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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【表】
132/196

『僧侶』

 テルスたちが地下で僅かな休息を取っていた頃。

 大聖堂にいる浄化師やその騎士たちは突如、地下から湧いてきた魔物の対処に追われていた。


「なんだ、こいつら! 何体いるんだよ!」


「口を動かす暇があるなら、さっさと魔法を撃ってください!」


「あーもう! 【魔弾《白迅》】白迅白迅白迅白迅、白迅!」


 リシウスの叫びにロキオンが浄の魔弾を連射する。

 しかし、大聖堂の扉を軋ませながら次々と広場に溢れる魔物の勢いはまったく衰えない。

 地獄の扉が開いたような――そんな言葉が脳裏に過ぎる光景だった。

 同胞を踏み砕きながら、無様に転がりながら、止まることなく魔物は溢れ続ける。

 だが、量だけならばロキオンの魔弾も負けてはいなかった。


「まだまだまだまだあっ!」


 速く、疾く、迅く。白の弾丸は五月雨の如く降り注ぐ。

 ひたすらに速度を突き詰めた術式の【魔弾】。

 その威力は人にとっては卵や丸めた紙を投げられた程度のものだろう。

 だが、魔物にとっては違う。

 一発、二発ではない。百発、数百発と浴びせられる雨粒のような弾丸に魔物の動きは次第に鈍り、地に伏していく。

 そして、その隙を縫うように、白の五月雨に蒼が走った。


「【蒼火(セイリオス)】」


 蒼い火に包まれた魔物の群れが灰と散っていく。

 リシウスの魔法であり、トランプ・ワン【蒼火(セイリオス)】。

 蒼い線に触れた対象を燃やすこの魔法により、大聖堂の扉は封鎖された。


「よし、流石はマイナイト。褒めてつかわす」


「はいはい……って窓からも来てます!」


 扉を迂回する程度の知能はあったのか。

 それとも、単純に収まりきらない量なのか。

 一階の窓だけではなく二階、三階の窓ガラスも割れ、魔物が溢れ落ちてくる。


「キモ……」


 目の前で立ち上がる人型の魔物を見て、ロキオンが呟く。

 その言葉に異を唱える者はいない。

 日差しの下、動く屍は一層の嫌悪を見るものに植え付ける。

 白骨が起き上がったかのような人型の魔物。

 その白骨にこびりついた死肉代わりの瘴気が、人に近しい動作が、何もかもが気に障る。

 ロキオンやリシウス、その背後の騎士団や衛兵たち。

 この場にいる誰もがその表情に嫌悪と不快を滲ませていた。


「やはり、知らない魔物ですね……」


 何度見てもこの異質な魔物に心当たりはない。

 近い魔物はいる。しかし、ここまで人に近い魔物は少なくともリシウスの知識にはない。

 ただ、それは型の話。

 骨格、動作などが人に似通っているというだけで、骸が起き上がったようなこの魔物を人に近いとリシウスは口にしたくない。


「【蒼火(セイリオス)】」


 言葉にするのはこの魔物を否定する呪文だけでいい。

 蒼い線は宙を走り、大聖堂の扉だけでなく、建物全体を封鎖していく。

 正しく素早い判断。だが、他ならない相棒がそれに待ったをかける。


「おい、リシウス! 中にまだ人がいるだろ!」


「僕たちの後ろにもいます! それに向こうはラブレさんたちが――」


 リシウスの言葉を引き継ぐように二階の窓ガラスが割れ、ラブレとベガが飛び出してくる。

 その背には逃げ遅れた人の姿もあった。


「うわっ、下にもいるじゃない!」


「ほんとだ。【魔鎧《九重》】っと。じゃあ、すみませんね~」


 そんな軽い謝罪とともに、ラブレは背負っていた二人を放り投げた。

 お手玉さながらに宙を舞い悲鳴を上げる二人と、空中にあっても小言を忘れない口うるさい相棒には目もくれず、ラブレは眼下の群れに構える。


「廻撃」


 螺旋の一撃が魔物の群れを蹴散らした。

 魔力で形成した鎧を回転させながらパージする。

 仕組みとしてはそれだけだが、防御寄りの【魔鎧】を起点としたとは思えないほどの威力だ。

 本人の自己評価は低くとも、気球など様々な発明を為し『B』を与えられた四大貴族アンホースらしい奇抜な発想の技であり、騎士の力を示す一撃といえる。

