『死神憑き』
「はあ、はあ……ふうー。気のせいだったか」
背後を見るも、追いかけてくる魔物はいない。二連続でトロルを相手にするなんて面倒なことこの上ない。誰だって心の底から遠慮したい展開だ。テルスは安堵を胸に少し乱れた呼吸を整える。
森を抜け、街道に出たこの位置からは緑に囲まれた美しい町が見える。都をくるりと囲む石壁にも所々葉が茂り、門から覗く町の内部も樹木や花などの自然に溢れている。なにより目を引くのは、町の中心を貫くようにそびえる大樹の存在だ。
葉風の町リーフ。
精霊の加護があるとも伝えられる肥沃な土地に集まる人は数多く、自然を愛する種族であるエルフの姿もここでは珍しくない。
顔見知りの衛兵に軽く頭を下げ、テルスは今では自分の故郷となった町に入っていく。
もう安全だ、とテルスは肩の力を抜く。ここでは魔物に襲われる心配はしなくていい。外と違って、いつ魔物と遭遇するか気を張らないですむ……そのはずなのに、都に入ったテルスの耳に嫌な鳴き声が聞こえてきた。
「んっ?」
ギィィと黒板を掻き毟るような不快な音に振り向くと、そこには檻に入れられた魔物がいた。
蛾型の魔物。枯葉のような翅を見るに、テルスが潜っていた森より、さらに深い『落葉の森』と呼ばれる場所に生息している魔物。
見覚えのない服を着た兵士が檻に入った魔物を監視している様子を、テルスは訝しげに見ていた。
「なんで魔物なんか捕まえ……ああ、そっか調査とかタマが言ってたっけ」
最近、森の深部は荒れているらしい。テルスがそこまで潜ることは少ないが、気がついたことがあればギルドに報告するよう言われていたことを思い出す。
これも調査の一環で、魔物を捕獲しているのだろう。しかし、魔物の領域である『魔瘴方界』を出た以上、この蛾型魔物も長くは生きられない。
この魔物もかつて自分が感じた、あの体が染まっていくような感覚の中にいるのだろうか。そう思うと、魔物の声が悲鳴のように聞こえてしまう。
ギルドへ向かうテルスの足は少しだけ速くなっていた。
ギルドに入ると、テルスは一直線に換金所へ向かう。
(ああ、またか……)
入っただけで向けられるこの視線にはもう慣れている。しかし、今日は不運にも視線だけでなく、二人組の男がギルドに入ったテルスへ近づいてきた。
「おう、どうした? ここはお前が来ても金にならないだろ」
「帰れよ。こっちはお前と違って遊びでやってるんじゃないんだよ」
にやにやと歪んだ笑みを浮かべる二人の目に浮かぶのは、蔑みの感情。この辺りの駒者に悪い意味で知れ渡っているテルスは久しぶりの歓迎に頭を痛めていた。
あの事件を知らないものは、いつまで経ってもマテリアルゼロのテルスを嘲る。
あの事件を知っているものは、『死神憑き』には関わらないようにする。
「……すみません、すぐ出てくんで」
簡潔に告げ、テルスは男たちから離れる。近くを通ろうとしなければとりあえず害はない。理由も分かっているゆえに怒る必要もない。危ういものに近づいてはいけないのは魔物も人もまったく同じだ。
「ああ、さっさと出ていきな。ここは小物しか狙わないような臆病者が来るようなとこじゃないからな!」
男はテルスの背に言葉を吐き捨てる。だが、それ以上は干渉しようとせず、男たちもまたテルスから離れるようにギルドを後にした。大方、クランの上の人間から関わるな、とでも言われているのだろう。
テルスはここでは幽霊だ。嫌われもので、誰も深くは関わろうとしない。いても、いなくても大した差はない人間。
そんなものにはもう慣れた。本当に慣れないのはもっと違うこと。例えば、前から歩いてくる一人の駒者だ。
いつかの道化衣装はもう身につけてはいない。代わりに纏っているのは、機能性を重視した動きやすそうな軽鎧。小道具が入っていたポーチに代わり、腰にぶら下がっているのは二本の武骨な剣。もう、その姿に道化の面影はない。
その駒者は肩が触れそうな距離を無言のまま通り過ぎていく。なんとか、声を絞り出そうとするテルスに僅かな時間すら与えず、視線を向けることさえせず、過ぎ去っていった。
道化を止めた駒者――ハンスはもうかつての教え子には見向きもしなかった。
「……ああ、難しい」
