蒼火天灼
縦横無尽に伸びる青い線がテルスたちごと魔物を取り囲む。
虫網に囚われたような奇妙な舞台。その中心でゆらり、と異形の魔物が立ち上がった。
「……来るぞ」
ロキオンの強張った声にテルスとリシウスはゆっくりと頷く。
今にも破裂しそうなこの空気を刺激しないように。
蒼い炎に包まれた魔物の一挙一動を見逃さないように。
三人は首筋を伝う汗にすら気づかず、集中を深めていく。
炎の向こう、異形の人影は裂けた口で笑っている。
覗く牙は戦意に濡れ、昆虫を思わせる異様に長い手足は逸る心を表すかのように小刻みに揺れ動く。
その鋭利な爪が石畳を一回、二回となぞり――異形は一陣の風となった。
――【魔刃】。
交錯は刹那の内に。
振るわれた腕は先ほどの焼き増しのようにテルスに斬り飛ばされる。
斬るのが手や腕では瘴気をそう削ることはできないだろう。それでも、瞬きすらも死に繋がる交錯の果てに終わりはある。
しかし、それは魔物が今までと同じ行動を続けるならば、だ。
たった一歩。魔物はテルスから距離を取る。
その後ずさりにも似た離れ方と瘴気を帯びた爪に、テルスは瞬時に手札を切った。
――ソードペア。
さらに伸びた灰の刃が異形の左腕を斬り飛ばす。右腕はまだ再生途中。両の武器を失った異形に、好機とばかりにリシウスとロキオンが詰めにいく。
「【蒼火】」「【魔弾《白迅》】」
蒼い線が逃げ道を塞ぎ、神速の弾丸が異形を穿つ。
だが、それも数発だけだ。一秒にも満たない時間で異形は二人の束縛を蹴り裂き、虫網の端へと離脱した。
「はえーよ、アホか」
「ええ、ほんと。よくあれと切り結べるものです。でも、テルスさん、まだいけますか?」
「……うん、大丈夫」
気づかずうちに上がっていた息をテルスは整える。
この刹那の駆け引きは体力と気力をこれでもかと削ってくる。
さっきだってそう。あの魔物は【魔刃】の間合いの外から瘴気で何かをしようとしていた。【魔刃】を【道化の悪戯】で強化した”ペア”をあそこで使っていなければ、おそらくやられていたのはテルスの方だ。
防御は不可能、回避は後手に回るだけ。
残るは攻撃と攻撃、自分と魔物の力をノーガードでぶつけ合う戦闘。
いくら自分が打てる最善手とはいえ、こんな強引な戦闘は初めてだ。
――……本当の最善手は逃げることなんだけどなあ。
直接戦うことを避け、こんな風に閉じ込めてから広範囲に及ぶ魔法で封殺する。
敵の得意と勝負するのではなく、得意を潰していく。そんな戦闘の方が得策に決まっている。
少なくとも、テルスはそういう風に戦ってきたし、今だってそうしたい。
惜しむべきは自分にこの状況に適した手札がないことか。
広範囲、高威力の魔法なんて魔力消費の激しいものはテルスにはできないのである。よって、その部分は他に頼るしかない。
「隙は必ず作るから、あとは任せていい?」
「任されました。必ず焼き切ってやります」
「俺はサポートだな。ほら、この弾幕を躱してみやがれ!」
ロキオンの【魔弾】が四方八方へばら撒かれる。
雪のように舞う白く小さな弾丸は魔物を倒すためのものではなく、ただ浄の力を降り積もらせていくだけのもの。
一発、二発では傷つかずとも、魔物ならば普通はこの浄を避けるだろう。
しかし、この異形に足止めや怯みなんて期待は無駄だった。
真っ直ぐに。両腕の再生が終わるやいなや異形は跳ねる。
どちらも嫌な予想通り。灰と黒が交錯し、魔物の腕が宙を舞う。その爪の先端からは【魔刃】によく似た瘴気の刃が伸びていた。そして――
「――っ!」
真っ直ぐに突っ込んでくることも、瘴気の爪もテルスの予想通りだった。
だが、この展開を読んでいたのはテルスだけではなかった。
腕が落とされても異形は止まらず、そのままテルスの脇を走り抜ける。そして、この虫網の端、リシウスが発現した蒼い線を足場に再び跳ねる。
自身の体が斬られようと、燃やされようと、異形は止まらない。
その目はただ獲物に飢えていた。
「後ろ!」
位置が悪い。魔物に一番近いのは今までと違いロキオンだ。
このままではテルスが迎撃する前に、ロキオンとリシウスが異形の間合いに入ってしまう。
「【魔剣】」「白迅」
二人もそれを理解し、足止めの魔法を撃つが【魔弾】ではやはり足止めにはならない。リシウスの【魔剣】もそれだけでは腕の一振りで弾かれるだろう。
だが、騎士選定優勝者の【魔剣】がただの魔力の剣であるはずがなかった。
「閉じろ」
浮かんだ【魔剣】から線が伸び、繋がっていく。