 それでも、相棒は満足していなかった。


「雑! もっと広範囲まで出力を上げるか、吹き飛ばす方向を考えて!」


 新たな小言をつけ加えながら、ベガは魔物が一掃された地面に着地する。

 厳しい言葉だが、このままでは放り投げた二人が落ちてくる前に魔物の接近を許してしまう。

 彼女の言葉に間違いはないため、ラブレはいつもどおり「はい……」と返事するしかない。


「あなたはちゃんと、あの人たちを受け止めて。ここは私が何とかする」


「え、ちょ――」


「いくわよ、【浄の調(しらべ)】」


 ラブレが止める間もなく、ベガが小さな琴をかき鳴らした。

 白く色づいた音が周囲に広がる。

 それは魔物を押しとどめ――人々に耳を押さえさせる。

 ベガは自他共に厳しく勤勉だが……致命的に音楽の才能がない。おまけに、楽器の使い方を根本的に間違えている。

 浄の魔力を乗せた音の魔法は、単純な威力も支援としても十分すぎるほど優秀だが、はっきり言って耳障りだった。

 ラブレはいつも何でその魔法を選択したのかと不思議に思っている。


「二人とも無事か!?」


「うん、俺たちは大丈夫だ。もう、中に人はいないと思うんだけど……」


 ラブレが落ちてきた二人を受け止めながら答える。

 だが、蛙が潰れるような声を上げていた二人の信徒がすぐにそれを否定した。


「いいえ、教皇様がまだっ!」


「この場に姿がないなら、まだ最上階の教皇室にいるはずです!」


 悲壮な声が広場に響く。

 高齢の教皇が魔境と化したこの大聖堂から一人で脱出できるはずがない。

 すぐに浄化師と騎士たちは目を合わせ、救出に行こうと動き始める。


「……あれ、そういえば」


 教皇にはあの人がついているのでは。

 リシウスの頭に先ほど教皇と一緒にいた少女が浮かんだ瞬間、


 大聖堂の最上階が吹き飛んだ。


 歴史ある精霊教の聖地。

 その象徴の破片が無惨に降り注ぐ中、誰もが口を開けながら、もう修理も難しそうな大穴を見上げた。

 そこには緊急事態とはいえ、大聖堂をぶち壊したにしては堂々過ぎる犯人の姿があった。

 教皇を背負った少女は白雷さながらの連撃を落としながら、悠々と着地する。

 そこに魔物の群れが殺到するが、鎧袖一触。

 まったく動じず、冷静に魔物を一蹴するその姿にはすでに新たな頂点の貫禄があった。


「ルナちゃん、怪我はない?」


〈だ、大丈夫です。教皇様もご無事です〉


 雑音を轟かせながら近づくベガに一歩後ずさりながら、ルナが文字を浮かべる。

 その背から下りた教皇も笑顔で耳を押さえている……やはり、耳が遠いわけではなさそうだ。


〈お付きの方を探していたら逃げ遅れてしまいました。四階にはいなかったのですが、サニーさんはこちらにいますか?〉


「私は見ていないけど、ラブレと一緒に三階までは走り回って救助していたから、多分取り残されていることはないと思うわ」


〈それなら良かった。状況の確認をしたいのですけど、この魔物はどこから?〉


「なんか地下から湧いてきたな。ちょうど、そこの階段から、師匠たち浄天(へクス)が騎士団と一緒に地下を調べてたみたいだし、それが原因じゃね」


「ロキオン、適当なことを言わないでください。それなら大聖堂の下からではなく、そこの階段からの方が魔物が多く出てくるはずです」


 リシウスの言葉を受け、少し離れた広場の階段に目を向けるが、そちらは大聖堂ほど魔物が溢れていない。今も蒼い線に封鎖されている大聖堂とは大違いだ。

 これほど出入り口は近いのにこうも差があるなんて。

 まるで、誘導でもされているかのようだった。


「何にせよ、ここには戦力は十分すぎるほど揃っている。精霊祭で人が多いから大変だけど、避難をこのまま進めて、その後にこの魔物を対処、地下の調査ってとこだろうね」


 ラブレの言う通り浄天(へクス)、騎士、二大騎士団、有名どころの駒者(ピーセス)もこの町にはいる。戦力不足ということはないだろう。

 まして、この人型魔物だけならば、いくら数が多くとも対処は可能なはずだ。


〈分かりました。とりあえず、私は《黒騎(ノックス)》に合流してみます〉


