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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【裏】
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終幕の悪戯

 地獄とはこういう光景なのだろう。

 視界を埋め尽くす一面の紅炎。

 火の海なんて表現すら追いつかないほど紅蓮に染まった世界。

 緑竜エウロス、火の上位精霊サラ、そして、テルスたちが【リベリオン】を行使していなければ即座に灰と化すような地獄が災魔を中心に広がっている。

 逃げるどころか、動くことすらままならない。

 劫火に身を伏せ、か細い呼吸で命を繋ぎ、それでも、幾人かは紅蓮の奥の影を睨み続ける。


 もう、その視線の先に佇む影は最初とは何もかもが違っていた。


 見た目の変化ではない。

 佇まいや雰囲気。そんな些細な変化が――重い。

 こんな煉獄の中にいるというのに寒気が止まらない。焼け焦げたようなあの黒屍を視界に入れるだけで、気が遠くなるほどの重圧に襲われる。

 だが、それらはただ一人に向けられているもの。

 黒屍の殺気を一身に受け、テルスはゆっくりと息を吐き出した。


「ソル、気を抜くなよ」


「ぬ、抜けないよ。これの前じゃ……」


 これから先は今までとは違う。

 エクエスから感じる全てがそう告げている。

 瞬きすら忘れ、骨剣を構えるエクエスをテルスは注視し――突如、目の前に現れたその影に目を見開いた。


「――っ!」


 伏せると同時に、剣圧が髪を撫でる。

 顔を上げる余裕などない。この黒屍ならばすでに返しの一刀を振るっているはず。

 テルスは火焔を爆発させ、その場を転がるように離脱する。


――【魔刃】!


 視界の隅に白い閃光が走った瞬間、テルスもまた灰刃を振るう。

 だが、ルナの【閃手】とテルスの【魔刃】はうねる紅蓮に阻まれた。

 先ほどまで味方だったはずの『火』が魔法を灼く。テルスとルナを傷つけることはないが、もはやこの『火』はテルスたちだけのものではない。


 そして、今のエクエスが持つのは『火』だけではなかった。


「『風』が来る! 風の刃だ!」


「ルナ、もっと距離を! 精霊魔法が――」


 声を紡ぐ猶予など与えてくれない。振るった骨剣の軌跡をなぞるように紅蓮が断たれる。

 瘴気の刃を風で飛ばしているだけだというのに、この威力。

 それも一撃だけでは終わらない。


「まだだ! 次がくる!」


 エクエスが骨剣を軽く振るうだけで、無数の疾風の刃が発現する。

 瘴気の黒は揺らぐ陽炎と黒煙に紛れ、視認が難しい。だが、テルスに退くという選択肢は許されていなかった。


「くそ……!」


 ここで退けば精霊魔法の餌食になり、骨剣の伸長すら許すことになる。

 勝つためには前に進むしかない。

 吹きすさぶ疾風の刃。

 耳元で叫ぶソルの声だけを頼りにテルスは精霊魔法の嵐を駆け抜ける。

 躱し切れなかった風刃に切り裂かれながらも、テルスは元の間合いに近づく。

 それを待ちかねていたかのように、骨剣が雷光を帯びた。


「雷――」


 ソルの声は轟音にかき消された。

 縦横無尽に走る雷電。それを躱せたのは奇跡に近い。

 反射的に振った刀と【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】が幸運にも雷を防いだだけだ。

 そして、そんな幸運だけでこの災厄は超えられない。


「ソル、悪い!」


「ちょ、ええっ、テルスううううう!」


 咄嗟にソルをルナの方へ投げる。

 ソルだけは逃がしたいなんて理由ではない。

 ルナにまで届く広範囲の精霊魔法に嫌な予感がしたのと、この程度のはずがないと知っているからだ。

 そう、この精霊魔法がルーンに依るものならば。


――もっと、えげつない・・・・・


 そして、五年前の記憶がここに再演される。

 押し寄せるは怒涛の精霊魔法。

 大地より突き立つ岩の牙。紅蓮を覆う蒸気の帳。火が風が雷が岩が水が、世界の全てが敵に回ったと錯覚するような魔法がテルスとルナに放たれる。


悪戯(トリック)、こんの……!」


 刀を振るい、火焔を操り、師の精霊魔法を凌ぎながらテルスは進み続ける。

 それでも、あと一歩が足りない。精霊魔法に押され、どうしても刃が届く間合いに入れない。


――止まるな! 走れ! ここで退いたらっ……!


