嗤う妖精
大変お待たせいたしました!
テルスたちがトンネルを出て”森”を目にする少し前。
友人のデートを覗いていたかった不埒者共はぶーぶーと不満の声をあげていた。
「あーもう、べつに何も見つかんねえよ!」
叫ぶメルクに続いて、アリスたちもそーだそーだと頷く。
何を探せばいいのかも分からないまま何かを探す。怪訝そうな精霊の姿に抱いていた不安も、そんな無為な数分間を過ごせば怒りに変わるというもの。
もはや、ソルを見るメルクたちの目はそれだけで小さなネズミを狩れそうなほど負の感情に満ちていた。
「だ、だって、仕方ないじゃないか! 変な気配を感じたんだから!」
「だから変なって何なんだよ!」
「うーん……精霊が変な動きをしてたというか……魔物? みたいな気配が……」
ソルが曖昧な言葉を重ねるたび、メルクたちの目がつり上がっていく。
怖い。とくに何も言わないまま感情のない目で見下ろしてくるミユが怖い。ソルは友人のポケットの中が恋しかった。
「魔物って、ここは王都のそれもブルードの敷地内だぞ。色々とこう……守られているはずだ」
「……王都は各所に結界が張り巡らされているし、今は南都の件もあって特に重要な場所は【浄光結界】で守護されているわ。それに、そもそも王都は魔瘴方界から離れている」
メルクのざっくりとした説明をアリスが極寒の眼差しで引き継いだ。
ソルだって、王都近郊には魔瘴方界がないことはテルスから聞いている。
南都の安全が戦力の充実に基づくものならば、王都は物理的に魔瘴方界と距離があるゆえの安全だ。王都の守り以前に魔瘴方界外での活動時間から考えて、こんな王都の中心に魔物がいるわけがない。
「それは分かっているよ……だから、おかしいと思ったんだ」
こんな場所に魔物がいるはずがない。それなら、瘴気だって感じるはずがない。
だが、ソルは確かに感じ取ったのだ。精霊が避けていく奇妙なその空白を。
「瘴気自体を強く感じ取ったわけじゃない。だけど、瘴気を感じ取った精霊が避けていくような気配が一瞬だけ、すーっとその辺りを流れていくのを感じたんだよ」
「その辺り……」
ミユの視線が虚空を流れる。
ソルが鼻先で示した先には何もない。ミユたちにとってそれはただの風景だ。
たとえ、この場にエルフがいて”視た”としても、ソルの言う異変に気づくことはなかっただろう。
窓の外で木の葉が揺れているのを見ておかしいだなんて普通は思わない。風が吹いているのかな、と思うくらいだ。
しかし、精霊であるソルは風が吹いていないことが分かる。
木の葉が揺れる理由がないのに揺れているなんておかしい。人やエルフとは違う精霊だからこそ分かる感覚は”瘴気がないのに精霊が避ける空白”をおかしいと告げていた。
「……ねえ、それはどれくらい危険なの?」
「は、何言ってん――」
「あんたには聞いてない。聞いてるのはそこの精霊」
アリスの尖った声にメルクは顔をしかめるが、文句を口にすることはなかった。
アリスの声音には明らかに先ほどまではなかった緊張があった。
「もし、本当に僕が恐れているとおりだったら……王都は南都のときと同じくらい危険になる」
「南都と同じ……ちょっと、それって!」
「……前にあの騒動の報告をテルスと聞いたんだ」
数ヶ月前の災魔による南都襲撃。
大聖堂など南都中心部の建造物はいくつも損壊し、浄天の一角を失い、衛兵や騎士団員からは多数の死傷者が出た。
そして、未だ大きな爪痕を南都に残すこの襲撃には判明していないことがいくつもある。
その一つが、
「侵入経路。シリュウはそれが分からんって言っていた」
南都の地下に広がる避難通路。
調査当初は溶岩洞を利用して作られたこの通路を使い、災魔たちは南都に侵入したのだと思われていた。
しかし、その通路は確かに南都の外まで繋がっていたが……それだけだった。
炎鎖の嶽になんてまったく届いていない。
溶岩洞は町の外ですぐに途切れ、土の壁が道を塞いでいた。埋めた痕跡なんてものもない。距離を考えれば当然だが、魔瘴方界から町まで繋がっている地下通路なんてものはなかったのだ。
「そうね。町の外から溶岩洞を使って入ってきた可能性が高いらしいけど、それだって色々とおかしいし……」
アリスはそこで言いよどむ。
町の中に繋がる溶岩洞は南都の城壁のほど近く。それなのに、マテリアル《Ⅳ》以上の魔物であるタロスの接近に気づけないはずがない。
それは他の魔物も同じ。ピクシエルはともかく、ペデスと呼ばれていたあの災魔が近づいてきて見過ごすなんてありえない。
まるで、最初から地下にいたかのようにあの魔物たちは現れたのだ。
「不気味なくらい痕跡がないのよね。結局、侵入経路がはっきりしないから、今の南都は結界だらけよ。まあ、それはここもだけど」
南都で起きたことが他で起きないとは限らない。
すでに情報は共有され、今はどの町の主要施設も【浄光結界】で守られている。
当然、王都の守りだって穴はない。それは中心となって結界を張ったアリスが一番良く分かっている。
侵入経路が分からないから全部潰すような力技。それでも、この状況で南都のように魔物の侵入を許すだなんて思えない。
それなのに、ソルはすでに魔物が侵入しているかも、と危惧しているのだ。
「つまり、どうやって侵入したか分かったってこと? それも近くにいるかもしれないって?」
「あくまで推測だよ。それにタロスやペデスという災魔がどう侵入したとか、手段はまったく分からない。ただ、あいつならそういうことができるんじゃないかって……」
あいつ。テルスやソルが奇襲を許すほど小さな魔物。
落葉の森。南都の地下。いつも唐突に不自然にあの魔物は現れた。
それに――南都の駅で起きたあの爆発。人に気球を壊す理由があるとは思えない。タイミングから考えてもあれは魔物の仕業のはずだ。
確たる証拠はない。手段も分からない。でも、あの魔物なら王都に侵入する”力”も”理由”も――
「あのピクシエルとかいう魔物なら――」
ソルのその言葉が最後まで紡がれることはなかった。
違和感を覚えたから、ソルは皆を呼び止めた。そして、推測に自信や根拠がなかったから周囲に異変がないか探してから、この説明をし始めた。
それはあまりに悠長な選択だった。
ソルはすぐにアリスたちを急かして、テルスやシリュウ、できるだけ多くの者に連絡するべきだった。説明よりも早く助けを求めるべきだった。
何より、気づくべきだったのだ。その違和感が――小さな妖精がまだこの場に残っていて、にやにやと嫌な笑みを浮かべながら話を聞いているかもしれないという可能性に。
「え、なにこれ――」
「景色が歪んで――」
「おい、さっさと離れ――」
迷いこむ。
瘴気が薄っすらと漂う、奇妙な森に。
ソルたちだけではない。
王都シャトランジ。ブルードの敷地を中心とした一角は今日、妖精の森に連れ去られた。
「ご招待ー。さあさあ、遊びましょう! ずーっと、ずーっとこの日を待ってたんだから……」
……どうか楽しませてね。




