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第十四話 蹈みにじられた椿

一日の授業が終わった。


菊花と共に教室を出る。そして、職員室で部室の鍵をもらってきた。一年生の教室と同じ一階に職員室はあるので、下級生のほうが鍵を開ける確率は高い。


部室へ向かっている途中、菊花が語りかけた。


「いちごちゃん、そういえばプロットできた?」


「うーん、私はまだ。」


「難しいよね――いきなり作れって言われても。」


「まあ、数日で出来るもんじゃないらしいけど。」


部室の鍵を開け、中へ這入る。


テーブルに着いたとき、一冊の部誌が目に入った。


表紙には、「令和■年 夏季」と書かれている。


「――これ、去年の夏季誌?」


え――と言い、菊花は顔を向けた。


一冴は冊子を手に取り、目次を開く。


そして、次の文字を見つけた。


「蹈みにじられた椿     鈴宮蘭」

「人面瘡感染症      西内早月」


間違いない――封印されたという昨年の夏季誌だ。


――けれど、それが何でここに?


ともかく、『蹈みにじられた椿』のページを開いてみる。


『蹈みにじられた椿     鈴宮蘭


 加奈子が由紀子を見初(みそ)めたのは、中學二年生の冬のことでした。

 その日、遲くまで加奈子は美術室に殘つてゐました。加奈子は美術部で、次のコンテストまでに完成させなければならない作品があつたのです。――』


この作品も百合だ。


放課後、誰もいない校舎で、加奈子は一人の少女に出会う。雪の積もる中庭に彼女――由紀子は立っていた。低い背と黒い髪、切れ長の目。一瞬、紅い椿が胸に咲いているように見える。しかしそれは、加奈子の胸にもある紅いリボンだった。


やがて、誰もいない放課後の校舎で二人は逢瀬を重ねる。


そんなある日、加奈子は由紀子を押し倒した。


『「か――加奈子先輩、何するんですか?」

 「由紀子ちやん、私、もう我慢できないわ!」

 加奈子は由紀子の唇に吸ひ付きました。そして唇を舐め回し由紀子の口の中へと舌を入れようとします。あまりのことに由紀子は加奈子を突き飛ばしました。

 「ひやつ!」

 間髪を容れず、そんな由紀子の頬を力任せに加奈子は叩きます。

 「大人しくしてゐれば痛くはしないわ。」

 由紀子の左腕を加奈子は引つ張りました。そしてポケツトから麻繩を取り出し、兩腕を背中で縛つたのです。

 「加奈子先輩――何をするんですか?」

 「大丈夫。痛いのは最初だけだから。」

 加奈子は由紀子の脚を持ち上げました。紅いスカートの奥では、雪色のシヨーツが股間に喰ひ込んでゐます。

 由紀子の抵抗を押さへ、加奈子はシヨーツを無理やり剝がします。雪面に浮かぶ陰翳(いんえい)のやうに薄い毛が露はとなりました。加奈子はその奥へ指と顏を寄せて桃色のびら〳〵を――』


うへえ――と、菊花は妙な声を上げる。そのくせ、誌面へ釘づけとなっていた。


菊花が隣にいることを気にかけつつ読み進める。


『「うふゝ、由紀子ちやんのおしつこ、とつても美味しかつたわ。」

 由紀子は恨めしさうな目で加奈子を見上げます。薄紅色に染まつた頬に、ぽろ〳〵と珠のやうな涙が零れました。

 「お願ひ――加奈子先輩――もう酷いことはしないで――」

 「さうはいかないわよ。」

 言ふと、加奈子は鞄から小箱を取り出しました。

 由紀子の顏に怯えが浮かびます。

 「な――何ですか――それは。」

 「いちじく浣腸よ。」』


破廉恥としか言いようがない描写のオンパレードだった。詳細に書いてしまえば、小説家になろう運営部からたちまちクレームが入り、この小説の公開でさえ危ぶまれる行為が書き連ねられていたのである。


次第に股間が窮屈になってきた。


熱い物が鼻から流れ、テーブルに落ちる。


「あ、いちごちゃん、鼻血!」


言われてようやく一冴は鼻血に気づいた。鼻を押さえ、顔を上に向ける。


菊花は部室を見回す。そしてティッシュペーパーを見つけると、何枚か抜き出し、一冴にさしだした。


「まったく――エロいもの見て鼻血出す人、初めて見た。」


ティッシュペーパーで鼻を押さえ、顔を下ろした。


ふと目を向けると、菊花も鼻血を流している。


「そういう菊花ちゃんも、鼻血!」


「ひげっ!」


紅い雫を垂らしつつ、ティッシュペーパーを菊花は取りに行く。


「きたらいなあ――顔くりゃい上に向けたらどう?」


「それ、鼻血のときいやっひゃいけないことじゃなかったっけ?」


戸を引く音が聞こえた。


這入ってきたのは、三年生の二人だ。


早月は首をかしげる。


「どうしたの? 鼻から生理でも起きた?」


「はい」と一冴は答える。「生理現象です。」


テーブルの上へとれんげは目を向ける――紅く染まったティッシュペーパーが転がっていたからだ。何かに気づき、驚いたような声を上げた。


「あれ? それ、昨年の夏季誌じゃないの?」


「ん――? 本当だ。何であるの?」


一冴は首を横に振る。


「分かりません――来たら置いてあったんです。」


間が悪く、小説を書いた少女が這入ってきた。


「ごきげんよう、皆さま。」


ぎょっとして一冴は蘭を視る。菊花も同じだった。れんげも早月も凍りついている。


「あら? どうなさいましたの――?」


蘭もまたテーブルへ目をやる。そして、ひゃっと妙な声を出して駆けつけ、夏季誌を抱えた。顔を真紅(まっか)にし、猥褻(わいせつ)なものを見るような目を下級生へ向ける――自分が書いたくせに。


