そよぐ残滓
色づく葉の簾を抜けた先には岩だらけの野原が広がっていた。
降り注ぐ眩しい日差しにテルスは目を細める。
先ほどまでの木陰の道が嘘のようにこの場所は開けている。
少し熱を持った体を撫でる秋風が心地よく、何より、この景色がここまでの疲れを吹き飛ばしてくれた。
「けっこう、登ったなあ」
少し小高く、開けたこの場所からは霊峰をよく見渡せる。
これから先のきつそうな道のりを見ると怯みそうになるが、振り返った先の景色はまさに絶景だった。
「すげえ」「いい景色……」「あそこ! リーフだよね!」「うん。精霊樹が見える」
なだらかな曲線を描く木々の緑。広がる地平線。遠くにちょこんと見えるリーフの精霊樹。
額には汗が光っているが、子供たちは疲れなんてまるで気にならないとばかりにこの景色に見入っている。
それはテルスたちも同じだ。
こうした楽しみがあるなら山登りも悪くない。今だけはそんな勘違いができそうだった。
「暑いけど、いやあーいい景色ねえ」
「そりゃあ、グレイスと比べればどこでも暑いだろ。普通だったらこの気温でシャツ一枚は寒いと思うぞ」
歩きながら脱衣していったコングはすでにシャツ一枚になっている。が、それでも暑いのか、汗に濡れるたくましい筋肉は陽光を受けて艶やかに煌めいていた。
ただ、汗をかいているコングも、隣を歩くげんなりとした顔のメルクも、べつに疲れているわけではない。駒者にとってはまだまだ散歩程度の道のりだ。
「ん~ここまでですかね」
〈そうですね。ここからなら見通しがいいですし、ちょうどいいと思います〉
マルシアとルナの視線の先には子供たちがいる。
テルスたちには散歩程度でも、子供たちにとっては違う。表情こそ明るくても帰り道を考えればここらで潮時だろう。
「え~!」「もうちょっといけるよ!」
「ダメです。約束しましたよね。外では絶対に?」
「……先生たちの言うことを守ること」
フゥの言葉に、不満そうだったハルとナッツも駄々をこねるのをやめる。
――言うことを聞かないと二回目はありません。
マルシアにそう言われているのが効いているのだろう。
二回目があると思わせることで、自分たちだけで町の外に出ないようにする。
なんというか、マルシアはとっても子供の面倒を見るのが得意な気がする。少なくとも、テルスにはまったくない発想だった。
「じゃあ、最後に見える範囲のルートを確認しようか。そうしたら、メルクとコングさんは皆をお願い」
「了解よ~。ちゃんと無事に送り届けるわ」「おう、先に竜を見つけるとかやめろよ」
「そんなに早く見つかるわけないって……えーと、マルシアさん。西側の斜面を登るっていうルートはあの森を通っていく感じ?」
テルスが地図を広げると、ルナとマルシア、そして子供たちが覗きこむ。
「そうですね。森の中なので迷いやすいですが、尾根を行くより危険は少ないでしょう。登るだけならこちらのルートの方がいいと思います。途中までは木にロープが巻いてあったり、階段代わりの石もありますし。ちょうど……本格的に尾根を登る前のあの斜面から下っていけば廃村に突き当たるはずです。そこからなら分かりやすいかと」
「廃村?」
この辺りに村なんてあっただろうか。
首を傾げるテルスにマルシアは細い指で地図をなぞりながら答える。
「ここから、この辺りの範囲ですね。霧が深く迷いやすかったからあまり知られていませんが、十年くらい前までは村があったんですよ。昔、エルフの森が焼けたときに、わざわざリーフから離れて作った村だそうです」
「え!」
エルフの森。その言葉を聞いて、ソルが声を上げた。
「そのエルフの森というのは百年前に今の王都付近にあった森のことかい?」
「ええ。森が焼けて、帰る場所を失ったエルフは東都やリーフに移り住んだらしいのですが、一部の精霊信仰が強いエルフは町の空気に馴染めず、こういった自然が多い場所に村を作ることが多かったそうです……もっとも、多くは長く続かなかったのですが」
「ん、どういうことだい?」
「魔瘴方界付近で生活を続けられるほど覚悟がなかったんですよ」
マルシアが言うには、こういった外に村を作り、生活を始めたエルフは比較的若い人が多かったらしい。それに協力したのも、元から森の外で暮らしていたエルフや熱心な精霊教の信者だったそうだ。
最初こそ森とともに焼失した伝統や歴史を立て直そうとしたが、少年少女ほどに若いエルフや森の外で暮らしていたエルフでは『エルフの森』を作り直すには単純に力不足だった。
力も、信仰も、知識も、覚悟も何もかもが中途半端。
そんな状態で外での暮らしが続くはずもない。諦めて町に順応する方がよっぽど楽だったのだ。
「そうかい……」
少しだけソルは落ちこんでいる様子だった。
話を聞く限り百歳以上、つまり、ソルが知っているエルフはその村にはいない――他の町と同じくヴィヌスたち貴族の調査結果どおり。
レギナの件が明るみになってから、中央も改めて旧王都の情報を集め始めた。
しかし、今のところ新しいものは何もない。
当時の様子が書かれた資料、百年前の旧王都を知る人、そういったものが不自然なほど存在しなかった。
(やっぱり……)
おそらくレギナが消しているのだろう。
こうまで徹底しているとなると、旧王都にまつわる情報の中にはレギナにとって致命的なものがあるのかもしれない。
ただ、まだ本格的な調査を始めてひと月程度だ。
それに、町ではなく地方の村までは貴族も調査し切れていないかもしれないし、レギナだって見落としている可能性はある。
