瘴気の足跡
「ヴィヌスさんが行方不明?」
その知らせを聞いて、テルスは思わず声を上げた。
大聖堂には教皇、浄天、《黒騎》、《白騎》と錚々たる面々が集まっている。
彼らが浮かべる真剣な表情。精霊祭のリハーサルとは違う緊張した空気。
それらが、この情報が誤りではないことを物語っている。
しかし――何故?
誘拐か殺害か、それとも他の何かか。
でも、頭に浮かぶ可能性はどれもしっくりこない。
今、南都は精霊祭のため警備が増員されている。
それに《黒騎》、《白騎》の二大騎士団に加え、浄天まで全員揃っているのだ。
わざわざ、こんな時期に犯罪に手を染める人がいるとは思えない。
「ああ……じゃない。ええ、それがどうも雲行きが怪しく、騎士テルスと精霊ソルの力を借りたいと参った次第です」
流石にこの場でいつもの調子とはいかないのか。
テルスにとって孤児院の先輩でもある《黒騎》のマールはかしこまって発言する。何だか、別人のようで違和感しかない。
「雲行きが怪しい、というと?」
「はっ、説明させていただきます」
首を傾げたハンナに即座にマールが答える。
「昨夜から今朝にかけて、ブルードの執事たちの記憶が曖昧なのです」
それを聞いて、テルスとルナは目を合わせる。
おそらく、この場でマールの言葉の意味を即座に理解したのは、テルスとルナ、そして、ソルだけだ。
曖昧な記憶。
それを聞いて真っ先に浮かぶのはあの災魔――レギナの存在だ。
マールが「騎士テルスと精霊ソルの力を借りたい」と言った理由も察しがつく。
必要なのはテルスではなくソル。
元五浄天キーン・シグマやその騎士エイン・ヴァイパーのときのように、瘴気の残滓があるか調べたいのだろう。
だが、ここは町中だ。
それも、濃い瘴気に触れる機会がある浄化師や騎士、駒者ならともかく、貴族や一般人にその残滓があればソルでなくとも誰かが気づくはずだ。
「順を追って説明させていただきます。昨夜、こちらの大聖堂で――」
昨夜のヴィヌスの足取りをマールは話していく。
執事の話だとヴィヌスはこの大聖堂で王族や他の貴族と共に礼拝に参加し、何人かと話し終わると別荘の一つに向かったらしい。
別荘に着いた後はすぐに就寝。
そして今朝、メイドの一人がヴィヌスを起こしに部屋に入ったことで、彼がいないことが発覚した。
ここまでの聴取に問題はなかった。
執事以外に話を聞いても、スケジュールを確認しても、不審な点は見当たらない。
普通に考えれば、ヴィヌスは就寝した午前0時からメイドが起こしに部屋に入った6時までの間に行方をくらませたということになる。
しかし、「最後に見たのはいつか」という当たり前の質問が状況を一変させた。
誰も昨夜、ヴィヌスを見た記憶がなかったのだ。
「何だそれ。皆、ボケてんのか?」
ロキオンの反応も無理はない。
彼の頭を小突くリシウスも、怪訝そうな表情は隣の相棒と同じだ。
馬車を引いていたのに、執事にヴィヌスを見たり、彼と会話をした記憶はない。
食事を出したはずなのに、メイドにヴィヌスが食事を取っている姿を見た記憶はない。
こんな話を聞けば誰だって、何を言っているんだ、と思うだろう。
しかし、聴取していたのが、あの災魔を知っている《黒騎》だったことが幸運だった。
「アイレ……《黒騎》のエルフが言うには執事たちに瘴気が視えるそうです。魔力感知などでも瘴気の反応がありました」
「つまり……あの報告書にあった魔物が関与している可能性があるということだな」
「それなら確かに、その精霊がいれば足取りを追えるかもしれないわね」
長いあごひげを撫でながら一浄天ファイ・サジタリウスがマールの言葉を引き継ぎ、三浄天アリス・ラムダがソルに視線を向ける。
その隣では四浄天ミユ・リースが何故だか頻りに頷いている。
「え、そうなの?」
「その精霊は優秀」
「ヒヒ、報告書だと災魔とかいうのに気づいたって書いてあった」
「あら、よく分かりませんが、流石精霊様ですわ」
「ええ、まったく」
何だか……違和感があった。
教皇やそのお付きの人は例外として、ソルが信用されすぎている気がする。
それに、二浄天アスケラ・ゼータ、六浄天リタ・ヘカーテの反応も早すぎる。
ラブレのように説明を求める方が自然ではないだろうか。
