伝わる赤熱
それはマルシアにとって理解しがたい光景だった。
赤い火の粉が渦を巻く。
精霊たちがたった一人の人間に力を貸そうと集まっていく。
エルフの目が映すその光景はまるで、赤い流星群が降り注いでいるかのようで……とても、マルシアにとって現実味がないものだった。
「……綺麗」
憎たらしいほどに、目に映る赤は綺麗だった。
マルシアはこの光景を認めたくない。
だって、マルシアにとって精霊とは厄介者。頼んでもいないのに力を貸してくるお節介な隣人、そんな存在に過ぎない。
それは契約した『火』の上位精霊サラであってもそう変わらない。
だけど、目の前の精霊たちはマルシアの思うような存在ではなかった。
どんな術式とか仕組みかなんて分からない。
でも、あの精霊たちがたった一人の少年を想い、集まってきていることは分かる。
――私と何が違うのだろう?
テルスを中心に燃え盛る『火』はまさに、精霊という自然の集約といえる。
それなのに、テルスは『火』を御している。精霊の意識に飲まれることもなく、『火』が傍らの浄化師を焼くこともない。
マルシアは思う。少年と自分の差異を。嫌い、遠ざけていたこの『火』を。
――私も……
手を伸ばす。この胸に灯った熱に背を押されるように。
そして、それは彼女だけの熱ではなかった。
「おい、エレンリード! すぐにトランプ・ワンの準備をしろ!」
コングに背負われたメルクが吠える。
一目見ただけで満身創痍と分かるほど、その身は血と泥に塗れている。だが、目の輝きは飢えた獣の如くぎらついていた。
「な!? ま、待て。避難が先だろう!? あんな奴に僕たちだけで勝てるわけがない。それは戦った君が一番分かって――」
「分かんねえよ! ぐだぐだ言ってねえで準備しろ。あいつは絶対にあのムカつくくそ魔物に勝つ。その時にあいつにできねえことを俺たちはやんなきゃいけないんだよっ!」
そう叫ぶメルクの手にはすでに蒼が揺らめいている。
細氷を煌めかせるその静かな光は彼の本気を何よりも示していた。
「本当に……本当にあれに勝てると……」
紫のローブに身を包むエルフの騎士は震えながら、黒屍を見る。
その目には明らかに怯えが滲んでいる。だが、一歩、また一歩と退くエレンリードを止めたのは彼が守るべき浄化師であった。
「エレン。彼に賭けよう。私も全力でサポートする」
「アルまで、そんなことを言うのか!?」
「ああ。君の言うことはいつも正しいと思う。テルス・ドラグオンが戦っている間に逃げれば、ここにいる人々を守り、あの魔物の情報を持ち帰ることができる」
「だったら!」
「でも、私たちが力を貸すことで、彼らの刃があの魔物に届くなら……全てを賭すべきだと私は考える」
浄化師アルタール・イーグレンはそう言って、テルスとルナを指差す。
どこか演技じみた大仰な仕草。王侯貴族を思わせるその華やかな彼の立ち居振る舞いは絶望を前にしても陰らない。
だからこそ、彼の言葉には説得力があった。
エレンリードだけじゃない。おやっさんたち駒者やリーフの衛兵、戦えない子供たちもあの『火』を目に映す。
そして、その胸にマルシアと同じように、希望という熱を灯すのだ。
「……ねえ、サラちゃん」
肩に乗る精霊の火蜥蜴を撫でながら、マルシアは呟く。
「……力を貸して。一度だけでいい。あなたたちの『火』を絶対に怖がらないから。疎ましいなんてもう思わないから。だから……私とあなたができる全力の『火』を、あの常連さんに負けないくらいの熱を……」
私にちょうだい、とマルシアは願った。
この精霊と出会ってから初めての願い。半身と言えるくらい、ずっと一緒だったのにこんな頼みなど一度もしたことがなかった。
きっと、それは【劫火霊竜】と名付けられた精霊が待ち望んでいた言葉だった。
一声鳴いた精霊は赤くその身を輝かせ、この地にもう一つの赤を灯す。
反逆に導かれた歓喜と願いの『火』の蕾。
それはこの場にいる誰もと同じように、開花の時を待ちわびていた。
走る。
呼吸を切らし、何かから逃げるように、何かを追うように、ただ大地を蹴る。
この胸に灯った熱に急かされるように走って、探して……タマはハンスの前に立った。
「ねえ、ハンス……ハンス!」
零れていく涙は止まらない。
涙の理由すら分からないまま、タマは仲間に向けて叫ぶ。
赤く熱く輝くあの光景に目を奪われている彼ならばきっと、否、絶対に同じことを想っているはずだから。
「私は嫌! このまま何もかもテルスに任せて、何にもできなくてそれで、それで、どんな顔でお姉ちゃんに! ファル団長に! ルーンに会えばいいの!?」
仲間はこの血を吐くような慟哭に何も応えない。
ただ、拳を強く強く握りしめる。
その目には消えていたはずの熱が再燃していた。
「何にも変わってない! 今も昔も震えているだけで! 見ているだけで! そんなの私は嫌だ! 私は、私は……!」
何もできなかった自分が大っ嫌いだ。
真っ直ぐに先を進むあの背中を見ているだけの自分が大っ嫌いだ。
探し求めていた仇に出会えたというのに、怖くて震えているだけの自分が大っ嫌いだ。
何より……仲間を失いそうな時にまた動けなかった自分が本当に大っ嫌いだ。
――同じことを繰り返すとこだった……!
黒屍が放った瘴気にテルスが飲まれた瞬間、胸を貫かれたかのような痛みが走った。
そして、テルスとあの白い少女が並び立つ光景はあまりに眩しくて……どうしてか、涙が溢れてきた。
あそこに行きたい。隣りに立って戦いたい。私は――
「――もう失いたくない! 自分の手で皆を助けたい!」
タマのありったけの想いがハンスの身を叩く。
同じ後悔を抱える仲間は歯を食いしばり、絞り出すかのような声でその想いに応えた。
「ああ、分かってる。分かってるさ! 俺だってずっと……ずっと、そう思ってきたんだ!」
先を行く仲間に追いつくために。
自分自身の手で仲間を取り戻すために。
恐怖に震えていた二人の道化はようやく一歩を踏み出す。
その目は真っ直ぐに、仲間が待つ赤い炎の戦場を見ていた。




