禽忌の庭Ⅵ
――頑張った。俺はここまで来るのにとっても頑張った。
紅蓮のトンネルを駆けるシリュウはこれまでを振り返り、改めてそう思う。
惚れた女に追いつくために、数多の障害を斬り伏せてきた。
王様に直談判しに行き、気球に乗って、飛び降りて、なんか戦っていたリタたちと合流し、鬱陶しい鳥どもがなぜだか作ってくれた道を進み、だだっ広い野原で戦っていたファイたちと合流した。
そして、共闘している最中、聞き覚えのある爆発音を耳にした。
そこからは一直線だった。
邪魔な鳥と木を斬って焼いて斬って焼いて斬って焼いて、進みに進んで、ようやく惚れた女に追いついた。
それで「殺れ」とばかりに『暁』が詠唱されてたから、ぶっ放した。
きちんと鷲と獅子の混魔は倒したし、『暁』の残滓である赤い蒸気でトンネルを作ることで、今も比較的安全に王域を進むことができている。
ほら、やっぱり自分は頑張っている。それなら……
「……もうちょっと褒めてくれてもいいと思うんだが」
褒め言葉やお礼は一瞬、その後はずっと猪突猛進な行動へのお叱りであった。
ファイとベンからはありがたい拳骨、キーンからはありがたい苦言を頂いた。
ここまでずっと死線を共にしてきたのに、リタやトリウィアたちからはフォローの一つもない。そのかわり、「ざまあ」と言いたげなありがたい眼差しだけはたくさん頂いた。
「シリュウ、喉乾いた」
挙句の果てに愛しのエリュテイアからすら何の労いもない。
あるのはこんな、パシパシと頭を叩きながらの催促だけ。我慢できず、ここはキッスの一つでもあるのではないか、と言ったら鼻で笑われた。
解せない。シリュウは今、深い悲哀の中にいた。
「……ポーションでいいか?」
「ん。その次はなんか食べるもの」
背負うエリュテイアの口にポーションを突っ込む。
先ほどの『暁』で疲労した彼女はぐったりとシリュウの背に体重を預けている。手を動かすのも億劫なのかクッキーすらシリュウが背中越しに食べさせていた。
「あー、義母さんのクッキーだ。やっぱ、おいしいなあ」
「ほぼ毎月送られてくんのによく飽きねえよな。アスケラはどうだ?」
「ん」
「魔物三体処理完了。シリュウ、私にもポーションとそのおいしそうなクッキーを。それと魔石もお願いします。魔力がけっこう減っていってるんです」
「そりゃあ、いいが……」
渡したくても届かないトリウィアを見上げ、シリュウは少し考える。
「投げるか。ほら、いくぞー口開けろー」
「……撃ちますよ?」
今の隊列は縦列。ガウルと特に実力のある数人が前方、シリュウとエリュテイアたち浄化師が中心、後方がベンを始めとした防御が得意な《白騎》の団員。
そして、トリウィアが上だ。
リタの【浄呪】により部隊の真上に固定されたトリウィアはもうずっと【魔矢】を撃ち続けている。
紅い蒸気では仕留め切れない上位の魔物、上空からの狙撃、道を塞ぐ魔物の壁。絶えず押し寄せる妨害にも足を止めず、走り続けることができるのは『固定砲台』となっている彼女のおかげだ。
「【魔矢】多重展開『アポロウーサ』まで十秒、並列処理で【魔矢】掃射。上から狙撃、前方上位一体、左は無視できる、右は毒もち処理が必要、後方は無視」
機械のような声がトリウィアの口から零れていく。
対処すべきことが多すぎるのか、走り始めてから彼女はだいたいこんな調子だ。
そんな忙しすぎるトリウィアに浮かんだポーションやクッキー、魔力回復用の魔石が運ばれていくが、口を動かす間も、魔石を握っている間も、豪雨のような山吹色の光は一向に降りやまなかった。
「ひひっ、頑張ってトーリ」
「はい。まだ大丈夫です」
いくら【魔矢】が下位の魔法でも、こうも連発すれば普通は魔力切れになる。