この五年間、テルスはハンスと一言も話せていない。そう、五年だ。もう、かつての関係に戻れないと理解するには十分で、それでも、心のどこかで希望が燻り続けている曖昧な時間。
「駄目だな……これじゃあ、約束を守ってるとは言えないよなあ」
日々、楽しく生きるということがここまで難しいとは。ポツリと零した小さな弱音を最後にテルスは再び歩きだす。
まだ夕暮れ時のギルドには駒者は少なく、あの二人組の男とハンスを除けば、ほんの数名しか見当たらない。仕事の報酬を貰ったら酒場なり飯屋に直行する駒者からすると、この時間はいささか早すぎるからだ。だからこそ、テルスは狙ってこの時間に報酬を貰いに来ている。
換金所のスペースには、いつもどおりテルスの馴染みの人物が座っていた。この人物だけはギルドの中で唯一、幽霊であるテルスが視える人だ。
首元までの黒髪に白い肌、可愛らしい顔立ち。なにより、ちょこんと立っている猫耳と、しなやかな黒い尾がその愛らしさを引き立てている。しかし、テルスにとっては美人に分類されるその少女も見慣れたもの。今は、美しさや可愛さよりも報酬のことが先だ。
少女の前に立ち、考えていた必殺の呪文をテルスは唱える。さっきまでの行き場のない想いを吹き飛ばすように明るく、笑顔を浮かべて。
「タマさん、今日も猫耳が可愛いです。報酬に色をつけてください」
正直が一番。そう思って言葉にしたテルスなりの殺し文句は、
「ノン。猫耳がではなく、猫耳もにするべき。残念ながら、報酬に色がつくことはない」
ギルドの猫耳女性職員タマに切って落とされた。
「馬鹿な……」
「テルスも、もう十八なら口説き文句くらい満足に言えないとダメ。それじゃあ、年上の女性は落とせない」
「タマは俺と一つしか違わないだろ。それに、俺は正確な年齢が分からないから、あくまで十八くらいなだけ。案外、一九のタマより本当は年上かも」
「それは嫌な話」
「いや、そんな嫌そうな顔しなくても……」
毒のある言葉を吐きながらも、タマの手は淀みなく動き続け、目の前のテルスなど見えてないかのように仕事をこなしていく。
魔石に入っているのは魔物の瘴気。その色合いや濃さは魔物によって違うというが、テルスにはどれも同じような黒い色にしか見えない。しかし、タマが僅かに目を鋭くするのを見て、テルスは隠し事がバレたことを悟った。
「終わり。さて、質問。何を退治したのテルス?」
「キャタピラー」
「それと?」
「ゴ、ゴブリンです」
「それと?」
ニコリと微笑みながら、問い詰めるタマにテルスが折れる。
下手な嘘は自分の首を絞めるのと同じ。テルスが森に魔物を退治しにいくよりも前から、タマはいろんな場所で幾つもの魔石を見てきた。その鍛え抜かれた審美眼によって、テルスが何の魔物と戦ったかなど、すでに見通されているに違いない。
「ト、トロルです……」
「前に私はソロならば中位以上の魔物は控えるように、と言ったはず」
「すみません。成り行きで戦う羽目になりました」
「成り行き? それは大変気になる。逃げる以上に、戦うほうが楽な成り行きなんて……うん、是非聞きたい」
「ごめんなさい」
素直に机に額をつけ謝るテルスの耳に、ため息が届く。
「私はなるべくテルスには無理をしてほしくない。だけど、テルスがトロルに負けるような人でないことも分かってる。今後は、クランを組む……のは無理でも、もっと対策してから戦うように」
「はい……」
「それと、最近は魔物の活動範囲が広くなってる。駒者から話を聞いても、行方の分からぬ人が増えているし、大量の魔物に襲われて死にたくないなら、あまり森の深くに行かないほうが賢明」
「了解。でも」
本当に、タマの優しい言葉や耳にした情報を教えてくれることは、テルスはありがたいと思っている。だが、一つだけ気に食わないことがある。
「なんでクランを組むのが無理なのさ?」
「それを言ってもいいの? 五年間ソロの誰かさんに」
「……もういいよ。どーせ、ぼっちですよ。くそう」
「はい、ではこちらが報酬。それと、私もお土産には期待してる」
黒い尾をしなやかに振りながら、タマは報酬をテルスに差し出した。
「か、考えておく……あ、結構多い」
受け取った報酬を見て、にこにこし始めるテルス。
ああ、こんなにお金が手に入ったのなら、今日、森の中でトロルに出会ったことは間違いじゃなかった。やっぱり、運が悪いわけじゃないんだ、とテルスは財布を片手に感極まっていた。
