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盤上のピーセス  作者: 悠々楽々
外伝
111/196

禽忌の庭Ⅷ

 誰の声も聞こえない。目を開けていることすら難しい。

 そんな暴風の中で、シリュウは己の腰に巻きつく茨にしがみついていた。

 体に当たる風が痛い。大岩に叩きつけられるたびに肺から空気が吐き出される。こんなに風が満ちているのに、吸い込めど吸い込めど息苦しい。

 終わらない。十秒が過ぎ、一分が過ぎ、それでも、この風が止まる気配はまるでなかった。


(道理で魔物がいないわけだよ……!)


 魔物の姿がなかった理由を思い知る。単純な話だ。こんな風の中で飛べるわけがない。

 この暴風域は王の存在しか許さない、傲慢にして孤高の領域だ。


(……あいつら、無事だろうな)


 腰の白い茨はまだ発現している。ならば、術者のキーンと彼を風から守っているはずのファイは無事だろう。危険なのはこの風を防げるファイの防御範囲に入っていない『J』以外の部隊だ。


(落ち着け。エリュとチェレンは大丈夫だ。あいつらには精霊魔法がある。リタもさっきみたいに対応できる。なら近くのトリウィアたちだって生きてる。ガウルやベンさんは俺が心配するだけ無駄だ)


 暴風に弄ばれながら、シリュウは刀を手放さぬように強く握りしめ、ただその時を待つ。

 茨の先に繋がれた仲間たちの体は無惨なものだった。

 あたかも、粘土で作った人形をちぎったかのような酷い最期。あれは決して、風だけによるものではなかった。


 来るはずだ。死した仲間たちと同じこの状況ならば必ず。


 荒い呼吸をシリュウは少しずつ整えていく。

 まぶたの裏に広がる黒の中、音や痛みを感覚から切り離し、ただ魔力のみに意識を集中させる。

 構えはどうでもいい。一番振りやすい姿勢で、体は柔らかく、気は刀を中心に全身に張り巡らせろ。何をするかは考えるな。反射で振れ。無心で、相手の姿だけを意識に――


「――焔閃火っ!」


 怒号とともに爆炎が暴風を引き裂いた。


「くそがっ!」


 これ以上ない最上のタイミングで振るった必殺。

 しかし、切っ先が触れたと思った瞬間、魔物は幻影のようにシリュウの感覚からすり抜けた。


(ちっ、どんだけ逃げてんだよチキン野郎!)


 間合いの内にあったはずの気配は遥か上空へ遠ざかっている。

 あの様子では斬るどころか、火傷の一つもないだろう。

 ただ、シリュウの必殺は無意味なことではなかった。

 爆風により大きく浮き上がっていたシリュウが茨に引き寄せられる。びたん、と叩きつけられるように着地したのは四方を格子の如く囲った岩の足場。

 そこには心配していた仲間たちの姿があった。


「シリュウ、怪我は!?」


 もっと優しく引き寄せろよ、という不満も胸を満たす安堵にはかなわない。

 駆け寄ってくるエリュテイアにシリュウはほっと吐息を零す。


「ああ、全身痛いくらいで済んでるな」


「良かった……じゃあ、あの鳥をいつでも斬れるように準備しておいて」


 エリュテイアの手が背に触れると同時に【浄光(ルクス)】がシリュウの体に灯る。

 心配は一瞬だけなのかなど文句は多々あるが、悠長に座っている時間などないのは分かっていた。

 エリュテイアを始めとしてこの場には多くの仲間の姿がある。

 アスケラ、ファイ、キーン、リタ、トリウィア、そして、ベンやガウルたち。

 だが、その姿に抱く安堵は一瞬で、すぐに切迫した現実を彼らの表情で思い知る。


「エリュ、駄目だ。風が強すぎる!」


「分かった、すぐいく! いい、シリュウ。足場を一度崩されて今は瘴核は上にある。動きたいけど風が邪魔。だから風を起こすあの鳥をなんとかする。これが今の状況、分かった?」


