表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

111/112

第十三話 謙は亨る。

教室では、女子同士の会話があちこちで咲いている。


そんな中、紅子は独りになった。


ここ数日――昼食時に一冴(いちご)はいなくなる。教室で食事を摂る仲間は菊花と梨恵しかいない。だが食事を終えると、用事があると言って菊花は教室を出ていったのだ。梨恵もまた、テニス部の打ち合わせがあるということで教室を出た。


紅子は窓へ目をやる。少し前まで蒼かった空が曇ってきていた。


独りでいることには慣れているはずだ。それなのに昨日も今日も全く慣れない。


一冴(いちご)がいるかもしれないと思い、図書室へ向かう。


その途中だ――第一実習棟の窓に、見知らぬ教師と菊花の姿を見たのは。


指導されているのだろうかと心配に思う。だが、何もできないことに変わりはない。図書室へと紅子は歩みを進める。一冴(いちご)に対してと同様に――自分は何もできない。


     *


山吹から耳にしたことは菊花に動揺を与えた。


――いくらお祖父さまでも、畏れ多い。


しかし、そのような人間なのである。どのような人物であれ、どのような権威であれ、自分が愉しむためならば関係はない。だから蘭も踏みつぶしてしまう。


午後の授業が始まっても、そのことをずっと気にかけていた。


十分間休憩に入るたびに、ある人物についてスマートフォンで情報を集める。


放課後になると真っすぐ寮へ帰った。


自室に帰り、その人物について調べ続けた。


疑うわけではなかったが、山吹の言うことに間違いはないらしい。


もう一か月以上も前から、麦彦の悪だくみは計画されていた。


だが――タイミングの悪いことに、麦彦の意思とは関係なく蘭の人間関係は悪化している。しかも、関係悪化のきっかけは菊花が灯していたろうそくなのだ。その事実が良心を痛ませる。


紅子が帰ってきた。


そして、不安そうな眼差しを向ける。


「どしたん、菊花?」


「いや、別――」


不愛想な声に紅子は詰まった。気にかかることは多いのに尋ねられない。なので、代わりに別の話題を出す。


「あ、あの――校正はできてるかって――早月先輩が。」


「ああ――」


赤ペンとゲラをバッグから菊花は取り出す。


「忘れてた――ごめん。」


ゲラに赤を入れ始める。


だが、校正に集中しようとしても、蘭のことへと思考は常に逸れた。


このままでは蘭は傷つけられる。この学校はおろか、別の場所でさえ居場所がなくなってしまう。しかし、できることなどあるのか。あの蘭に対して、自分が何かする義理はない。だが――これは、他ならない自分の祖父がやろうとしていることだ。


麦彦を止めるべきか、見過ごすべきか。そもそも、麦彦は止められるのだろうか。


ゲラへと目を戻す。活字に赤を入れようとして、ふっと、思い浮かぶ光景があった。


――今の状況に似ている。


どうあれ、蘭とつき合うことはできない。それだけは明確に伝えなければならない。しかし、麦彦が用意した策略を逆に利用することによって、新しい未来を作ることはできないか。


――そのためにできることは。


ゲラを放置して考え込む。


そんな菊花を紅子は不安げに眺めた。


菊花は必死で考える。いくつものシナリオが浮かんでは消えた。その中で最も現実的な策略を探し出す。同時に、こんなことが可能なのだろうかとも思った。


夕食後、山吹にLIИEでメッセージを送る。そして、自分の考えについて相談した。山吹は、命令があれば協力すると返信する。だが、命令を下す菊花に自信がない――こんな作戦が上手くいくのか。


