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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【表】
125/196

無明の底へ

〈申し訳ありませんが、お断りします〉


 一瞬たりとも悩むことなく答えが宙に刻まれる。

 王の言葉を、そして、浄化師としての使命を迷わず否定するその文字に、誰もが目を見開いた。


「……理由を聞いてもいいかい? これは遅いか早いかの違いだ。雪花の湖がリバーシしたのなら、百年以上その記録がない刻限の砂はいつ起きてもおかしくない。そのときはこの世界の全戦力を西に向かわせることになるだろう」


 ルナを見る王の眼光は鋭く、その声音は息が詰まるほど重い。

 つい先ほどの緩い空気が嘘のようだった。セネトの未来を左右するこの”話し合い”に今は皆が引きこまれている。


「ただの戦力として参加を求めているのではない。解放の経験がある君たちにこそ先頭に立ってもらいたいんだ。つまり、指揮権を君たちにも与える。これはガウル、シリュウ、ファイも同意していることだ」


 そして、この後の式典でこれを公にする。

 有志を募り、全てを束ねて先手を打ち、西の領域の解放を目指す。

 強く語る王の言葉に、ルナは申し訳なさそうに文字を浮かべた。


〈あの、そこが無理なのです。私とテルスに大勢の人を率いる力はありません〉


 だって、テルスは雪花の湖で仲間の命を優先した。

 ルナも止めずにその背を押した。

 何を優先すべきか理解していたのに選ばなかった。

 そんな者が大群を率いて、あの魔瘴方界(スクウェア)を解放できるとはとても思えない。


「ならば、参加だけでもいい。君たちの意見を取り入れながらガウルたちが隊を率いる」


〈……それでも、お断りさせていただきます〉


 浮かび上がった揺れ一つない文字。

 その線は何よりも雄弁に少女の固い意思を表していた。

 俯き落胆する王に対し、貴族は明らかにほっとしている。

 そして、計画の中止や別の方法を模索した方がいいのではないか、とここぞとばかりに口を挟み出す。

 四方から声が飛び交い、始まり出した議論。

 それを再び動き始めた光球が止めた。


〈すみません……その、私とテルスは元から刻限の砂に行く予定です〉


 宙に刻まれた一文に、痛いほどの静寂が広がる。

 沈黙が十秒を越えた頃、ファイがゆっくりと確認の声を上げた。


「それは、お前と騎士だけであの砂漠に挑もうとしている、ということか?」


〈はい。今はもう少し、人数がいますが。最初は私とテルスで調査し、あの魔瘴方界(スクウェア)の特徴と攻略法を掴もうと考えています。今は商人の伝手で西の情報を手に入れながら、準備している段階です〉


