禽忌の庭Ⅴ
――ね、ついてきても足手まといだったでしょ。
どうしてか、体が重かった。頬に感じる冷たい土と触れる草の匂い。倒れていることは分かっても、何でこうなったのかはまったく思い出せない。途切れ途切れの意識はまるで、眠りに落ちる数秒前のようだった。
――《Ⅲ》一体に手間取ってるくせに、よくもまあ私より強いだなんて言えるもんだよ、まったく。
――うるせえよ。
そんな微睡みの中で、エリュテイアは弟みたいな少年を突き放したことを思い出していた。
たしか、初めてその少年が魔物退治についてきたときのこと。意気込んで外についてきたくせに、まったく役に立たないまま家路につくその少年はボロボロで、軽く押しただけで倒れそうだった。それでも、怒ってるみたいに眦を吊り上げ、意地でも座ろうとしない。そんな、家族にも弱さを見せようとしない様子に呆れながらの言葉だった。
――あれじゃあ邪魔なだけだよ。アー坊みたいに家の手伝いをしてくれてた方がよっぽどいい。私よりは器用なんだし。シリュウだってそんくらいわかってるでしょ?
気持ちだけで結構。
守りながらだと魔法をぶっ放すのにもいちいち気を遣わないといけないんだよ。
私だってさっさと魔物を倒してお金を稼ぎたいから、外でも子守をする気なんてないよ。
そんなことばっかり言って説得しようとしていた。もちろん、それは心配からだったが、お金稼ぎの邪魔になるというのも事実だった。
とあるクランのせいで子供ばかりが増えていくドラグオン孤児院。
その懐事情は常に逼迫していて、お金がいくらあっても足りないくらい。そんな中でも、孤児院として活動できるのは数少ない大人役が強いからだ。
わがままを通すには強くなければいけない。その強さは例えば、家計節約魔法と化した精霊魔法、安く買い物をする交渉術、寄付金を始めとした色んなものをもらってくる人徳、おいしくて栄養たっぷりの料理を作れる技術、一人で改築工事ができる器用さ、医者顔負けの医学や薬学の知識だったりと様々だ。
そして色んな強さがある中で、エリュテイアが誇れる強さは暴力だった。
一人で何でもできる義母と違って戦闘以外ではほとんど役立たずだったが、それだけは誇れるものだった。
空いた時間で魔物を倒しているだけだから指名依頼は受けられないし、場所を変えることもないし、知名度にも信頼にも興味がない。そう言って取ってなかったマテリアルを特例で進呈されるくらい、彼女は強かった。
だから、強くないシリュウがついてきても邪魔なだけ。
お金を稼げなくなれば、孤児院のご飯が貧しくなるし、エリュテイアはこの先も『頼りになる皆の姉』であるという、わがままを通せなくなる。『子供たちよりも家事が苦手な姉』ではいくらなんでも肩身が狭い。
これは私の沽券にも関わることなの、と語るエリュテイアは三分の二くらいは真剣だった。
でも、そんな説得など馬鹿はまったく聞いてなかった。
――うるせえ。ぜってえ追いついてそのままババアなんか周回遅れにしてやる!
――は?
ババア。
この禁句により、義母のしつけで被っていたネコはどっかへ吹っ飛んだ。
乙女にあるまじき暴言を吐きながら、ぎゃーぎゃー口喧嘩しながら家に帰って。ご飯を食べてる間も止まらなかったから「うるさいっ」と義母に殴られて。数日は話もしなかったけど「怖い」と子供たちに泣かれて仲直りして。
そんな、懐かしくて、もう決して戻れない過去をエリュテイアは微睡みの中で思い出していた――
「……いてて、あいつら絶対三倍返しだ。それに、まったくあいつは……」
緩む口元はすぐに苦痛に歪んだ。
数秒の微睡みから覚醒していくにつれて背中の痛みが強くなっていく。折れてはいないが、体を動かすと少し涙が出そうなくらい痛い。でも、お陰でエリュテイアははっきり思い出した。
こんなことになってるのはここに誘い込まれて、遭遇したあの魔物どものせい。出合い頭に吹き飛ばしてくれやがったあいつらはどこだ、とエリュテイアは顔を上げる。
その視線の先には、戦場があった。
遮蔽物のほとんどない開けた野原。空を仰げば無数の鳥の影が飛び交っており、振り返れば野原をぐるりと魔鳥の止まり木が囲んでいる。