「なるほどな。しかし、この仮定が正しいとしたら急いだほうがいい。ブルードの執事を連れてきているのだろう。念のため精霊様にも確認してもらった方がいい。その間に、こちらは状況を整理し、捜索隊の用意をしておく」
「了解いたしました。では、こちらに」
疑問に思う間もトントン拍子に話は進んでいく。《白騎》団長ガウル・K・ティガードに従い、マールは大聖堂の扉を開いてテルスたちに声をかける。
そして、二人が外に出て、大聖堂の扉が閉まった瞬間――マールは魔法を発現させた。
「【魔壁《城塞》】」
濃い青の壁がマールとテルスたちを囲むと、マールはほっと一息つく。
しかし、テルスたちに向ける彼の目は変わらず険しかった。
「いいか、時間がないからよく聞いてくれ。ヴィヌス様はおそらく、大聖堂から出ていない。そして、これがあの災魔の仕業だとしたら、憑いているか操っているのはこの大聖堂にいる精霊教の誰かだ」
「え?」
「ドラグオン家がつけていた護衛からの連絡も途絶えたんだ。最後の連絡は礼拝の終了後、予定されていた外に出たタイミングでの連絡がなかった。それで異変に気づいて《黒騎》をブルードの別荘に向かわせたことで、ヴィヌス様がいないことが発覚したんだ」
「じゃあ、もっと前から調べていたってこと?」
「ああ、深夜から捜索は始まっている。だが、アイレが執事の瘴気に気づいたことで、厄介なことになったんだ」
〈何で、ヴィヌスさんを操らなかったか……〉
「ああ、それだ。チェレン副団長もそれを気にしていた」
言われてみればそうだ。
ヴィヌスを操ればこんな大事にはならなかった。もしも、操ることができなかったのだとしたら……
「ヴィヌスさんはまだ捕まっていない……?」
「もしくは身柄を拘束しておかないといけない理由があるとか……言い辛いがもう死んでいる可能性もある。ただ何にせよ、ここが一番怪しいんだ」
だが、見つからなかった。
大聖堂の警備にあたっているのは《黒騎》と《白騎》。《白騎》に協力を求めれば、教皇たちに許可を求めずとも秘密裏に調べることはそう難しくはない。
夜が明ける頃には大聖堂のほとんどの部屋を調べ終わった。
災魔以外の可能性も考え、大聖堂から別荘までのルートも調べ尽くした。
それでも、手掛かりの一つも見つからない。
残るは、大聖堂の宝物庫や地下。警備の騎士団すら鍵を渡されていない錠と鎖に閉ざされた場所のみ。
その話を聞いて、ソルはマールたちの意図を察したようだった。
「ええと、つまり、僕を使うってことかい?」
もしも、そんな場所にヴィヌスがいるなら、確実に精霊教の誰かは災魔の手に落ちている。
その状況で確たる証拠もないのに、捜索が許されるとは思えない。
普通ならば。
「そっか。ソルの頼みなら聞いてくれるかも……対価が怖いけど」
「ソルはダメ押しだ。元々、この後は王族や浄天で何か話し合いがあるだろ」
〈はい。私とテルスも出席するように言われています。予定だともうすぐですね〉
「それが終わったら、王からの勅命で捜索する運びになっている。だから、それまでに準備を終えなければいけないんだ」
王様まで話がいっているのなら、準備はかなり進んでいるのだろう。
さっきの浄天の反応を見る限り、彼らもすでに状況を理解している。
それでも、最悪あの災魔と戦うことになると考えれば十分だとは思えない。
それに今日は精霊祭だ。戦闘になるなら大勢の観光客の避難などの問題もある。曖昧な理由で精霊祭を中止できるとは思えないし、これは色々と難しい状況だ。
「ということで、ルナさんには悪いがテルスとソルは話し合いではなく、こっちについてきてくれ。許可は取っている。準備している捜索隊に瘴気がないか確認してもらうのと、念のため大聖堂から別荘までのルートも見てもらう。あとは戦闘になった際の段取りも詰めておきたい」
「了解」
〈分かりました。二人とも気をつけてね〉
「そっちも。ミユとアリスがいるなら、大丈夫だと思うけど」
何だか予定とは大分違う一日になりそうだ。
ヴィヌスが無事なのか心配だし、本当にこれが災魔の仕業なのか疑問もある。
それでも――これはあいつに繋がる好機かもしれない。テルスは人知れず強く拳を握りしめた。




