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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
五章【表】
121/196

白い決意

 かたん、かたん、と揺れる卵を皆が固唾を飲んで見守っていた。

 もう、こうして待って何時間が経ったのだろう。

 森にはすっかり夜の帳が下り、少し寂しくなった樹々の天蓋からは大きな満月が覗いている。

 時刻は深夜に近い。

 マルシアが浮かべた灯火に照らされた子供たちは眠そうに目をこすっている。

 それでも、瞳に輝く期待はちっとも色褪せていない。

 薄闇に包まれた竜の巣で声もなくその時を待ちわびる。そして、


「あ……」


 くしゃっと小さな音が鳴り、卵に亀裂が走っていく。

 徐々にひび割れは大きくなり、転がった卵から――子竜が顔を出した。

 もう、息づかいだけで会話ができそうだった。

 うるさくしてはいけない、と皆が声を出さないよう口を押えているのに、隣の人が何を言いたいのか手に取るように分かる。


 白い、子竜だった。


 闇の中でも浮かび上がる真白の鱗。背には小さな翼。

 そんな竜の特徴がしっかりあるのに、子猫や子犬のような丸くて可愛らしい子だった。

 卵から這い出た子竜はしげしげと辺りを見回している。

 鱗の色は緑ではないが、その目は親と同じ満月みたいな金色だ。その目に映す全ての”初めて”に興味を惹かれるのか、子竜は転がるように動き始める。


「うわあ~」「こっちきた」


 一頻り親に体当たりしていた子竜は今度は子供たちに突撃し、体をこすりつけている。

 触っていいのと言いたげに子供たちが親竜を見上げると、ぷしゅうと吐息の返答があった。

 これが「いいよ」という合図なのはこのひと月で分かっている。

 ソルの翻訳を待たず、子供たちは恐る恐る子竜を撫で始めた。


「うわっ」「く、くすぐったい」


 子竜はやんちゃで、子供たちの手をすり抜け頭に乗ったり、舐めまわしたりと好き放題だ。生まれたての無法者は子供たちだけでは満足できないのかルナたちにも突撃していく。

 マルシアの髪に噛みつき、メルクに突進し、コングに飛びかかり、ルナの足元にしがみつく。

 そして、子竜は少し離れているテルスの下によちよち歩き始めた。


「あれ、この子は嫌がらないの?」


 足を這い上り、お腹にくっつく子竜をテルスは抱き上げる。

 ぺろぺろと手を舐める子竜に嫌がっている様子はない。

 むしろ、一番懐いていた。

 寝そべっていた親竜が起き上がり、ゆっくりとテルスに顔を近づけていく。その瞳に鏡のようにテルスを映すほど顔を寄せた竜は低く声を上げた。


「……お前が名付けろ、だって」


「はい?」


 テルスはきょとんとしている。それはルナたちも同じだ。

 竜の名付け。

 皆がその意味を理解し、思い思いの名を口にする前に、


「――ノルン」


 テルスは子竜を見ながら、そう呼んだ。

 まるで、最初から決めていたかのような名付けだった。

 そんなにあっさりと決めてしまっていいの、というルナたちの思いは嬉しそうに鳴く子竜に霧散していく。

 はたして、はしゃぐ”ノルン”は理解しているのか。

 それは分からないが、満足そうな親を見る限り問題はなさそうだった。


〈ノルン……いい響きだけど、何か意味があるの?〉


「……ん~、幸運? 運命? みたいなのを考えてたら浮かんできた」


 いつも以上にテルスはぼんやりとしていた。

 ノルンが頭に登り、髪をぐしゃぐしゃにしていようが気にもしていない。


「……あなたに名前はあるの?」


 触れられるほど近くにいる緑竜にテルスは静かに問いかける。

 竜はなく。

 歌うように風に乗せた声が木の葉を揺らし、ソルが言葉を紡ぐ。


――私に贈られた名はエウロス……初めまして、テルス。











 そっと、マルシアを起こさないようにルナはテントを出た。

 澄んだ森の夜気が肌を撫でる。見上げた空に明るむ気配はない。森はまだ葉擦れの音と虫の鳴き声に満ちていた。

 夜露に濡れた落ち葉を踏みながら、ルナは弱々しく燃えるたき火とそれを眺めているテルスの方へ歩いていく。

 ぼーっと身じろぎもせず、テルスは見張りを始めたときと変わらない姿勢で座っている。

 その隣に腰かけながら、ルナは文字を浮かべた。


〈聞かなくていいの?〉


「ん~……」


 何を、とはテルスは問い返さなかった。

 ただ、はっきりと彼はその意思を口にした。


「いいよ。どっちも」


 どっちも・・・・

 やっぱり、テルスは気づいてる。


〈そっか……〉


 風は優しくルナとテルスを包んでいる。

 ソルが話していたとおり、この風から悪戯の気配は感じない。それが意味するのは……今日、約束の竜に出会ったということ。

 緑竜エウロスではなくて、

 

 今日誕生した白い子竜ノルンこそ、会いにいく約束の竜だった。


――もうすぐ孵るからそれまで私を手伝っていろ。


 ソルすら読み取れない精霊との約束を知っていたのか。

 会いにいく理由は名付けのためだったのか。

 その問いに緑竜が答えなかったことを、ソルと共にいたルナだけは知っている。


 あの緑竜はおそらく、分かっている。


 テルスの力が召喚魔法を根幹とするものなら、【リベリオン】の代償となる約束もその精霊の意思が関わっている。そして、エウロスが本当に約束の内容を知っているというのなら、あの緑竜はその精霊についても知っているはずだ。