何はともあれ、これでテルスの数日間の努力が報われる……はずだった。
「どうして、こうなっちゃうんだろう……」
報酬で買ったものは、今や目の前の餓狼たちに次々と奪われていっている。ここ数日、一人で森まで行って魔物に奇襲をし続けたあの努力はなんだったのか。不覚にもテルスは涙が零れそうだった。
「ほら、テルスにお礼を言いな!」
「「「「ありがと、テル兄~」」」」
声を揃えて言われても、あまり嬉しくない。そんなものよりテルスが心の底から欲しているもの。それは卓上で子供という餓狼に貪られ、次々と数を減らしていっている……
「……俺のお菓子」
そう、その出会いは一週間前。
甘く、芳しい香りに誘われ、たどり着いた先にあったお菓子屋。エルフの女性が営んでいるそのお店はつい最近開いたばかりらしく、そのお店で並べられていた数々のお菓子はテルスが食べたことがないものばかりだった。
マドレーヌ、フィナンシェ、色鮮やかなケーキ、そしてマカロン。試食をして、その頬の落ちるような甘く蕩ける美味しさに、全種類を買うことを決意した。
若干、引いているエルフの女性の手を掴み、必ずまた来ることを宣言。すぐに、その場を後にして、その日のうちに魔物という名の資金源を狩りにいった。
それからの数日感は辛い時、挫けそうな時はお菓子を思い出して頑張ってきた。試食したときは小さな欠片に過ぎなかったあのお菓子を、口いっぱいに頬張る至福の時を夢見て剣を取った。その結果が……
「ああ、俺のマロン、ストロベリー、コーヒー味のマカロンが……消えた」
テルスの落ち込みに比例するように、孤児院の子供の笑顔は輝いていく。彼の真の敵は魔物ではなく、この無邪気な飢えた子狼たちだった。
「ほら、テルス! 元気だしな。あんたもこの五年で相当強くなったんだし、また魔物倒して買いに行けばいいだろ」
恰幅のいい老婆、ベアが快活に言い放つ。のっそりとテルスに近づき、バンバンと背中を叩き気合を入れてくる。
そんな一切合切を吹き飛ばすようなキレのいい言葉と、咳き込むほどの衝撃を受ければ、悲しみもどっかにいくというもの。
「ごほっ、うん……次は、次こそは……」
諦めなければ次はあるはず。テルスはお菓子を口いっぱいに頬張る自分を夢想し、妄想の世界に旅立った。
心がどこかに飛んでいってしまったテルスを見て、ベアは薄く微笑んだ。
ベアの齢はもう六十になる。だが、この『ドラグオン孤児院』を任され数十年、こんなタイプの子供は初めてだった。
出会いはよく覚えている。この孤児院の出資者であるドラグオン家の当主に抱えられ、連れてこられたのだ。魔物の領域近くで倒れていたというその少年は、自分の名前も、家族も、住んでいた場所も覚えておらず、話すことさえできなかった。
まさに、白紙のような少年だった。
子供らしからぬ落ち着きを持ち、頭も良いのか勉学もすぐに他の子に追いついた。だが、喋れないこともあってか、友達を作れずいつも一人でいた。
そんな少年にベアは優しく、時に厳しく接し、育ててきた。そして、会話もできるようになり、孤児院での生活にも慣れ、もう安心だと思った矢先、
その少年は魔物を退治しようと、リーフの外に広がる森に行くようになった。
おまけに、駒者の真似事までしていた。
ちょっと理解が追いつかなかった。
魔物は対峙するだけで恐怖を感じる存在。その姿を目にしただけで気を失ったり、錯乱する人間だって珍しくない。
それなのに、十歳の少年が魔物を欠片も怖がりもせず、意気揚々とピクニックでもするかのように森に行く。今、考えてもこの少年は記憶と一緒に頭のネジまで失くしている気がする。
この稀代の問題児にはベアも頭を悩ませた。
『駒者』とは文字通り『駒』だ。
王都や町を守る兵士とは異なり、各地から依頼される仕事をギルドを通じて受けることで生計を立て、有事の際は戦力として駆り出される。基本的には自由な仕事だが、依頼を達成できなければ金銭を稼ぐこともできない実力主義の厳しい仕事でもある。
そんな、国や依頼者の『駒』となる仕事なのだ。
勿論、ベアは危ないことは止めなさい、と当たり前の注意をした。だが、孤児院に閉じこめるようなことはしなかった。どうせ長くは続かないと思ったからだ。