「ええ。ルナちゃんの騎士のこともあるし、この後は騎士団主導で動くことになりそうだから、それがいいわね」


〈では……〉


 そう文字を浮かべて、ルナはシリュウたちの下へ歩き出す――が、それを教皇の手が止めた。


「ルナさん、ちょっと待ってください」


〈はい、なんでしょうか?〉


「これを……」


 差し出された教皇の手にあるものを見て、ルナは目を見開く。

 それは、今日の式典でルナが渡されるはずのもの。


 浄天(へクス)の証――とある神霊魔具の欠片であった。











 ぱき、と暗闇に何かが折れる音が木霊する。

 途絶えることのない、命を手折るような不吉な響き。

 それが何を意味する音なのか、この闇に閉ざされた空間にあっても元凶たちは知っていた。


「ねえ、あんたはこれでいいの?」


 この闇に似合わぬ可憐な声。

 妖精の囁きと例えるに相応しいその小さな声は、理解できない未知に向けられたものだった。


「ええ」


「そうなの? 意味分かんない。わたしには……ううん、わたしたちにはよく分かんないけど、あんたの作戦は順調なんでしょ。今日ここがバレたって問題なんてない。もう駒は揃ってるし、動き始めている。それに、女王様の目的は終わってるのよね?」


「ええ、そうですよ」


「それなのに、何であんたの仕業だってバレてもいないのに、死のうとしてるの?」


 本当に分からない。暗闇の中で妖精――ピクシエルは首を傾げた。

 最初からこの人間のことは分からなかった。

 それはピクシエルだけでなく、女王もそうだったはずだ。

 頼んでもいない。女王の力で強制もされていない。


 それなのに、この人間は進んで自分たちを滅ぼそうとしている。


 正直、ピクシエルはこの人間がやっていることをまるで理解していない。

 ただ、その一手の結果を見れば自分たちの利になっていることは分かる。

 禽忌の庭、刻限の砂、それらの結果を見ればこの人間がどちらの側なのかは明らかだ。


 この人間がいなければ、こうも容易く目的を果たすことはできなかった。


 人の領域にいくら踏み込めても災魔に人のことは分からない。

 現に、気球という面倒な乗り物の開発などを見過ごしている。

 気球、魔線(ライン)話石(フォン)、そういった新しい発明による発展を人の文化に触れていない災魔が想像することは難しい。

 人を操れようと、人が分からないのでは操れない。

 それに、女王の力は副次的に人を操れるだけで、その本質は他の災魔と同じ力に過ぎない。


 その力を使ってやっていたことなんて、本当に警戒していることに聞き耳を立てていただけだ。


 王族、貴族、ギルド、そして、精霊教。

 そういった情報が集約する場所に、女王の手を少しだけ及ばせる。

 それだけだったのに――女王と出会い、感涙して跪いたこの人間が全てを変えた。


「ねえ、『僧侶(エピス)』。あんたはそれで本当にいいの?」


 災魔よりもよほど、人を殺してきた元凶。

 人でありながら『僧侶(エピス)』の記号を与えられた人間は、誰にもその所業を誇示することなく、死を選ぼうとしている。


「ええ、全て気づかれては同じ手が使えませんから。私がこのままいなくなれば、突如湧いてきた魔物による被害者で終われます」


 その声には目前に迫る死への恐怖どころか、明らかな喜色に満ちていた。


「そうしたら、精霊の意思を感じ取る敬虔な信徒が御身たちの力になることができるでしょう」


 そして、僧侶は闇に木霊する音に歩き始める。

 その足音には怯えも迷いも微塵もない。

 女王が語る完成品『(ペデス)』の力になれることを、自らが精霊の王と同じく、瘴気に染まれることを心から喜んでいた。

 ぐちゃり、と水気のある何かが潰れる音が響いた。

 悲鳴は最後まで聞こえなかった。歓喜の吐息がその人間の断末魔だった。


「……やっぱり、人間って分かんないなあ」


 心底不思議そうな声が闇に溶け――『妖精(フェアリー)』は炎とともに現れたその騎士と再会する。

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