「ああ。あのくそ鳥がうっとおしいってのはよく分かったよ」


「なら私は行く……死なないでよ」


 少しだけシリュウを抱きしめ、エリュテイアは離れていった。

 彼女が向かう先ではチェレンを中心に、精霊魔法や『風』の魔法を使えるものが必死に暴風を弱めている。

 それでも足場は軋み、今にも吹き飛ばされそうな風が体を叩く。風を防ごうとした【魔壁】は意味を為さす、反撃の魔法は砂塵に霞む彼方へ消えていた。


「くそ、当たんねえな。トリウィア、気張れお前の領分だろうが」


「こんな風で矢が狙い通りに飛ぶわけないじゃないですか! ファイ総長こそ、どうにかしてください!」


「無茶言うな! 俺は足場を維持しながら攻撃してんだ。こんな爺さんに鞭打つんじゃねえ」


「いつもは年寄り扱いすんなって言ってるくせに!」


 ファイとトリウィアが空を飛ぶ王へ魔法を放つが掠りもしていない。

 暴風のせいで王の姿を視認することも難しいのだ。せめて近づかせないようにと弾幕を張ることしかできない。

 だが、そんな雨の如き白と山吹の弾幕を影は舞うように躱していく。

 止めることはできない。近づかせないことすらかなわない。魔物の王は障害など何もないかのように自由自在に空を飛び、幾度もこの岩の足場を通り過ぎる。


 そのたびに、足場の中央で白い茨が狂ったように暴れ回っていた。


「シリュウ、来てくれ!」


 ガウルが呼びかけるよりも早くシリュウは立ち上がっていた。

 穴から垂らされた白い茨を懸命な顔でキーンが引き寄せようとしている。

 ガウル、アスケラ、ベンの三人がその背を支えて手伝っているが、激しく揺れる白い茨に体勢を崩され、踏ん張ることすら難しい様子だった。


「ああ、手を貸す!」


 急いで駆け寄ったシリュウがキーンの背後から白い茨を握る。これで、茨を引くのは五人となった。それでも、暴れる茨を押さえられず穴に引きずり込まれそうになる。


「うおっ! おいおい。これで生きてんのかよ」


 この先で何が起きているのかは想像がつく。

 先ほどのシリュウと同じく、この茨の先にいる者は魔鳥に襲撃されている。

 それも何度も。茨の動きを見る限り、シリュウのように迎撃しているわけでもないだろう。

 何度もあの速度で飛び回る王と衝突し、生きていられるのだろうか。

 当然の疑念に、食いしばった歯の隙間から漏れるようなキーンの声が答える。


「あの鳥は死体の方には見向きもしなかった。襲ってくるということは、茨の先にいる奴はまだ生きている! だからこそ、助けなくてはならない。こいつはあの鳥の攻撃を耐える手段を持っているということだからな!」


「まじかよ。なら、さっさと引き上げねえとだが全然引けねえぞ、この茨! 縮めたりできねえのか?」


「できればやっている! あの鳥が衝突するせいで茨を保つだけで手一杯だ。何とかできるとしたらお前の方だ、シリュウ!」


「ああ、お前を引き上げるときは茨が軽かった! 一体何をした?」


「何か……襲ってきたのを焔閃火でぶった切ろうとした、くらいか?」


「――なるほど。エリュテイア!」


 ガウルへの返答で何かを確信したのか、ベンがこの暴風に負けぬ声を轟かせる。


「あの鳥が旋回したタイミングで爆発を起こせ。当てることを考えず、ただ前を塞ぐように撃つんだ。ファイ、トリウィアはロン、ペケを加えて攻撃を続けろ。アスケラ、リタは【時遠(しおん)】、【浄呪(テラー)】の準備だ」


 騎士団長の揺るがぬ号令と同時に再び茨が激しく揺れる。体を反らして踏ん張るシリュウは視界に入った影に大きく目を見開いた。


 たった今、真下を通過したはずの魔鳥が空にいた。


(どんだけ速いんだよ……!)


 見間違いでも、あの魔鳥が二羽いるわけでもない。

 霞む空の先にいる王の影は確かに空にあって、そして、大きく旋回しようとしていた。


「上だっ!」


 爆音がその声に応えた。

 飛行の阻害だけでは満足できないと叫ぶような爆発が砂塵と暴風を押しのける。生まれるたった数秒の凪。その無風の空へと数多の光が打ちあがる。


 魔鳥の速度は目に見えて変わっていた。黒い羽毛、緩やかなカーブを描く大きな翼、二股に分かれた長い尾羽。どこか燕を思わせるその姿をシリュウが視認できるほど失速している。


