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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
外伝
113/196

禽忌の庭Ⅹ

 痛いな、と呟きながら、エリュテイアはそれ・・を体から引き抜いた。

 雷の魔法が直撃したかのような痛みが全身に走る。

 でも、痺れた体はろくに動かない。視界は揺れて焦点が合わず、聞こえてくる音は何でか反響している。何より……


「ああ……これは、ダメかなあ……」


 薄っすらと笑みを浮かべる。

 耳元に感じる鼓動に目を閉じると、遠くで響く仲間たちの声が少しずつ輪郭を結び始める。


「ファイ――ょう! まず――です!」


「この羽根が刺さっ――から崩れ――きます!」


「うるせえ、分かっ――! 【浄白の大地】――、ああくそ、あの鳥野郎! 神霊魔具まで使――んのに、がんがん削って――って!」 


「――さん! お願いだ、起きて!――ないで!」


 揺さぶられていると気づくのにどれくらいかかったか。

 ゆっくりと目を開くと、今にも泣き出しそうな顔をしたアスケラがいた。


「【浄光(ルクス)】、【浄光(ルクス)】! 駄目だ。足りない。治療ができる魔法、アイラさん――っ」


 声は途切れ、振り切るようにアスケラが顔を背ける。

 彼が見ていた先にはアイラが使っていた折れた杖と血で濡れた岩があった。


「アスケラ」


「喋らないで! 多分、体に瘴気が回ってる。全身に浄を巡らせば――」


 ばちん、と乾いた音が響き、今度は物理的にアスケラの声は途切れた。


アー坊・・・


 少しは調子が良くなった。でも、思いっきり叩いたつもりなのに、はたくみたいな軽いビンタになってしまった。

 まあ、動くならいい。

 エリュテイアはゆっくりと持ち上げた手で白く輝く大岩を指差す。


「行きなさい」


 貫かれた足場は四散したが、それぞれが崖から伸びる岩の楔によって空に留められている。エリュテイアとアスケラがいるのもその一つ。

 だが、足場の破片でしかないこの場所と違って、エリュテイアが指差した大岩ではまだ仲間たちが抗っていた。


「【浄呪(テラー)】、【浄呪(テラー)】……も、もう無理! 羽根を止めてたら瘴核を祓えない!」


「俺がなんとかする。お前は瘴核だけを何とか解放しろ! 【金剛浄星(アダマント)】!」


 降り注ぐは魔鳥の黒羽根。それを迎え撃つはファイから放たれた白い流星。

 輝くほど浄が込められた超硬度の弾丸は【魔弾】並みに連射されているというのに崖を削り、黒羽根を吹き飛ばすほどの威力がある。

 だが、ファイの魔法は魔鳥の飛行速度に追いつけない。

 対して、魔鳥の黒羽根は当たらずともファイたちを追い詰めていく。


「総長! また羽根が刺さったところから岩が崩れてきてます!」


 風化、とでもいうべきだろうか。

 黒羽根が刺さった大岩は少しずつ砂になり、崩れかけていた。

 大岩の足場はファイの魔力と周囲の土で形成されたもの。

 浄が勝れば黒羽根の瘴気は祓われ、瘴気が勝れば浄と土でこねられた大岩は形成を解かれてしまう。


「ちっ、めんどくせえ! 【浄白の大地】」


 浄の光が大岩を包み込み、白い輝きを一層強める。

 浄が勝るか、瘴気が勝るか。

 その勝敗は時間でも巻き戻しているかのように、崩壊しかけた足場が元に戻っていくことで明らかとなった。

 ファイが行使した【浄白の大地】は【浄光結界(ルクス・へクス)】を地面に付与し、広げた魔法。この状況においては最適といえる効果だ。