「もしかして、マルシアさんってその村に住んでいた?」
「……ええ」
口振りからそうではないかとテルスは推測していたが、やはり、マルシアはその村の出身だった。それなら、人ではない情報のありかにも心当たりがあるかもしれない。
「じゃあさ、図書館とか……何か本とか資料とかがまとめてある場所ってあった?」
「ああ、それならもうありませんよ――燃えたんです。何もかも」
にこり、と笑いマルシアはそう告げた。
綻んだ花のように美しい微笑み。それなのに、なぜだろうか。深く踏み込んではいけない気がしてテルスは口をつぐんだ。
「あの村は火事でなくなったんです。それに、竜がいるなんて話は私は一度も聞いたことありませんし、資料もないと思いますよ」
テルスの聞きたいことが『竜』だと思っているマルシアは唇に指をあててそう続ける。その姿に先ほど感じた不穏は微塵もなかった。
〈やっぱり、麓で生活していたから、その村の皆さんはレストに詳しかったのですか?〉
「いえいえ、レストに登って調査するような物好きはいなかったので大した知識はありません。ただ……エルフの森の慣習を真似していたから多少知っていることがあるだけです」
「慣習ってなんだい?」
「精霊契約ですよ。昔のエルフはある程度の年齢になると、自然の中に身を置いて精霊と契約するという慣習があったそうです」
そんな慣習があるのかあ、と驚くテルスとルナに対して、メルクとコングはどこか共感するように声を上げた。
「ああー、東都にも近い慣習はあるな。子供を外の森に放り出すのが」
「いや、危なくない?」
「自衛手段を学ばせた子供だ。東都は心身の強さを重視するから、どんな子供でもある程度の戦闘技術は学ばせるんだよ。見張りもいるし、森に帰る目印もあるから……普通はそう危険はねえよ。最終テストみたいな感じだ」
「へえ、東都はそうなの。グレイスは大人になる前に雪山登り&寒中水泳大会って感じね」
「いや、危なくない?」
「ちょっと寒いくらいよ。それに、グレイスでの戦闘は狩場以外は雪上だし、潮に飲まれたときに泳げなかったら話にならないからね。必須技能のテストって感じよ」
そういうものなのか。
知らないテルスからすると結構厳しい慣習な気がするが、話を聞くと必要にも思える。ただ、テルスはリーフで良かったと心から安堵した。
「ま、まあ、ここの慣習はそこまで危険なものではなく、レストにちょっと登って精霊と契約するだけです。でも、その慣習で何人もレストに足を踏み入れてはいるんです。ここの村は約九十年と、他と違ってそこそこ長く続きましたし、その間に一度も竜の話が出ないというのは……」
マルシアは濁しているが、何を言いたいかは十分に伝わってきた。
〈九十年情報なし……〉
「……見つけられるかなあ」
テルスとルナは遠い目で空を仰ぐ。
そう簡単に見つけられないと分かってはいる。だけど、改めて具体的な数字を出されると心にくるものがあった。
「えーと、頑張ってください。もしも、竜を見つけたら私にもまた声をかけてくださいね」
さあて帰ろうかー、と子供たちに声をかけマルシアは去ろうとする。
絶対にあれは竜なんて見つけられると思っていない。その背はどう考えてもこれ以上の厄介ごとはごめんだと雄弁に語っていた。
メルクとコングもそれに続く。
名残惜しそうに手を振る子供たちに応え、テルスとルナはレストに向き直った。
「行きますか……」
〈はーい〉
さあ、長い永い調査の始まりだ。気合を入れテルスは歩き始め――
「「――え?」」
魔力が震える感覚に足を止めた。
〈どうしたの?〉「どうかしたのかい?」
ルナとソルが首を傾げこちらを見ている。
しかし、瞬時に戦闘態勢に入ったテルスに答える余裕はない。この感覚は五年前のあのときと……
「いや、違う?」
一瞬、あの災魔の気配を思い出したがこれは違う。
魔力の共鳴に近い、引き寄せられるような奇妙な感覚。それはレストの東から、そよぐ草のようにテルスの魔力を揺らしていた。
「こっちから……」
マルシアが示した西側の斜面とは真逆。東側の茂みに誘われるように、テルスは入っていく。
「おーい、どうしたんだ? そっちは下りだろ」
メルクたちもテルスの様子に気づき帰るのを中断し、後ろを歩き始める。
怪訝そうについてくるマルシアや子供たちに対し、ルナたちは緊張した面持ちだった。
何となく勘づいているのだ――テルスの行く先に何が待っているのか。
草木の壁をかき分け、ひたすらに下る。
獣道ですらない茂みを無言で一行は歩いていく。
陽の光も陰る深い緑の中をどれほど進んだか。テルスたちは突如目の前に現れたその入り口を前に立ち尽くした。
洞窟があった。
巨大な何かが住処にできるほど大きく、緑に紛れた隠れ家のような洞窟の入り口がそこにはあった。
「まじで?」
思わずテルスは呟く。
この約束に理不尽だと憤っていた。会いに行けというなら場所くらい教えろと思っていた。
しかし、正直なところテルスは「どうせこんなもんだ」と前回のこともあって早々に期待を捨てていた。
その期待が胸の奥で蘇ってきている。何日も何十日もかかると覚悟をしていた。それを本当に――一日目で見つけてしまうのか。過酷な山登りに時間を費やさなくていいのか。テルスは少し涙が出そうだった。
「おいおい……」「え、嘘でしょ」
この洞窟の奥から近づいてくる巨大なその気配を感じ、皆が一歩後ずさる。
ずん。ずん。ずん、と。
かすかな地面の振動が大量の枝葉が踏み潰れる音とともに近づいてくる。
そして――それはテルスたちの前に姿を現した。