そんな、鳥たちの狩場の中心では仲間たちが二体の魔物と戦っていた。
魔瘴種混魔アンズー。
魔瘴種混魔グリフォン。
アンズーは獅子の頭、鷲の体を持ち、グリフォンは鷲の上半身、獅子の下半身を持つ。
近似とも正反対ともいえそうなこの二体の魔物は、どちらもマテリアル《Ⅳ》に分類されている。
「まったく、運が悪いな」
痛みが完全に収まるのを待つ時間はない。
この二体を視認したと同時に、エリュテイアは走り出す。
禽忌の庭に入って、初めて遭遇した上位の魔物。それは大外れの二体だった。
この二体は単純な強さで《Ⅳ》に分類されている。グリフォンは遭遇が稀なのに加え、無闇に近づかなければ襲われることはない。アンズーにいたっては飛行能力を有するのに、この魔瘴方界の外で遭遇したという記録がない。
狂暴性、遭遇頻度等から考えられる危険度がほぼゼロにも関わらず、上位に位置する魔物。
その理由を近づくほどにエリュテイアは肌で実感する。
天地を問わず暴風とともに野原を疾走するグリフォン。
吹き荒れる嵐の中から雷撃を雨あられと落とすアンズー。
前進を拒絶する痛いほどの烈風、本能的な恐怖を煽る轟音と閃光はもはや魔物を相手にしているというより、自然現象と対峙しているようだった。
しかし、そんな猛威を相手に、仲間たちは抗い続けていた。
烈風を相殺し、雷撃を防ぎ、二体の魔物を大地に引きずり落とそうと魔弾が飛ぶ。《Ⅳ》という上位の魔物を相手にして一歩も引かず仲間たちは戦っていた。
個人の能力の高さ、ガウルの指揮能力、チェレンの精霊魔法、キーンの的確な援護。それぞれの力が訓練通りに機能している。
だからこそ、エリュテイアは焦っていた。
(トランプ持ちがほとんどいない。アスケラも!)
部隊の人数が足りない。それも、明らかに攻撃の核を担う者だけが減っていた。
偶然なんかじゃない。野原の至る所で誰かを啄んでいる小鳥の塊やエリュテイアを近づかせないように襲ってくるコルウスたちがそんな甘えた思考を許さない。
「タス、ケテ!」「マッテ!」
「随分とおしゃべりになったな、こいつら」
無数のカラスの叫びには歪んだ声が混じっている。
タスケテ、マッテ、カエリタイ、イタイ、イヤダ、クソドリ、シニタクナイ……。
おそらく、幾度も繰り返されるその声の意味をコルウスたちは理解していない。ただ、これを聞いた人間の反応は理解していて――その上でこの魔物はしわがれた人語を繰り返している。
「【ウェント】、【ウェント】、【ウェント】、【ウェント】――」
この魔物たちが怒らせようとしているならそれは無意味だ。
とうの昔にエリュテイアはキレている。ありったけの怒りと嫌悪をその目に込めて、エリュテイアは『風』の精霊魔法を束ねていく。
コルウスの叫びを誰かが助けを求める声と間違えたことも、
遠くで人を枝に突き刺している百舌鳥型のレイニアスに届かないことも、
倒れた人に群がり啄んでいる名も知らない鳥型の群れを止めらないことも、
全てが腹立たしい。
「失せろ」
幾重にも編まれた魔法がコルウスだけでなく、周囲一帯の魔物を薙ぎ払った。
それでも、彼女の怒りは収まらない。大気に漏れ始める紅に周囲の鳥たちが離れていく。
そんな魔物すらも恐れる女の背に声がかかった。
「ごほ、ごほっ……あー、随分と気合入ってると思ったら姐さんか。いやあ、助かったぜ」
「ファスター、生きてたんだ」
小鳥の塊が蹴散らされた先の一つにいたのは死体ではなく、全身傷だらけの駒者、ファスター・モーニンだった。
「正直、体の強度を上げる術式なんてどうかと思ってたんだけど、こういうときは役に立つね」
「ふはっ、俺の強化した筋肉を甘く見てたな。こんぐらいなんともねえな、くすぐったかったくらいだぜ」
強がりかどうか分かりづらい言葉だった。服の大部分が千切れ半裸になってるあげく、肌は血に濡れてない部分を探す方が難しい。おまけに、武器の鎖付き鉄球も見当たらない。まあ、本人は満面の笑みを浮かべてるし、傷自体は魔法の影響か塞がりかけているから、エリュテイアは余計な心配はしないことにした。
「ねえ、アスケラがどこ行ったか知ってる?」