 しかし、ファイが攻撃から足場の維持に切り替えた瞬間、魔鳥は再び黒い竜巻と化した。


「【魔壁】」「【ウェント】」「【金剛浄星(アダマント)】」「【浄呪(テラー)】」


 瞬時に魔法が発現するが、貫く竜巻はその行使すら無意味と吹き飛ばす。

 白い流星を弾き、重ねた防壁ごと大岩を削り、羽根を周囲にまき散らす。

 リタとチェレン、ハウがその羽根を防ぎ、ファイが崩れかけた足場を立て直す。

 もはや、足場を大岩と呼ぶことはできない。固める暇もなく流動を続ける地面は海や川のようだった。


「ほら、行って。皆、あなたが必要なんだよ」


 振り向かず、動くことのできないアスケラにエリュテイアは繰り返す。

 耳は魔法でよく聞こえるし、この位置は皆の状況がよく見える。

 リタは羽根を防ぐ。ファイは攻撃と足場の維持。浄化師二人が魔鳥と相対している以上、誰かが代わりをしなければ永遠に瘴核を祓えない。


 だけど、皆もうほとんど魔力が残っておらず、代わりができない。


 魔力切れで【魔弾】や【魔矢】を連射できない以上、トリウィア、ロン、ペケは攻撃を担えない。チェレンとハウの二人で起こす風では代役は不可能。キーンはシリュウたちを引き上げながら茨で魔鳥の妨害を続けている。

 そして、エリュテイア自身は……。


「やるべきことをやりなさい」


 所々、黒が混じる白い髪を撫でる。

 相変わらず撫で心地がいいなあ、と笑みを零す彼女の目に迷いはなかった。


「……っ!」


 言葉にならない声を飲み込み、涙を散らしながらアスケラは駆けていく。

 その背を見送りながらエリュテイアは自問する。


――やるべきことをやりなさい、か……じゃあ、私は……?


 一つだけ。たった一つだけやれることが残っている。

 過去へ想いを馳せる。ずっと昔。まだシリュウも生まれていなかったあのときに交わして、この身に残っている約束にエリュテイアは手を伸ばす。


 これは禁じ手。義母かあさんや私たちが決して表に出してはいけないこと。

 血のつながらない私たちを繋ぐ欠片(ピーセス)


「今なら、誰も分からない……でも……」


――あの方は応えてくれるのだろうか。


「召喚、魔法――」


 どうか、どうか。祈るように胸に手をあて、ゆっくりとその名を呼ぶ。

 傍らの血に濡れた黒羽根が空へ舞うのを見送りながら、彼女の唇は最後の音を結んだ。











 茨に引き上げられながらガウルは唇を噛みしめていた。

 広がる血の味はこの焦燥を消すには薄過ぎる。

 砂と化しながら落ちていく仲間を、崩れていく大岩を、見上げ続けることしかできない状況に無力感だけが増していく。


「もっと速く。頼む、キーン……!」


 これが最速だと分かっている。それでも、言葉にせずにはいられなかった。

 こんな遠くからだって、いや、遠くからだからこそ、均衡が崩れ敗北へ向かっていることに気づいてしまう。

 一秒でも早くあの場に立ち、戦わなくてはならない。だが――果たして、自分にできることはあるのだろうか。


 空を飛ぶあの魔鳥に届く力がない。

 黒羽根から仲間を守ることもできない。

 浄を待たぬこの身では瘴核を祓うこともできない。


 何より、指揮を担う一人なのに、この流れを変える一手すら見つけられない。


 ああ、できない、できない、できない。

 いくら考えても何も役割を見つけられない。

 引き上げられるまでの長く、短い十数秒がただ浪費されていく。

 

――これでは案山子も同然だ。

 

