血と想いの証明
王都に瘴気が発生した。
その一報が《白騎》の兵舎に届いたとき、兵士たちの動きは凍ったように静止した。
それは《白騎》団長ガウル・K・ティガードとて変わらない。
――瘴気ということは魔物が現れたのか? どうやって? どこに?
思考を埋め尽くすのは数々の疑問。
だが、悠長にそれらを考えている暇などない。深呼吸の後、ガウルは団員たちの背を叩くように大声で指示を飛ばし始める。
「すぐに王城に連絡しろ! 場所はどこだ?」
「城下の通り、住宅街からもです!」
「何だと!?」
城下の通り、住宅街。それらは王都の外延部に位置するものではない。
王都シャトランジ、その中心。王城のすぐ近くにあるものだ。
「自然公園の付近でも瘴気が確認されました!」
しかも、発生地点の報告はこの二つだけでは止まらない。
いったいどれほどの魔物の大群が王都の中心に侵入したというのか。
最悪の事態。その言葉と光景がガウルの脳裏をよぎった。
「馬鹿な! どうやって、それほどの魔物の大群が――」
「いいえ、違います。現れたのは魔物ではなく……森、とのことです」
二度目の静寂が兵舎に広がる。
やがて、窓の外を見た団員が震える指でそれを指差した。
「あ、あれ……」
王城ほどではないが、城下町を始めとした王都を一望できるはずの窓。
その向こうでは見慣れぬ緑が蠢いていた。
大通り。街灯。住宅街。確かにそれらは見慣れた王都の景色だ。
しかし、それらを植物が緑に染めていた。
まるで、美しい絵画に緑の絵具を無遠慮に塗りたくったかのような不自然さ。
事態の一端を把握したガウルはすぐに地図をテーブルに広げた。
「あの森の範囲を書いていけ。中はどうなっているか分かるか?」
「それが、入れない……いえ、入ってもすぐに出てきてしまうみたいです」
「何だそれは? 特殊な結界なのか……森に飲まれている範囲には住宅街もある。迅速に救出するためには”入れない”なんて言っていられない。『火』の魔法等で植物を除去できないか試せ。もちろん『浄』もだ。急いでアスケラと合流しろ」
地図にしるしを付けながら、ガウルは《白騎》の精鋭たちに指示を飛ばしていく。だが、
「くっ、範囲が広すぎる。どうなってるんだ、これは……」
広げた地図に描かれた王都が緑に染まっていく。
いくらなんでも範囲が広すぎる。これでは住民を救助することすら難しい。この森が魔物であったなら王都は大打撃どころの話ではない。
何故、急に植物が町に現れたのか。
前兆なんてものは絶対になかった。これは間違いなく今この瞬間、発生したものだ。
「狙いはどこだ……?」
ガウルは一つ一つ、緑に染まった中にある王都の重要施設を確認していく。
間違いなく、この緑の中に敵の狙いがあるはずだ。
不可解なのは、この緑の中に王城やここ、《白騎》の兵舎が入っていないこと。
一瞬で戦力を分断できるというのに戦う気はないのか?
これは戦力を削ぐことや王を始めとした重要な駒を消すためのものではない?
「敵の狙いはこの森を王都に広げることか?……いや、それなら自然公園に森を広げる意味が分からない」
公園なんて元から緑がある場所だ。
あの森でなくてはいけないのかもしれないが、それでも、あの場所は町中と比べると人も少ないし重要とは思えない。
「何でここを……いや、待て。自然公園の近くには……まさか!」
自然公園の近くにある貴族の屋敷。
そして、この森の配置を改めて見たガウルは理解した。
そう、戦力の分断はすでにされていた。《白騎》も《黒騎》も住宅街を覆いつくした森に阻まれ、そこにはすぐにたどり着けない。
「敵の狙いは――」
「あはっ、あはははは!」
笑う、笑う。軽やかに飛ぶ妖精は甲高い声で笑いながら、空を翔ける。
「ほーんと、馬鹿ばっか! すぐ近くにわたしがいるのに誰も気づかない! 南都であんなことがあったのに、何にも学んでないじゃない!」
嗤う、嗤う。お腹を押さえながら、妖精は心底愉快そうに間抜けな人間を嘲笑っていた。
「浄の結界があったらわたしたちが入れないなんて思ったのかしら! 侵入されたら結界に異変が起きるから分かるとでも思ったのかしら! 穴だらけ過ぎるでしょ!」
妖精――ピクシエルからすれば王都の守りなんてまるで無意味だった。
それは確かに魔物の侵攻を止める壁となるだろう。
災厄を受け止める盾の一枚にはなるだろう。
だけど、それはピクシエルにとっては意味を為さない。
守り方が違うのだ。突風、大波、あるいは軍隊でもいい。
そういった大きな流れをせき止める壁が、小さな小さな妖精の侵入を止めることに必要だったのではない。
たった一人の犯人を見つけ出す”検問”こそが必要だったのだ。
人が悪人を見つけるためにやっているような魔力の感知。
とあるネズミのように周囲の魔力の流れを感知できれば――もっとも、王都全域の魔力を感知できる技術など今の人にはないが――魔法を発現しているピクシエルがこうも簡単に王都に侵入することはできなかっただろう。