トリウィアを支えながら鳥の足止め、『浄』による矢の強化、時折【浄光結界】による部隊の保護をしているリタもそうだ。しかし、二人の表情に焦りはない。
「あ、クッキーおいしか、ん、また上から――二発相殺。次は前ですね。『アポロウーサ』を前方に掃射、上位の足止めに成功、他は殲滅確認。続けて上空の処理、【魔矢】集束展開『イーオケアイラ』発射まで……」
また山吹の矢が近づく鳥を撃ち落とした。
浄化師の守護者たる力を示すトリウィアとそれを『浄』で支えるリタ。彼女たちの力は禽忌の庭を進むうえで、この上なく噛み合っていた。
(……これで、なんで外されてたんだか。俺もこいつらも最初から入れておけよ)
結果論だが、シリュウはそう思わずにはいられなかった。
射撃に偏った魔法陣、若手の浄化師であることが考慮されたとか、そんな理由すら馬鹿げていると思えるほど二人は活躍していた。
「……まあ、この調子ならしばらくは大丈夫そうだな」
魔瘴方界の規模はある程度分かっているため、中心までの距離も予想できる。
そのうえで部隊の速度を考えれば、二人の魔力が尽きる前に最奥にたどり着ける――が、今の状況を作り出しているもう一人は限界が近かった。
「うん。だけど……ごめん、私はもう……」
背中に感じる重みから力が抜けていく。離さぬように強く背負いなおしながら、シリュウは前後の指揮官に向けて叫ぶ。
「ガウル、ベンさん、エリュの意識が落ちる! 蒸気の効果が薄れるぞ!」
「薄れる? エリュテイアが意識を失ってもこの蒸気は解除されんのか?」
「俺と精霊だけの制御になる。それだと、もって三分程度だ!」
「おいおい根性出せ、倍は持たせろ」
すぐ前を走るファイから活が入るが、シリュウと精霊を繋いでいたのがエリュテイアなのだ。むしろ、仲介役のエリュテイアが気絶しても三分持たせられることに根性を感じてほしい。
「分かった。部隊の速度を上げるぞ。最奥までそう距離はないはずだ。この状態で最奥に突入し、瘴気の核を祓う! 王が存在すれば現在前衛の『J』は私と共に王の相手。後衛の『K』は追ってくる魔物たちの足止め、『Q』は魔瘴方界の解放と援護を頼む!」
冷静に判断を下したガウルの指示に、新たに再配置された三部隊から「了解」と声が上がる。
不満など欠片もない。皆がガウルが率いることを認めている。ただ……
「団長、これでいいですか?」
「ああ、そこで私に確認をとること以外に異論などない!」
ガウル自身はどうも違うようだった。謙虚とも頼りないともとれる姿勢に、後方の《白騎》団長からお叱りが飛んでくる。それを《白騎》団員たちが茶化すから、部隊の雰囲気はこんなときなのに明るかった。
「大丈夫そうかな……シリュウ、あとお願い。最奥に着いたら起こして……」
耳元に安堵の吐息がかかる。
だが、シリュウの内心は安堵とは程遠い。長い時間を共にしてきたのに、これほど弱っているエリュテイアを見るのは初めてだった。
「最初から俺をつれてくればもう少し楽ができただろ」
「そう、だね」
「……なあ、なんでだ?」
あっさりとエリュテイアが認めたからだろうか。
聞く意味はないと思っていた言葉はするりとシリュウの口から零れ落ちていた。
「分かるでしょ」
「そうだな」
足りない言葉をわざわざ埋める必要は二人にはない。
その証拠に、微睡みに沈んでいく声もそれに答える声にも迷いはなかった。
――必要だったのは禽忌の庭というピースだけだった。
東都リィストと葉風の町リーフに近い魔瘴方界の危険度が上がり、攻略が必要となった。それを聞けばシリュウには十分だった。
エリュテイアは自分ができることを他者に任せない。
この禽忌の庭で行使した『咆閃華』や『暁』のように、自分が打開できる手段を持っているなら彼女は前に出ることを躊躇わない。