「た、たったの二人で……」


 貴族の一人が不可能だと言いたげに声を漏らしている。

 だが、ルナたちはこれこそが正攻法だと考えていた。


 子供を抱えながら二人で進んだ落葉の森。

 十人による電撃戦で解放した雪花の湖。


 どちらも少数による攻略だった。必要なのは量ではなく質。

 魔瘴方界(スクウェア)を進むための力と王を倒せる力の二つだ。


 五人・・


 それが魔瘴方界(スクウェア)を進む上で最適な人数だと、ルナとテルス、ソルは考えている。

 ルナ以外に浄化師が加わっても最大で十人。

 それを超えると、魔瘴方界(スクウェア)を進む速度は落ち、連携も難しくなってしまう。

 ルナを見る何人かは、甘く見ているとか調子に乗っているなどと言いたげな目をしている。

 でも、ルナからすれば、正面から魔瘴方界(スクウェア)と戦争する方が考えられない。

 落葉の森と雪花の湖。どちらも、戦って勝てるなんて幻想は一度も抱かせてくれなかった。


――分かってもらえるかな。


 そんな不安を抱えながら、ルナは再び光球を動かす。

 二つの魔瘴方界(スクウェア)の経験が刻限の砂に活かせるとは限らない。

 だから、本当は実際に調査して確かめてからにしたかった。

 でも、自分たちのやり方を通すためには今、ここで理解を得るしかない。

 王の勅命で騎士団を率いることになっても、この考えを無謀だと切り捨てられても、テルスと考えてきた最善手からは遠のいてしまう。

 ルナは二人の目標のために、そして、刻限の砂を進むための力を得るために、宙に文字を記し始めた。











「ごめん。クランに入るのは無理。今、忙しいから話も後にして」


 一瞬たりとも悩むことなく提案を一蹴し、テルスは当初の目的だった子供たちの下へ歩いていく。

 あまりの即答に置いて行かれた男は手を差し伸べたまま。

 流石に気の毒に思ったのか、マールは何とも言えない目をテルスに向けている。

 そんな背後のことなど気にもせず、テルスは騒いでいる子供たちに「どうかした?」と話しかけた。


「えーとね、なんか、女の人の声が聞こえたんだ」


「多分、お化けだよ、おば……あ、ネズミが肩に乗ってる!」


「ほんとだ!」


「えーと、そのお化けの声が聞こえたのはどのあたり?」


「あっち!」


 こっちこっち、とテルスは子供たちに囲まれ、手を引かれていく。

 ただ、子供たちはどうもお化けのことより、肩に乗ってる白いネズミの方に興味津々みたいだ。

 最近、子供たちが寄ってくるのは、やっぱり肩のネズミのせいなのだろうか。

 お礼にソルを触らせてあげながら、テルスは案内された錆びついた鉄格子の前で耳を澄ます。

 十秒を過ぎても、何も聞こえない。

 テルスの真似をして、子供たちも耳に手を当てて音を拾おうとしているが、お化けの声は聞こえない様子だ。手の上のソルも首を振っている。


「ソル。ちょっと使い魔出して奥の様子を映して」


 ソルが尻尾のリングを振ると魔力で編まれたネズミたちが現れ、子供たちが歓声を上げる。

 ネズミたちは捕まえようとする子供たちの手をすり抜けて、鉄格子の奥に広がる闇へ消えていった……一匹だけこちらに残しているのは多分、自分の身代わりにしたいからだろう。


「何も見えないなあ」


 浮かんだ映像は真っ暗なまま。

 鉄格子の隙間から地下に続く階段は薄っすら見えるが、その先は光源が一切ないのか何も見えないし、映らない。

 やはり、この錆具合のとおり、使われていない道なのだろうか。


「これ、どこに続いてるんだろ」


「あー……たしか、地下の避難所に続く階段だったか」


 追いついたマールが自信なさげに言う。

 その後ろには何故か盗賊たちの姿もあった。


「へえ、南都は地下に避難所があるのか。西だと地下は鬼門だから、参考にはできないなあ」


「隊長、そろそろ帰りませんか。騎士に話は後と言われたでしょう」


「分かってるよ。でも、この質問だけはしておかないと、お互い時間を無駄にするだけになるかもしれないじゃないか」


「質問?」


「そう。本当は最初にこの確認をしようと思っていたんだ。最近、商人から西の情報を集めているのは君たちでいいんだよね?」


「そうだよ」


 西の最前線には許可がなくては行くこともできない。

 騎士団も駒者(ピーセス)も浄化師さえも、その地には足を踏み入れない。

 しかし、生きるための物資を運ぶ商人だけはその地に行く機会がある。

 僅かな時間とはいえその砂漠を目にするし、護衛につく最前線で戦う者から話を聞くこともある。

 だから、テルスたちは商人でもあるコングの伝手で西の情報を集めていた。

 そのことを同じように商人から聞いて、この二人はテルスとルナに会いに来たのだろう。

 つまり、彼らが聞きたいことは……


「刻限の砂に挑む気があるということでいいかい?」


「いいよ」


 迷いはない。テルスとルナは最初からそれを目指していたのだから。

 落葉の森も雪花の湖も成り行きに過ぎない。


 ルナの目的は故郷を飲み込んだ刻限の砂の解放。

 そして、テルスの目的は災魔だ。


 刻限の砂は最大の魔瘴方界(スクウェア)

 単純だが、そんな領域にこそテルスは災魔がいると考えていた。

 その考えは今、確信に近くなっている。

 東の落葉の森にはピクシエルがいた。北の雪花の湖ではレギナが暗躍していた。

 いくら人の領域で生存できる魔物といっても、災魔は魔瘴方界(スクウェア)を中心に活動している。

 それなら、最大の魔瘴方界(スクウェア)である刻限の砂を解放しようとすれば災魔はきっと現れる。

 そんな理由は知らずとも言葉から覚悟を感じ取ったのか。

 西の民は少し口角を上げ、テルスにカードのようなものを投げつけた。


「……住所?」


「あのときの名前は偽名なんだ。改めて、自己紹介をさせてもらうよ。僕の名前はサハラ。こっちはラビアだ。最前線に来たら、そこに顔を出すといい。僕らの五年の成果がそこにある」


 会いに来た用件はこれだけだよ。

 そう言って、サハラはテルスに背を向け歩き始める。


「……僕らはあの忌々しい砂を消し去ることができれば何でもいいし、何でもする。せいぜい、僕たちに夢を見せて――」


 去り際の言葉は揺れる地面によって途切れた。

 同時に使い魔からの映像が消え――テルスとソルがそれを感知する。


「「瘴気!?」」


 重なる声。

 本当に僅かだが、鉄格子の向こうからその気配が漂ってきた。

 だが、その正体を確かめる余裕はない。

 揺れる地面に罅が走っていく。

 このままではネズミの使い魔を追いかけていた子供たちまで巻き込まれる。

 テルスは駆け出し――それと同時に、空き地の地面が崩れ落ちた。

 そうして、地下へとテルスは吸い込まれていく。落ちていく先に広がるのは無明の闇。崩れたはずの地面は顎が閉じるかのように塞がっていく。


「おい、テルス!」


「隊長!」


 マールとラビアの叫びが最後に響き、陽の光は完全に消え去った。

 この崩落に巻き込まれたのは二人。

 子供とマール、女性を優先して、テルスが後回しにした人。

 つまり、この闇の中にいるのはテルスと……


「……僕、今帰ろうとしてたんだけど」


「そっか。帰れなかったね」


「何か、面倒なことに巻き込まれた気がする……」


 同じ状況に陥っているテルスに返す言葉はない。

 真っ暗闇の中、大きなため息が二つ木霊した。

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