第三話 白山神社
朝の失態は、蘭の中で少し尾を引いていた。
なぜ被ったのか自分でもよく分からない。ただ、朝の準備をしている最中、菊花のことを考えていたのだ。特に、どんなショーツを今日は履いているのだろうと考えていたら、被っていた。
――わたくし、変態だと思はれましたか知ら。
しかし、よく考えたらそれは今さらであった。
一日の授業が終わり、放課後となる。
生徒会室へ行くため一階へと降りた。
昇降口の前を横切ったときだ。
菊花の姿を目にした。靴を履き、校舎から出てゆく。
その姿が気にかかる。最近、菊花は文藝部へ全く姿を見せていないという。いつも一緒にいる一冴もいない。例の事件も終わり、聴き込み調査をする必要もないのに、文藝部へも行かずにどこへ行くのだろう。
菊花のこととなると、気になって仕方がない。
生徒会へは少しなら遅れても構わないだろう――後をつけることとした。
靴を履き、菊花の後ろ姿を追う。
校門を出た。そして、学校の裏手にある杜へ歩みだす。
尾行に気づかれないよう物陰に隠れながら蘭は続いた。
樹々に挟まれた小道に這入る。
鳥居が塞ぐ形で道は終わっていた。鳥居は白く、参道は暗い。その中に菊花は消える。
蘭は鳥居の陰に隠れ、参道を覗く。
勾配のきつい石段を昇る姿が見えた。
この先にあるのは、ひとけのない神社である。
白山女学院の由来となった白山神社だ。
祭神は菊理媛神――別名を白山比咩神という。伊邪那岐命に何かを言った神とされるが、何を言ったのかは記されていない。一説には、伊邪那岐命と伊邪那美命の仲を取り持ったとも言われ、縁結びの神ともされる。
参道を昇るべきか、蘭は少し迷った。
思い人の名前を書いたろうそくを七日間にわたって奉納し続ければ恋がかなう――そんなジンクスが白山神社にはある。
もし菊花がそれを行なっているのならば、すぐに戻ってくるだろう。後を着けた場合、参道で鉢合わせするかもしれない。しかし、そうでないのなら――何なのであろう。
鳥居の陰で参道を伺い続けていると、菊花の姿が再び現れた。
咄嗟に蘭は頭を引っこめる。
周囲を見回し、とりあえず林の中へ隠れた。
木陰からそっと小道を窺う。
やがて目の前を菊花は通りすぎた。
蘭は不安になる。菊花には既に思い人がいたのであろうか。
菊花の姿が消えると、すぐに林から出た。
鳥居の前で一礼し、参道を昇る。
夏にもかかわらず、鳥居から先は冷たかった。苔生した石段を昇り切り、境内へと這入る。深い樹々に囲われ、境内は薄暗い。その中に小さな社殿が建っている。
社殿の前には小さな灯火が輝いていた。
甲高い鳥の声がどこかからか聞こえる。
蘭は石畳を進んだ。
賽銭箱の隣に、祠を模した金属製の献灯台が置かれていた。硝子の引き戸の向こうには、ろうそくが一つ灯っている。まだ新しい。一見して何も書かれていなかった。
蘭は硝子戸を開け、ろうそくをそっと回転させる。
裏側に、マジックで文字が書かれていた。
「上原一冴」
何と読むのか少し迷った。
――うえはら、かず――。
いや――。
まさかこれは「いちご」と読むのか。
しかし、「いちご」の名前は全てひらがなだったはずだ。『地上の翼・廃墟の空』の原稿にもそう記されていた。そもそも、この「一冴」という名前は男のものではないか。
――上原。
――うえはら。
――上原君。
途端に、中学二年生の頃、図書委員だった後輩の顔が頭に浮かんだ。彼もまた、「上原」という苗字だった。蘭に入れ込んでいたのか、気づけば視線を向けてきて気持ちが悪かったのを覚えている。そんな彼は、進級した頃から髪を伸ばし始めたはずだ。
あの中性的な顔と、「いちご」の顔は重なった。
――いや、まさか。
しかし、梨恵は言っていた――「いちご」には片思いの人がいるのだと。彼は中学の頃の先輩で、女性に告白して振られたのだそうだ。だが――それは実は自分ではないのか。
加えて言えば、『地上の翼・廃墟の空』というあの小説は、実に男子らしくはなかったか。