魔力が『浄』に変質したときもそうだった。
シリュウが思わず口にしてしまった「黙っていればいい」という言葉に、「それはズルい」と笑ってエリュテイアは自分から王都に発ったのだ。
浄化師だから、ではない。
たとえ『浄』なんて力がなかったとしても、エリュテイアは禽忌の庭の攻略に参加していたはずだ。
東都リィストの孤児院には家族がいて、葉風の町リーフにだってエリュテイアが浄化師になってから出資している孤児院がある。《白騎》が参加していることも、浄化師になったときと同じ理由の一つだろう。
彼女の性分以外にだってこんなに理由は転がっている。
だから、今更エリュテイアがここにいる理由を問う必要はない。
シリュウが本当に言いたいことは――
「……俺にくらい話せよ」
分かってる。エリュテイアは孤児院の子供たちを本当に大事に想っている。
血の繋がりがなんて関係ない。彼女にとっての家族はあそこで暮らした皆だ。
だから、姉役として皆が笑って生きられるように守りたいし、その人生が楽しいものであればいい。そう願っていることをシリュウは多分、誰よりも知っている。
一番近くでその背を見てきた。
だけど、シリュウがいたいのはそこではない。
これは弱音だ。
俺はお前の隣に追いついていないのか。まだ守られるだけの側なのか。
そんな不満から出た言葉だ。
答えは待てども返ってこない。
軍靴が葉を踏み散らす音、風を切る無数の矢音、けたたましい鳥の鳴き声。時雨のように降りしきる音の中に聞きたい声は響かない。
もう寝てしまったか。そう思って答えを諦めかけたときだった。
「最初はさ……」
ぽつり、と囁きが耳元に落とされた。
「シリュウに禽忌の庭のことを言わないとって思ってたし、約束どおり私の騎士になってほしいなって思ってたんだけど……なんでだろ。騎士選定でシリュウが勝ったとき……急に怖くなったんだ」
何も言わないで死ぬ方がよっぽどシリュウを裏切っているのに。
独りが寂しくて怖いなんてよく分かっているのに。
それなのに……どうしても一緒に戦ってと声に出せなかった。
うつらうつらと小さな弱音がシリュウの耳元に零れていく。それはきっと、こんなときでなければ彼女が決して口にすることはない本音だった。
「あーあ、シリュウはどうせ勝手に追いついてくるんだから、もっと一緒にいればよかったのになあ……」
ごめんね、と呟いたのを最後に、消え入りそうな声は穏やかな寝息となった。
「……ほんっと、自分の心配が足りねえ」
本当に”家族”のことばかりだ。
浄化師になろうと、何年も時間が経とうと、エリュテイアは昔のままだ。
あのクランに拾われた最初の孤児は誰より孤独を恐れている。皆の姉役だなんだと息巻いているくせに、彼女が一番おいていかれることを恐れている寂しがりやなのだ。
「俺は死んでも死なねえよ。なにせ、長生きしなきゃならねえ」
口角を上げ、シリュウは強く明るく声を響かせる。それは絶望ばかりが飛び交うこんな場所では何の根拠もない不確かな強がりだ。だけど、
「あの世で待ってるだけってのは暇そうだしな」
先にいっても待っている。
そんな意味が込められた一人だけに響く声は、僅かな揺籃に沈んでいく彼女の唇を確かに綻ばせていた。
――そうやって彼らは進んでいく。
未来を思い描き、励まし合いながら、各々の理由を胸にただ走る。
そして、彼らは到るのだ――禽忌の庭、その最奥の峡谷に。
百名近くいた隊員は二十人も残っていない。それでも、最奥にたどり着き、峡谷の中心に浮かぶ黒い雲――瘴気の塊を見た誰もが犠牲に報いることができると、この領域を解放できると、
そんな甘い夢を見ていた。