 砕けた大岩の一つに引き上げられたガウルは自嘲を浮かべ、


「――ガウル、好機だ」


 隣に降り立った父の言葉に目を見開いた。


「結論から言おう。今ならカウンターで喰牙を当てられる。準備をしろ」


「何、を。当てられるわけが……」


 反論をしながらも、必殺トランプ・ワンの準備に入る。

 ベンは無駄なことを好まない。準備をしろ、というからには息子ガウルにも役割があるとベンは考えている。


 それは今のガウルが渇望してやまないものだ。


「今までより飛行速度は遅く、風が弱い。おそらく、羽根を飛ばすのと、あの黒い竜巻に風を使っているのだろう。何より、ファイの攻撃が当たっていた。あの竜巻を纏う突進は脅威だが大きな隙でもある」


 足りなかったピースが見つかったかのようにそのパズルが急速に完成していく。

 父の言葉と目の前の現実を照らし合わせ、ガウルは己の果たすべき役割を見つけ出す。


「……問題は威力が足りない可能性が高い」


「その通りだ」


 ガウルの呟きにベンが満足そうに頷く。

 ファイの【金剛浄星(アダマント)】は【魔弾】の術式を中心とした魔法。

 だが、精霊や神霊魔具によって増幅された威力は決して下位には留まらない。

 加えてその属性は魔鳥と相反する浄の属性だ。


 それを弾く竜巻の上から、魔鳥を仕留めることができるのか。


 そんな懸念があったからこそベンは単独では行かず、ガウルに必殺の準備を求めたのだろう。


「トランプ・ワン、喰牙を二連続で当てれば……」


「ああ、撃ち落とせる。準備はできたな。行くぞ、あの鳥が距離を取った」


 やるべきことは理解した。その覚悟も決めた。だが、悠長に段取りを詰めている余裕はない。旋回する魔鳥の周囲では黒い風が渦巻いていた。

 張り巡らされた茨をガウルは駆け、魔鳥の前へと身を躍らせる。


(ティガードの誇りであるこの牙で終わらせる……!)