 こうも連発されればエクエスの意図も読める。

 この精霊魔法はテルスよりも、背後のルナを狙って発現されたもの。止まればその分、ルナが危険にさらされる。


「あああああああ!」


 撃つはありったけの爆弾を装填した【魔弾】の掃射。

 少しだけでも、この怒涛の精霊魔法が弱まればいい。

 精霊魔法の余波で飛び散る岩の破片に打たれながら、テルスは強引に距離を詰め――炎刃を振るう。


「ソードペア!」


 裂帛の気合とともに渾身の炎刃を叩きつける。

 だが、その一撃に先ほどまでの鋭さはない。

 精霊魔法を素早く感知していたソルの不在は大きかった。

 もう、誰が見てもテルスは満身創痍だった。風と岩に打たれた体は至る所から出血し、服は真っ赤に染まっている。致命傷がないだけだ。

 そんな相手の苦し紛れの一撃がエクエスに通じるはずもない。

 テルスの炎刃はあっけなく骨剣に弾かれる。

 続いて一回、二回と逃げ道を塞いでいくかのように骨剣が細かく振るわれる。

 確実に詰めに行っている。それが分かっていても、テルスは今のエクエスの剣についていくことができない。

 おそらく、エクエスはこの状況を狙っていた。

 あの精霊魔法は『火』を相殺し、ルナを遠ざけ、テルスを確実に仕留めるためのもの――そう読んだから、テルスはソルをルナに投げたのだ。


「ルナあああああああっ!」


 焦げつき破れた浄化師装束を翻しながら、ルナが紅蓮の向こうから飛び出てくる。

 その肩にはソルもいる。エクエスの精霊魔法は誰もこの盤面から排除できていない。

 テルスはルーンの本気を見ている。だからこそ、精霊魔法の狙いの甘さに気づくことができ、この状況を読むことができた。


――しっかり見届けて。


 ルーンがそう言ったから。テルスは一度もあの戦いから目を離さなかった。

 ずっと、《トリック大道芸団》副団長ルーン・ハーレキンの舞台を記憶に刻み続けてきた。


〈――【閃手・十束】〉


 逃げることも、防ぐことも許さず、白き迅雷の一閃がエクエスを骨剣ごと殴り、掴み取る。

 その閃光を追いながら、テルスは周囲の火焔を集約させ、必殺の刃を研いでいく。

 次はない。体力も魔力も何もかもが限界に近い。手繰り寄せたこの勝機は絶対に逃さない。

 だが、必殺が届くまであと三歩。それが遠い。


――あと、三歩。


 エクエスが骨剣を伸ばしてルナの【閃手】を切り裂く。

 白き死の枝はそれだけで止まらない。天を覆おう巨木の如き剣となって、テルスたちに振り下ろされる。


〈絶対にやらせない! 白王閃手!〉


 迫りくる死の大樹を前に、ルナは一歩も引かず片手にためていた必殺を切る。

 天へ昇る白き稲妻。ルナの必殺の一撃はエクエスの大樹と激突し、大気を震わせる。


――あと、二歩。


 せめぎ合う浄と瘴気。

 白と黒の衝突に震える大地をテルスは止まることなく進む。

 振り返ることなどしない。この刹那にあっても相棒は声なき声で背中を押してくれる。


 その迷いない疾走にエクエスは瘴気を解放しながら、退いた・・・


 広がる瘴気と同時に、膨大な魔法が発現される。【魔弾】、【魔剣】、精霊魔法、判別できないほどの魔法は黒い嵐となってテルスを飲み込む。


――あと……


「止まるわけ、ないだろっ!」


 走る。斬る。

 想いも何も込められていないつぎはぎの魔法がこの体に灯った熱に勝るはずがない。

 ルナの浄が進めと言っている。ソルたちの火が行けと勇気づけてくれる。メルクとコングがずっと信じて待っててくれている。

 今日まで重ねてきた時間の全てがテルスの背中を押す。

 そうして、魔法の嵐を踏破し、テルスはそこにたどり着いた。


――……一歩。


 黒い嵐が骨剣に集束していく。

 エクエスが骨剣を構えたその姿はいつかと同じ、誇り高い騎士と見紛うほどの圧がある。

 言葉はなくとも、テルスは感じ取った。


 エクエスは必殺をもって、こちらの必殺を迎え撃とうとしている、と。


 骨剣の白が黒に染まるほどの瘴気。

 一瞥で防げないと分かる。

 あれに勝つには先に斬るか、躱してから斬るしかない。

 だが、テルスにできることは一つだけ。

 腕を斬り飛ばしたときのように、【道化の悪戯(ジョーカーズ・トリック)】を使うしかない。

 あのときは一瞬だけ加速し、タイミングを外した。そんなちょっとの悪戯で、このエクエスの必殺を上回らなければならない。


「さあ――」


 しかし、死地に踏み込むテルスに迷いはなかった。

 この舞台に立つのは自分一人ではないのだから。


「「「――悪戯の時間だ!」」」


 重なる意思と声。

 ここに二人の道化が舞台に上がり、仲間に追いついた。

次回、決着。

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