 しかし、あの緑竜は語らない。

 きっと、テルスもエウロスも同じ理由で口を噤んでいる。


 もう、違うから。


 違うから、ソルが何を話していないのかも、エウロスが何を知っているのかも、テルスは聞かない。

 気になっているだろうに、彼は今を優先した。


 違うから、エウロスはその精霊について語らない。

 過去に戻ることはできず、何よりかつて誰かだった少年は今を生きているとあの緑竜は分かっている。


 文字も声もなく、虫が鳴く音だけが夜に響く。

 ルナとテルスはただ、枝葉に覆われた狭い空を見上げ続けていた。


〈……こうしていると、あのときを思い出すね〉


「あー、虫籠かあ」


〈ふふ、あのときみたいに膝枕してあげようか?〉


「ん、お願い」


 そう言って、テルスは欠伸をしながらルナの膝に頭を乗せた。

 これもあのときと同じ。眠気たっぷりの騎士はまったく恥ずかしがっていない。それが少し不満で姫の頬は膨れていく。


〈そこはもう少し、恥ずかしがるとこじゃないかなあ〉


「そんな余裕ないよ。眠いし、枕が良いし」


 膝の上のテルスは本当に眠そうで、髪を撫でても、頬をつまんでも全然反応しない。でも、まだ辛うじてまぶたは開いていた。


〈ねえ、テルス〉


「……なに?」


〈今週末には精霊祭だよ〉


「……思い出したくなかった……」


〈でも、ミユとアリスに、シリュウさん、ヴィヌスさんたちにも会えるよ。皆に竜の話をしたら驚くだろうね〉


「……何言われるかが、心配……」


〈記録は見せてあげられるけど、何で呼ばなかったーって怒るかな……あ、タマさんはまた隠し事してるって怒ってたよ〉


「……そっかー、気づかれてるのか……」


〈うん。テルスにしては森で魔物を狩ってないって。ついこの間、もう隠し事はしませんって言ったんじゃないのかな?〉


「……ルナ、しばらく南都で引きこもっていよう……」


〈ダメだよ。色々とやることあるんだから。ハルちゃんとまたお菓子を作る約束もしてるし、ノルンちゃんにもまだまだ会わないとだし、孤児院もリフォームしないと。それに、約束したんでしょ〉


「……精霊祭が終わったらタマとハンスさんと、皆でご飯食べる……」


 うつらうつらとしながら、テルスはそう呟く。

 テルスは竜の手伝いに精霊祭の準備。

 タマはレギナのせいで増えたギルドの仕事。

 ハンスはおやっさんと遠征中。

 それぞれが忙しくて、三人で過ごす時間なんて取れなかった。

 でも、精霊祭が終われば一段落がつき、ハンスから言い出したというその約束の機会も訪れる。ひと月前に会ったときよりも、ゆっくり過ごせるはずだ。

 穏やかな寝息が膝の上から聞こえてくる。

 眠ってしまったテルスの髪を撫でながら、ルナは小さく文字を浮かべた。


〈まだ……あの精霊がテルスの過去と繋がっているかは分からない……〉


 そう、分からない。

 テルスの過去も、契約した精霊も、どうすればいいのかも、どうしたいのかも。

 それなのに、あんな不確かな話はできない。

 

――伝えたことで今のテルスが変わってしまうかもしれない。


 きっと、理由の中にはそんなずるい思いもある。

 だけど、それ以上にこの少年に「楽しく」生きてほしいとルナは思うのだ。

 過去の、今の、未来の、テルスが皆で笑えるように。だから――


〈――次に会ったら私が確かめる〉


 白い決意を少女は空に刻んだ。











 一人の少年が暗闇を走っていた。

 傷ついた片腕を庇いながら、魔法による罠を仕掛け、逃げ続ける。

 深追いしすぎた。

 誘われているとも気づかず、まんまと敵の罠にはまってしまった。

 だが、こんな町の中心でそれ・・に襲われるだなんて誰が想像できるだろうか。


「まさか、ここまで……!」


 対処できていると思っていた。

 あの白い鼠の精霊から話を聞いて、王族、貴族、騎士団、各町の町長、ギルド、衛兵、思いつくかぎりのところに浄化師を送ってきた。


 精霊との契約は互いの魔力により精霊の器となる欠片を生成する。

 そして、召喚魔法により、その欠片に宿った精霊を発現させる。


 あの災魔による干渉がこのプロセスと似たものなら、水中で火の精霊を召喚できないように、土の精霊を空で召喚するように、相反する属性である浄で災魔による干渉を破壊、もしくは阻害できる。

 おそらく、この理論に間違いはない。

 しかし、災魔による干渉に気づくのがあまりにも遅すぎだ。

 そして、あのペアが話していた”怪しい浄化師”の意味をもっと考えるべきだった。決して、あれは災魔による干渉と一括りにしてはいけなかった。


「……駄目だ。追いつかれる」


 迫る無数の足音と風切り音。

 背後の群れに対抗する術はなく、この暗い迷路から逃げることもできない。


「テルスさん、南都はもう……」


――手遅れだ。


 その言葉を最後にヴィヌスは目を閉じ――背後から迫る黒い影に絡めとられた。




 精霊祭、その前日。 

 ヴィヌス・B・ブルードは行方不明となった。

いつもお読みくださりありがとうございます。

これで五章の序盤が終わり、次から南都となります。

タマとハンスの出番はありますが、まだ先です。

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