結局、その日、ゲラは手つかずのままだった。


翌日――登校したあとも、菊花は悩み続けた。


気分転換するように、授業の合間の休み時間に校正の続きを行なう。


しかし、タイムリミットは明日に迫っている。それまでに一冴と仲直りしなければならない。たとえ作戦を決行しないのだとしても、それは変わりがない。


三時間目の前の休憩時間――梨恵の席へと近づいた。


「梨恵――ちょっといい?」


梨恵は首をかしげる。


「何?」


「ここでは話しづらいことだから――」


そう言い、教室から梨恵を連れ出し、階段の陰へ移動した。


そして、要件を手短に話す――一冴との仲を修復する仲介について。


梨恵はほほえみ、分かった、任せて、と言った。


菊花はほっとする。一昨日も親身になって話を聴いてくれた――この友達が好きだ。一方、不快な色が一瞬だけその目に浮かんだことには気づかなかった。


一日の授業が終わり、再び放課後となる。


菊花は学校を出ると、路面電車に乗って市街地まで出た。行きつけの高級菓子店に這入り、最も人気の高いチョコレートの詰め合わせを買う。


寮へ戻ったのは、門限ぎりぎりのことだ。


先日と同じように紅子は戸惑っていた。しかし何も話せないことに変わりはない。


私服へ着替え、部屋を出た。


彩芽を探して寮を歩く。談話室にも食堂にもいないと知り、二〇七号室へ向かった。


二〇七号室のドアをノックする。


中から声が聞こえる。


「はい?」


菊花はドアを開けた。


彩芽は、部屋の中央にあるテーブルに着いて新聞を読んでいる。


「何?」


「あの――私、一〇八号室の東條と申します。高島先輩に占ってほしいことがあって参りました。」


不機嫌な様子で彩芽は顔をそむける。


「帰りなさい。占いなら、ネットで血液型占いでもしていれば?」


「あ、あの、さしでがましいようですが――」


手元の箱を菊花はさしだす。


お菓子の宝石箱ラ・ボヮイタビジョウボンボン鈴宮市店の最高級チョコレート詰め合わせセットをお持ち致しました。――よろしければ受け取ってください。」


彩芽はすくっと立ち上がり、チョコレートの箱を手に取る。菊花と箱とを交互に眺め、そしてテーブルを視線で示した。


「まあ――坐りなさい。」


部屋へ這入り、クッションに菊花は坐る。


対面に彩芽も坐った。


「それで――何を占ってほしいの?」


「あ、あの――私の恋についてなんです。好きな人のためにやりたいことがあるですけど、それが上手くいくかどうか心配で――。その、やりたいことっていうのは、言うことができないんですけど。」


冷たい視線を向け、ふむ、と彩芽は言う。


「曖昧ね。」


「――えっと。」


「まあ――ともかくも、占ってみましょうか。」


彩芽は筮竹を取る。


冷たい態度ではあったが、占ってくれることに菊花は安心した。


彩芽は筮竹をさばく。四十九本の竹ひごが左から右へ流れる。その意味を菊花は知らない。さばくごとに書かれる漢字も分からない。ただ、戦々恐々と見守った。


やがて卦が書き出される。


☷☶ 地山謙(ちざんけん)


「地山謙――が出たわ。」


「ちざんけん?」


「『(けん)』は『ゆずる』という意味。謙遜や謙譲の『謙』。しかも変爻のない綺麗な卦ね。」


彩芽は卦を指し示す。


「この、上の三本の線(☷)は大地を、下の三本の線(☶)は山を意味する。本来は空高くそびえている山が、地面の下に潜って謙遜している姿ね。卦辞に曰く、『謙は(とお)る。君子、終わりあり。吉』。君子は仕事を終わらせることができる。」


「上手くいく――ということですか?」


「そういうこと。」


ただ――と彩芽は言う。


「謙という字が指し示す通り、譲ることが大切よ。『君子』というのは、徳の高い人のこと。本当に欲しいものは他人に譲らなければならない。」


菊花は少し考える。


自分がやろうとしていることは――。


「ところで、貴女の好きな人って浮気性?」


予想外の質問に首をかしげる。


「いや、そんなことないと思いますが。」


そう――と言い、彩芽は卦を指し示す。


「この、途切れている線は陰、途切れていない線は陽を意味するの。陰は女。陽は男。見てもらったら分かる通り、五本の陰に一本の陽が挟まれている。つまり、複数人の女の子に囲まれている一人の男のことね。」


少し考え、やがて菊花は思い当たった。


女子に囲まれている一人の男子という意味では当たっている。


「もしそうなら、彼のことはまず他の人に譲らなければ。それは、貴女にとって辛いことかもしれないけど――そうしなければ彼は振り向いてくれない。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