アテルラナ
流砂から這い出たそれはまさしく山だった。
視界を埋め尽くす土色の絶壁。見上げても頂きは見えず、大山が身動ぎするたびに砂漠は高波と暴風に荒れ狂う。
「ほんと、でっかいなあ……」
大荒れの砂漠を走りながら、テルスは呑気な感想を呟く。
砂丘を登っているときに「山登りみたい」などと思ったが、あれは甘かった。この大山を前にすれば、砂の波に振っている刀が爪楊枝か何かに思えてくる。
果たして、この爪楊枝でどこまで切り崩せるか。それを確かめるためにもまずは近づかねばならない……が、
「テ、テルス! 足、足! 踏みつけられるーっ!」
魔物が敵を前にじっとしているはずもない。流砂の巣から引きずり出されたアリジゴクの足がテルスたちに振り下ろされる。
巨大な建造物が倒れてくるかのような蹴りだ。
これは攻撃なのか、それとも、ただこちらに顔を向けようとしているだけなのか。どちらにせよ、直撃すればぺしゃんこだ。ソルが怖がるのもよく分かる。
まあ、こんな遅い攻撃に当たるわけもないが。
「大丈夫。こんなの当たらないよ」
ソルに声をかけながら、テルスは加速する。
巨大ゆえに予備動作は大きく、攻撃の速度だって鈍い。攻撃範囲や余波は厄介だがこの流砂を問題なく走れるようになった今なら何も問題はない。
鈍重な蹴りを潜り抜け、余波で巻き上がる砂を利用しテルスは駆ける。砂に隠れ、魔物の死角を影の如く縫い、腹の下に滑り込む。
そうして、体に飛び乗ろうとし、テルスは異変に気づく。
「うげ……」
風に舞う砂の粒。
それがやけに大きくなっている気がして、つい注視してしまった。
それは正解であり、不正解の行動だった。
テルスを囲む砂はいつの間にか羽虫になっていた。
突風に乗った砂に打たれているのかと思ったら、それがすべて羽虫だったのだ。
あまりの気持ち悪さに鳥肌が立つ。
視界が霞んでいるのも砂ではなく羽虫。落葉の森で封印したはずの光景が嫌でも記憶の底から蘇ってくる。
この羽虫が『土』に属する以上、今のテルスなら触れる前に自動的に弾かれる。だが、物理的に意味がなくとも、精神的には別。気づかなければよかったと心底思いながら、テルスは羽虫の群れをこじ開け、アリジゴクの足を駆け上がってその背に飛び乗る。
(……邪魔だなあ)
幾度刀を振ろうと、羽虫の群れはテルスに付きまとう。
よく見れば、この羽虫たちはアリジゴクの体表から飛び立っている気がする。アリジゴクっぽい魔物ということはこれはウスバカゲロウとかなのだろうか。
そんなことを考えながら、アリジゴクの体表を見つめていたテルスはそれが蠢いていることに気づき、そっと視線を逸らす。
多分、これは気づかない方がいいやつだ。結局、テルスは羽虫を引き連れながら、頭の方へ走り出す。
「テルス!」
「下だろ!」
コングの【魔槍】に似た棘がテルスの進路を塞ぐように乱立する。
「こいつは既存の魔物と一緒だと思っちゃ駄目だ! 『土』の塊。この背にいる限り、絶えず『土』の属性の魔法が襲ってくるものだと思った方がいい!」
「了解。でも、『土』ってことはこっちだって利用できる!」
同じような棘でテルスはアリジゴクの魔法を迎撃をする。
迎撃は容易い。たとえ、何もしなくともこれならせいぜいかすり傷程度で済むだろう。
しかし、進めない。羽虫が邪魔で前すらろくに見えない。四方八方から『土』の魔法が飛んでくる。そして、何よりも問題なのは、
「このっ、そこは口じゃないだろ!」
右足がいつの間にか開いた穴に取られる、いや、喰われる。
テルスの右足に牙を突き立てる穴はワームの口にしか見えない。
痛みはない。少しの圧迫感があるだけだ。それでも、嫌悪感は拭えない。『土』を爆発させながら、テルスは右足を蹴り上げる。
「ああ、もう! この魔物、人のトラウマを呼び起こすようなことばかりしてくんだけど!」
「気持ち悪いことは心底同意するよ! だから、さっさと進んで終わらせてよ!」
テルスだってそうしたい。本当にそうしたい。
だが、このアリジゴクは想定していたよりも、性格が悪い。
まずは頭を落とし、どこから再生するか確かめるつもりだった。でも、その頭にたどり着けない。ここで体を斬りまくる選択肢もあるが、それはどう考えても悪手だ。こちらのスタミナが切れる未来しか見えない。
こんな巨大な魔物を倒し切るには、再生する始点を見抜き、最善最短の手を打たなければいけない。それなのに、このアリジゴクはそれを邪魔する攻撃ばかりしてくる。じわじわと獲物を削り、力尽きるのを待っているかのように。
「こんなのに付き合ってられないんだけどなあ……」
欲しいのは、この邪魔な『土』を乗り越えられる手札。
魔力消費は大きいけど『土』をひっくり返しながら進んでしまおうか、と考えるテルスだったが――
「――じゃあ、俺の最っ高の作戦に付き合えよ!」
降ってきたのは餓狼の咆哮。
豪雨とともにアリジゴクの背にメルクが降ってくる。だが、メルクはそこで止まらない。砂ではない本当の『水』の波に『氷』の板を浮かべ強引にアリジゴクの背を滑り始める。
「お、おお~――ぐえっ」
そして、メルクはテルスをかっさらう。
