準備と秘密
西にある最後方のカンプス。
今の西都ウェスティアともいえる町で、テルスとルナは久方ぶりの人混みの中にいた。
所狭しと並べられた黄みがかった白の建物。
建物自体は最前線のカンプスと似てはいるが、大きさも数も比べものにならない。同じような建物、同じような道で溢れるこのカンプスは町というより、もはや迷路のようだった。
「駄目だ……買い物にならない。ナル、こっち」
いつか使った偽名を呼びながら、テルスはフードを目深に被ったルナの手を引く。
ここで「ルナ」と口にしたら圧死するかもしれない。そんな危惧すら抱かせる人混みから抜け出し、這う這うの体で空いているベンチにたどり着いた二人の顔は疲れ切っていた。
「ちょっと前はこんなに人はいなかったんだけどなあ」
テルスのぼやきに文字を返せないルナも大きく頷く。
西にテルスたちがやってきて、それを追いかけるように道化師、騎士団、駒者、商人たちがカンプスに出入りするようになった。
後方のカンプスに戻ってくるたびに見知った顔は増えていき――ルーンとかチェレンとかファスターとかバルフたち等々――見知らぬ顔はそれ以上に増えた。
暗黙の禁止が解かれ、たった数ヶ月。
その短期間でこの町の活気は買い物もろくにできないほど暴力的なものになってしまった。
それも仕方ないのかもしれない。最後方といえど、このカンプスに出入りする人は今まではほとんどいなかった。当然、娯楽になるものも少ない。
西の民は生きるために必要な最低限度の生活しか送っていなかった。
そんなところに様々な商品、料理や本といったものなどが入ってくれば……それはこんなことにもなるだろう。
つまり、今は需要と供給がまったく釣り合っていないのだ。
ちょうど、あそこの大道芸のように。
「……最初は満員だったんだけどなあ」
中心に巨大な時計が置かれた広場の一角。
何故か人がまばらなその空白地帯では赤いボールが寂しくぴょんぴょん跳ねていた。
「――そりゃ比べるもんがなかったからねえ。芸はいいけど、ホラーは求められてないんじゃない?」
聞こえてきた声に振り返ると、腕を組んだ義手の女性がそこにはいた。
バルフ・パールサ。白峰の町グレイスの駒者。雪花の湖での戦いで片腕を失い、今は義手を慣らしながらコングの『商人』の仕事を手伝っている。
「あ、バルフさん。この前は魔具の調達ありがとうございます」
「大した仕事じゃないよ。ブルードの貴族様から渡されたのを持ってきただけ。あれじゃあ、商人というより運び屋ってとこね。どう? 余ってるしグレイスの酒でも買ってかない?」
にやっと笑う快活な女性にテルスも笑顔で首を横に振る。
あそこの酒は度数が高すぎると思うのだ。余っている、ということは多分ここの人たちも同じ感想なのだろう。
「残念。それじゃあ、他に何か必要なものはある?」
気球が出入りするようになってから、雪に閉ざされたグレイスは様々な商品を外に頼るようになったらしい。
その交易の伝手もあって、コングやバルフたちのおかげで西でも色んなものを買うことができる。というか、頼めば大体用意してくれる。
「急ぎで必要なものはないです……でも今度、色々と頼むと思います」
「ああ……コングから聞いてる。王都に行くのもそれ絡みでしょ。物の方は任せて。それで……」
人の方はどうするの、とバルフは周囲に気を配りながら小さな声で聞いてきた。
テルスたちがこのカンプスにいる理由は、王都への帰還要請が出たからだ。
刻限の砂の攻略を話し合うとのことだが、これはきっと、ただの話し合いでは終わらない。
前回のテルスたちの調査で刻限の砂という魔瘴方界の実態が少しだけ明らかになった。
砂漠という環境そのものが魔物と化す、多数の魔瘴方界が重なり合った領域。
そして、それらの中心。刻限の砂をさらに異質な魔瘴方界へ変質させる元凶――災魔の骸があるであろう旧王都。
瘴核に該当する魔物を倒そうと短期間で復活し、広大な砂漠という厳しい環境が人の侵入を阻む以上、深部まで調査することは難しいだろう。
つまり、刻限の砂を攻略するのならば魔法や気球等の移動手段を使って、一気に中心に攻め込むしか道はないのだ。
だからこそ、今回の話し合いは調査よりも攻略を中心とした……あの砂漠に挑むのは誰か決めるものになる。
部隊の編制、連携を深める訓練、攻略に向けたより精密な情報の収集、魔法の最適化。
ついに、それらを考えるところまで来たのだ。
「……そんな枠があるか分からないけど、グレイスの駒者なら誰でも協力するわよ。もちろん、私も」
「ありがとうございます。でも、まだ何人で、どうやって挑むかも決まってないし……というか、指揮系統とかどうなるんだろ?」
どっかの騎士団が取るんだろうか。
そんなことを考えながらテルスは首を傾げる。隣りではルナも同じように首を傾げていた。
「さあね、その辺りは私には分からないわよ。でも、実績で考えるなら、あなたたちになる可能性もあるんじゃない?」
故郷を救った英雄の呑気な様子に、バルフはくすりと笑みを零す。
「まあ、大変な話はひとまず置いておいて、気球に乗るのは明日でしょ。私の店でお酒……は嫌そうだから、美味しいものでも食べていきなさないな」
その提案に人混みに辟易していた二人の顔が明るくなる。だが、テルスの快諾の声は別の声に遮られた。
「それはいい。僕もご相伴にあずかってもいいかな」
手を振って近づいてくる灰色混じりの茶髪の男……サハラ。
怪しさ満点の男の登場と同時に、暇を持て余した道化師たちもテルスたちに突っ込んできた。
「私も~! ほら、ルナちゃん、一緒にいこー!」
「もう駄目だ」「あの団長クビにしよう」「最初は拍手喝采雨あられだったのに」「今では阿鼻叫喚……」
全てを諦めた笑みを浮かべているルーンと暗い影を背負ったミケとタマ。
広場の一角では悲鳴と怒声が響いている……跳ねる赤いボールを追いかける紫の道化師なんてテルスは見ていない。
道化師たちの哀愁にそっと目を逸らし、ルナたちの後に続こうとするテルスだったが……
「うん、ちょうどいい。テルス、僕の後についてきてくれないかい? 君一人なんて滅多にないタイミングだし」
「ポッケにソルがいるんだけど」
「あ、それはべつにいいや」
サハラの無礼な返事が聞こえたのだろう。「人混みは嫌だ」と引きこもっていた精霊のネズミ様が暴れ出す。
ポケットの上からそれをなだめながら、テルスは嫌そうにサハラを見た。
「怪しいんだけど。さっきからこっちを見てたし、ルーンたちをけしかけたのも君だろ」
「バレてるのね……でも、こうでもしないと騎士は浄化師様から離れないし」
それでルーンを連れて来たのだとしたら、サハラは本気でテルスを一人にしたかったということだ。
テルスとルナだけでなく、テルスだけ。その理由にテルスは心当たりがあった。
「用件は君の魔法……というか隠していることについて?」
その言葉にサハラは驚き……そして、困ったような笑みを浮かべた。
「――ついてきてくれ。僕たち《レヴェル》の秘密を明かそう」