「あの坊ちゃんなら、ほら、上だ」
「上?」
ファスターが指差した先に視線を向けると空を駆ける人影が見えた。だが、敵の姿がない。見えるのは空と雲と死者を待つ鬱陶しい鳥どもの影だけだ。
それでも、アスケラは何かと戦っていた。空を舞台に双剣を振り回し、ただただ孤独な演武を続けている。
「ずっと上の方に、ゴマ粒みたいな影がちらっと見えんだろ。そいつが上から狙撃してくんだよ。くらった感じだと、風を纏った羽根の弾丸ってとこか。着弾と同時に炸裂するんだが威力がやばい。俺の体でこんなんになるんだから、普通の奴ならお陀仏だな」
「……そう。それならアスケラしか対処できないか」
見えないほど上空にいる敵を狙撃できる者はこの部隊にはいない。加えて、視認も難しい炸裂する弾丸なんて攻撃を対処できる者も限られている。
必要なのは、相殺だ。至近距離で防げば吹き飛ばされ、《Ⅳ》との戦闘を阻害される。部隊から離れたところで、その羽根の弾丸とやらを確実に叩き落さなくてはいけない。
それができるのは感知能力が高く、空を駆けることができ、斬撃を飛ばすなどの迎撃手段を持つアスケラくらいだろう。
「……やっぱり、甘く見てたってことなんだろうね」
「ん?」
何人もいる部隊の中で浄化師のアスケラしか対処に適した者がいない。その事実が、そして、これまでの道程が自分たちの甘さを物語っていた。
あの遥か上空を飛ぶ魔物だってそう。ここは鳥型魔物の巣窟なのだから、飛んでいる魔物の対策は皆が用意している。それなのに、届かない。
「負けてる、か……」
力ではない。
本来、人が勝らなければならない他のもので敗北を喫していた。
飛行能力を活かした情報の収集と鳴き声による共有。
状況に応じた対策と連携を可能とする魔物らしからぬ知能。
おそらく、それらから成り立つ戦術こそ、この領域の特徴なのだろう。
そして、その戦術はこちらが想定してきた戦闘、魔物に応じた対策、不利な環境下での作戦など、用意してきた何もかもに勝っている。
魔瘴方界の調査という始めから今に至るまで、魔物たちに勝っているものは一つとしてない。
その事実を噛みしめる。
まるで、遊ばれるだけの鳥籠の中にいるような気分だった。
「……この鳥どもは私たちよりもずっと賢い。準備もしている。作戦でも連携でも負けてるし、裏をかくことも許してくれない。私たちはここでこいつらに勝つことはできない。それが事実……癪に障るなあ」
「お、おいおいどうしたんだよ、姐さん。んな、諦めたみた――」
「だから全部、ぶち壊そう」
「うん?」
ちょっと意味が分からない言葉がでたんだが、とファスターは首を傾げた。
「すまんが、頭の筋肉が足りない俺にも分かる説明をしてくれ」
「戦術で負けてるから正面突破。力こそ王道であることを見せつけよう作戦」
「おう、さっぱりだ」
どうやら、ファスターは頭の筋肉はそれほど鍛えていないらしい。エリュテイアの腰くらいの腕を持つ彼の瞳にはまだ理性が宿っていた。
ただ、殺意に満ちた瞳の女性の方が理性を失っているわけではない。
鳥籠の中にいて勝てないなら、鳥籠をぶっ壊して出ちゃえばいい。
そう冷静に判断している。何より、それを可能とする一手を、エリュテイアたちは持っている。
「ファスターは私を全力で守って。大丈夫、ちょっとの間だけだから」
「なるほど。それなら分かる。任せておけ」
そうして、快諾と同時に、ファスターが臨戦態勢を取る……取ってしまう。
それが始まりだった。
「ふー……茜、東雲。何をやるかはわかるよね?」
「にゃあ!」「わん!」
「よしよし、じゃあ……殺ろうか」
紅蓮。浄化師の白ではない、まるで彼女の本性の如き紅が戦場に吹き荒れた。
一瞬であれほど騒がしかった戦場が沈黙へと叩きこまれる。そして、全ての視線がたった一人へと集まった。
「やっぱ、分からんほうがよかった……」
痛いほど突き刺さる視線の圧力に、前に立つ大男の後悔が聞こえてきたがもう遅い。野原に咲き誇るこの紅蓮を見た全ての者が理解したはずだ。
必殺の一撃がくる、と。
「茜に燃えて……東雲に染まる……」