「【エニグマ】!」
それはピクシエルの自慢の魔法。
もっとも、その原理はテルスたちに見せていた魔法と変わらない。
魔力を、精霊を、集めて解き放つ。
そんな雑な精霊魔法もどきの先は”界”の発現。
魔瘴方界ではない。もちろん【浄光結界】でもない。
世界に満ちる全ての力を貪欲に集めて、広げた世界は――なんてことはない。【空隙】という、空間に隙間を作って物を入れる人の魔法と酷似したものだった。
染めたかった色で世界を塗ることはできなかった。
だけど、ピクシエルは袋に詰まった好きなモノをぶちまけることで、世界を自分の色に染めることができる。自分を自分だけの世界に隠すことだってできる。
集約と解放。
ピクシエルの力はそれだけだ。”女王”の力によって生まれたときから、ずっと。
「ほうら、邪魔よ!」
一直線にピクシエルは飛ぶ。
邪魔な衛兵を風で吹き飛ばし、目的のもの――気球に迫る。
「い、行かせるか!」
少年の声が響き、紫の光が気球と妖精の間に発現する。
「いいわよ、好きにして――あんたごと、壊すから」
無邪気で無情な妖精の声。
一拍の後、巨大な火球が工場に発現した。
「その邪魔なのを壊したら自由にしていいって言われたし、この後はどうしよっかな~。いっぱい遊んで飽きたら戻ってもいいけど、せっかくの自由だしなあ」
まるで小さな太陽だ。
そこにあるだけで、工場が焼けていく。発現した【魔壁】もひび割れ、吹けば飛ぶような紙に成り下がる。
「逃げないの~? 助けなんて来ないよ。私の【エニグマ】で足止めされてるし」
まあ、もう逃げても遅いかもだけど頑張って。
そうケラケラと笑う妖精を前にして、逃走の猶予を与えられた少年は――動かなかった。
「これは必要なものだ! テルスさんたちに、あのムカつく西の男に、皆にとっての希望の船なん……だ……」
ゆらゆらと揺らした火球に決意の声も揺らぐ。
それを妖精は嗤う。いつ逃げるのか、と死という恐怖を前にした少年の行動を舌なめずりをして楽しむ。
しかし、
「違う……違うや」
揺らぐ声は妖精の期待とは違っていた。
「この気球は宿題なんだ……お父さんとお母さんが僕に残してくれたたった一つの機会なんだ……」
この気球は、終末の砂時計に挑んだ父と母が最後まで完成できなかったモノ。
五年前の刻限の砂攻略時。
気球は浮かんでいるので精一杯だったという。
その時点で父と母にはこの機体では無理だと分かっていたはずだ。それなのに、二人は仲間を助けようと無理な機体を懸命に動かし――助けようとした仲間、そして努力の結晶たる不完全な機体ごと魔物に喰われた。
多分、二人は仲間を見捨て、子供が待つ家に帰ってくることを選べたはずだ。
でも、それを二人は選ばなかった。
子供なんて大事ではなかったから?――違う。
信じていたからだ。託したものを繋げてくれる、と。
愛以上に二人は、いや、この血は技術を信じている。
学び、発展させ、次に繋ぐ。それを繰り返していくことが技術。この『B』という文字を与えられた血族の信念。
だから、少年は――ヴィヌス・B・ブルードのルールはここで逃げることを許さなかった。
「僕の責務はこれを完成させることを最後まで諦めないことだ。それが、二人の息子だという証明なんだ! だから、僕は逃げない!」
紫が強く輝く。
たった今、この場で魔法陣を書き足し、眼前の太陽に抗う壁を構築していく。
だが、それは無意味だった。
「……なんか、ムカつく。死んじゃえ」
ぽいっと軽い動作で妖精が投げた火球が壁を燃やしていく。
一秒。たったそれだけの時間を稼ぎ、壁は完全に焼失した。
そして、次の一秒後にはヴィヌスと気球は灰となる。
それでも、少年に後悔はなかった。残念ながら気球の完成は遅れるだろうけど、自分の技術は次に繋いでいる。だから、誰かがきっと完成させる。
最後までヴィヌスはそう信じていた。
ただ――繋いでいくモノは技術だけとは限らない。
「――え」
釣りあげられる。
いつの間にか体に巻きついた糸が火球からヴィヌスを引き離す。
そして、
「――スぺディル」
蚊の鳴くような声が小さく空気を震わせた瞬間、火球は吹き飛んだ。
「ほうら、私が言ったとおり。やっぱり、ここが狙いだった」
妖精の前に立つのは、少しだけ息の上がった二人の白。
二人は知っている。大事な親友がどんな想いで何を願い、何と戦っているか。
この気球がどれだけ親友やその仲間たちにとって大事なものなのか。
だから、少女たちは全速力で駆けた。
たった一秒の差。それに間に合ったのはただ、ヴィヌスの想いが、テルスとルナの懸命さが二人を――ミユとアリスを走らせたから。
「あーあ、難易度上がっちゃった。でも……楽しくなってきたかも」
一秒という繋がる想いの証明。
それを前に、妖精は心底不機嫌そうにも、心底楽しそうにも見える複雑な笑みを浮かべていた。