普通の子供が魔物を退治するなんてできるわけがない。
まして、戦い方を満足に学ぶ機会がない孤児院の子供が駒者となって魔物を退治するなどありえない。
聡明なこの子なら、魔物と戦う危険などすぐに理解する。そうすれば、他の子供たちと同じように職人や騎士団の道を選び、危ないことはしなくなるだろう、と。そう思っていた……思いたかった。
しかし、少年の執念は凄まじく、その聡明さも明後日の方向に発揮されていた。
一年後、テルスの稼ぎはすっかり軌道に乗っていた。
ギルドでも有望株と将来を期待されていることを聞いたときは、驚きのあまり、あごが外れ、文字通りベアは開いた口が塞がらなかった。
優秀なクラン――何故か、道化衣装を着てる――に面倒を見てもらっていたことも、テルスが力をつけた理由だったのだろう。そのクランの女性にテルスはどんな様子なのか、心配になって聞くと、
『あ、問題ないと思います。奇襲やトラップ、フェイントで魔物をはめ殺し、駄目だと判断したら一目散に逃げ出すその姿はこざか……賢い子ねずみのようでした』
その言葉を聞いて、ベアは放っておくことにした。
多分、この子は大丈夫だろう。親代わりとして心配は多くても、やがては一人で歩まねばならないのが人生だ。自分はそっと見守っていよう、と心に決めた。
そして、テルスは八年経っても大きな怪我もせずに魔物退治を続けている。八年もあれば大きな事件の一つや二つはあったが、テルスは無事に生き残っている。
ベアはポケットに入った手紙に触れる。
今朝、届いたテルス宛の手紙。四大貴族ドラグオン家の家紋が入ったこの手紙は、きっとテルスに新たな道を歩ませるものだ。
この子はこれからどのような人生を歩むのだろう。
若い頃から孤児院で子供たちの面倒を見てきたベアにとって、子供の成長は楽しみの一つだ。今、自分が見たこともない予想外な子供が、大きな世界に歩み出そうとしている。
優しげな微笑がベアの口元に浮かぶ。物思いにふけるテルスを愛おしげに見つめ、この子の幼い頃を思い出すと涙が浮かびそうだった。
ベアはこの手紙の目的には見当がついている。自分の考えるとおりなら、テルスにとっては厳しい試練になるということも。だが、一方でこの子ならば、という思いもある。それに子供の可能性を信じて、千尋の谷に突き落とすのも親の愛情だ。
「……テルス、ドラグオンから手紙が来てるよ」
「おじさんから?」
「そう、シリュウの旦那だよ。頼みがあるから、王都まで来てほしいそうだ。どうする?」
聞いてはみたが、答えは聞かずとも分かる。テルスがドラグオン家からの頼みを断ったことなど、これまでに一度もないのだから。
「そっかー。分かった。そろそろ、おじさんに稽古もつけてほしいし、王都まで行ってくるよ。なんか買ってくるものはある?」
その言葉に真っ先に反応したのは、お菓子を貪っていた子供たちだ。
「テル兄、お城に行くの? じゃあ、おいしい食べ物買ってきて!」
「私も、私も~」
その言葉を聞くや否や騒ぎ出す子供たち。
テルスが外出したら、美味しいものを買ってくるものだと、子供たちは思っている。加えて王都となれば、これまで以上に美味しいものを持ってくると鋭く察しているのだ。
ベアとしては、ねだるのはいいのだが、テルスの真似をして「魔物を退治しにいく!」と言い出さないかが不安なところだ。
「気が向いたらな。あと、俺はお城には入らないよ。騎士でも貴族でもない俺が入るわけないだろ。あくまで王都のおじさんの家に行って、頼みとやらを聞きに行くだけだって」
「えー、じゃあ食べ物は?」
「気が向いたらなー」
「テル兄はいっつも、そう言う。約束! 指切りしよ!」
そう言って、近寄る子供たち。約束を頑なにしないテルスだったが、いつまでたっても付きまとう子供たちについに折れる。
「……分かった。お土産は多分買ってくるから、ベア婆の言うこと聞いて大人しくしてなさい」
「「「「はーい」」」」
子供のお願いには勝てないのか、渋々ながらテルスはそう言う。なんだかんだで面倒見がいい子だ。
「テルス、気をつけるんだよ」
「うん、大丈夫だよ。いつもなんかに巻き込まれてるし、慣れっこ、慣れっこ」
手紙を受け取り、階段を上がっていくテルス。
その背中はいつの間にか随分と大きくなっていた。