浮かび上がる数多の魔法陣。歌声のように響く声にしたがい、二匹の精霊が異なる赤の色彩を野原に広げていく。
あまりに濃密な魔力。紅き花が匂わす死の気配に、コルウス、レイニアスを始めとする下位の鳥型魔物が半狂乱に鳴きながら空へと逃げ去っていく。
「精霊二体の召喚魔法に幻想発現、おまけにトランプ・ワンってまじか! そんなアホみたいな魔力、制御できるのか! というか、俺一人であれを止めろってのかよ!?」
幻想発現であるがゆえに、それの危険度は人だけでなく魔物すらも理解できた。だからこそ、上位の魔物は眼前の敵を無視し、たった一人に狙いを定めている。
相手は自然現象の化身が如き魔物。それも二体。武器は無し、あるのは己の身一つ。ねえよ、と呟くファスターは明らかに引いていた。
「おおおおおっ! 姐さんならやると信じてるからな! 俺が死ぬ前に何とかしてくれえ! 【強化《堅牢》】、【魔鎧《筋肉》】、【火】うう!」
迫る二体の《Ⅳ》。天より降り注ぐ『風』の弾丸。しかし、今のエリュテイアは近づく死どころか、すぐそばの絶叫にすら気づいていなかった。
「黒の終わり。色づく空……今、彼方の地平に紅が咲く……」
紡ぐ声は止まらない。
空では土砂降りの雨が如き爆音が鳴っている。すぐ目の前ではファスターと追いついたガウルたちが必死にアンズー、グリフォンを止めようとしている。
しかし、それらを気にも留めず、エリュテイアはひたすらに赤を重ねていく。
気に留めていないのではない。気に掛ける余裕すらないのだ。
一瞬でも気を抜けば終わり。
制御を失った魔力は爆発し、無謀な術者は死を迎える。『必殺』の強化などあまりに無謀すぎる。でも、彼女の頭に失敗するなんて考えは欠片もなかった。
「拓け、黎明の一閃……」
今ならば、これが使える。
彼女と、二人と繋がりがある精霊たちだけは分かっていた。
あんな夢を見せた理由が近づいていることに。
一条の光が遥か上空の魔物を射抜く。二体の《Ⅳ》が大地の壁に阻まれる。暴れる魔物たちが凍ったように静止する。
そして、
「追いついたぜ」
「二秒遅い」
彼女の隣を過ぎ去る影に赤が集約していく。重なるは二輪の鳳仙花。紅に色づく本気の『咆閃華』が刃に灯る『焔閃火』と混ざり合う。
「本気かよ……」
誰かから零れ落ちたその言葉が、この場にいる全ての心情を表していた。
狂っていた。もう無謀なんて言葉ではとても足りない。同名の必殺が重なっていくその光景は人と魔物に立ち尽くすほどの畏れを抱かせた。
魔力の制御、精霊たちによる強化の度合い、解放のタイミング。確認しようのないタイミングがどれか一つでもズレればこの狂気に関わる全てが身を滅ぼす。詠唱はイメージの共有やタイミングの調整のためだろうが、こんなものでは絶対に足りない。もはや、自殺の道を突き進んでいるとしか思えない行為だ。
それなのに、狂気の中心地たる二人の唇は弧を描いていた。
「「幻双発現!」」
これは、二人で一つの『必殺』を発現する彼と彼女だけの技。
振りかぶるその刃の名は――
――『暁』。
赫灼に名は飲まれた。
術者すらもその黎明を直視することは叶わない。閉じた瞼の裏に赤が満ちる。肌を撫でる熱い風、遠くで弾ける火花、鼻孔に感じる焦げ臭さ。やがて、瞼を震わせるようにゆっくりと目を開くと、灰が雪のように空を舞っていた。
白い白い灰の世界。
緑の野原はどこにもない。黒い影も飛んでいない。煩い声も響いていない。エリュテイアの視界にあるのは彼方まで斬り拓かれた大地と炎の残滓。
それと、こんなところまで追いかけてきた馬鹿だけだった。
「よう」
馬鹿は地平に残る真っ赤な一線に「どんなもんだ」と得意げに笑い、「お前だけの手柄じゃねえだろ!」とばかりに茜と東雲に飛びかかられている。そんな、手を伸ばせば触れられるくらい近くに、いつかのいつもがあった。
胸が熱かった。どうしようもなく、視界が歪みそうになる。こうなる気がしていたくせに、これから逃げたかったくせに、馬鹿みたいに感情が溢れ出していた。
ああ、そうだ。
いつだってシリュウは私を追いかけてきてくれて。そして――
「もう、留守番は勘弁だぜ」
――私をおいていく。