 それでも足りない。光の間隙を縫うように魔鳥は飛びまわり、やがて、ふわりと凪が終わった荒れ狂う空へ飛んでいった。


「は……意味わかんねえ、何だよあれ」「嘘だあ、あれで当たらないの?」


 ファイとトリウィアと共に攻撃したロン、ペケが呆然としている。

 だが、あの攻撃は先ほどのシリュウの攻撃と同じく無意味なものではなかった。


「おい、無事か!」


「ああ、生きて、るよ。ありがとな、キーン……」


 ようやく引き上げられたファスターがキーンの声に弱々しく答える。

 体は血で真っ赤に染まり、傷のない場所を探す方が難しい。これで生きていて、意識も失わず会話ができていることが信じられないほどだ。


「アスケラ、【浄光(ルクス)】を」


 ベンが近くにいるキーンではなくアスケラに治療を命じる。

 満身創痍のファスターに白い光が灯るが、明らかに【浄光(ルクス)】だけで治し切れる傷ではなかった。


「よく耐えた。悪いがまだ意識は失うな。情報が少しでも欲しい」


「分かってますよ、鬼騎士団長殿。だけど、俺から言えるのは、あいつが突進し、ごほっ、てきて俺がそれに耐えれたってことくらいだ。あとは、これだ」


 そう言って、ファスターは固く握りしめていた拳を開く。

 そこには、血で染まったあの魔鳥の羽根があった。


「あの速度で飛ぶ相手によくむしり取れたものだ……ふむ、そこまで硬くなさそうだな。使ったのは【強化】と【魔鎧】だな」


「俺の肉体も忘れずに……ま、この様で、すが」


「だが、お前は生きていて、その五体はまだ動かせる……」


 一瞬の逡巡の後、ベンは再度指示を飛ばし始める。


「ロン、ペケ! ファイとトリウィアの代わりをしろ。魔力を溜めさせたい」


「俺たちじゃ一分も持たないかもっすよ!」


「大丈夫だ。お前たちなら三分は持たせられる」


「光栄ですねっ!」


「チェレン、お前たちの状況は?」


「ハウがそろそろ限界です。アイラと二人なら十五分程度、それで魔力が枯渇します。エリュに全力を出してもらっても、三十分は無理でしょう」


「エリュテイア、咆閃華はあと何発撃てる?」


「二発で限界」


「分かった。ハウは一先ず休んでいろ。リタとアスケラは先ほどと同じく足止めの準備。残りは魔力を溜めておけ。この状況を打破するためにはまず、あの鳥を止める必要がある。ゆえに、ファスター――もう一度降りて、あの鳥を捕まえる。その意思があるか?」


 それは。ここで死ねるか、と問いかけているも同じだった。 

 たった今、死地から戻ってきた満身創痍の仲間への、あまりに無情な問い。生まれた静寂を破ったのは、この作戦に関わるであろう一人だった。


「無理だ。その体でできるとは思えない。囮でいくとしても他に……」


 キーンの声が途切れる。

 シリュウや他の仲間たちも何も言うことができない。

  

 無情な指示だ。

 しかし、この指示には数式の如き正しさがあると皆が分かっていた。


 茨の先に囮を括り付ければあの魔鳥は仕留めにくる。今までの行動から考えて、その可能性はかなり高いはずだ。つまり――自由自在に空を飛ぶあの魔鳥を準備をし、囮に罠を仕込んだうえで誘い込める。


「団長、私なら――」


「そうだな。お前とシリュウ、そして、私なら可能性はあるだろう。だが、それはあるだけだ。もう失敗している手を打っている余裕はない」


 ガウルの提案をベンは即座に切り捨てた。

 確かにシリュウ、ベン、ガウルのトランプ・ワンなら近づいてきた魔鳥に対して有効打を与えられる可能性は高い。

 だが同時に、攻撃が当たらない可能性が高いことも確かだった。


(くそ……)


 その答えを導いたのは自分の一閃。シリュウは強く拳を握りしめる。

 焔閃火を外した。おそらく、これ以上はないタイミングで振るった必殺だったというのに、あの魔鳥には掠りもしなかった。それはつまり、焔閃火に近いトランプ・ワンであるベン、ガウルの喰牙も外す可能性が高いということだ。

 対して、ファスターはあの魔鳥の突進を何度も耐え、その羽根をむしり取っている。それにファスターならチャンスは一回ではない。

 あの魔鳥を止めるためにどちらの手を打つべきかなど明らかだ。


「はっ、つまり俺にしか、できねえってことだな」


 豪快にファスターが大笑する。この面子の中で自分にしかできないことがある。それが心底、愉快でたまらなそうな笑みだった。


「やるぜ」


「その勇気に敬意を。ファスター、キーン、アスケラであの鳥の動きを封じる。ファイ、その間に足場を瘴核の位置まで伸ばせ。トリウィア、動きを封じたあの鳥を叩け。準備ができ次第、動くぞ」


