道化の悪戯という魔法
森を白装束に身を包んだ少女が歩いていた。
緑の中を白が滑る。
その足取りは、ここが未開の地であることを忘れさせるほど軽やかで。
フードから覗く少女の表情は鼻歌でも聞こえてきそうなほど明るかった。
〈ん~、かかってないね〉
足を止めた少女――ルナは少し遠くから、印がついた木を見ていた。
今日は何もかかっていないみたいだ。
少し落胆しながら近づくと、やっぱり昨日と何も変わらない餌と罠がそこにはあった。
〈また、ピグーとかかかっていればいいんだけどなあ〉
そう、文字を浮かべてルナは微笑む。
思い出すのはつい先日のこと。
幸運にも、罠に高級食材のピグーがかかっていたのだ。
ピグーは見た目こそ豚みたいだが、とにかく大きい。逃げ足も速いし、トロルを体当たりでぶち飛ばすくらい力も強い。何より狂暴だ。
流石は、魔物がいる環境に適応した豚と言われるだけはあった。
まさか、テルス、メルク、コングの三人で苦戦するとは。まあ、「絶対に逃がさない!」とか「全身高級食材だぞ!」とか「なるべく無傷で仕留るわよ!」とか大分、食欲が足を引っ張っていたけども。
そうして、周囲一帯を倒木だらけにするような大格闘のすえにピグーを仕留め、焼肉パーティーを開催したのだ。
今まで食べたどのピグーの料理よりも美味しくて楽しかった。
皆でわいわい肉を焼いていただけなのに、思い出すたびにまたやりたいな、と思ってしまう。
〈……ちょっと探してみようかな〉
「そう簡単には見つからないという話だし、見つけても色々と難しいんじゃないかい?」
肩に乗っかるソルの言葉に、ルナは右手から白い閃光を瞬かせながら文字を浮かべた。
〈大丈夫。仕留め方は覚えたから〉
コングが父親に聞いてくれたおかげで、そのあたりの知識はばっちりだ。
それに、テルスに教えてもらったあの技もある。
今なら【閃手】で痛みもなく一瞬で仕留められる自信がルナにはあった。
軽く素振りをしている少女に何ともいえない視線をソルは向けていた。その視線に気づいたルナはソルを手に乗せながら悪戯っぽく微笑む。
〈ふふ、冗談だよ。やりたいことは他にもあるし。さて、罠の確認も終わったし、この辺りは誰もいないからちょうどいいかな……ソル、お話しようか〉
ひえっ、とルナの手の上でソルが震えた。
話をしようと書いているだけなのに、何故こんなに怯えているのだろう。なにか怒られるような心当たりでもあるのだろうか。
それはそれで気になるが、ルナが聞きたいことは別のことだ。
〈ソル、テルスに隠し事をしてない?〉
浮かんだ文字にソルの震えが止まる。
顔を上げたソルの小さな瞳は何で知っているの、とでもいいたげに揺れていた。
こんなに近くで君たちを見ていて気づかないはずがないのに。
ルナはそこかしこにある倒木の一つに腰かけ、ソルが話し出すのを待った。
「……隠し事というか、話していいか分からないんだ」
〈それは、雪花の湖から飛んだときと関係ある?〉
ぴくりと震えたソルの反応が答えだった。
ソルが悩みを抱えていることには気づいていた。それが、テルスに関係していることもソルの視線で察することができた。
でも、何が理由なのかまではルナには分からなかった。
災魔、百年前の真実、封じられた親友、それに、あの占い。
たった数週間なのに、悩みの種になりそうな出来事なんていくらでもあった。
でも、数ある出来事の中で一つだけ、ルナには引っかかっていることがあった。
それが、雪花の湖から飛び立ったときの風。
テルスが『デウス・ウェント』と紡いだ力だった。
「そうか、ルナ嬢も僕と一緒にあれを見ていたんだった……」
そう、ルナもソルと同じものを見ていた。
そして、ソルはその光景に狼狽し、ルナは何がおかしいのかまったく分からなかった。
おそらく、精霊であるソルにしか疑問に思わない出来事。
だからこそ、それが理由ではないか、とルナは思ったのだ。
〈あれは何か疑問に思うようなことだったの?〉
「それはそうさ。あれは僕の力ではできないことだし、テルスにもできないはずのことだったんだから」
〈え、でも……〉
ルナはソルの言葉に首を傾げる。
あのときも、ソルは「僕たちの領分を超える力」と言っていた。
でも、『デウス・ウェント』は発現し、ルナたちは雪花の湖を脱出することができている。
あれがテルスにも、ソルにもできないことだというなら――どうして、あの風は発現できたのだろうか。
「対話こそが僕の力。精霊に語りかけることで僕は君たちでいう、精霊魔法や幻想発現と似たようなことができる。【リベリオン】の根幹は僕のこの力だけど……あんなに強くなるのは僕が理由じゃない」
〈たしか、テルスの周りにいる精霊が手伝ってくれているんだよね〉
「うん。僕の力をさらに、その精霊たちが起点となって強めてくれているんだ」
伝言ゲームみたいなものだろうか。
ソルのお願いをテルスの周りにいる精霊たちが広めて、皆でテルスを手伝ってくれる。なんだか微笑ましいイメージだけど、それほど外れた理解ではないはずだ。
「そう、僕がやっているのはテルスを手伝ってと話しかけているだけ。元となる力はテルスになくてはいけないんだよ」
つまり、元となる力。あの風を発現した魔法は……
〈……【道化の悪戯】〉
「その魔法が問題なんだよ」