 この竜巻さえ止めればいい。そうすれば父が、友が、皆がいる。

 青い魔力を電光の如く閃かせながらガウルはティガード家が代々継ぎ、研ぎ澄ましてきた必殺を魔鳥へ向け――背後から頭を小突かれた。


「後は任せたぞ」


 父の背が目の前に現れる。それはガウルにとって信じられない光景であった。

 一瞬の空白。

 手を伸ばすことも、声をかけることもできないまま背は遠のいていく。ガウルに似た青い光を閃かせ、ベンは黒い竜巻へと敢然と立ち向かう。


――違う。それは俺の役割だ。


 その背に怒りが湧き上がる。

 王を倒したら終わりなのではない。瘴核を祓ったら終わりなのではない。指揮官は浄化師を、仲間たちを一人でも多く生かし、帰す義務がある。

 分かっているはずだ。

 あの竜巻に喰牙を撃つ危険性を、どちらが指揮官として優れているのかも、生き残らなくてはならないのが誰なのかも、何もかも分かっているはずだ。


「何で……!?」


 振り返れば訓練ばかりの人生だった。父としての姿などガウルは知らない。

 戦い方、『K』を賜った貴族としての振る舞い方、ベンとの関わりとは騎士の訓練以外の何物でもなかった。


 なのに、なんでここで『騎士』から外れるのか。


「喰牙!」


 父は語らず、必殺を叫ぶ。

 青い螺旋が周囲の魔素を喰らいながら切っ先に収束していく。奇しくも似通った螺旋を描きながら青と黒は衝突し――空気が爆ぜた。

 剣を突き出しながら、吹き飛ばされそうになる体を強引に前に進める。

 同じ青い輝きが照らす先に父の姿はない。あるのは片翼をもがれ、深々と体に剣が突き刺さった魔鳥の姿のみ。


「逃がさない。必ず当てる!」


 体勢を崩した魔鳥に肉薄する。

 吹き飛ばす暴風はない。朽ちる黒羽根も飛んでこない。

 父の必殺は邪魔な全てを吹き飛ばして、魔鳥までの道を作り上げていた。


――まったく。


 過保護な父親だった。この一瞬で言いたい文句がどれほど増えたことか。

 でも――もう届かない。

 溢れる怒りを剣と魔力に込めて、ガウルは同じ青い螺旋を空に描いた。


「喰牙!」


 深々と必殺の牙が魔鳥に突き立つ。

 確実に心臓を貫いた。その手ごたえがあった。

 しかし、王は未だ終わりを迎えない。振りほどこうと暴れ回る魔鳥の体にガウルはしがみつき――突き刺さった父の剣に手を伸ばす。


「まだ、俺たちの必殺は終わってないぞ……!」


 ガウルはその背から一瞬たりとも目を逸らさなかった。

 だからこそ、ベンのトランプ・ワンが終わっていないと分かっていた。

 突き刺さった二つの剣から青い光が溢れる。白き騎士が研いできた必殺の牙がただ貫くだけのものであるはずがない。

 受けろ、ティガードの牙と咆哮をその身に刻め。ありったけの声でガウルはその名を吠えた。


「――覇哮!」


 二つの青が魔鳥を喰いちぎった。

 喰牙覇哮。

 魔力を集中させ、それを解放することで、二段階の刺突を一点に叩きこむ必殺。

 周囲の魔素を貪欲に喰らう牙からは逃れられず、猛る咆哮により貫いた一点から敵を喰い散らかす。


 魔鳥は無惨な姿で崖に叩きつけられ――それでも、その目は攻撃の意思を失っていなかった。


「なっ!?」


 残った片翼から大量の黒羽根が溢れ出す。

 歪に膨れ上がった片翼は魔鳥の体よりもはるかに大きい。

 再生する力を全て羽根に回している。そうとしか思えなかった。


(……死を覚悟した最後の攻撃か!)


 この峡谷を埋め尽くすように黒羽根が舞っている。【魔壁】では防げない。【ウェント】で逸らすにしてもチェレンとハウだけでは不可能だ。

 瘴核を祓えないまま相打ち。そんな結末がガウルの脳裏を過ぎり、


「【デ――ス・ウェント】」


 絶望を颶風が吹き払った。


 ありえない風だった。

 空に舞っていた黒羽根を全て吹き飛ばすような風なのに、茨にぶらさがっているガウルにはそよ風しか感じなかった。

 ウェントの声さえ聞こえなければ、これが風によって起こされた現象だとも思わなかったかもしれない。


「何の、音だ?」


 リィン、と峡谷に鈴が鳴るような音が木霊していた。

 見上げれば黒雲の隣、大岩の足場すらない宙に誰かが立っていた。


「エリュ、テイア……?」


 ずっと姿を見なかった浄化師の姿があった。だが、様子がおかしい。

 浄化師の白装束は赤く染まり、その表情はどこか虚ろだ。まるで死人が動いているかのように生気がない。

 いったい何が。しかし、そんな疑問も再び溢れた黒羽根に吹き飛んだ。


「まずい……!」


 先ほどとは違う。

 その羽根は全て瘴核を解放しようとしているエリュテイアに向いている。

 止めようと飛来する仲間たちの攻撃など魔鳥は歯牙にもかけていない。明滅し、色褪せていく黒雲の前に立つエリュテイアだけを見続けている。


「シリュウゥゥウッ!」


 友の名をガウルは叫び、がむしゃらに【魔弾】を魔鳥へ叩きこんだ。

 

 お前だ。お前の役目だ。大衆の前で告白して大恥をかくほど好きなんだろう。

 こんなところまで追いかけてこれるほど好きなんだろう。

 酒を飲みながら愚痴るだけのあんな情けない姿を晒せるほど好きなんだろう。

 なら、お前が守れ。守ってくれ。

 

 溢れ出る思いを乗せただけの乱射。

 きっと、それはほんの一瞬しか黒羽根を止めることはできなかった。

 しかし、


「――ガウル、助かった」


 その一瞬があったからこそ、シリュウは想い人を守る機会に間に合った。


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