 ベンは魔鳥の動きに注視しながら各員に細かい指示を飛ばしていく。

 その指示に迷いはなく、二分と過ぎずファスターの胴は再び白い茨で覆われた。


「大丈夫か? あそこの段取りが終わったら作戦開始だぞ」


 ファスターに話しかけたシリュウの視線の先では、ベン、ガウル、トリウィア、アスケラの四人が話し合っている。それももう終わるだろう。刻一刻とその時は迫っていた。


「十分だ。とっくに絶好調だ」


「そうか。ほらよ、【火】だ。あんたも使ってんだろ。少しは足しにしてくれ」


「お、流石は駒者(ピーセス)上がりの騎士様だ。気が利くこって」


 叩いたファスターの背に『火』の魔力が灯る。

 これからファスターが行使する魔法は【強化《堅牢》】、【魔鎧《筋肉》】、【火】。三種の魔法、それも全力の行使となれば間違いなく肉体だけでなく、魔力も大きく削られていく。

 だからこその【火】。もっとも、これは気休め程度の助けにしかならない。せいぜい煙草の火を分け一服するようなものだ。だが、そんな少しの助けにファスターは口角を上げた。


「隣、座るぜ」


「おお、あんたも今はやれることないもんな」


 全く持ってその通りだった。あの魔鳥に届く手札はなく、消耗も激しい。おそらく、この場で一番できることが少ないのがシリュウだ。

 うるせー、と零しながらシリュウは大男の隣に腰掛ける。時間に余裕なんてまったくないはずなのに、置き去りにされたような静けさがここにはあった。

 ただ合図を待ちわびる空白。

 やがて、その間隙にファスターの呟きがポツリと落ちた。


「……なあ。結局、駒者(ピーセス)の連中は俺で最後の一人になっちまったな」


「……そうだな」


 この最奥にたどり着いたときは、まだ何人か駒者(ピーセス)はいた。

 しかし、この場にファスター以外の駒者(ピーセス)はいない……シリュウと共に魔瘴方界(スクウェア)に越境した駒者(ピーセス)はもう、誰も残っていない。

 一体、最初からどれだけの人がいなくなったのか。

 シリュウは知らないし、正直、知りたいとも思えなかった。


「嫁さんがいるだの、子供が東にいるだの、酒飲みながら偉そうに言ってたくせに皆して死んじまった。大した理由もねえ俺が生きてんのにな。守るものがある奴は強いとか、ああいうのは嘘なんかね」


「さあな。まあ、多少は力になるんじゃねえか。それにそういう理由で命を懸けた奴に後悔はねえだろうさ」


「ああ、そういう理由・・・・・・で戦うあんたが言うと説得力があるもんだな」


「うるせえよ」


 まったく、騎士選定(セレクション)での出来事はどれだけ周知されているのか。

 広めまくった元凶を是非ともぶん殴りたいが、その場合、真っ先に鏡に映る馬鹿を殴らねばならないだろう。


「はは……なあ……」


「なんだよ?」


「最初の風……あれで吹き飛ばされた奴ら生きてると思うか?」


 きっと、これが本題・・だ。シリュウは何となくそう思った。


「難しい、だろうな」


 最初の風はおそらく、瘴核に近づく敵を排除するための攻撃だった。その余波でシリュウはあれほど吹き飛ばされたのだ。直撃を受け、障害物なんて一つもない空へ吹き飛ばされて無事だとはとても思えなかった。

 それに、たとえ生き残ったとしてもその先に待つのはここまでの道程、絶え間なく降り注ぐ鳥たちの襲撃だ。

 最奥にたどり着いたと思ったら双六の如く降り出しに戻される。その後に待つのは強引に突破してきた試練のマス。賽の目は鳥の気分次第。ここまでの道程を体感しているからこそ、シリュウは生きているなんて安易な言葉は出なかった。


「そうだな。そうだよな……」


 燻る希望を消そうとしているかのようにファスターは繰り返す。

 彼の”理由”をシリュウが聞くことはなく、やがて、途切れた会話を埋めるようにベンの声が響いた。

 ファスターが立ち上がる。その背には【火】だけではない熱が揺らめていた。


 そして、彼は一度も振り返ることもなく、王の暴風域へ身を投じた。


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