テルスのオリジナル【道化の悪戯】。
魔法の大家である四大貴族『ブルード』であるヴィヌスさえも匙を投げた混沌とした魔法陣。
魔力を纏わせたものを補助し、精霊たちが力を貸すことで自然に干渉することができる魔法。
〈たしかに、あの魔法は意味不明だけど……〉
ルナもテルスの隣であの魔法を見てきたから、その異質さはよく分かる。
魔力を纏わせて補助するという効果は【魔装】という強化系統の補助魔法に似ている。
自然に干渉する効果は精霊魔法に限りなく近い。
同じことができる魔法はある。
しかし、この二つの効果を一つの魔法陣で発現できる魔法は存在しない。
そして、【道化の悪戯】の魔法陣を読み解くことはヴィヌスですらできず、模写した魔法陣を他の者に刻んでも、ちょっとした補助魔法にしかならなかった。
想像と理解により魔法は発現する。
それなのに、術者本人がろくに理解もしていないのに、【道化の悪戯】は発現する。だから、異質なのだ。
ただ、それらは魔法陣のみで語れば、の話だ。
〈【道化の悪戯】もテルスの周りにいる精霊が助けてくれているんだよね。それなら、【道化の悪戯】じゃなくて、テルスの周りにいる精霊が問題なんじゃ……〉
そう文字を記しながら――ふと、ルナは思う。
なんだか、【道化の悪戯】も【リベリオン】も異質な点は全て、テルスの周りにいる精霊のせいと思っているな、と。
「僕もそう思っていたよ……あのデウス擬きを見るまでは」
〈擬き?〉
「擬きだよ。あれがデウスを冠する精霊魔法だったら、あんなに雑なはずがない。でもね、あれは滅茶苦茶でも同じではあったんだ」
〈精霊魔法と同じ……?〉
それは、よく考えると変だ。
幻想発現も精霊魔法も精霊に力を借りる点は同じだ。
しかし、展開した魔法陣を起点に力を借りる幻想発現と違い、精霊魔法は精霊を認識できなくては行使できない。
だから、あの魔法は精霊を視ることができるエルフの魔法なのだ。
「……あれはたしかに、精霊が発現した魔法だった」
幻想発現なら『この風を強くして』。
精霊魔法なら『強い風を起こして』。
精霊が視えるソルならあの風がどちらなのかは一目瞭然だったはずだ。
だから、ソルは狼狽した。
精霊が視えないはずのテルスが精霊の力を借りるのではなくて、精霊を使役して魔法を発現させたから。
「でも、テルスはエルフじゃない。そして、精霊を使役する魔法は精霊魔法を除けばただ一つ」
〈まさか……〉
「そう、召喚魔法しかないんだよ」
召喚魔法。精霊と契約を交わし、その存在を発現させる魔法。
だからこそ、ありえない。だって、ソルしかテルスの周りに精霊は……
〈………………え?〉
文字はただルナの驚愕を虚空に刻んだ。
まるで、パズルの設計図を手に入れたかのように、ルナの中でピースがはまっていく。
ソルが驚いた精霊を使役して発現させた風は【道化の悪戯】によるもの。
精霊を使役して魔法を発現させるのは精霊魔法以外では召喚魔法しかない。
つまり、【道化の悪戯】は召喚魔法の力があるということになる。
二つの効果を持つ【道化の悪戯】という魔法。
それが本当に二つの魔法が重なったもので、その一つが召喚魔法なのだとしたら。
かつてのテルスは何と契約していたのか、という問題が出てくる。
反転する。些細な違いがテルスの異質さを決定的なものにする。
幻想発現や精霊魔法ならおかしくはない。
でも、召喚魔法は召喚した精霊が魔法を発現させる。
シリュウの【猫又火霊】が火を発現させるように。チェレンの【狛犬水霊】が水を発現させるように。
だからこそ、ありえない。
【道化の悪戯】は全ての自然に干渉することができる。
【リベリオン】も全ての属性の精霊と約束を交わすことができる。
全属性に対応している召喚魔法。
そんな、森羅万象を司る精霊なんて存在するはずが――
「……規模こそ小さいけど、テルスは水も、風も、全ての自然に干渉することができる。その根幹が召喚魔法、かつて契約していた精霊の残滓によるものだったとしたら。その精霊の正体は決まっている」
見たことが、いや、戦ったことがあるからこそルナは分かった。
ソルがその精霊を誰だと思っているのか。どうして「話すべきか分からない」と言ったのか。
この優しい白鼠が何を想い悩んでいるのか、痛いほど理解できた。
「森羅万象を司る精霊なんて存在しない。でも、全ての精霊を統べる存在はいる」
王。魔素を統べる最上位の精霊。
それに該当するのは――
「ねえ、ルナ嬢。もし本当に、一番憎んでいるであろう存在が忘れてしまった過去に繋がる存在なのだとしたら――」
――僕はテルスに話すべきなのか。
何も書けない。光の玉は凍りついたかのように宙で静止していた。
静寂だけが森を満たす。
もしも、本当にこの推測が合っているのなら、なんて残酷な話なのか。
過去か。未来か。
いくら考えても答えは出ない。どちらを選んでも正しくて、間違っているような気がする。
膝の上にソルを乗せ、ルナは悩み……答えを出した。
〈決めた。私は――〉
静止していた光の玉が動き出し、その答えを記す――ことはなかった。
「ルナさあーんっ、卵が動いてるうー!」
〈え、嘘!?〉
森に木霊するマルシアの悲鳴。
それを聞いたルナはソルを吹き飛ばしながら立ち上がった。