突如、現れた魔力のフェンスに魔物は正面から突っ込み、その速度を僅かに落とす。
「ソードペア」
それで十分だった。
テルスの刃が左腕を斬り裂き、返す刃で左脚も落とす。耳障りな声を上げながら、体勢を崩す異形は誰が見ても隙だらけだった。
「【蒼火】」
リシウスの蒼い線が異形を取り囲み、燃やしながら退路を塞ぐ。そして、
「駆けろ、白迅連牙!」
伏せたまま手を翳したロキオンが最大出力の浄の弾丸を掃射する。
それと同時に周囲に雪のように舞っていた【魔弾】も発射された。
ロキオンは二種類の【魔弾】を使っていたのではない。
雪のように舞っていた【魔弾《白迅》】はまだ発射されていなかっただけ。速さを突き詰めただけの術式に加えられた唯一の工夫が、この発射のタイミングをずらせるという点であった。
蒼く燃える線に殺到する白線。
そして、それを貫くように伸びる、もはや一本の線にしか見えない魔弾の超高速連射。
それでも、魔物は終わらない。
瘴気の刃が蒼と白の線を斬り刻む。
炎と弾丸から逃れ、立ち上がる魔物の瘴気に陰りは未だ見えなかった。
「まじかよ。今のはけっこー自信あったんだけどな……」
「燃やしているはずなんですけどね……」
二人の愚痴はもっともだ。
多分、普通のマテリアル《Ⅳ》ならもう倒し切っているほど瘴気は削っている。
だが、この魔物はまだ立っている。
厄介な魔法も、特殊な力もない。ただ速く鋭く、倒れない魔物。
そう、この魔物はテルスと同じだ。基本の極致。誰にでもあるような力をひたすらに研ぎ澄ませた強さ。
鋭さにそう違いはない。あとは、どちらの刃が先に折れるか。
残り火を纏いながら跳ねる魔物と三人は再び、互いの刃をぶつけ合う。
どこか奇妙な充足感があった。
ひりつくような緊張感。たった一つのミスが仲間と自分の死に繋がり、流れる汗や呼吸の音すら邪魔となる極限の戦闘。
――勝ちたいな。
相棒がばら撒く【魔弾】と【魔壁】を突破する異形。
肩を並べて戦う信頼できる仲間がその死神の鎌の如き爪を斬り裂き、生まれた僅かな隙に自分が【魔剣】を突き立て瘴気を燃やす。
ああ、なんて戦いなのか。最善手しか許されない、今すぐ逃げ出したいくらい辛くてきつい戦いだ。
それなのに今、自分は笑っている。
「まだまだあ!」
それは相棒も同じだ。
きっと、こんな戦いこそをリシウスとロキオンは求めていた。
――物語に出てくる英雄みたいになる。
教会で共に暮らしていた親友は浄に目覚めたとき、絵本を持ってそう宣言した。
それが自分や他の子たちを心配させないために言ったことなんて分かっていた。
教会では葬儀が行われる。その手伝いや片付けをしていた分、死というものを早くから理解していたリシウスは親友の中にある恐怖も感じ取っていた。
――じゃあ、一緒に戦うよ。
だから、幼いリシウスはそう決めた。
だって友達ってそういうものだ。辛いときに一緒にいるのが友人だと、ハンナだって言っていた。
それに、精霊教の経典にだって、近くにいる人に感謝を忘れないようにって教えがあるのだから。
別れるときに、騎士になると約束した。
しょうがないから選んでやる、と嬉しそうな笑顔を浮かべる親友に、弱かったら綺麗な女の人にしちゃうよ、とはっぱをかけた。
それから、教会を守る衛兵や騎士団員に戦い方を教わり、駒者となって一つ一つ積み重ねてきた。
友人と手紙や話石で競い合うように近況の報告をする日々はどこか充実していて、楽しかった。
そうして、ついに葉風の町リーフにいるときに、他の浄化師と一緒に町にくるというロキオンと会う約束をした。その夜に……
――あれ……会ったのだっけ……。
それに、何でこんなことを考えているのか。今は戦闘中だ。
異形はますます加速している。服の端を切り裂かれながらも魔物の腕を斬り落とすテルスの姿はボロボロで呼吸も荒い。どう見ても限界だった。
「ナイス、テルス!」
相棒が【魔弾】の弾幕と【浄光結界】の合わせ技で魔物を捉える。
たった一秒の隙。それを限界のはずの騎士は見逃さなかった。
灰の月が異形の魔物を一刀両断にする。
絶好の機会。仲間の期待に応えるため、リシウスはありったけの魔力を振り絞り必殺を撃つ。
「――蒼火天灼」
魔力を使いすぎたせいか。霞む視界の端が黒く染まっていく。
それでも、魔力の制御は手放さない。ここで終わらせることが、騎士である自分の務めだから。
宙に描く蒼線を束ねるようにして魔物を囲い――リシウスの必殺は蒼く強く輝いた。
――魔物ごと仲間を閉じ込めたまま、炎は燃える。