足を掴まれたテルスは潰れた蛙のような声を上げながら、アリジゴクの体表に顔を叩きつけられる。そのまま、テルスはしばし引きずられたのち『氷』の板に引き上げられた。
「いい手段だろ。ルーンの姉御に飛ばしてもらったんだ!」
「そうだね……でも、俺はメルクを恨むよ」
「うん。僕も……この駄犬め」
「何でだよ!」
見たくなかったアリジゴクの体表をこれでもかと見る羽目になった。
おまけに、そこに顔を押し付けられた。頬に残るぷちぷちと何かが潰れた感触は多分一生忘れない。テルスとソルはメルクに大層恨みがましい視線を送っていた。
「……メルク、もっと『水』を周囲に散布して。そうしたら、羽虫の動きが鈍る。棘とかは俺が迎撃。足場に大きな異変が起きそうだったらソルから警告する」
あとは、メルクの腕の見せ所。
そう告げると、メルクの顔に凶悪な笑みが浮かんだ。
「いいな、分かりやすい! 行くのは頭でいいんだろ?」
「うん。まずは首を落とす」
「なら、俺が最初の一撃はもらう。砂が『水』で鈍るなら俺からがいいだろ」
「分かった。でも、首は一撃で落として。帰りも考えたら、無駄射ちは厳しいし」
「上等!」
波に乗って、テルスたちは巨大な魔物の背を滑走する。
速い。『土』の妨害なんてろくに届いていない。いくらアリジゴクの体表が蠢こうと、『水』と『氷』の滑走はその全てを乗り越える。
水に濡れた羽虫が落ちたことで視界もすっきりした。もはや魔物の攻撃より、バランスを崩して『氷』の板から落ちない方が心配だ。
だが、それも杞憂に終わる。もう、目的の場所は目の前だ。
「そろそろ、頭だぞ! 準備はできてるだろうなあっ!」
メルクの『叢雨』から生み出される水が爆発的に増え、冷気が渦を巻く。
同時に、テルスも納刀し、必殺の構えに入る。
アリジゴクも二人の魔力を感じ取ったのだろう。巨大な壁が頭には行かせないとばかりにせり上がる。だが、遅い。
もう、ここはメルクの必殺の射程範囲だ。
「飛雪、蒼牙あああっ!」
咆哮。蒼き狼が壁を突き破り、魔物の首に牙を突き立てる。
首といってもそこは砂の地平。メルクの蒼狼もこの魔物の前では蟻同然。だが、この蟻の牙には『氷』という毒がある。
氷嵐の咆哮は未だ止まない。白く、白く、全てを凍てつかせながら砂を喰らっていく。
そうして、砂を白く染め、巨大な穴を残し蒼狼は消えた。
魔物の首は落ちていない。メルクの必殺ではこの魔物の首は――
「――次は俺だ」
着地したテルスが力強く『土』を踏んで、魔力を送る。
砂が揺れる。ぴきり、ぴきりと不吉な音を鳴らしながら、魔物の首がずれていく。
魔物の首を落とし切ることはできずとも、メルクの必殺は確かに届いていた。テルスが『土』に衝撃を与えただけで、魔物の首が落ちるほどに。
テルスが牙の片方を斬り落としたときと同じだ。大きく重いからこそ、両断できずとも支えを失えば自重で落ちる。
凍結し、『土』に的確な衝撃を送られた首が体からゆっくりと離れていく。
首を断てた。それでも、終わりはまだ遠い。
首から伸びた砂が体に繋がり、魔物は再生していく。
「首からか。ちょっと楽になった」
そして、必殺は振るわれる。
「ハバキリ・迦楼羅」
抜刀。砂の地平に銀灰の線が走り――魔物の頭は縦に両断された。
「まじかよ……くそが……」
メルクが悔しそうに声を漏らす。
相性があまりに良すぎた。【リベリオン】を使った状態で『土』の体を持つ魔物への必殺。その一閃は魔物の命まで届いていた。
倒したと思うほど再生は目に見えて鈍っている。どこから再生しているかも明白だ。
頭の中心。再生の起点としては教科書通り。その場所をテルスは指差して、合図を送った。
――指示した場所に足場を。
あれほど別々に行動していたのに。
あれほど速く真っ直ぐ走っていたのに。
両断された魔物の頭に岩の花が咲く。再生を阻害するように、コングとサハラの魔法が別々の方法で『土』を固めていく。
これで、準備は整った。
テルスはメルクと共に白い光の手に掴まれながら、上空に大きく手を振った――
「さあて、ようやく私の出番!」
上空より、その合図を見たルーンが大きく手を広げる。
その両の手には膨大な魔力が揺らめいていた。
ルーン・ハーレキンのトランプ・ワン。それは精霊魔法の極致であるデウス――ではない。
正確には、ただデウスを使うのではない。
とはいっても、デウスは強力ゆえに複雑な操作には向かない。
精霊の力を集約させ、放つ。ようはごり押しが一番強いのだ。精霊に細かい指示を送ろうとすれば、それだけ魔力がロスになってしまう。
「ウェント……フルメン……【デウス・デュアリズム】」
唱えるはデウスの二重。
これはもはや王の血という資格だけではない。彼女自身の才覚がなければ至れない極致だ。
道化の姫はそれをさらに混ぜる。
雲が千切れる。砂漠がねじれる。膨大な魔力に世界が歪んでいく。
その中心でルーン・ハーレキンは静かに眼下を見つめる。
王のように。無慈悲に。冷然と。巨大な魔の頭部を見下ろし――両の手を祈るように合わせた。
「――アテルラナ」
必殺の名が紡がれ、ここに二色の螺旋は顕現した。




