を言いながらも、アリスの声は明るい。

 ソルを肩に乗せたメルクはぎりぎりで間に合った。あと数秒遅ければ呪いのような文句を延々と聞かされていただろう。

 メルクの蒼剣が【魔壁】の前に押し寄せていた魔物を切り払う。ミユも妖精に追いついた。

 そして、二人は同時に魔法を発現させる。


「【魔剣《氷雨(ひさめ)》】」


「【炸散華(さざんか)】」


 降り注ぐ蒼剣の雨と地面をひっくり返しながら迫る白の衝撃。

 逃げることを許さない攻撃範囲の完璧な挟撃。それでも、妖精の顔から笑みを奪うには足りなかった。


「ふふ、なあにこれ! そんなの当たらないよー!」


「おいおい、まじか!?」


 魔法の選択が甘かったのはメルクの方。

 蒼剣の隙間を縫うように飛ぶピクシエルにメルクが驚愕の声を上げる。

 普通の魔物ならば逃げ場はなかっただろう。だが、この妖精にとってメルクの”雨”はいささか隙間が大きすぎた。


「こ、こうやるの! さ、【炸散華(さざんか)・花火】」


 この妖精と先に戦っていたミユが手本を見せようと大剣を振るう。

 ピクシエルを追う白い衝撃波。

 指向性を持たせた爆発……ではなく、威力を高めて強引に敵を範囲に入れているような”花火”と呼ぶには破壊的過ぎる魔法。

 これにはピクシエルの笑顔も少し強張った。


「あ、当たらないわよ、そんなの! 今度はこっちの番!」


――さあ、何秒もってくれる?


 そんな嗜虐的な声と同時に暴風が発現した。

 氷塊や岩石を巻き込み渦巻く暴風がミユとメルクを飲み込む。

 複数属性の魔法の暴威。それを前にした二人の行動はまさに正反対だった。


「【水精の杯(カップ・オブ・アクエル)】」


 メルクの精霊魔具『叢雨』から水流が溢れ出し、器用に氷塊や岩石を飲み込んでいく。

 暴風に逆らわず、ソルから助言を受けつつ敵の魔法を利用する。

 そんな普段の言動からはかけ離れた繊細さを見せるメルクに対し、ミユの行動はシンプルだった――突撃あるのみ。


「や、やあぁぁ」


 消えていくかけ声に反し、その行動はなんて暴力的なのか。

 暴風も氷塊も岩石も関係ない。強引に纏った魔力で弾きながら妖精に突っ込んでいく。

 誰だってこんなのを近づけたくない。ピクシエルは狙いを狂暴な兎に定める。


「どっか吹き飛んじゃえ!」


 砂塵により黒く染まった風の渦に飲まれ、ミユが明後日の方向に飛んでいく。

 しかし、風の制御がミユだけに向けられたことにより、メルクの水流を阻むものはなくなった。


「喰らいやがれ、くそ虫!」


「雑魚の攻撃なんて喰らうわけないでしょ!」


 氷塊や岩石を飲み込んだ波濤が一瞬で凍りつく。

 その『氷』はメルクにとっても味方だ。拳を叩きつけると同時に波濤の氷像は爆ぜ、無数の氷狼が群れをなす。

 白峰の町グレイスの駒者(ピーセス)が得意とする【土人形(ゴーレム)】を真似た魔法。それを妖精は鼻で笑った。


「『水』と『氷』ね。じゃあ、あんたとわたしの力の差を教えてあげるわ!」


 火焔が氷狼の群れを舐め、ただの水に帰す。

 メルクはその水を利用しようとするが、再び暴風が発現し――


「メルク、『雷』もだ!」


「くそ! それは反則だろ」


 ソルの警告を聞いた瞬間、メルクは氷壁を展開しその場を離脱する。

 少しでも遅れれば暴風に乗った電撃が水を伝って、メルクに直撃していただろう。

 水の刃を武器とするメルクにとって『雷』は相性が悪い。それを理解した妖精の笑みが深くなる。


「ほらほらほら! これがいいんでしょ!」


 幾筋もの雷撃が大蛇のようにうねる。

 どこかのエルフくらいの『雷』ならまだ対処できた。

 でも、これは威力が高すぎる。一人と一匹は無数にせり上げた氷壁の一つに隠れながら「やばい、あれはやばい」と焦っていた。


「何とかするんだ。あんなの直撃したら僕は丸焼きになっちゃうよ!」


「ネズミの丸焼きとか食い出がなさそうだな……痛って! おい噛むな、馬鹿! 対処したくてもあんな『雷』をいちいち防いでたら魔力切れになるし、発現してる奴を止めたくてもあの妖精に攻撃が当たんねえんだよ!」


「それでもテルスなら何とかするぞ! 多分!」


「……そう言われると、あいつに負けたみたいでムカつくな」


 近づく雷鳴に耳を澄ませながら、メルクは魔力をためていく。

 点や線の攻撃ではあの妖精を捉えられない。必要なのは面の攻撃。メルクはタイミングを見計らい……


「今! 氷雨(ひさめ)・遠吠」


 それは先ほど見たミユの【炸散華(さざんか)・花火】の模倣。【魔剣】の魔力を炸裂させ、『水』と『氷』の魔力を吹雪のように叩きつける面の攻撃。

 吹雪の渦が視界の全てを覆うように妖精に迫る。だが、


「あ、見っけ!」


 この魔法はミユの破壊的な”花火”には及ばない。使い勝手や狙い、魔力の節約等では上だろうが、何よりも必要な威力が足りていなかった。 

 雷撃の片手間に発現した熱風がメルクの一撃を相殺する。

 妖精の目にメルクの魔法は障害とすら映っていない。まずは一人と一匹目と獲物を仕留めることしか妖精は考えていなかった。

 だから、ピクシエルは気づくのが遅れた。

 吹雪の帳に隠れながら近づいていた二人に。


「え、ちょ、それは駄目――」


 三浄天(トリ・へクス)アリス・ラムダの手には竜の息吹が。

 四浄天(テトラ・へクス)ミユ・リースの手には巨人の大剣が。


 白の極光が手に灯る二人を見て、ついにピクシエルの顔から笑顔が消え去った。


「――【白の竜息(アルブス・ドラコニス)】」

「――スぺディル」


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