「こ――これ、読んだんですか?」


読みましたよと一冴は言う。


「だからこうなったんじゃないですか。」


上級生へと蘭は目をやる。


「先輩方が持って来たんですか!?」


れんげは首を横に振った。


「そんなことしないわよ! 蘭ちゃんじゃあるまいし!」


「な、何ですか!? わたくしぢゃあるまいしって!」


「そんな猥褻なことしないってことよ!」


「できるわけないじゃん。封印されてるはずでしょ――十八歳未満閲覧禁止という措置で。」


恨めしそうな顔で菊花は言う。


「こんなん、よく掲載しましたね?」


早月は苦笑する。


「いやぁ――。去年の夏はスケジュールがギリギリで――内容の確認が追い付かなかったの。プロットの段階じゃ普通の恋愛小説だったし、まさかこんな内容になってるとは思わなくて――ねえ、蘭?」


びくりと震え、とりつくろうように蘭は笑った。


「つい筆が滑ってしまひましたの。」


一冴はあきれ返る。


「筆が滑ってこうなるんですか?」


「いえ――わたくしは百合を書かうとして――」


「百合ですか、これ!」


不可解そうな目を菊花は蘭へ向ける。


「蘭先輩――実は心が男とかですか?」


蘭の額から一筋の汗が流れた。


「あ――いや。心は女なんですけどね。女なんですけどね――そのう。」


「じゃあ何でこんなもの書いたんですか!?」


「ええっと、そのう――そのう――」


そして、床の上の血痕へと蘭は目をやる。


「あ、血が落ちてゐますね。」


そして、用具入れの方へ向かった。


「雑巾、どこでしたっけ。」


蘭は用具入れから雑巾を取り出した。流し台で濡らし、床の血を拭こうとする。さすがに先輩にやらせるのは不味いと思ったのか、私がやりますと言って菊花は雑巾を受け取った。


代わりに、蘭は紅茶を淹れ始める。


やがて蓮が這入ってきた。


「一体どうしたの?」


れんげが事情を説明する。


厭なことでも聞いたように蓮は眉をひそめた。


「誰が置いたんです?」


「さあ。」


それ以上、蓮は追及しなかった。無言で席に着き、原稿用紙を拡げる。


掃除を終え、菊花が席に着く。紅茶を淹れ、蘭もまた席に着いた。


本当にすごい小説でしたね――と一冴は言う。


「舐めたり縛ったり叩いたり――こんなの森奈津子でさえ書きませんよ?」


「ええ、まあ――そのう。」


恥じらいの笑みを蘭は浮かべた。


「最初は、純愛もののつもりだったんですけどね――書いてゆくうちに、筆が乗ってきたと申しませうか、あらぬ方向へ想像の翼が拡がりましたの。」


「けど――女同士ですよね、これ?」


蘭の笑顔が凍りつく。


「ひょっとして――女性が好きとかですか?」


蘭は口元に手を当て、上品にほほえんだ。


「あくまでもそれは噂にすぎません。」


一冴は固まった。


れんげは溜息をもらす。


「もう、噂どころじゃないでしょ。蘭ちゃんは何をしなくてもバレるのよ。こういうものを書いてるわけだから、もう告白(カミングアウト)してるようなもんじゃん。」


「それは告白(カミングアウト)ではなくて他言(アウティング)では?」


恐る恐る菊花は問う。


「つまり――それはレズってことですか?」


「えゝ、まあ、さういふ言ひかたもあるわけですが――」


「レズどころか、サドとかマゾとかも入ってません?」


「えっと、そのう、どうしても、女の子同士の契りといふのは、対等と申しませうか、やゝ面白みに欠けるのではないかと思ひまして――」


「だからって書きますか?」


「いや、ですから、筆が滑ってしまったと――」


「もらしてもいますよね?」


困惑しつつも一冴は問う。


「それは――両性愛者(バイセクシュアル)ではないんですか?」


「いえ――違ひます。今まで好きになった百二十三人はみな女性でしたし。」


一瞬、聞き間違えたかと思った。


「ひゃくにじゅうさんにん――」


「あ――でもこれ、大部分は LIKE といふ意味の『好き』なんですよ。LOVE の意味で『好き』になったのは、そのうち十人くらゐですから。」


「十人――って。」


「あ――けど、LIKE と LOVE の中間でしたら、二十人くらゐでせうか。『好き』にも強弱があるではないですか。もちろん、みんな『好き』でしたけど。幼稚園で会ったユミ先生から、去年卒業したカヲル先輩まで――百二十三人の方々の顔や名前は全て覚えてゐます。」


「ああ――そうですか。」


「つまりは――」と菊花は問う。「蘭先輩は、完全に女性『しか』好きにならないんですね?」


「えゝ。男性には魅力を感じません。といふより、同じ生き物だと思へないのです。隣にゐると嫌悪感さへあります。」


梵鐘を鳴らしたような音が一冴の中で響いていた。


「できれば、かういふことはあまり言はないやうにしてゐるのですけどね――」


困ったように蘭ははにかむ。


「けれども、わたくしの場合、言はなくても往々にしてバレてしまふのです。好きな人のタイプの話などになったときは、つい〳〵口が滑ってしまひます。」


一冴は肩を落とした。


「まあ――それも個性なんじゃないでしょうかね。」


「えゝ――それも個性です。私のアイデンティティなのです。」

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